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2022年6月8日水曜日

金融庁「資産運用業高度化プログレスレポート2022」で紹介されていたMITのESG論文

 金融庁の「資産運用業高度化プログレスレポート2022」が公表されました。

資産運用業高度化プログレスレポート2022

資産運用業高度化プログレスレポート2022(概略版)

ESGに関するページが多くて、金融庁のESGへの関心の高さがうかがえます。

そのなかでMITのAggregate Confusion Project が紹介されていました。

そこにはESGのレーティングがバラバラであることの問題点を分析した3つの論文が紹介されています。

1. Aggregate Confusion: The Divergence of ESG Ratings

2. Is History Repeating Itself? The (Un)Predictable Past of ESG Ratings

3. ESG Confusion and Stock Returns: Tackling the Problem of Noise

ESGの現状についてよく把握できる本として『ESGの奔流』をお勧めします。




2019年11月21日木曜日

ファイナンスの重要な論文を振り返る

最近はファイナンス(証券投資論)の重要な論文がネットで読めるようになっていて、良い時代になったなあと実感します。過去の論文を調べたついでに、ここに忘備録としてまとめておきます。論文のタイトルにリンクが張ってあります。

1990年のノーベル経済学賞をシャープ、ミラーとともに受賞したマーコウィッツの1952年の論文も無料で読めますね。 "Portfolio Selection" Harry Markowitz[1952]

Sharpeの1964年の有名なCAPMの論文、今は無料で読めます。PDFというボタンを押せばダウンロードできます。 ”CAPITAL ASSET PRICES: A THEORY OF MARKET EQUILIBRIUM UNDER CONDITIONS OF RISK”

マーコウィッツ[1952]の平均分散法とシャープ[1964]、Lintner[1965]のCAPMがファイナンスのポートフォリオ理論の先駆けですね。CAPMは均衡理論。CAPMは様々な強い制約の下、均衡状態で成立する。均衡なら無裁定だが、逆は言えない。ファイナンスのアカデミックな世界では「CAPM、おまえはもう死んでいる(CAPM is dead.)」と言われるわけですが。

ブラックのゼロ・ベータ・ポートフォリオの論文。
"Capital Market Equilibrium with Restricted Borrowing" Fischer Black[1972]

マートンの多期間CAPM "An Intertemporal Capital Asset Pricing Model"  [1973]

ファイナンスにおける金字塔。ブラック=ショールズによるオプションのプライシング。 "The Pricing of Options and Corporate Liabilities" Fischer Black and Myron Scholes[1973]

伊藤の補題がおそらく初めてファイナンスの論文で使われたマートンの重要な論文。
"Theory of Rational Option Pricing" Robert C. Merton[1973]

しかし、ICAPMとオプションのプライシングという二つの重要な論文を1973年に同時に発表するとは、やはりマートンはとてつもない天才ですねえ。

CAPMに代わるものとして提案されたロスの裁定価格理論。複数のリスク・ファクターを考えることができるためCAPMよりも一般的。マーケット・ポートフォリオの特定も不要。 "The Arbitrage Theory of Capital Asset Pricing" STEPHEN A. ROSS [1976]

実務界にも大きな影響を与えた、ファーマ=フレンチの3ファクター・モデル。 "Common risk factors in the returns on stocks and bonds" Eugene F. Fama and Kenneth R. French [1993]

このあたりの証券投資理論の歴史についての読み物としては『証券投資の思想革命』がお勧めです。残念ながら絶版ですが、地元の図書館にあると思うので借りて読みましょう。 『証券投資の思想革命―ウォール街を変えたノーベル賞経済学者たち』 ピーター・L. バーンスタイン

英語が苦にならなければ、これもお勧めです。資産運用の歴史を概観するのによい読み物です。書いたのはブラックロックのKahn。

2019年8月25日日曜日

『市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像』

竹中平蔵のことはよく知らなかったのだけれど、ここまでひどいとは…

「結局、金融行政の最高責任者だった竹中が果たした役割は、ウォール街の雄であるゴールドマン・サックスを日本に呼び込むことだったのである」
三井住友とゴールドマンの取引も不可解。社内の反対を押しきって西川頭取が独断で決めたらしいけれど。

慶応の池尾先生は、通称「竹中プラン」の当初の特命チームに招かれていたが、リソースの増強のないまま不良債権処理を進めようとする竹中の意見を聞いて辞退している。さすがですね。

池尾「それなら柳澤前大臣がやった以上のことはできないと考えた。竹中さんは『政治的にどう打ち出すかを考えているので』という言い方だった。私は、そういうものを経済政策だとは思わないので、それであれば辞めますと言ったのです」

竹中は処女作『研究開発と設備投資の経済学』で鈴木和志との共著論文の内容を自分だけの成果であるかのように載せている。それを知って激しいショックを受けた鈴木は宇沢や同僚たちがいる前で泣き出してしまった。
他人が作成したグラフも勝手に拝借して載せている。学者として最低ですねえ。
『研究開発と設備投資の経済学』を竹中は博士論文として一橋大学経済学部に提出したが、不合格だった。

竹中はコロンビア大学ビジネススクールの客員研究員だったが、事実上できることといえば大学の図書館で本を読む程度。「コロンビア大学の客員研究員といえば、実態を知らない人はありがたがるけど、実際には図書館で本も借りられない。借りるにはまたお金を払わないといけないんです」
アメリカの大学の客員研究員だったという肩書をちらつかせる人がいるけど、大したことないこともあるということは知られていてもいいですね。

「ところが竹中は、「実ははっきり言うと、今、郵政の民営化をする必要はないんです」と言う」
じゃあなんで民営化したのよという話。あきれてしまう。

「繰り延べ税金資産は、貸し倒れ引当金に課税される税金分を、将来還付されるという前提のもとで計上する資産だ」
りそなに公的資金を投入するときに、朝日監査法人でりそなを担当者していた平田さんが自殺している。かわいそうに。
りそなは竹中と木村剛のスケープゴートとして経営破綻させられてしまった形。りそなの監査法人は朝日と新日本だった。朝日で担当していた平田は「四項但し書き」、つまり課税所得5年分を認める考えだったが、朝日の幹部と木村が通じていて、りそなの繰り延べ税金資産を認めないという経営判断をした。
平田は自殺し、朝日監査法人はりそなの監査を辞退した。新日本監査法人は当初、課税所得5年分の繰り延べ税金資産を認める方針だった。しかし朝日が唐突に辞退したことで新日本の監査現場が混乱し、繰り延べ税金資産を課税所得の三年分まで減らす結論を出した。

竹中と木村は、自らの手は汚さず、監査法人を指嗾して銀行を破綻させ、公的資金投入を実現した。

木村剛は金融庁顧問をしながら、銀行免許のコンサルティングビジネスで稼いでいた。落合伸治が『日本振興銀行』を設立するのを手伝い、後に落合を追放して同行の経営者となるが2010年に破綻する。木村自身も、金融庁の検査を妨害したとして逮捕され、執行猶予三年、懲役一年の有罪判決を受ける。

小泉首相の秘書の飯島は、しばしば「小泉総理からの指示」という切り札を用いて、竹中が自分の意見を押し通してきたことに不信感を抱いていた。竹中が次の首相候補の安倍に取り入ろうとするのを見て、小泉に直接進言した。
「竹中さんは信用できない部分があります。総理と会ったあとに総理の言葉を正確に伝えていない場合があります」。飯島から進言を受けたあと、小泉は竹中と少し距離をとるようになったという。

クルーグマンは、日本経済の問題は十分な需要がないことと考えていた。需要サイドをおろそかにし、供給サイドの政策ばかりに注目する小泉内閣を疑問視していた。構造改革のイデオローグとなっている経済学者出身の竹中大臣は誤りを犯していると考えていた。
元FRB副議長でプリンストン大学教授のアラン・ブラインダーも「構造改革と同時に需要も喚起する二元戦略が必要だ」とアドバイスしていた。

当時トヨタ会長で日本経団連会長でもあった奥田氏は、竹中が決めた日本郵政への抜粋人事に腐心感を露わにした。「竹中が動くときには必ずうしろにカネの話があるんだ」と言っていた。経団連会長としての記者会見で「金融機関のトップは利害関係があるので資格がないのではないか」と発言した。
トヨタの奥田会長が懸念したことは現実となり、西川は三井住友銀行の部下だった銀行員を日本郵政の幹部に登用した。
日本の場合、製造業の経営者は比較的正常な経営感覚なのに対して、金融機関の経営者はダメダメですねえ。

オリックスの宮内義彦は小泉純一郎や竹中と親しく、日本郵政の「かんぽの宿」などを異常に安い値段で譲り受ける契約を結んだ。これに鳩山邦夫総務大臣が反対して白紙となり、マスメディアや国会で「郵政民営化」疑惑として激しく追及された。

小泉ー竹中の「構造改革」というのは、極端な財政緊縮路線で、ほとんど必然性のない「痛み」を人々に与えて生活を疲弊させることで「改革」に目覚めさせようとしているかに映った。小泉が財政緊縮路線に固執したことで、日本銀行への圧力はすさまじいものとなった。財政禁じ手で過度に金融政策に依存。
「じつは、五年半におよぶ小泉長期政権の歩みは、異常ともいえる「超低金利」時代と軌を一にしていた。日銀による大量のマネー供給が「構造改革」の通奏低音なのである。日銀は小泉純一郎内閣が発足する直前にあたる2001年3月、未踏の領域だった「量的緩和政策」に踏み切っている」

日銀が「量的緩和」に踏み出す決定をした2001年3月の金融政策決定会合で、副総裁の山口は「追加的な緩和の余地が大いに生まれてくるような、ある種のイリュージョンを与えることにもなりかねない」と「量的緩和」に疑問を呈した。

小泉内閣が初めての経済政策「骨太の方針」を発表する直前の2001年6月の金融政策決定会合に竹中が乗り込んで、日銀幹部を前にいきなりこんな発言をしている。「構造改革が動いて金融政策が動くというよりは、金融政策が一体化することによって構造改革を早めるという効果があきらかにあるわけで、とくに、これから経済がたいへんになるぞ、という一種のあおりの議論のなかで、構造改革が例えば止まってしまうというのは困るので、そういうあおりの議論をたとえば抑えるためのメッセージとしての金融政策の役割というのは、私はいまの時点では政策のフリーハンドがない時点では、非常に大きいのではないのかなと直感している」

破綻した後に、政府の管理下に置かれたりそな銀行が社外取締役として迎え入れた一人が川本裕子。マッキンゼーのコンサルタントだった川本はりそなを破綻に追い込む際、決定的な役割を果たしている。竹中の金融問題タスクフォースのメンバーだった。一方、りそな副社長の梁瀬は責任を取る形で辞任させられた後、オリックスに入社している。オリックスの経営者は竹中の盟友、宮内義彦。梁瀬はその後オリックス社長を務めている。破綻して公的資金二兆円で支援されたあと、りそなは自民党への融資を増やし自民党のメインバンクと化した。

竹中はUFJに圧力をかけ、UFJは大口問題債権のミサワホーム社長の三澤を辞めさせ、産業再生機構で債務を整理して身ぎれいになってからトヨタホームが引き取った。その後ミサワホームの新しい社長に抜擢されたのは竹中の兄の竹中宣雄だった。竹中平蔵が現職の金融担当大臣として自民党から出馬したとき、ミサワの子会社幹部らがポスター張りなどの支援をしていたことが発覚して、問題となっている。

竹中平蔵のクローニーキャピタリズムに、眩暈がしますね。

「金融維新」を唱えた木村剛は、日本振興銀行の経営者となって数々の問題を引き起こしながら、ついに2010年9月10日、日本振興銀行を破綻させた。そして、日本の金融史上初めて「ペイオフ」が適用された。預金者が預けていた資金が失われる事態となったのである。

日本初のペイオフ適用とか、とんだ「金融維新」ですねえ

銀行が破綻するわずか6か月前、木村は自らが保有する日本振興銀行の株式を1株33万5000円という法外な高値で売り抜けて、総額3億1825万円を手にしている。中小企業保証機構は日本振興銀行からの融資を元手に、木村の株を買い取った。つまり木村が手にした金は破綻寸前の日本振興銀行から引き出したカネ

どこまで腐っていのかという話

木村は逮捕された後、弁護士の口座に3億以上の資金を移して自分の財産を保全する措置を講じている。3000人以上の預金が失われる中で、木村が守り抜いたのは自分の財産だけだった。

竹中は、本来なら銀行免許を交付すべきではない日本振興銀行に交付し、その結果、預金保険機構への多大な損失と預金者への負担を招いた。

竹中は2003年に幻冬舎から出した『あしたの経済学』という本のなかで寺島実郎の『団塊の世代 わが責任と使命』の内容をパクっている。

90年代半ば近くまで、竹中は繰り返し「公共投資の拡大」を唱えていた。それはアメリカが日米構造協議で要求していたから。どころが自分がマクロ経済政策を担う経済閣僚になると一転して極端なまでの財政緊縮論者へと変貌する。

竹中は安倍政権の産業競争力会議の中核メンバーとして再び表舞台に立った。同時に、認罪派遣業界の大手、パソナグループの取締役会長を務めている。

『市場と権力』佐々木実(2013) 読了です。なかなか衝撃的な内容でした。

『市場と権力』の「おわりに」で紹介されている宇沢弘文の「混迷する近代経済学の課題」の全文は宇沢の『経済と人間の旅』で読むことができます。

2019年3月21日木曜日

2019年3月10日 Zurich(チューリッヒ)

久しぶりの欧州出張。あらかじめ京成スカイライナーを予約しておいたので、PASMOで乗車し成田へ。全日空だけどスイス国際航空が運航(カウンターもスイス国際航空)するNH6751に乗り12時間45分でチューリッヒへ。

 到着フロアから2階降りて電車の切符売り場へ。空港からチューリッヒ中央駅(Zurich HB)まで片道6.8フラン、約12分。途中、虹が見えた。
 チューリッヒ中央駅(Zurich HB)。改札もなく、そのまま歩いて出る。


駅からFLEMING'S HOTELまで20分くらい歩いた。
 
小ぎれいで良いホテル。
下見もかねてチューリッヒの街を散策。

 白鳥
 Credit Suisseかな。




 奥がUBS、右がCS。
 あちらこちらにUBS。
チューリッヒのビッグマックは6.5フラン。




 UBSですね。

2018年3月12日月曜日

金融政策の「誤解」 第3章「リフレ派」の錯誤 早川英男

早川英男の『金融政策の「誤解」』の第3章でリフレ派の問題点について整理されていたので、忘備にメモ。

「リフレ派」の定義

内閣官房参与の浜田宏一はしばしば欧米の主要なマクロ経済学者のほとんどは自分と同意見だとの趣旨の発言をされるが、その場合のリフレの定義は「デフレは経済にとって望ましくない状態だから、中央銀行はデフレに陥ることのないように、またデフレに陥ってしまった場合は、そこから早く脱出できるように金融政策を行うべきである」という広いものだろう。しかしこれでは早川氏を含めてほとんどの(元)日銀関係者はリフレ派に含まれてしまう。リフレ派が口を極めて非難してきた日銀も「ずっとリフレ派だった」という大変奇妙なことになってしまう。

早川氏は以下の命題のすべてを基本的に受け入れる人たちを狭義の「リフレ派」と定義

【命題1】過去20年あまりにわたる日本経済の長期低迷は、基本的に需要不足によるものであり、需要不足をもたらした主因はデフレにある。

【命題2】ゼロ金利の下でも中央銀行が使える有効な金融政策手段は十分にあり、ゼロ金利制約はあまり深刻な問題ではない。

【命題3】財政政策に関しては、次のようなポジションを採る。
①財政政策、とくに財政支出の増加はマクロ経済に対して一般に有効ではない。
②にもかかわらず、なぜか消費税増税は景気に極めて大きなマイナスのインパクトを与える。
③財政赤字の問題は、デフレ脱却の結果としての経済成長によって大部分解決できる。

これらの認識を共有する人たちのグループが実体として存在し、「デフレこそ諸悪の根源」とすることで、財政健全化や潜在成長力の強化といった、より重要で困難な課題から政治家や一般国民の眼を背けさせてしまう点に問題がある。

「リフレ派」の主張は整合的か

命題1については、過去15年間の物価下落率は年率わずか0.3%だった。その程度のデフレが本当に「失われた20年」と呼ばれる日本の長期低迷の主な原因とは思われない。
また、2000年以降の日本の人口一人当たり成長率は他の主要国に劣るものではなかったので、日本の低成長の少なくとも一部は人口減少(生産年齢人口の減少)に起因する。

命題2に関して、「ゼロ金利の下での金融政策」というテーマは世界の金融マクロ経済学の大きなテーマであり続けた。命題2のように言い切ってしまうのはデフレからの脱却の困難を過小評価している。

日本経済の長期低迷の原因として需要不足以外の構造的問題を重視していない、あるいはゼロ金利制約を重視していないことはリフレ派特有の楽観論の表れである。

命題3は奇妙な命題の組合せである。①はマンデル=フレミングの参照だろうが、②と①はあっきりと矛盾する。また、1990年代後半以降日本の長短金利はほぼ常に低水準に張り付いていたので、①はずっと成立しなかったはずである。

リフレ派の困った議論①: 後出しじゃんけん
リフレ派が次々といろいろな金融緩和手段を提案し、日銀がその提案を実行に移すと、彼らは最初には歓迎を示すが、時間が経って思ったような効果が出ないとみるや、必ず「やり方が足りない」と言い出す。最初は誰をも驚かせた黒田日銀のQQEに対してさえ、一部のリフレ派はやがて「これでは足りない」と言い出したのである。

リフレ派の困った議論②: 精神論
もう一つは、「信念が足りない」という精神論である。白川日銀に対するリフレ派の「みずからが政策効果への信念を持たないから、効果が出ないのだ」という批判は、「必勝の信念さえあれば、おのずと途は拓ける」という旧帝国陸軍の主観主義・決断主義を彷彿とさせるものだった。

期待一本槍の政策論:主観主義の錯誤
リフレ派の政策論は期待一本槍の主観主義となっている。リフレ派のもともとの主張はマネタリズムだった。しかし1980年代以降、各国で金融自由化が進むと、マネーと実体経済の関係が不安定化して多くの中央銀行はマネタリズムを捨てて金利ベースの政策に戻っていった。岩田規久男らのマネタリズムは時代遅れだった。
実際に日銀が量的緩和を行ってもマネーストックはほとんど増えなかった。理論だけでなく現実にも貨幣乗数のメカニズムは働かないことが明らかになった。「マネタリーベースの増加がマネーストックを増やして物価上昇につながる」と言えなくなったリフレ派は、「インフレ期待に影響を及ぼす」という以外に道がなくなった。

成長余力の過大評価:楽観主義の錯誤
リフレ派は雇用が増えたことをアベノミクスの最大の成果として誇示するのだが、GDPが増えずに雇用が増えたのは生産性が低下したためであり、人口減少の下ではそれは極めて低い潜在成長率を含意するという、シンプルな論理的帰結には気づいていないようだ。

「出口」なき大胆な金融緩和: 決断主義の錯誤
日本の場合、QQEからの出口において米国以上の困難が待ち受けている。
第一に、金融機関が大量の長期国債を保有しているため、長期金利が急騰すると金融機関のバランスシート毀損につながり、極端な場合には金融システムの不安定化を招くリスクがある。
第二に、日銀のバランスシートも、当然ながら大きく毀損する。これは国民負担を意味する。
第三は、政府の財政への負担である。日本の公的債務残高は名目GDPの2倍以上で、長期金利が急騰すれば、政府財政にとって大きな負担増となる。

2017年12月16日土曜日

植野剛「機械学習とは何か?」

証券アナリストジャーナル2017/8月号の植野剛「機械学習とは何か?」。AIとは現段階では機械学習のことであり、それはイコール統計学だと明快に述べている。「機械が学習するとは(中略)データから予測や意思決定モデルのパラメータを統計的に推定することである」
「言い換えれば、機械学習と統計学は学習と推定という異なる言葉を使っているが数理的には全く同じ問題を扱っている」
植野氏は、機械学習は数理的には統計学であるが、科学的アプローチではなく工学的アプローチであり、これが真実を知るツールとして適当か否か熟考するように強く問うている。
「機械学習と統計学の違いはその目的にある。統計学はデータ解析を通して「対象とする現象を理解すること」に重きを置いている。よって、可読性の高い単純なモデルー線形モデルを用いて、予測・意思決定の性能だけでなく、その背後のメカニズムを科学的に分析する。
機械学習は高精度な予測・意思決定を実現することに重きを置いている。性能向上につながるならば、線形モデルに固執することなくブラックボックス性の高い複雑なモデルを利用する。このときモデルの可読性は完全に失われどのようにして予測、意思決定がなされているかを解釈することは不可能となる」

ヴァプニック「アインシュタインは「答えが単純であるとき、神が答えている」と言った。これは法則が単純であれば、見つけることができることを意味している。また、「考慮する要因が多いとき、科学的手法は失敗する」とも言っている」

「さて、実世界とは単純なのか?それとも複雑なのか? 複雑な世界を扱うときはこれまでと全く異なるアプローチをとるべきである。例えば、複雑な世界ではよりよい予測を実現するためには、説明可能性を諦めるべきである。」

「確率最適制御は、モデルを介してシステムの確率過程を同定し、その同定したモデルから効用関数を最大にする意思決定則を導出する。一方、強化学習はシステムの確率過程の同定を行わず、適当な意思決定則を用いてデータを収集し、そのデータを基に効用関数が大きくなるように意志決定則を学習する。
このデータ収集ーサンプリングと学習を繰り返すことで最適な意思決定則を導出する。つまり、強化学習は確率最適制御と異なり、システムの確率過程について知らなくても(同定しなくても)最適な意思決定則を見つけることができる。この研究を発展させたのがディープマインド社によって開発された囲碁AI「アルファ碁」である。
強化学習は強力な手法であるが、大きな欠点も併せ持つ。それは学習をするために多くのサンプリングを必要とする点である。ゲームAIは計算機上でシミュレーションができるため、大量のサンプリングを実現することができる。しかし、精巧なシミュレーションが存在せず、データの入手が困難な問題、例えば資産運用に適用しても学習は機能しない。強化学習をこのような問題に適用するためには、なんらかのデータの不足を補うアイディアが必要となる」

「市場のダイナミクスを効率よく予測できたと仮定して、その予測のメカニズムは果たして人間に理解できるようなものなのか?別の言い方をすれば「人間に理解できる程度の論理で市場のダイナミクスを説明できるのだろうか?」」

「今後、金融において機械学習と付き合っていくならば、この透明性の議論は避けては通れない。市場のような複雑な世界と対峙していくのに当たって、透明性を求めていくには限界がある。従来の方法のようにシンプルなモデルによる完全な透明性を求めるのではなく、ホワイトボックスの部分とブラックボックスの部分が混在するハイブリッドなモデルを介して部分的な解釈性を求めるアプローチなどが有力なのではないかと筆者は考えている。」

"Statistical Modeling: The Two Cultures" Leo Breiman(2001)

"“Learning Has Just Started” – an interview with Prof. Vladimir Vapnik"

"Reducing the Dimensionality of Data with Neural Networks"
G. E. Hinton* and R. R. Salakhutdinov(2006)

"Deep learning" Yann LeCun, Yoshua Bengio & Geoffrey Hinton(2015)

2017年10月29日日曜日

『脱線FRB』 ジョン・B・テイラー

テイラー・ルールの提唱者として有名なジョン・B・テイラーは次期FRB議長候補にもなっている。図書館で彼の『脱線FRB』という本を借りてきて読み始める。

《テイラー・ルール》 政策金利=中立名目金利+α(今期インフレ率ーインフレ目標)+β(GDPギャップ) 中立名目金利(自然実質金利+インフレ目標)とインフレ目標をそれぞれ4%と2%、αとβをそれぞれ1.5と0.5とすると1980年代から2000年にかけての政策金利を説明できると。

本の内容は以下の彼の講演や論文の寄せ集め。

"HOUSING AND MONETARY POLICY" John B. Taylor(2007)
http://www.nber.org/papers/w13682.pdf

"Globalization and Monetary Policy: Missions Impossible"
John B. Taylor(2009)
http://www.nber.org/chapters/c0787

"A Black Swan in the Money Market" John B. Taylor, John C. Williams(2008)
http://www.nber.org/papers/w13943

"The State of the Economy and Principles for Fiscal Stimulus"
John B. Taylor(2008)
https://web.stanford.edu/~johntayl/Principles%20for%20Fiscal%20Stimulus.pdf

"The Costs and Benefits of Deviating from the Systematic Component of Monetary Policy"  
John B. Taylor(2008)
http://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/download?doi=10.1.1.436.4115&rep=rep1&type=pdf

"The Way Back to Stability and Growth in the Global Economy"
John B. Taylor(2008)
https://www.imes.boj.or.jp/english/publication/mes/2008/me26-4.pdf

"THE FINANCIAL CRISIS AND THE POLICY RESPONSES:
AN EMPIRICAL ANALYSIS OF WHAT WENT WRONG"
John B. Taylor(2009)
https://www.perimeterinstitute.ca/images/conferences/taylor_policy_responses.pdf

これに対して、解説で大津敬介氏がウッドフォード(2001)を紹介している。

"The Taylor Rule and Optimal Monetary Policy" Michael Woodford(2001)
http://www.columbia.edu/~mw2230/taylor.pdf

ウッドフォード(2001)は、典型的なケインジアン粘着価格モデルにおいて、テイラー・ルールが、経済厚生損失関数を最小化させる最適金融政策ルールであることを証明した。

注意点として、GDPギャップは現実のGDPと潜在GDPとの乖離率として定義されるが、もともとテイラーは現実のGDPの時系列トレンドからの乖離率としてGDPギャップを計算した。時系列トレンドが潜在GDPと等しい限り問題はないが、乖離しているとGDPギャップを過大評価してしまう。
また、テイラー・ルールでは中立名目金利が4%と設定されているが、自然実質金利は一定ではなく、毎期の経済状況の影響を受ける。
目標インフレが2%と設定されているが、この経済学的根拠は乏しい。経済厚生の観点からすると、インフレ税やメニューコストの負の効果を避けるため、インフレが存在しないことが望ましいはずである。そう考えると、インフレ目標はゼロであるはずである。

2016年12月11日日曜日

『非伝統的金融政策 -- 政策当事者としての視点』宮尾龍蔵

日本の非伝統的金融政策の効果を構造ベクトル自己回帰モデルで分析
経済学者であり、日本銀行政策委員会審議委員を2010年~2015年の間務めた宮尾龍蔵氏による非伝統的金融政策の解説と政策の効果の実証分析をまとめたものです。
宮尾氏の分析手法は時系列分析の構造ベクトル自己回帰(Structural VAR)モデルを利用したものです。構造ベクトル自己回帰モデルとは、複数の経済変数の相互依存関係をシンプルな(主として各変数の過去の値に依存するような)連立方程式体系で描写し、各式の誤差項を「構造ショック」とみなします。
宮尾氏は構造VARモデルで日本の非伝統的金融政策の効果を分析した結果、「2001年から2015年初めまでの日本のマクロ経済データを用いて検証した結果、マネタリーベースの増加は、長期金利の低下と資産価格の上昇 ―株価の上昇やドル/円為替レートの上昇(ドル高・円安)― を通じて、日本のGDPを持続的に引き上げ、また消費者物価上昇率にも持続的なプラスの効果をもたらすことが確認された」と結論づけています。
一方で「本章で示される分析結果が、日本の非伝統的金融政策の効果に関して確定的な最終結果を表すというものではありません。今後のデータの蓄積によって、また潜在的に起こりうる経済構造の変化によって、実証的な評価は変わりうるものです。むしろ、ここでの検証は、シンプルかつ再現可能な科学的分析を示すことで、今後のより詳細な分析につながり実証結果が蓄積されていく、そして非伝統的金融政策の効果の全体像に少しでも近づく、そうした試みの1つとして位置づけられるものと考えます」と断り書きをしており、経済学者としての真摯な姿勢が感じられます。
分析結果については日銀審議委員だった立場上、全く効果がなかったという結論は出しにくいでしょうし、VARモデルは使う変数の選び方やデータ期間によって結果が変わってくるので、いろいろと議論はあるかと思います。ただ、一流の経済学者が日本の金融政策の実証分析の手法を分かりやすく説明し、分析結果の見方を解説してみせた意義は大いにあるのではないかと思います。
なお、構造ベクトル自己回帰(Structural VAR)を使った分析については、前著の『マクロ金融政策の時系列分析』の方がより詳細に書かれているので、興味を持たれた方は『マクロ金融政策の時系列分析』を読むことをお勧めします。

また、アカデミックな参考文献をきちんと紹介されているのも大変参考になります。

2016年3月10日木曜日

映画 "The Big Short (マネー・ショート)"



「The Big Short (マネー・ショート)」、素晴らしい。金融がテーマの映画として出色の出来(一般的な評価は知らない)。個人的には金融をテーマにした映画としては今まで見てきた中で文句なしにベスト1。

金融に興味のある人は見ておいて損はないと思う。MBS、CDS、CDO、CDOスクエアードなどの用語がポンポン出てきて、一応分かりやすく説明してくれるのだけれど、一般的にどれだけ理解されるのか私には分からない。
ドイチェとかゴールドマン・サックス、JPモルガン、モルガン・スタンレー、メリルリンチ、ワコービア、クレディスイス、UBSなどが実名で出てくる。GSやJPMとのやり取りって、実際あんなに感じだったんだろうなあと思わせる。細部のリアリティが非常に高い。私はそこを評価する。
『世紀の空売り』をもう一度読み返したいなと思ったけど、本の海のどのあたりにあるかが不明。

マイケル・ルイスの『世紀の空売り』のスティーブ・アイズマンは映画ではマーク・バウムに名前が変えられている。モルガン・スタンレー傘下のヘッジファンド、フロントポイントやマイケル・バーリのサイオン・キャピタルのオフィスもちゃんとブルームバーグがあってリアリティが高い。
ドイツ銀行のグレッグ・リップマンはジャレッド・ベネットに名前が変えてある。
アイズマン(バウム)と彼を演じたスティーブ・カレル。よく似ている。
 

アイズマンを一言で言うと「人の機嫌を損ねる才能に恵まれている」。
グレッグ・リップマン(ジャレッド・ベネット)と彼を演じたライアン・ゴズリング。これもよく似ている。

ちなみにエンドロールの曲はツェッペリンの"When The Levee Breaks"は4枚目のアルバムの最後の曲。A面最後の曲は"天国への階段"。
Nobuの店内のBGM、誰なのかなと思ったら稲垣潤一だったんですね。
イーストウッドの「ジャージーボーイズ」でもそうだったんだけど、登場人物が画面に向かって事実を説明する演出は最近の流行りなのかな?
自分のブログを読むと2010年10月に『世紀の空売り』を読んでいる。5年以上前か。その割には私としては本の内容をよく覚えている方ですね。それだけ印象深かったのだろう。
映画にマイケル・バーリ本人がチョイ役で出ていたらしいんだけど、全く気付かなかった。

Selena Gomezという人も出ていたらしいのだけど、ツイッターのフォロワーが4千万人いるから相当の有名人らしい。行動経済学者のリチャード・セイラー教授と組んでカジノを舞台に外挿バイアスを説明するのがセレーナ・ゴメス。若き女優/ポップスターらしい。

泡風呂に入りシャンパンを飲んで金融商品の説明をするのがカメオ出演した『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のマーゴット・ロビー。

ブラピが演じたベン・リカートは、実際にはベン・ホケット。

2016年1月16日土曜日

『ガイトナー回顧録 ―金融危機の真相 Stress Test』


図書館で『ガイトナー回顧録 金融危機の真相 Stress Test』を借りてきたので、成人の日の三連休で読んだ。エピソードは豊富だけど考察や記述が浅い気もする。しかし、金融危機や金融規制に興味のある人にはポールソン、バーナンキの回顧録とともに必読だと思う。

前半は、IMFでのアジア危機からNY連銀理事としてのリーマンショックまででなかなか面白い。財務長官になって以降の後半は危機が欧州に移り、米国での議会とのやり取りや細かい規制の話になってやや退屈。

ガイトナーが財務長官になって初めてオバマ大統領に挨拶した時、私たちは今も「金融の爆弾」を5つ抱えていて、爆発しないように処理しないといけないと報告。その5つはファニーメイ、フレディマック、AIG、シティグループ、バンク・オブ・アメリカ。ガイトナーの補佐官はシティグループとバンク・オブ・アメリカの二行を金融界の宇宙要塞”デス・スター”と呼んでいた。

「ルービンはかつてゴールドマン・サックスの共同会長だったが、謙虚でユーモアがあり、ラリーのように棘はないが、要求が厳しかった。優良なプロセスを信奉していた。すべての補佐官の意見を、相手がヒエラルキーのどこにいようが、たとえ反対意見でも求めた-いや、反対意見こそ聞きたがった。
 落ち着いて、感情を出さず、滑稽なくらい細心で、あらゆる角度から問題を分析した。罫線入りの黄色い用箋にリスクや可能性を走り書きし、情報を集め、どうしても決断を下さなければならなくなるまで、”選択の余地を温存した”。成り行きで決断を下してはいけない、そのとき手に入る情報からして合理的なときだけ決断するようにと、口を酸っぱくして私たちを諭した。ルービンの決断は、おおむねそうだった」

ガイトナーは親の仕事がら、子供のころに世界の様々なところで生活している。
「タイにいたことがあるからといって、そこの危機をきちんと洞察できるわけではなかった。感情移入はできるかもしれないが、タイを救うのに役立つような、それ以上の知識はなかった」

「ルービン、サマーズ、グリーンスパンをこよなく尊敬し、彼らが市場と金融イノベーションをおおむね是認しているのに同調した。しかし、三人をゆるぎない自由市場イデオローグだと通俗的に大づかみに戯画化するのは、フェアではない」

「グリーンスパンは、市場は理性的で効率的だというのを神意のごとく信じていた。また、政府の監督と規制が市場を安全にするという考えには心底疑いを抱いていた。それでも、新興市場の危機では私たちの金融救済を力強く支持した」

「三人のうち、市場で暮らしをたてていた唯一の人間だったルービンは、市場が英知と理性をそなえているということを、あまり信じていなかった。過大なレバレッジにたえず懸念を示してはいたが、政府にそれをどうこうする力はないと考えていた」

「ラリー(ポールソン)の世界観はふたりの中間のどこかだったが、当時はグリーンスパンのほうに近かっただろう。私には三人のような力強い確信はなかったが、性格的にルービンの考え方に近かった」

「商業銀行数千行の監督責任が、FRB、連邦預金保険公社(FDIC)、通貨監督庁(OCC)に分割され、州の銀行監督機関が50の異なるルールに基づいて指導していた。貯蓄金融機関監督局(OTS)は、「貯蓄金融機関」と呼ばれる、ローン市場専門の銀行を指導する」

「貯金を集める子会社は、自己資本の条件を満たしていなければならず、FRBの貸出窓口で融資を申し込めるが、もっと大きなリスクを抱えた系列会社や親会社は、通常、公的機関の監督を受けずに業務を行う」

「FRBはシティグループとJPモルガン・チェースの「持ち株会社」を監督する。持ち株会社は数百ある銀行やノンバンクの子会社を傘下に収める母体だが、FRBはそこの商業銀行や投資銀行は担当しない」

「FRBは金融機関全体を監視しなければならないが、法律によって、主要監督機関に従わなければならない。商業銀行の場合はOCC、投資銀行の場合はSECがそれにあたる。FRBは外国銀行のアメリカ系列会社の監督を、州の監督機関や、その銀行の本店がある世界中の監督機関と共同で行う」

シャドーバンキングの勃興。1980年代から07年にかけての金融セクター・クレジットのすさまじい増加は、ほとんど在来型の銀行システムの外で起きていた。銀行よりも制約が少なく、政府のセイフティネットを利用できない金融機関にリスクが移動



「音楽が流れている限り、私たちは立ち上がってダンスするしかない」
シティグループのチャールズ・プリンスCEO

アメリカの家計の負債のGDP比


『ガイトナー回顧録』の139ページ、「一般に金利を下げること(量的緩和政策)」となっているけど、誤訳かなあ。原著はどう書いてあるんだろう。金利を下げることは「量的」緩和政策ではないです。

「ベンは控え目な人物で、病的な興奮や誇張にとらわれることはない-私は「中央銀行界の仏陀」と呼んでいた-だが、1930年代の銀行家の二の舞にはならないと決意していた」

カントリーワイドは回転資金の大半をコマーシャルペーパーの発行でまかなっていた。またトライパーティ・レポという複雑な市場でも資金を調達していた。

「私は自分をタカ派だとかハト派だとかいうように考えたことはない。つねに実利を重んじ、どんな形でもイデオロギーは信じない。それにFRBの責務を二つとも真剣に受け止めている。しかし、クレジット不足のときにモラル・ハザードやインフレを持ち出すタカ派の妄執は、異様すぎるし腹立たしかった」

メリルリンチの損失の大部分はCDOだった。シティもメリルと同じようにCDOのスーパーシニア債を大量に抱えていた。このときシティの取締役にはあのルービンがいた。ルービンには経営責任も権限もなかったらしいが。

『ガイトナー回顧録』の180ページ、「TAFは確信的だったし」、だと意味が分からない。「革新的」の誤植か?

ベアー・スターンズもリーマン・ブラザーズも投資銀行なので直接の監督責任はSECであって、FRBではない。ただ金融システムは絡み合っているので結局金融システム全体への影響は避けられない。

「(ベアーの件を)私はリスク管理に失敗したよくある話だと見ている。ベアー・スターンズは短期の借入を使い過ぎていた」。「ベアーの一件のほんとうの教訓は、極度のレバレッジと短期借入の世界では、信用は一瞬にして消え、それとともに流動性も消えるということだ」

(リーマン破綻について)「私たちは一線を引いたのではなかった。私たちは恐れを知らないのではなく、力がなかったのだ。壊滅的な破綻を防ごうとして失敗したのだ。それがいまだに、あまり理解されていない」

投資銀行のゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーの破綻を回避するためにGSとシティ、MSとJPモルガンを合わせようとするが、それぞれが難色を示したとw。結局、MSは三菱東京UFJから90億ドル、GSはバフェットから50億ドル調達。

「「本当に必要なのは、負債を保証する権限ですよ」私はそう言った。」287p

米財務省に初代財務長官アレグザンダー・ハミルトンの像がある。ハミルトンは、アメリカの初代「ミスター救済」だった。像にはこんな言葉が刻まれている。「ハミルトンが公的信用の死体に触れると、それが蘇った」

「コロンブス記念日は銀行が休みだったので、三菱東京UFJ銀行の幹部は月曜日の朝にみずから90億ドルの小切手をモルガン・スタンレーに持参し、ディールを締結して、リーマン式の崩壊を防いだ」

「私はブッシュ減税、イラク戦争、社会問題についての保守的な見解には賛成できなかったが、危機の最中の行動には尊敬の念を抱いていた。イデオローグ色の強い共和党員としては、なみたいていのことではなかったはずだ」

「ブッシュが揺るがず、沈着冷静で、ハンクや私たちを強く支持したことは、大きな功績として認められるべきだ-マケイン上院議員やその他おおぜいの共和党議員とはまったく違う」

「危機に対するオバマ上院議員の平静で責任感のある取り組み方にも感心した。マケイン上院議員の躍起になって迎合する態度とは、正反対だ。オバマ上院議員はハンクとたえず連絡を保っていた。ハンクはオバマを絶賛していた」

ガイトナーはブッシュ政権下、つまりリーマンショック前後はNY FEDの総裁。オバマ政権で財務長官。

「2008年初頭アメリカの大手金融機関上位25行のうち13行が、破綻するか(リーマン、WaMu)、政府の救済を受けて破綻を避けたか(ファニーメイ、フレディマック、AIG、シティ、バンカメ)、破綻を逃れるために救済合併されたか(カントリーワイド、ベアー、メリルリンチ、ワコビア)、」

「あるいは破綻を逃れるために事業構造を変えた(モルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックス)。株式市場は2007年の最高値から40%以上下落した。私たちは前例のない方策を途方もない規模で行い、銀行システムの中核で起きた取り付けを減速させるのに成功した」

ターム物資産担保証券貸出ファシリティ(TALF)が消費者金融市場を復活させた


「ルービンはかつて、《ミート・ザ・プレス》での1分あたり約60分の予備演習をやった」

「ラリーも含めた専門家たちは、(世界最大のヘッジファンド)ブリッジウォーターの《デイリー・オブザベーションズ》をもっとも信用できる民間セクターの経済分析資料とみなしていた-銀行についての手厳しい分析のひとつでもある」


「今後の改革で最優先すべきなのは、金融機関に自己資本をもっと増やし、レバレッジをもっと減らして、もっとしっかりした流動性を維持するように求める、より堅実なルールを定めることだと、私はずっと考えていた」

各国の銀行の資産のGDP比。アメリカは相対的に小さい。


2008年1Qを100としたときの各国GDP


「ラリー・サマーズは、立場が苦しければ苦しいほどスリルをおぼえるという変わった人物で、私たちを可能性のぎりぎり限界まで押しやった。もっともやりづらい状況であっても、私はラリーの助言を高く買い、頼りにしていた」

ガイトナーが『回顧録』を書く際に比較した重要な書物として『ポールソン回顧録』、デービッド・ウェッセルの『バーナンキは正しかったか?』、アンドリュー・ロス・ソーキン『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』を挙げている

バーナンキもガイトナーも回顧録はエピソードが豊富なのだが、豊富すぎて、銀行破綻の本質的な部分はむしろダフィーの薄い本の方が分かりやすいかもしれないと思った。

巨大銀行はなぜ破綻したのか ―プロセスとその対策 ダレル・ダフィー

ダフィーの翻訳は薄いわりに定価が高いのが難点。英文はネットで探せば見つかると思う。

"How Big Banks Fail and What to do About It" Darrell Duffie(2010)(pdf)
『巨大銀行はなぜ破綻したのか』の英文ドラフト

「経済学において、銀行の安定性についての標準的な分析」
"Bank Runs, Deposit Insurance, and Liquidity" Diamond and Dybvig(1983)(pdf)

2015年8月30日日曜日

『ケインズは本当に死んだのか』 高橋是清の経済政策

高橋是清の経済政策については『ケインズは本当に死んだのか』金森久雄編(1996)の第5章において小宮隆太郎の「ケインズと日本の経済政策―是清・湛山・亀吉の事績を通じて」に簡潔にまとめられている。小宮によると是清の政策は当時の経済状況に対するマクロ政策の処方箋として模範に近い答案と。

金解禁政策を推進した中心人物は当時大蔵大臣であった井上準之助。彼の理解していた通貨政策の理論はケインズやカッセルの新理論以前の古い考え方だった。金解禁そのものが通貨政策として大失敗であったばかりでなく、金解禁前に進められた緊縮的な財政金融政策が日本経済に大きな災厄をもたらした。

「是清は、金解禁の政策が行き詰って内閣が交代し、蔵相に就任(五度目)すると、直ちに金輸出を再禁止した(1931年12月)。その後36年に81歳の現職(七度目)の蔵相の身で、二・二六事件の凶刃に倒れるまで、”ケインズ的”な財政・金融・為替政策を展開した」

「為替政策では、金再禁止直後は大幅円安を放任し、32年末にポンドに対して旧平価から40%以上も円安になった水準でポンドにリンクした。対米ドル減価率も約40%。金やフランスなどの通貨に対しては約66%の減価。資本収支については資本逃避防止法、為替管理法を施行した」

「大不況下の1932年~35年に、多くの国では物価は大幅に下がり、自国通貨で図った輸出額が低下したが、日本では円安により円貨で測った輸出額は大いに増加した。円レートの大幅減価と輸出伸長は日本が小国であり、また第二次大戦後のIMFのような取り決めなかったので、可能であった」

「日本の交易条件は大幅に悪化したが、その不利益よりも経常収支の悪化を招くことなく国内生産が拡大したことの利益の方がはるかに大きかった」

「以上の為替政策と、日銀の保証発行限度を1.2億円から十億円に拡大したことにより、財政金融政策は”金本位制の桎梏”と「固定為替レートの制約」から解放され、積極的な不況対策の展開が可能になった」

「金融政策では低金利政策がとられ、公定歩合は1932年初の6.57%から33年7月以降の3.65%まで下がった。しかし是清は「通貨の信用」と「国家の国際的信用」に深く留意していた」

「財政政策は従来の均衡財政主義から転換し、一般会計歳出を一挙に30%以上も増やし、そのために生じる財政赤字を埋めるのに歳入の30%以上に達する巨額の長期国債を日銀引き受けにより発行した。この拡張的財政政策により、はじめは「農村匡救」、産業の振興、生活の安定を目指したのだが、軍国主義の台頭により軍拡の道を進まざるをえなかった」

「以上はまさに典型的なケインズ流の有効需要拡大の政策であり、1932年当時の日本経済の状況に対するマクロ政策の処方箋として、模範に近い”答案”といってよい。これにより日本経済は深い不況から急速に回復に向かい、生産・雇用は拡大した」

「しかしこのような生産拡大の過程は完全雇用と生産設備のフル稼働に達するまでしか続かない。それ以上に有効需要を拡大すれば純然たるインフレが発生する。是清は「国力を無視」して赤字国債を発行し財政支出を増やせないことを十分に理解しており、33年以降は年々の国債発行額を減らし、インフレの兆しが見え始めた35年には財政支出の拡大を抑制しようとした」

当時の軍部は軍事費抑制を承服せず、さらなる軍事費の増額を要求。これに対してほとんど孤軍奮闘の形で抵抗した是清は、36年の二・二六事件で暗殺されてしまった。是清は軍国主義が台頭しテロリズムが横行する困難な状況の下で身を擲って軍部の横暴に対抗した数少ない人の一人だった。

「是清亡き後は財政面から軍国主義とインフレへの道に立ちはだかる人は一人もいなくなってしまった」

是清は、ケインズの『一般理論』の刊行の年に暗殺されているので、当然ながら『一般理論』は読んでいない。是清の優れた政策は、書物やアドバイザーの助言などからヒントを得たものではなく、様々な職業に就いたあとで日銀総裁、蔵相、首相を務めた彼の長年の経験の結実だろうというのが小宮氏の意見。

『昭和恐慌と経済政策』

NHKで高橋是清のドラマをやっていたので、関連した本を読んでおく。
『昭和恐慌と経済政策』中村隆英の「Ⅳ章 危機の切迫」を読んでいるところ。

第一次大戦後の「ドイツは主としてアメリカからの資金の流入に依存して、国内における投資を進め、貿易を改善しかつ賠償を支払ってきた。ところが、世界恐慌以後、各国の海外への投資は急激に減少し、ドイツは海外からの投資を急に引き上げられたために、絶え間のない危機にさらされていたのである。オーストリアの大銀行、クレジット・アンシュタルトが支払いを停止したのは31年6月であった。大銀行の支払い停止は当然連鎖反応を呼び、ドイツは激しい金融恐慌に襲われた。ダナード銀行をはじめ、大銀行が相次いで支払いを停止するや、ドイツ政府はついに、為替を国家管理し、資本流出を禁止する強度の統制を実施するにいたった」

「ドイツに投資されていた各国の資金は、支払停止と為替管理によって今や完全にブロックされたのであったが、各国の資金が直接ドイツに投資されていたのでなく、イギリスを経由して投資されている場合が多かった。そのためにドイツからの資金引き上げの波が一転してイギリスを襲うにいたったのである」

急激な資金流出に堪えられなくなったイギリスは1931年9月21日に金本位制を停止。日本はこの年の12月に、アメリカは1933年、フランスは35年にそれぞれ金本位を停止して、その後金本位はついに復活されなかった。

「しかしながら、イギリスの金本位停止の日に、その長期的傾向を読み取り得たものは少なかった。井上(準之助)の悲劇はこの日から始まるのである」

板垣・石原の命を受けた一部の部隊が満鉄線路爆破したのを合図に満州事変がおきたのが、イギリスの金本位制停止の9月21日の3日前の1931年9月18日。

イギリスの金本位離脱にともなって、日本でドルへの需要が殺到した。実需に加えて、早晩日本も金本位を離脱することを予想し、そうなれば円の対ドルレートは下落するだろうから、そこで円に買い戻せば利益を収めることができるという思惑によるもの。イギリスが再禁止したときに日本も金輸出の再禁止をすればよかったのに、政治的理由でしなかった。

「経済的に最善と思われる政策が政治的理由から採用されないことはしばしばあって、望ましくない結果を生むことは、この時に始まったことではないが、事態の深刻さはおそらく空前といってもよかったであろう」

1931年12月に若槻内閣が総辞職。後継首相に政友会総裁の犬養毅、大蔵大臣に、引退していた高橋是清を選定。13日に犬養内閣は成立、即日金輸出の再禁止。

井上は民政党の筆頭総務として「金本位制の再建」をかかげ、選挙運動に奔走していたが、1932年2月9日、血盟団の一員に射殺された。血盟団は次いでドル買いをしたとされる三井の団琢磨を暗殺した。そして5・15事件の犬養首相暗殺に続いていく。5・15事件以降、「あらゆる政策が、軍部の意向を無視しては行なわれえない状況が出現したのである」

「高橋は、財政支出を一時的に拡大し、金融をゆるめ、対外的には資本逃避を防ぎ、為替レートを帝位に安定させるという方針を打ち出した。(略)その政策をとった後、経済は着実な回復を示した。とくに輸出の回復は目覚ましく、それにつれて国内景気も回復」、という典型的なケインジアン政策。

「経済理論的に考える限り、経済政策は外側の条件が変わればそれに応じて変化すべきものであり、政策の基本を変えないにしてもその強さを加減したりするべきはずのものである。ところが政治的なイッシューに転化してしまった経済政策はもはやそれなりに硬直したものになってしまい、臨機応変の政策をとることが理論的には望ましいにしても、政治的には敗北を意味するという矛盾におちいってしまうのである」

NHKドラマで高橋是清がロンドンで戦費を調達するシーン、金融クラスタとしては大変興味深かったんだけど、一般の人にとってはどうだったんだろうか。

そこについては『日露戦争、資金調達の戦い―高橋是清と欧米バンカーたち』 (新潮選書) 板谷 敏彦に詳しいようなので図書館で借りてきた。


高橋是清のドラマ、さすがに二時間だと時間が足りなくて表面的に終始。

2015年1月31日土曜日

ファイナンスのためのデータリテラシー


J-MONEY Winter2015 の新金融ゼミナールに一橋ICSの横内先生

「「膨大な情報『ビッグデータ』を分析して、実社会で何かしら役立つことを抽出し、論理的な解を導き出す」のがデータサイエンスであり、「データのプロとしてデータの取得、蓄積、解析、検証の全段階に関与して責任を持つ存在」がデータサイエンティストです。
 データサイエンスは、実は日本が発祥という歴史。1990年代に統計数理研究所の所長の林知己夫先生が数量化理論を中心とした「データの科学」を、そして同時期に慶應義塾大学教授の柴田里程先生が「データから新たな価値を創出する科学」として「データサイエンス」を提唱したのが始まりです。
 現在は米国経由で再輸入され、企業の経営やマーケティング戦略立案のヒントが得られるともてはやされているデータサイエンスやデータサイエンティストですが、林先生や柴田先生が掲げた当初の姿とは少々違った形で広まっているのではないかと危惧しています。
 データサイエンスは「データに語らせる」ための科学です。与えられたデータを自らの仮説を検証する目的で解析するだけなら、それは「データを黙らせる」ことであり、適当なソフトウェアを動かせば済むでしょう。
 上司の指示に従ってプログラムを動かしレポートにまとめる大量の「兵隊=データサイエンティスト」さえ用意すれば、人海戦術でなんとかなるとの楽観論に基づいているように思えます。しかし、それがどれだけの価値の創造に結びつくのか。ひょっとすると見当違いな結果を生み出す危険なアプローチかもしれません。

ちなみにこのJ-MONEYという雑誌は無料にしてはクオリティが高い。J-MONEYのウェブサイトから申し込めると思う。

2014年6月28日土曜日

日経ヴェリタス6.15「GPIF 国内株編重への疑問」

日経ヴェリタス6.15「GPIF 国内株編重への疑問」において、臼杵政治 名古屋市立大学教授が正論を展開して伊藤隆敏座長らの年金改革案を全否定しているので、誰かこれを印刷して伊藤氏に手渡してほしい。

「海外の年金にならうというのなら、日本株への配分増には大きな疑問がある。まず、人口構成の違いなどを無視して、外国の資産配分の数値をまねる国はない。ポートフォリオのリターンだけでなくリスクも含め、保険料や給付にどう影響するか、年金の資産負債分析をもとに配分を決めるのが常識だ

年金のバランスシートの資産側の大半は将来の賃金から支払われる保険料である。国内経済の成長率が低ければこの部分が減少し年金財政が悪化する。それにもかかわらず、同じく国内経済の影響を受ける国内株式への配分を増やすのはリスク分散に反する。

大きな国内市場を持つ米国を除き、主要な公的年金で株式の半分を国内株が占める例はない。21世紀の株式市場は急速にグローバル化しており、内外の別にこだわる理由はなくなっているのだ。金利上昇に備えて国内債券の配分を減らすとしても、それに対応して増やすべきはグローバル株式であろう。

経済政策のために公的年金が自国株式への投資を拡大した例も耳にしたことがない。株価対策のために公的年金が株式投資をする国だという評判が立てば、価格形成の透明性を損ない、長期的には海外投資家を遠ざけることになろう。

経済活性化を目的とした日本株投資の増額は、厚生年金保険法にも定められ、欧米の年金基金の常識でもある「加入者の利益のための運用」に合致するのか疑問である。政府やGPIFの冷徹な議論を期待したい。」

2014年5月4日日曜日

『金融システムと金融規制の経済分析』


図書館から借りてきた『金融システムと金融規制の経済分析』の第4章「金融危機と金融規制(金融危機と市場型間接金融―「影の銀行システム」の経済分析」はこの論文が元になっていますね。

「金融危機と市場型金融の将来」 池尾和人(2010)

「経常収支黒字国から経常収支赤字国に資本移動が円滑に起こる仕組みができあがっていたからこそ、グローバル・インバランスの急拡大は可能になった。その仕組み(影の銀行システム)がうまく回らなくなったときに、サブプライム・ローン問題という形で危機が生起することになった」

欧米の大手金融機関が破綻や大打撃を受けたのは、「サブプライム・ローン関連を含む証券化商品を自ら(あるいは、投資ヴィークルを通じて)保有していたからである。」

「投資家に直接に証券化商品を販売するのではなく、担保付負債を発行するということで、金融機関はレバレッジを高めるとともに、投資家に対して流動性を供給するという機能を果たすことになっていた。証券化商品の太宗が資金仲介システムの内部で保有されていたという事実は重要である。」

一時期、「証券化悪玉論」がまことしやかに語られたが、実際はそれが事態の中心ではなかった。本当に転売して、投資家にリスクを転嫁していたのなら、いずれかの機関投資家が破たんしたとしても、リーマンのような投資銀行が破たんすることはなかった。

「危機の原因は、証券化という仕組み自体にあるというよりも、アメリカ(およびヨーロッパ)の大手金融機関の内部統制とリスク管理の体制にあったと理解すべきだということになる」

「1990年代以降、事業会社や機関投資家による大口の短期資金の安全運用ニーズが急拡大した。証券化の技術だけでは安全資産は提供できても、短期の流動性は提供できない。レポ取引の拡大は、こうした短期安全資産の不足という問題に応えるという意義を持っていた。」

「銀行預金がマネーなら、レポはそれ以上に立派なマネーだと考える必要がある。そして、影の銀行システムは、レポという大串のマネーを提供するシステムとして存在意義を持つようになったといえる。」

「短期の流動的な安全資産に対する運用需要の高まりに直面して、アメリカの金融サービス産業は、証券化と自ら短期で借りて長期で運用する行動をとることによって、その需要に応える供給を行ったわけである。」

アメリカの投資銀行等がきわめてリスクの凝縮された劣後部分を自ら保有する等の危険な行動をどうしてとっていたのか。理由の一つはアメリカ住宅価格の全国的下落はありえないというある種の慢心の広がり。もう一つはHFやIBのインセンティブ構造の歪みを指摘。

「現代の金融に関しては、リスクを分散・再配分する機能の方が重要になっているといえる」

〈参考文献〉
"The Changing Nature of Financial Intermediation and the Financial Crisis of 2007-09"
Adrian and Shin(2010) (PDF)

"Shadow Banking" Pozsar, Adrian, Ashcraft, and Boesky(2012)

"A Model of Shadow Banking" GENNAIOLI, SHLEIFER, and VISHNY(2013)(PDF)

"The "Other" Imbalance and the Financial Crisis"  Caballero(2010)

"The Subprime Panic" Gorton(2008)

"Market Liquidity and Funding Liquidity" Brunnermeier and Pedersen (2009) (PDF)

「日本銀行のマクロプルーデンス面での取組み」 日本銀行(2011) (PDF)

2014年4月6日日曜日

『それでも金融はすばらしい』 ロバート・J・シラー

私は、原書のハードカバーを買ってから積読中なのですが、近所の図書館に翻訳が置いてあったので借りてきました。翻訳にはペーパーバック版への「はしがき」も追加されていました。その中にシラーが行った「ファイナンス卒業生に向けての演説」も含まれています。原文はこちらから読めます。

「金融ファイナンスは、最高の場合には、単にリスクを管理するだけでなく、社会の資産の管理保全者として機能し、社会の最も深い目標を支援する存在となる。

次世代の金融ファイナンス専門家たちは、金銭報酬だけでなく、金融の民主化の進展に伴う満足感という形で最も真なる報酬を受け取ることだろう―金融の便益を、最も必要とされる社会の隅々にまで広げるのだ。

これは新世代にとっての課題だ。そしてこれには君たちが動員できる想像力と技能のすべてが必要となるはずだ。金融再発明に幸運を祈る。世界は、君たちに成功してもらわねばならないのだから。」

序章で金融資本主義を定義している。

「最も大きなレベルでとらえると、金融とは目標構造の科学だ ― ある一群の目標実現に向けた経済的取り決めの構築と、その目標実現に必要な資産の管理を行う活動となる。

何をめざすかが明確になれば、関係者たちには目標設定のため、適切な金融のツールと、専門家の助言がしばしば必要になる。この点では、金融はエンジニアリングに似ている。

financeという言葉自体が「目標」を意味するラテン語に由来するという事実は、興味深いのに、ほとんど見過ごされている。辞書によると、financeのもとになったのは古典ラテン語のfinisで、これは一般に「終わり」「完結」と訳される。

またある辞書によるとfinisがfinanceに発展したのは、負債の終了(返済)が金融に不可欠な要素だからであるという。だが、ここではfinisが古代においても現代英語のendと同じく「目標」を意味していたことも思い起こしておきたい。」

2014年3月29日土曜日

『システム障害はなぜ起きたか みずほの教訓』

図書館で借りてきたこの本は絶版ですが面白かったです。続編として『システム障害はなぜ二度起きたか みずほ、12年の教訓』が出ているので、そちらは買って読みたいと思います。

企業が合併、経営統合したときにやるべきことは新しい経営方針や戦略の策定、経営幹部の人事、組織の再編、営業拠点や工場の統廃合、商品やサービスの統廃合、事務処理の統一、給与を含む人事体系の一本化、そして情報システムの統合がある。

この中で最も面倒なのが、情報システムの統合。なぜなら、それ以外の業務の統合や一本化が終わってはじめて、情報システムの統合ができるからだ。企業の情報システムは、その企業の業務のやり方と表裏一体の関係にあり、業務の一本化が終わらないと情報システムを統合できない。
日本の勘定系システムは世界を見わたしても例がないほど複雑かつ巨大なものである。その多くは1980年代後半に完成し、その後、営々とシステムを構成するコンピューター・プログラムを改修してきた。勘定系システムは業務と表裏一体であるので、業務の変化に合わせて修正し続けなければならない。

「本稼働から15年あまりが経過した勘定系システムは都市銀行の場合、利用しているコンピューター・プログラムを見ると、全体で1億行に迫るまで膨らんでいる。一人のエンジニアが1か月仕事をしたとして開発できるプログラムは500~800行とすると、単純計算で千人が10年間開発し続ける量。

勘定系システムは大まかに二つの仕組みが並行して動いている。一つは「オンライン」と呼ばれるもの、データをその都度処理する仕組み。リアルタイム処理とも言われる。もう一つはデータを一括して扱う「センターカット」と呼ばれる処理。これがみずほのトラブルを起こした口座振替の仕組み。
やっかいなのは、ATMや窓口端末などオンラインの仕組みを止めずに、センターカットの処理をしなければならないことだ。都市銀行の場合、日中のオンラインはピーク時に毎秒千件ものデータ処理をし、さらにセンターカットで多い日は一千万件を超える振替処理をしている。

これだけの量を処理する情報システムは世界を見わたしてもそう多くはない。しかも、銀行間にまで広がったオンライン・リアルタイム・ネットワーク、膨大な口座振替の仕組み、そして通帳発行まで実現しているのは日本の銀行だけである。

なかなか統合方針は固まらなかった。小委員会には、第一勧銀、富士銀、興銀から代表が出席したが、意見の集約はむつかしかった。それどころか、第一勧銀は各委員会に、旧第一銀行と旧勧業銀行の出身者を組みにして送り込むことが多く、興銀と富士銀の出席者を驚かせた。みずほフィナンシャルグループの経営統合が、三行統合ではなく、「四行統合」と揶揄される所似である。(ここで笑ってしまいました)

三行に食い込もうとした、ある外資系戦略コンサル会社のこんさるたんとはこう漏らした。「米国でいくつも銀行合併を手伝ったが、今回は初めてのケースだ。なぜ統合するかという戦略が決まっていないからだ」。

最大の問題は、三頭取がシステム統合の落とし所を事前に相談していた節があるにもかかわらず、表面上は、三行の情報システム部門に統合計画を策定させたことである。これが諸悪の根源となった。

大手企業向けのみずほコーポレート銀行の勘定系は、興銀のものを使うという暗黙の了解がなぜかあった。この了解が大きな禍根を残した。第一勧銀の杉田頭取は、「当行の勘定系を必ず残すように」と現場に指示したとされる。

第一勧銀が富士通のコンピューターを残したかったのは当然で、同行は富士通のメインバンクであり、古河グループからも「勘定系は富士通で」という強い要請があった。第一勧銀の勘定系がなくなった場合、第一勧銀情報システムの二千人のエンジニアは仕事がなくなってしまう。第一勧銀はそれを恐れた。

富士通の危機感も強かった。都市銀行の相次ぐ合併で富士通は都市銀行の勘定系システムを次々に失っていた。第一勧銀の勘定系まで失うと、都銀の勘定系市場から撤退を余儀なくされてしまう。

今さらの結論を言えば、経営統合を発表した段階で、第一勧銀の勘定系システムに一本化することを三頭取が即決し、発表してしまえばよかった。ところが、三頭取は、小委員会で情報システムの統合方針を検討させた。現場は自分たちが開発してきたシステムへの愛着があり、自分の居場所を確保したいから、何とか事項のシステムを残そうと必死になる。案の定、富士通を推す第一勧銀とIBMを推す富士銀の泥仕合となった。関係者によると、実際には富士銀の勘定系システムの方が第一勧銀より1年半は進んでいたらしい(両行は否定)。富士銀のシステムはPL/Iと呼ぶ開発言語を使っていた。第一勧銀はCOBOLを使っていた。

行司役となった興銀とA.T.カーニーは妥協案をひねり出す。2002年4月に新銀行を作るまでに第一勧銀の勘定系システムを強化して富士銀と同等の機能を盛り込めば「第一勧銀と富士通のシステムに有意差はない」。三行はこの報告書作成料として四千万円を予定していたが、割り勘にできないという理由で、三千九百万円に値切った」 (ここで、再び笑ってしまいました。しかし、延々と展開された議論をまとめて、「さしたる有意差なし」と書いただけで三千九百万円とは...)

銀行の営業店システムは勘定系システムをはるかに上回る利益源。富士銀は沖電気、第一勧銀は富士通、興銀は日立を使っていた。いったんは富士銀が推す沖のシステムを継続することにし、第一勧銀の勘定系システムと接続するためにIBMで「ゲートウエイ・システム」というものを用意することに決めた。
(しかし、この案はあっさり破棄されていますね。ここらあたりから問題が複雑化してきますが省略)

第4章は北洋銀行が拓銀の事業継承の際に日立製だった自行システムを捨て、拓銀のIBM製の勘定系システムを採用してシステム統合を成功させた例ですね。高向頭取は「情報システムを現場の利用部門とシステム部門に任せきりにしては絶対にいけない。経営トップ自らが判断しないと統合は失敗する」と。

旧拓銀システムの採用は、北洋銀行の顧客や営業店に強烈な変化を強いた。北洋銀行にあって旧拓銀になかった商品を撤廃したほか、北洋銀行が発行していた通帳を変更した。北洋銀行の営業店の業務手順や端末操作もすべて変わった。

多くのリスクを抱えながらも、投資額にして約150億円、開発工数にして約3500人月規模の大プロジェクトを、計画通り15か月で完了した。統合システムはトラブルなしで稼働し、初日の夕方に当日勘定が合うという偉業を成し遂げた。

通常の企業合併とは異なり、旧拓銀の経営陣は一人も北洋銀行に来ていない。高向副頭取は当初北洋の日立のシステムを継続し旧拓銀システムを捨てるつもりだった。しかし、北洋の口座数が約二百万に対して旧拓銀は約四百万口座。旧拓銀システムは本州の顧客も含めれば7百万口座を処理できる使用になっていた。機能面でも旧拓銀の勘定系は内容的に優れていた。

理屈では望ましくても心情的には難しい決断を後押ししたのは意外にも北洋のシステム担当者だった。冷静に考え抜いた末、拓銀のシステムへの一本化を進言してきた。「自分の仕事がなくなっても、北洋銀行にとってはベストの選択だと言ってきた。経営陣としても辛いがその方向で行こうと腹をくくった」(いや、どこかとは大違いですねえ)

高向副頭取は、三菱と東京のシステム統合の実績があった東京三菱銀行システム部を訪問して直接教えを請うた。東京三菱銀行の助言は「経営トップが積極的にプロジェクトに関与すること」、「統合メリットを早く出すためにプロジェクトはスピードを最優先すること」だった。「プロジェクトが進めば進むほど、このアドバイスの重さが分かった」と、高向副頭取は振り返る。

第5章は東京三菱銀行の統合成功例。プログラムの開発や修正作業に当たっては、三次オンライン・システムの時から継続して管理していた情報システムの仕様を明記した書類が強力な武器となった。

旧三菱銀は三次オンライン・システムで構築したプログラムを他行に販売していたこともあって、仕様書を継続して更新してきた。仕様書の保守は一見当たり前に見えるが実際には難しい作業だ。手を抜かず、きっちり保守をしてきたことが、システム統合で役立った

システム統合を締めくくる最後の作業は本番環境への移行作業で「百十一時間作戦」と呼ばれた。五月二日金曜日、午後5時にスタート。まず旧東銀の顧客データを日本IBM機に移行する作業から入った。プロジェクトのメンバー千五百人は四日間臨戦体制に入るので、六千人分の弁当を発注した。
(東京三菱銀行のプロジェクトマネジメントはスキのないしっかりした印象ですね)
「システムを構築する仕事は本当に重要だ。これからはすべての産業でシステム部の人間が本流になる。システム統合プロジェクトでは、時には土日、休日を返上して仕事を続けることもあったけれど、一つのことに打ち込んで何かをやり遂げたという達成感は人生で必要なことだと思う」畔柳常
務はこう話す。

畔柳常務は、「システム部門の人間が経営的な感覚を身につけていかなければならない。業務部門から上がってくるさまざまな要求をきちんと理解し、どんな技術を利用すればシステムとして構築できるかを考え、開発に優先順位をつけていく能力が必要になる」と付け加えた。
(畔柳信雄氏は後に、東京三菱銀行頭取、三菱東京UFJフィナンシャル・グループ社長、三菱東京UFJ銀行頭取などを経て、現在、三菱東京UFJ銀行取締役相談役ですね)

6章は旧三和と旧東海銀行のUFJ銀行の統合での勘定系システムの口座振替プログラムの誤りについてですね。「両行の協力会社のエンジニアを結集し、総力を挙げたものの、トラブルは起こった。「システム統合に完全はない」という厳しい現実が浮き彫りになった。」(みずほもそうだったけど、この口座振替プログラムは相当やっかいぽいですね)

UFJ銀行が口座振替システムで処理結果を照合しようとしたところ、できなくなった。口座振替処理をUFJに委託しているクレジットカード会社や電力会社に対し、照合結果を返せなくなった。統合による店番号変更に合わせた口座振替プログラムに誤りがあった。テストを実施したが確認漏れが出た。

UFJ銀行は合併発表時には、開業時期を2002年4月1日としていたのに、2001年四月になって開業時期を3か月前倒しして2002年1月15日に設定したんですね。どうやら3月末決算を二行別々でなくUFJとして発表したかったようですが「ここまで来るとはっきり言って無謀と言えた」
(みずほにしろUFJにしろ、システムの不具合で口座振替処理に遅延が生じた場合、他に手段がないこともあって24時間体制の人海戦術で処理するわけですが、駆り出された方はお疲れ様でした。銀行のシステムの場合、ある程度はシステムを止めずに行わなければならないのが厄介ですね。)

企業の情報システムは数年、あるいは10年ごとに全面的に作り直すのが通例だったが、90年代に入りバブル経済崩壊に伴って全面的なシステム再構築をする体力がなくなった。しかもシステムを開発・運用・保守してきた人材が第一線を退きつつある。

もう一つの日本の情報システムの問題は「プロジェクトマネジメント」の導入の遅れである。納期やコスト、成果物の品質、プロジェクトの範囲、投入する人的資源、メンバー間のコミュニケーション、リスク、各種リソースの調達といった諸要素まで、総合的にマネジメントしていくやり方を指す。

世界的にプロジェクトマネジメントの汎用的な知識体系を整理・共有していく方向にある。米国のPMBOKが知識体系の代表例である。PMBOKは建設、防衛、情報システムなど、様々な分野のプロジェクトに共通する汎用的な知識を体系として整理したものである。
PMBOK (Project Management Body Of Knowledge)

日本の情報システムの世界は、プロジェクトマネジメントの導入に関して驚くほど世界諸国から遅れている。欧米の手法や考え方を巧みに取り入れる日本でこれだけ世界と格差が出た領域は珍しい。その理由は逆説的だがプロジェクトマネジメントに適した国民性を持っていたからである。

目標が決まると達成に邁進する国民性。必要があれば自分の持ち場を越え、他人の仕事を肩代わりしてでもプロジェクトを遂行する。日本人は自分を殺してでもプロジェクトを優先できるが欧米ではこうはいかない。ただ、日本のやり方は集団的無責任体制、玉砕の可能性もある。

日本は汎用的な知識体系やノウハウを共有しなくても自己流でプロジェクトをこなしてきた。だが現場のプロジェクトが減り徒弟制度が維持できなくなるとノウハウの伝承が難しくなる。日本は、自己流だが世界有数のプロジェクトマネジメント能力を持つ国から、自己流で実力すらない国に転落しつつある。

最後にこれがまとめてあります。『提言:システム障害を撲滅するための10カ条
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110720/221562/

1. 経営トップが先頭に立ってシステム導入の指揮を執り、全社の理解を得ながら社員をプロジェクトに巻き込む
2. 複数のシステム開発会社を比較し、最も自社の業務に精通している業者を選ぶ
3. システム開発会社を下請け扱いしたり、開発費をむやみに値切ったりしない
4. 自社のシステム構築に関する力を見極め、無理のない計画を立てる
5. 社内の責任体制を明確に決める
6. 要件定義や設計など上流工程に時間をかけ、要件の確定後はみだりに変更しない
7. 進捗は自社で把握、テストと検収に時間をかける
8. システムが稼働するまであきらめず、あらゆる手段を講じる
9. システム開発会社と有償のアフター・サービス契約を結び、保守体制を整える
10. 「うっかり」ミスを軽視せず、抜本的な対策を取る