2012年7月24日火曜日

ドルコスト平均法

まだ、ちゃんと読んではいないのですが、この論文はコツコツ投資家の方は必読なのではないでしょうか。アカデミックな視点からドルコスト平均法を検証されたようです。リンク先のウェブサイトのフルテキストURLのところからPDFファイルをダウンロードできます。

「ドルコスト平均法を用いた投資の有効性の検証」(田路、笛田、2012)

それに対する肯定的な討論

「効果的な投資手法としての検証結果が示された」(吉野、2012) (PDF)

2012年7月23日月曜日

『ペット・サウンズ』


「あとになって僕は発見する。たとえカリフォルニアにいたところで、ほかの場所と同じように、人は惨めになりえるのだということを」 『ペット・サウンズ』(ジム・フジーリ) 村上春樹訳
文体が、ハルキです。
「僕は天才じゃない。ただ勤勉に仕事をするだけの人間だ」(ブライアン・ウイルソン)
「曲を作るときに大事なのは、我慢強さであり、《いったん掴んだら離さない》というしつこさだ」(ブライアン・ウイルソン)
「僕が作曲に打ち込んだのはおそらく、自分が劣っているという感覚があったからだろう。それがいちばん大きなモチベーションだったと思う。あるいは自分には何かが欠けているという感覚」(ブライアン・ウィルソン)
「僕には競争意識がある。(誰か別の人間が作った)本当に素晴らしい音楽を聴くと、なんだか突然自分がアリみたいなちっぽけな、とるに足りない存在になったような気がするんだ。そしてなんとか人に負けないものを作らなくてはと思う」(ブライアン・ウィルソン)
「僕の見聞したところから述べさせていただけるなら、ドラッグというのは、魂に問題を抱えた人間がもっとも手を出してはならないものだ。フリートウッド・マックのピーター・グリーンと昼食を共にしたことがある。彼はメニューにまともに目を通すことさえできなくなっていた。その30年ばかり前に、サイケデリック・ドラッグの服用によって、グリーンの統合失調症は悪化し、彼の人生は恐ろしい奈落の底に落ち込んでしまった。最近になってようやく最悪の状態から抜け出せて、僕はそのときの彼に会ったのだ」
「ジャコ・パストリアスの躁鬱病はドラッグと飲酒のために、より激しいものになった。そしてこのベーシストは、自らが設定したきわめて高い水準での演奏を維持する能力を失っていった。それからほどなく、ジャコはとあるフロリダのナイトクラブの外で、用心棒によって殺された。ある警官が僕にパストリアスの臨終の写真を見せてくれた。彼の頭は膨らみ、へこみができて、顔には黄色や紫の不気味な染みが認められた」
「多くのミュージシャンは『ペット・サウンズ』のセッションのあいだずっと、ブライアンはまるで何かに追いまくられているような、神経を高ぶらせた状態にあったと言っている。「『ペット・サウンズ』の仕事をしているとき、ブライアンは冗談ひとつ口にしなかったし、何を言ってもにこりともしなかった」とギターのジェリー・コールは語っている。「スタジオに入ってきても、微笑みひとつ浮かべなかった。頭の中にこれをこうしなくちゃというプランがしっかり詰まっていたんだね。夜の7時に仕事を始めて、朝の7時まで続けたりもした」。ミュージシャンたちが帰った後もブライアンはスタジオに残った。20時間くらいぶっ続けでいることもあった。
「彼の気前のよさには実に驚かされた」とコールは言う。「時間が長引くと、全員に食事の出前をとってくれた。そんなことに常に留意してくれたのは、ほかにはフランク・シナトラくらいしかいない」
「これ(God Only Knows)は実に実に偉大な曲だ」とポール・マッカートニーは言った。「僕はこの曲がたまらなく好きだ」

♪ いかなるときにも君を愛するとは、いいきれないかもね。 でも見上げる空に星がある限り 僕の想いを疑う必要はないんだよ。 時がくれば、君にもそれがわかるだろう。 君のいない僕の人生がどんなものか、それは神様しか知らない ♪

ジム・フジーリの『ペット・サウンズ』には村上春樹の18ページにわたる素晴らしい訳者あとがきがついている。これだけでも買う価値がある気がする。「聴いてみてください。聴く価値のあるアルバムです。そして何度も聴き返す価値のあるアルバムです。
『サージェント・ペパーズ』が僅かずつではあるが、当初の圧倒的なまでの新鮮さを失ってきたのに比べて、『ペット・サウンズ』はそのレコードに針を落とすごとに、何かしら新しい発見のようなものを僕にもたらしてくれた。そしてある時点で両者は等価で並び、そのあとは疑いの余地なく『ペット・サウンズ』が『サージェント・ペパーズ』を内容的に凌駕していった」

私が持っている『ペット・サウンズ』のCDには山下達郎の感動的なライナーノーツがついている。
「……だがしかし、それを考慮にいれてさえなお、『ペット・サウンズ』は語り継がれるべき作品である。何故ならこのアルバムは、たった一人の人間の情念のおもむくままに作られたものであるが故に、商業音楽にとって本来不可避とされている、『最新』あるいは『流行』という名で呼ばれるところの、新たな、『最新』や『流行』にとって替わられる為だけに存在する、そのような時代性への義務、おもねり、媚びといった呪縛の一切から真に逃れ得た、稀有な一枚だからである。このアルバムの中には「時代性」はおろか、『ロックン・ロール』というような『カテゴリー』さえ存在しない。   にもかかわらず、こうした『超然』とした音楽にありがちな、聴くものを突き放す排他的な匂いが、このアルバムからは全く感じられない。これこそが『ペット・サウンズ』最も優れた点と言えるのだ。『ペット・サウンズ』のような響きを持ったアルバムは、あらゆる点でこれ一枚きりであり、このような響きは今後も決して現れる事はない。それ故にこのアルバムは異端であり、故に悲しい程美しい。」

2012年7月22日日曜日

シリーズ「バブル/デフレ期の日本経済と経済政策」は無料公開されている

シリーズ「バブル/デフレ期の日本経済と経済政策」という7冊の本を本屋で立ち読みして、おもしろかったので欲しかったのだが、一冊およそ5000円なのでさすがに躊躇していると、なんと全部無料で公開されていたのね。国民の税金を使った研究だから、無料で一般公開されています。

シリーズ「バブル/デフレ期の日本経済と経済政策」


第1巻 『マクロ経済と産業構造』 深尾京司 編
第2巻 『デフレ経済と金融政策』 吉川 洋 編
第3巻 『国際環境の変化と日本経済』 伊藤元重 編
第4巻 『不良債権と金融危機』 池尾和人 編
第5巻 『財政政策と社会保障』 井堀利宏 編
第6巻 『労働市場と所得分配』 樋口美雄 編
第7巻 『構造問題と規制緩和』 寺西重郎 編

日経「穀物高、リスクオンに盲点」

2012年7月21日の日経夕刊【ウォール街ラウンドアップ】に『穀物高、リスクオンに盲点』という記事が出ていた。
「シカゴ市場の大豆とトウモロコシは食料危機といわれた2008年半ばの水準を超えた。一方、それを受け止める世界経済は当時よりもろい。」
「今回は現実の供給不足が根底にあるだけに、状況はより予断を許さないとの見方もできる。
株式市場にとっては『リスクオン』と『リスクオフ』という単純な二元論による相場分析の盲点を突かれるきっかけになるかもしれない。」

コモディティはもともと株や債券など伝統的資産とは異なる動きをするのが特徴。株の値下がりに対する保険としてファンド勢などが分散投資の手段として活用してきた。ただ、2008年秋の金融危機前後から、リスク分散効果に着目した年金など大口投資家がコモディティに殺到。金融緩和マネーがあらゆる資産を横並びで買い上げたこともあり、株と似た動きをするようになった。
BoAMによると、米株式とコモディティとの連動性は2003年~07年の10%から、08年以降は62%に高まったそうだ。

「景気が良く需要が強いために商品価格が上がる」局面では株高とコモディティ価格高が両立しうるが、現在のように景気低迷下で供給不安を理由に上昇する「悪い商品高」は、株価にマイナス、と。

個人的には、原油・ガソリンとは異なり、穀物高のマクロ経済への影響は限定的だろうとはおもう。原油・ガソリン価格の上昇はマクロ経済に多大な影響があるので、景気、株の下押し要因となり、最終的には原油・ガソリン価格の需要を引き下げ、価格抑制につながる。
穀物高の場合は、マクロ経済への影響は限定的だろうし、需要はそうは減らないし、供給も簡単には増えないから、しばらく続くような気がする。


2012年7月20日金曜日

とうもろこし、大豆、小麦の国際価格が上昇してきている

7月19日の日経「小麦の国際価格、4年ぶり高値 ロシア減産見通しで」

「主要生産国のロシアの天候が不順で収穫量が減る見通しが強まった。飼料用で競合するトウモロコシが米国の熱波を受けて高騰したのも押し上げ要因だ。小麦の輸入を管理する日本政府は製粉会社への売り渡し価格を10月に引き上げる公算が大きい。」

「シカゴ市場の先物価格は17日、期近の9月物が一時、1ブッシェル8.985ドルまで上昇した。ロシアの禁輸で相場が高騰し、北アフリカ諸国の民主化運動「アラブの春」のきっかけとなった2011年2月の高値を更新。リーマン危機前の08年8月以来の水準となった。」

アメリカのとうもろこしや大豆は水をまかないんだよね。自然の雨だけが頼り。だから雨が降らないとそのまま枯れてしまう。とうもろこしの価格があまりに高くなると動物の飼料として今度は小麦を与えだすんだよね。普段は小麦のほうが高いからやらないけど。小麦はロシアも不作らしい。ロシアの小麦禁輸が「アラブの春」のきっかけになったとすると、世界の動きは複雑ですね。

私が持っている投資信託の「国際のe-コモディティ」も、今は小麦、とうもろこし、大豆などの農産物が組入れの中心になっている。

マクロ経済学のパースペクティブ

『マクロ経済学のパースペクティブ』は、マクロ経済学の近年の発展に興味を抱く人たちが最初に読む本としてお薦めできます。特徴は直感的なストーリーの紹介、モデルの分類と一般的な図式の解説、簡単な数式の展開とモデルの有用性の紹介、日本経済への含意、多数の参考文献など。残念ながら絶版です。

「もともと現在の国民所得統計は、ケインズ以来のマクロ経済学の成立をうけて作られたものだ。統計に限らずマクロ経済学の見方からは『経済学など役に立たない』と豪語するどんな実務家であっても、実は影響を受けているものなのである」

「経済学のモデル分析は極めて難しく、かつそれゆえ面白いと言える。現在のマクロ経済学の内容は極めて多種多様であり、ミクロ理論のほとんどの分野の知識はもちろんのこと、最適成長モデルやゲーム理論を知ることが必要とされるし、確率過程論、動学的最適化理論、時系列分析などの知識も必須である。さらにマクロ経済学はあくまで実践の学問であり、制度的諸慣行に対する知識も必要であり、また鋭い現実感覚が一級のマクロ経済学者の必要条件であることは言うまでもない」

「RBCモデルは極めて非現実的と大きな批判を浴びており、また初期の主張はほとんど実証的にも成り立たないことが明らかとなっている。にもかかわらず、このRBCモデルの基本構造とその批判・反批判を知ることは、マクロ経済学の現状を知るうえで不可欠である。近年ではRBCモデルは何らかの一般均衡動学モデルを組み立てて、シミュレーションにより導出された人工的経済の数値と実際の景気循環の数値を比較する研究と位置づけることが妥当。またその含意も新古典派の究極の到達点と考えるより、あくまで一つの『技術的な』分析手法と位置づけることが妥当」


2012年7月1日日曜日

林貴志『マクロ経済学』


この本はMinervaベイシック・エコノミックスのシリーズの一冊なのであまりむつかしくない。一般均衡理論をいかに「動学的」にするかが丁寧に解説してある。


「不確実性下での生産経済の動学的一般均衡モデルに基づくビジネスサイクル理論は「生産性=リアル」のショックに基づくビジネスサイクル理論と言う意味で、リアルビジネスサイクル(RBC)理論と呼ばれる。

RBC理論は決して、『ビジネスサイクルはすべて技術的ショックで説明できる』と言っているのではない。むしろ、織り込み可能なショックには経済はどう反応するか、逆に織り込み不可能なショックにはどう反応するか、両者はどう違うのかについて有用な知見を与えてくれる理論というべきである」

林マクロ、分かりやすいが、残念ながらタイポも多い...

「経済停滞の原因と制度」、「『失われた20年』と日本経済」


最近になって日本の長期経済停滞を計量的に実証分析した本が出版されるようになってきた。深尾さんの本を買うついでに2007年の林さん編集の本も購入。

『経済停滞の原因と制度』は冒頭から挑発的。

「 われわれは、(日本経済の)長期停滞の主因は第一に生産性の成長率の低下、第二に金融仲介機能の低下による投資の不振、第三に公共投資の非効率性にあると考える。
われわれは、長期停滞はGDPの成長率の低下というきわめてマクロ的現象であり、経済の個々の側面だけに焦点をあてる分析には限界があると考える。なすべきことは、GDPが内生的に決まるマクロ一般均衡モデルを構築し、モデルのどの与件が変化したからGDPが低迷したかを特定することである。
IS-LMモデルの有効性については深刻な疑問が少なくとも学会では投げかけられてきた。資産価格のみならず消費・投資、そしてGDPは、家計・企業といった経済主体が経済変数の将来の経路について持つ期待に依存する。期待の役割をモデルに取り入れるためにはモデルは動学的でなくてはならない。
アリゾナ大学のプレスコット教授と私(林)は、2002年の共同論文で、実物的景気循環モデルと呼ばれる、最も基本的な動学的一般均衡モデルで、90年代の日本のGDPの低迷が説明できることを示した。GDPを内生変数とするこのモデルの与件は、政府支出の経路と経済全体の生産性の尺度である。
失われた10年についての文献は、需要側の要因に注目する研究と供給側に注目する研究に大別されるが、需要側を重視する研究は、次の6つの要因を指摘している。

1)1980年後半のバブル経済の崩壊が資産価格(株価、地価)の暴落を招き、それがさらに金融危機と不良債権の増加をもたらし、それがさらに貸し渋り(クレジット・クランチ)とシステミック・リスクの増加をもたらしたこと、
2)1993年にBIS規制が導入されたことによるさらなる貸し渋り、
3)金融危機および不良債権問題への政府の対応が不十分だったこと、
4)バブル期においては、過度に拡張的な金融政策の影響もあり、設備に対する大規模な過剰投資がなされ、バブル崩壊期においては、企業は超過設備をなくすため、投資を大幅に削減したこと、
5)バブル崩壊期においては、財政政策・金融政策による刺激が不十分だったため、有効需要が不十分だったこと、6)日本経済の将来展望の悪化、

 供給側の要因を重視する研究では『全要素生産性(TFP)』がキーワードである。生産を労働投入で割った比が通常の生産性と呼ばれるが、この労働生産性は資本の貢献を無視しており、経済学的に意味のある生産性の尺度は、労働生産性ではなくTFPである。
需要を重視する議論には、論理に問題がある例が多い。問題の一つは、因果関係と相関の混同である。もう一つの問題は、モデルが明確に提示されていないことである。
 投資の低迷が長期停滞の主因であるという需要派の主張が科学的根拠を持つためには、少なくとも投資の低迷の大半がTFPの低下によるものではないことを実証的に示す必要があるし、供給派と同じ知的レベルの議論をするためには、投資の自立的変動を含むDGEモデルを構築し、そのモデルがGDPばかりでなく消費・投資・雇用・資本産出比率などの重要なマクロ変数全体について、一定の説明力を持つことを示さなくてはならない。」

参照されている論文
"The 1990s in Japan: A Lost Decade" Hayashi and Prescott (2002) (PDF) 

第6章「失われた10年における日本の金融政策」は以下の論文が元
"Monetary Policy during Japan's Lost Decade" Braun and Waki(2005) (PDF)