2015年7月5日日曜日

『〈未来〉のつくり方 シリコンバレーの航海する精神』

池田純一氏の『〈未来〉のつくり方 シリコンバレーの航海する精神』を読み始める。なかなか面白い。
「(シリコン)バレーの著名なビジョナリの一人であるケヴィン・ケリーは、ムーアの法則に代表されるテクノロジーの変容を、人間の手を離れた自立的進化として捉え「テクニウム」と名づけている」。ケリーはWired創刊時の編集長を務めた。

「産業革命の成果が社会の隅々にまで浸透した20世紀前半に、ドイツの哲学者であるハイデガーは、ゲシュテル(微発)という概念を提案し、ゲシュテルの呼びかけに応じて人々が個々のテクノロジーを現出させてきたと考えた」

人口知能(AI)研究者のレイ・カーツワイルは「テクニウムのような自律的な動きをどう飼いならすか、人間はどう主体的に対処すべきかに焦点を当てた。10年代に入り、まさにムーアの法則の成果によりAIの実現性が高まったところで、「シンギュラリティ」の提唱者として関心を集めている」

「シンギュラリティとは、コンピュータの計算能力が人間のそれを凌駕し、そこから先は人間の知恵では将来を見通すことができなくなる臨界点のことをいう」

ムーアの法則に従って単体のCPUの演算能力が累乗的に増大し、それらが接続され、ネットワーク上に分散するコンピュータの演算能力が増加しつづけ、やがては地球上にある演算能力の総和が、人類の脳が持つ演算能力を凌駕。シンギュラリティを迎えるのはカーツワイルによると2045年。

シンギュラリティという言葉が人口に膾炙したのは93年に数学者/SF作家のヴァーナー・ヴィンジがWhole Earth Reviewという文明批評誌に寄稿した"The Coming Technological Singularity"からだった。
"The Coming Technological Singularity: How to Survive in the Post-Human Era"
Vernor Vinge(1993)

「シンギュラリティという言葉をコンピュータの世界で初めて使ったのは数理科学者のジョン・フォン・ノイマンで、58年のことだった。彼は、人類の知性を凌駕する知性が誕生する臨界点を、シンギュラリティと呼んだ。(中略)シンギュラリティはアカデミックな対象として始まっていたのである」
「ムーアの法則とはシリコンバレーの成功の源である。(中略)カーツワイルは、シンギュラリティという議論を通じて、ムーアの法則を一種のドグマにまで高めたわけだ」

「(ドグマは)科学の世界では強固な仮説の意味で使われることがある。生物学ではDNAからタンパク質が産出されるという不可逆な過程をセントラル・ドグマと呼ぶ。わざわざドグマと呼ぶことで、その命題が絶対的な真理ではなく、人々が信じることで真理として扱われる仮説であることを強調する」

レイ・カーツワイルのウェブサイト"KurzweilAI"のホームページ
http://www.kurzweilai.net/

「カーツワイルの考え方に賛同する経営者の一人が、Googleの創業者であるラリー・ペイジだ。彼はカーツワイルが主宰するSingularity University(SU)の支援者である」

「Googleは、04年の上場時に「創業者からの手紙」の中で「世界中の情報を誰もが利用できるようにし、世界をよりよき場所にする」と宣言した。この使命を遂行するために、ペイジは11年のCEO就任以来、次々と勇猛果敢な施策を講じている」

かつてダイナブックを構想し、今日のPC時代を予見したアラン・ケイの「ソフトウェアの開発に真剣に取り組む人たちは、自分たちのためのハードウェアを作るべきだ」という言葉を愚直に実践しているのが、ラリー・ペイジである。

Wifiに繋がったタブレットを使っていると、ついにアラン・ケイの言うダイナブックが実現したなという感じがするよね。