2013年3月31日日曜日

金融政策のペーパー2つ

①セントルイス連銀のエコノミスト、エド・ネルソンのペーパー

"Milton Friedman and US Monetary History: 1961-2006" (PDF)
Edward Nelson(2007)

「フリードマンは1982年~85年にかけて、インフレの再来を予言するという失敗を繰り返す。理由の一つは通貨需要関数の利子弾力性を見誤ったこと。低金利のもとでは、M1の需要は増加し流通速度が低下するが、その影響を過小評価」

②ニュー・ケインジアンの代表的な理論家マイケル・ウッドフォードのペーパー


"How Important is Money in the Conduct of Monetary Policy?" (PDF) Michael Woodford(2007)

ウッドフォード「経済学部の学生は誰でも最初に「インフレーションはいつでもどこでも貨幣的現象だ」というフリードマンの格言に親しむだろうし貨幣数量説をインフレ決定の標準的な説明として聞くだろう。しかし、今日では大多数の中央銀行の政策決定に通貨集計量はほとんど何の役割も果たしていない」

ラリー・マイヤー「マネーは今日のコンセンサスが得られているマクロ経済学モデルで何らの明示的な役割を果たしていないし、金融政策運営に実質的に何の役割も果たしていない」

『賃金上昇、デフレ脱却のカギ』 日経「経済論壇から」

今週は福田慎一東京大学教授がまとめられています。
「デフレが経済低迷の原因なのか結果なのかは議論が分かれるにしても、デフレ自体を好ましいと考える経済学者やエコノミストはほとんどいない。」

吉川洋東京大学教授(週肝東洋経済3月23日号)は、「日本だけがデフレに陥った主たる原因は名目賃金の下落にある。日本企業が国内外で厳しい価格競争とコストカットのプレッシャーにさらされるなかで、雇用を守ることが労使の共通認識となり、結果として賃金引下げと物価の下落が同時進行した。」

ただ、日本企業の生産性が依然として伸び悩んでいるのに賃金の持続的な上昇が実現可能なのか?

宮川努学習院大学教授(週刊エコノミスト3月19日号)は、「近年のわが国の賃金の下落は、技術力、国際競争力からみて不相応に高水準となっていた賃金を適正な水準へ戻す動きにすぎない。産業構造の転換や生産性の向上を伴う経営改革に加えて、国際競争力を向上させる人材育成なくしては、日本企業が賃金上昇を維持することは難しく、仮に一時的に上昇したとしても再び下がりかねない。」

黒田祥子早稲田大学准教授(週刊エコノミスト3月19日号)は、「賃金の引き下げによって欧米諸国のように多くの失業者を生み出すことなく、リーマン・ショックや欧州債務危機など数々の危機を乗り越えてきた。わが国の今年2月の失業率は4.3%と、現在でも主要国の中では際立って低い。日本の硬直的な労働市場を改革することなく、賃金の引き上げを強引に推し進めれば、新たな雇用不安を生み出しかねない。賃金引上げには雇用への影響に対する十分な配慮、解雇の際の金銭解決ルールの明確化、正規と非正規という二極的な働き方を助長する法制度の見直し、ミスマッチ解消に向けた労働政策などを通じて、労働市場の流動化を促進していくことが必要。」

なかでも、若者の不安定な雇用への対策は、喫緊の課題で、高山憲之年金シニアプラン総合研究機構研究主幹(週刊ダイヤモンド3月16日)によると、「かりに正社員になっても30代前半男性の半数以上が6年以内に転職している」。伝統的に日本では、正規社員に対しては社内教育や学習効果が人的資本形成の大きな源泉の一つだった。若者の雇用が安定しなくては、宮川氏が指摘するような国際競争力を向上させる人材育成も難しい。

これらの問題を根本的に解決するには時間が必要で、積極的な緩和姿勢を表明して市場の期待へ働きかけ株高、円安を誘発しても、実態が伴わなければ、やがては市場の失望を買うことになりかねない。資産価格には期待の果たす役割が重要であるにしても、賃金や財市場におけるモノやサービスの価格は期待だけでそう簡単には動かない。

白川浩道クレディ・スイス証券チーフエコノミスト(週肝東洋経済3月2日号)は、「日本製品の国際競争力が落ちている現状では、円安が輸出の拡大につながる効果は限定的。そのうえで金融政策の財政ファイナンス的色彩が強まるなかでの国債金利の急騰リスクなど、行き過ぎた緩和政策がもたらす潜在的なリスク」に警鐘を鳴らす。

福田氏は、「デフレが長引く大きな原因は、潜在成長力の低下にある。金融緩和だけでなく、アベノミクスが3本目の矢と位置づける成長戦略がうまく機能しなければ、日本経済の本格的な回復は難しいと言えよう。金融政策が決して万能でないことは確かだ。ただ、日本経済で繰り広げられるかつてない社会実験が今後いかなる影響を及ぼしていくのか、現段階では確定的なことは何も言えない。」

福田氏は3年間続けられた日経の「経済論壇」担当を辞められるようです。お疲れ様でした。

2013年3月27日水曜日

『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』

積読だった『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』を読み終わりました。リーマンショックのときのポールソン財務長官、米国金融機関の経営者達の言動に迫ったノンフィクションです。原題は『Too Big to Fail』。リーマンのくだりでは、以前に見た映画『マージンコール』の映像を思い出しますね。
読んでいて、タッチが『野蛮な来訪者―RJRナビスコの陥落』(1990)に似ているなと思ったら、謝辞で、これまで出版されたビジネス書のなかで著者が一番好きな本がそれだと書いていて、納得。これも面白かったけど翻訳は絶版ですね。図書館で借りて読んだな。 『野蛮な来訪者―RJRナビスコの陥落〈上〉』 (ブライアン バロー)原題は『Barbarians at the Gate』 Bryan Burrough。
『野蛮な来訪者』や『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』を読んで感じるのは、ビジネス関連のアメリカのノンフィクション・ライターのレベルの高さですね。本当に良く調べているし、面白い。
金融関連のノンフィクションで他にお勧めは『世紀の空売り』と『天才たちの誤算』ですね。前者はサブプライム危機で売りに回ったコントラリアンたち、後者はLTCMの破綻について書かれた本です。
急いで出版したのか、翻訳には金融用語で誤訳かタイポと思われるものがいくつかありますね。「元債権トレーダー」とか。

以下、備忘録
「スウェイゲルと同じく、バーナンキも学者らしく態度にぎこちないところはあるが、経済学者にしては驚くほど世間話がうまく、ポールソンと彼のチームにオフィスを見せてまわった」
「CDOに使われていた複雑な手法のいくつかは私の理解を超えていた。CDOの中間部分やさまざまなトランシェからどうやって利益を生み出すのかといったことは、わからなかった。私にすらわからないものが、世界の残りの人たちにどう理解されるのかと思うと、途方に暮れた」(グリーンスパン)
「最高リスク管理責任者(CRO)マデリン・アントシンクを雇ってはいるが、インプットはゼロに等しかった。彼女は執行委員会でリスクが問題になったときにも退室を命じられることが多く、2007年の終わりには執行委員会そのものから追放された」
「リチャード・ファルドはリーマン、リーマンはリチャード・ファルド。会社のロゴを胸につけた経営者がいるとき・・・被害は甚大なものとなります」
ファルドは51%の議決権を持っている。
ヘンリー・ポールソンがGSからコーザインを追い出したときに、CEOは2年で辞めて後はジョン・セインとソーントンにまかせると言ったけど辞めないで、ロイド・ブランクファインをセインと並ぶ共同社長に指名。ブランクファインの統括するビジネスはGSの80%の収入をもたらしていた。
AIGの創始者コーネリアス・バンダー・スターは27歳で上海に渡り中国人に保険を売り始め、アジア諸国に手を広げた。軍の友人だったマッカーサーの力を借りてアメリカ軍に保険を販売。日本が外国の保険会社に市場を開放するまでAIGジャパンは海外損保事業でAIG最大の売り上げをもたらした。
「AIG・フィナンシャル・プロダクツ(FP)は1987年にグリーンバーグと、ベル研究所出身の金融学者ハワード・ソーシンとの非凡な取引から生まれた。ソーシンは”デリバティブのストレンジラブ博士”として有名になった」。ストレンジラブ博士は映画『博士の異常な愛情』の登場人物ですね。
ソーシンはミルケンのドレクセル・バーナム・ランベールで働いていたが1990年の同社の破産前の1987年にドレクセルの従業員13人を連れてAIGに逃げ込んでいた。そのうちの一人が32歳のジョゼフ・カッサーノ。
AIG・FPは「いくつかのヘッジファンドの慣行どおり、トレーダーが利益の38%を獲得し、残りを親会社に渡していた。ビジネス成功の鍵は、S&PによるAIGのトリプルAの格付けだった」
ソーシンはグリーンバーグと仲たがいして1994年に他の設立者とFPを去っている。グリーンバーグはその前からプライスウォーターハウスクーパースと共同で密かにソーシンの取引を記録するシステムを構築し、後で解析、模倣できるようにしていた(mjsk)。カッサーノはFPに残りCOOに。
1997年のアジア危機のときカッサーノはJPモルガンにCDSのビストロ(BISTRO: Broad Index secured trust offering)を紹介されている。最終的に買わなかったがFPの分析者に商品の研究をさせてCDSはほぼ安全と判断している。
「ビストロにおいて、銀行は帳簿上の何百という融資を取りまとめ、それぞれ債務不履行に陥りそうなリスクを計算し、SPV経由で、投資家に少しずつ商品として販売することによってリスクを最小化する」
カッサーノはAIGをCDSのビジネスに進出させ2005年にはこの分野の大プレーヤーに。「不遜に聞こえるかもしれませんが、理性が及ぶかぎり、この取引で1ドルでも失うシナリオはとうてい思いつきません」。上司のマーティン・サイバンも同意した。「だから夜も安心して眠れるのだ」
「ロバート・ルービンはその人事に反対した。「トレーダーがほかの分野で成功したためしはない」ルービンはウィンケルマンに言った。「本当に大丈夫かな?」 「あなたの経験はお起きに参考になるけど、ロイドは大丈夫だと思う」ウィンケルマンは答えた。」
「クリントン政権の圧力下で、(ファニーメイとフレディーマックの)両社はサブプライム住宅ローンを引き受けはじめた。その動きは、これで誰にとっても持ち家が夢でなくなるという論調で報道発表されたが、普通の基準では家が持てない人にローンを提供するのは、そもそも危険なビジネスだった」
リーマン・ショック・コンフィデンシャル』上巻340pにある「2007年の(バークレイズの)ダイアモンドの収入420億ドル」というのは4千2百万ドルの間違いですね。さすがに多すぎます。
フラワーズがNYで同伴していたのがジェイコブ・ゴールドフィールド。ゴールドマンがLTCMを支援した際に、この会社の全情報を自分のノートパソコンに不正にダウンロードした人物。
アメリカの金融機関の経営者は、社内の激烈な競争を勝ち抜いてきただけあって、煮ても焼いても食えそうもないのばかりですね。
JPモルガンは、リーマン、メリル双方のクリアリング・バンクであり、さらにAIGの顧問だった。ダイモンは誰よりも事情を把握していたんですね。
本は、ポールソンがリーマンに破産申請を促す電話をSECのコックスにさせたところ。
リーマンの取締役会にはIBMの元会長ジョン・エイカーズやヘンリー・カウフマンなど錚々たるメンバーですね。そして今その取締役会がリーマンの破産申請に関する投票を行い、可決されたところ。
元GSでJ.C.フラワーズ社会長で新生銀行取締役でもあるクリストファー・フラワーズってほんと曲者だな。メリルについてBoAに公正意見書を書き送り、フォックスピット・ケルトンと合計で手数料として2000万ドルを得ることになっている。一週間みたないあいだの稼ぎ。
当時はリーマンの次はメリルが危ないと見られていたんですね。2008年9月14日の深夜、BOAとメリルの合併が発表され、ついで15日の午前1時にリーマンの連邦破産法11条の申請が発表された。
「JPモルガンとゴールドマンにAIGを救済させようと決めたのは(ニューヨーク連邦準備銀行総裁のティモシー・)ガイトナーだった」
ダン・ジェスターは元ゴールドマン副CFOで、財務省特別顧問。
「生真面目な経済政策担当次官補フィリップ・スウェイゲルは、大胆に行動すべきであり、政治的影響を恐れて問題解決から目をそらしてはならないと強調した。「日本の二の舞になってはいけません」」
リーマンがチャプター11、AIGが政府に救済された後も、モルガン・スタンレーは資金流出にみまわれ、資金が枯渇しかけていたんですね。
東京のモルガン・スタンレー証券社長ジョナサン・キンドレッドがMSのCFOケラハーに電話「面白い話です。いま三菱から電話があった。取引したいそうです」。この電話は晴天の霹靂だった。三菱UFJの玉越会長がアメリカに投資することはないと発言していたからMSは三菱を選択肢から排除していた。
「ケラハーは、驚くと同時に疑問も感じた。以前にも別の日本の銀行と仕事をした経験から、日本の銀行はつねに動きが遅く、リスクを嫌い、きわめて官僚的であるという評判どおりだと思っていたからだ」
MSとワコビアとかGSとワコビアの組合せの話もあったんですねえ。GSとCitiとか、JPMとMSとかも検討されてますね。中国のCICの名前も。GSとCitiはCitiが拒否。JPM側はMSの内容が悪すぎると判断したようですね。
銀行持ち株会社になり、「充分な預金を確保し、さまざまな規則にしたがえば、連銀の貸出枠から短期融資が受けられる」
「「おいおい、日本人のころはわかっているだろう。彼らはことを起こさない。迅速に動くことはぜったいにない」ポールソンは言い、中国かJPMとの取引にもっと集中すべきだと示唆した」
「「助かった。これで解決だ!」ジェイミー・ダイモンは叫び、JPMの役員フロアの廊下を走って、ジェイムズ・リーのオフィスに飛び込んだ。「マックから電話があった」ダイモンは安堵のため息をついて言った。「日本企業から90億ドルを獲得したそうだ!」」
「政治の問題は、大惨事を回避したからといって、功績は認められないことだ」(バーネット・フランク)
三菱東京UFJ銀行からモルガン・スタンレー宛に振り出された90億ドルの小切手




2013年3月23日土曜日

『池上彰の政治の学校』 (朝日新書)



私は、政治に関しては素人なんですが、この本はとてもためになりました。

「実はこの審議会こそ、官僚主導を支える重要な仕組みの一つなのです」

「役所が独自の基準で、審議会のメンバーを『選ぶ』ということはどういうことか。つまりこれは、『審議会』というのは名ばかりで、委員を選ぶ段階で、その審議会の結論は決まっているということを意味します」

「推進派と反対派、そして中立派がバランスよく揃うようにはします。けれども、反対派といっても、極端な人は呼びません。それをしてしまうと、審議会が空中分解してしまうから、原理主義者のような人は外しておく」

審議会の答申を大臣に手渡す前に、官僚は記者クラブで事前レクチャーをする。記者クラブに属するメディアは事前に原稿を書いておいて、答申が提出されたところで記事を発表。「なぜ官僚がこのようなことをするかというと、誤解されたままの記事を書かれたくないからです」

「彼らの問題意識は、自分達が作った無数のシナリオの中から、どうやって自分達がもっとも良いと思うものを実現させるかにあります。そのときに、絶対に必要なのが『いろいろな国民の意見を聞きました』ということなのです」

「日本最大のシンクタンクはどこか。そう聞かれれば、やはり『霞ヶ関』と答えるしかありません。...本来の政治主導は、政治家がすべてを動かすということではありません。政治家の仕事は『大方針を決める』ことです。そして後は官僚たちに任せる」

橋下氏が支持を集める理由は「橋下氏ならば、今の日本の閉塞感を打ち破ってくれるに違いない。国民がこのように期待していること。これこそが橋下氏の支持の源泉なのです」

「低所得者にとって優しい社会とは言えない『小さな政府』を目指す小泉氏を、小泉改革によってもっとも痛みを受ける低所得者層の人たちが支持しました。彼らはただ今の世の中に不満を持っていました。何かに虐げられているなと感じていた。だから現状の政府を攻撃して、力を奪うべきだと考えたのです」

「しかし恐ろしいのは『とにかく今とは違った状況を作ってくれ』という要求を繰り返していても世の中は改善されないだろうということです。有権者側も具体的に『このような世の中を作ってほしい』と発信して、その一方で有権者が求める世の中を作ることができる政治家を育てていかなくてはいけません」

「政治家が民衆の人気取りに走ってしまい、本当に必要な政策を実行しない。そして民衆もそれをとがめることができない。それがポピュリズム(衆愚政治)の基本的な症状です。菅直人は、この現代版ポピュリズムに翻弄された典型例でした。目先の支持を求めて突然『脱原発を推進します』と言ってしまう」

「小泉氏の場合は、総理大臣になる前までは靖国神社などにまったく関心がなかったのに、『中国からの圧力に負けない強い政治家』を表現するために総理大臣になってから参拝を始めたわけです。これはあきらかにポピュリズムです」

「中曽根康弘氏は、昔から靖国神社に参拝していたし、総理大臣になっても靖国神社に参拝していたけれども、そのことで中国との関係が悪くなったので参拝を控える判断をしました。これはポピュリズムではありませんね」

「ポピュリズムは、政治につきものの宿痾です。国民の支持がなければ政治はやっていけません。けれども、これは民主主義のパラドックスなのですが、国民に媚びるような行動を取っていては、国にとってよい政治はできません」

「『明日の国のことを考えるのが政治家で、明日の自分の選挙のことを考えるのが政治屋だ』という有名な言葉があります」

「今の日本が閉塞感に満ちていて、重苦しい雰囲気が覆っている最大の原因は、国民が政治に対して絶望感を持っているからだと思います」


一票の格差問題については、「自民党というのは基本的に農村部、地方を代表する党で、議員の多くは地方選出議員でした。だから都市部の人口が増えても選挙制度をいじりたくないのです。自民党が選挙区改正を渋っているうちに一票の格差が広がる構造になっていったのです」

農村部から選ばれた議員が多い。農村部には高齢者が多いから高齢者の支持を受けて選ばれた議員が本来の人割合で選ばれるよりも多い。政治家は議員になった後は自分に投票してくれた人のために働くから、高齢者のために働く議員が相対的に多くなる。

「いくら若者の雇用を何とかしなくてはならない、若い人が子供を産みやすい環境を作らなくてはならない、といったところで、若い人たちは投票してくれないわけですから、政治家としてはどうしても政策実現の優先順位が下がります」


2013年3月21日木曜日

池尾教授のインタビュー『アベノミクスをどう評価しますか?』


今週の東洋経済、46ページの池尾教授「アベノミクスをどう評価しますか?」は、まったく同感ですね。一読をお勧めします。ポイントをまとめておきます。

「(消費者や企業のマインドが前向きになるように働きかけることと)インフレ期待を政策的に操作できるということは、似ているようで異なる。(民間の銀行が日本銀行に預ける)準備預金の残高を増やすとインフレ期待が高まる、といった主張は正しくない。

今の日本はゼロ金利の状態にある。こういう状態の下では(日銀が準備預金の残高を増やせば物価が上昇するという)いわゆる貨幣数量説的な関係は成り立たない。金融政策を研究している世界の専門化の間でも、ゼロ金利の制約下では量的緩和は効かない、というのがむしろコンセンサスだ。

企業のマインドはすごく大切だ。しかし、やる気さえ見せれば期待を変えられるというのは、議論としておかしいと言わざるをえない。根拠のない偽薬のような政策であっても効くことは一時的にはありうるかもしれないが、持続的なものではありえない。

デフレ脱却のために、とにかく物価が上がればよいかというと、そうではない。世間でいうデフレ脱却というのは、景気がよくなることを指している。賃金が上がらないのに物価は上がるのは困る、というのが一般的な考え方だ。

金融政策で仮に価格の持続的な下落を止められたとしても、金融政策だけで実質賃金を引き上げることはできない。

黒田次期総裁は『財政ファイナンス、為替誘導はしない』と述べている(それ自体は正しいと考えている)。財政ファイナンスも為替誘導もなしで、異次元の金融政策といって何をするのか、私にはよく理解できない。

(残されているのは)満期までの残存期間の長い国債をもっと大量に買う、あるいは、日銀の準備預金の金利を撤廃するくらいの手段しかない。それらが異次元の金融緩和なのか疑問だ
白川総裁の日銀を批判してきた人も、だんだんと現実の制約を考慮せざるをえなくなり、白川日銀とさして違いのない手段しか取れないだろう。

岩田副総裁は『準備預金の残高を80兆まで増やせば、インフレ期待は2%まで高まる』と述べているが、本当にそうなるか結果を見守りたい。その後もお手並み拝見といきたいところだが、実験場のど真ん中で生活しているような立場なので、いつまでも傍観者ではいられない。特に、やらないはずの財政ファイナンスに結局、ずるずると陥っていかないか危惧している。

金融政策や財政政策がうまく機能したとしても、基本的には時間を買う政策だ。これまで何度も時間を買ってきたが、買った時間を浪費するのがこれまでの日本の基本パターンだった。次は日本の成長力をどう引き上げていくかという問題に直面する。

そもそも金融政策だけでデフレから脱却できるかのような議論については、そこは信念を持って間違いだと主張したい。」

2013年3月17日日曜日

『合理的市場という神話』



『合理的市場という神話』、おもしろくなってきた。
「マタイによる福音書が説く『タラントのたとえ』では、主人から預かったお金をリスクをとって上手に増やした二人のしもべはほうびを与えられるが、お金をなくさないように土の中に埋めておいたしもべは厳しい罰を受ける。その後、16世紀、17世紀には、教会法学者が、金融業者が受け取る利息はリスクをとった報酬であるため、高利貸しを戒める聖書の教えには反しないと論じて、資本主義が台頭する道を開いた」

「同僚の経済学者の中には、フリードマンの政策論に愕然とした者もいたことは確かである。フランコ・モディリアーニは「フリードマンを突き動かしているのは、政府がすることは何でも悪いという思想だ」と冷笑していた」

「シカゴ大学の大勢の同僚たちと違って、ファーマには自由市場を支持するイデオロギー的なバイアスがまったくなかった。彼の政治姿勢は昔も今もほとんど謎である。しかし、彼は根っからの研究者であり、自分やシカゴ大学のほかの経済学者が行っていた研究の論理的な結論を導き出したいと思っていた」

「1930年代と40年代を乗り越えて成功した投資家は、自分が株式を買った会社の根源的な価値に最新の注意を払っていた。その一人がケインズである。『私の目的は、資産価値と本源的な収益力について満足できて、市場価格がそれに照らして割安に感じられる証券を買うことである』(ケインズ)」

ベンジャミン・グレアムは56年に資産運用会社をたたみ、南カリフォルニアに移った。自分の投資手法がもはや通用しなくなったことを認めた。「証券アナリストも、投資ファンドも市場平均に打ち勝つことは期待できない。なぜなら、重要な意味で証券アナリストも投資ファンドこそが市場であるからだ」

「アナリストの仕事の本質は、銘柄選定によってめざましい運用成績をあげることにあるのではない。むしろ、多くの銘柄について、既知の事実と将来に関する妥当な推定に基づく相対的な価値が適正に反映された価格水準をつねに決定することにある」(グレアム)

1967年にウェリントン・マネジメント社はボストンの投資会社と合併したが73年と74年の弱気相場で意見が対立、ジャック・ボーグルは社長を解任される。ウェリントン・ファンドとウィンザー・ファンドはミューチュアル・ファンドだったため、ファンドの意思決定構造は運用会社から独立したまま。

二つのファンドの取締役はボーグルとその前任者によって任命されており、ボーグルの解任は青天の霹靂だった。ボーグルはウェリントン・マネージメントを新しい経営者から逆買収することを提案。ひるんだ取締役たちは妥協策を考え出す。

二つのファンドは部分的な独立を宣言し、資産運用・販売はウェリントン・マネジメントに残すが、「運営管理」は新しい会社が行い、この新会社をナポレオン戦争時のネルソン提督の旗艦にちなんでバンガード社と命名する。当時の運営管理とは株主に年次報告書を送るくらいだったがボーグル
を抜け道を用意。

一つは、ファンドの株式を販売手数料を取らずに投資家と直接取引すれば「販売」とはみなされないこと、もう一つは、パッシブ型ミューチュアル・ファンドを運用しても資金運用とはみなされないことだった。「これは人間が知る最も巧妙な便宜主義的行動の一つであった」(ボーグル)

「銘柄選択はきわめて重要であるという強い信念は、変人が多いファイナンス学者にはない静かな自信に満ちた態度やカリスマ性ともあいまって、ローゼンバーグを投資業界でカルト集団の指導者であるかのような地位に押し上げた」

ロジャー・イボットソンはブラックにCBOEの会員権を買ってオプションで儲けようと誘って断られている。イボットソンはブラック=ショールズ式を使って、オプションで大儲けするが、ブラックがボラティリティ評価サービスを始めて価格が適正に形成されだすと儲からなくなった。

「自己成就的な予言」という言葉を作り出したのはロバート・K・マートン。その息子のロバート・C・マートンはブラックとショールズが公式を完成させた後に、数学的によりエレガントな別の方法で公式を再導出した。数理ファイナンス理論の未来の形を定めたのはマートンの公式だった。

マートンは、資金を借り入れ、その資金で株式を買うことでオプションの全期間にわたりノーコストでポジションを調整できると仮定した場合には、その株式のオプションとまったく同じリターン特性を持つポートフォリオを組み立てられることを、”伊藤の補題”を使って立証した。

ブラックはマートンの手法を完全に受け入れたわけではない。現実の市場での売買は連続的でも円滑でもないことをブラックは懸念していた。しかしMBS、金利・通貨スワップなど、あらゆる種類の複雑な金融商品の評価モデルがマートンの手法を使って構築され、世界中の金融市場を変えていった。

ステファン・ロスはCaltechで物理、ハーバードでケネス・アローの下で経済学を学んだ。ペンシルベニア大でブラックのセミナーを聞き、アローの「状態証券」の概念に一部は基づいている、より実際的な新しいオプション評価式を編み出した。

「ロスは物理学から転向した元マルクス主義者で、物理学を捨てたのは、一つにはベトナム戦争に強く反対していて、自分の研究が軍事目的に使われるのを見たくなかったからだった。」

「そんなロスが新しい金融商品を無限に組成する自由を主張するようになったのは、そうすることで完全競争に近い経済世界が実現される、と均衡理論が説いたからである」

2013年3月2日土曜日

『経済学の巨人 危機と闘う』


欧米の過去の主要な経済学者について日本の経済学者が解説したもので、経済思想史を手軽に概観することができてお薦めです。リーマン・ショック、欧州債務危機を意識して経済学が経済危機に対して役に立つのかという視点が強調されています。取り上げられている経済学者は、キンドルバーガー、ハイエク、ケインズ、フリードマン、フランク・ナイト、ミンスキー、J・S・ミル、ハーバート・サイモン、ジェヴォンズ、マーシャル、ブローデル、ジョン・ロー、シュンペーター、リカード、カール・シュミット、アダム・スミスです。
7ページ目に近代経済学の系譜がまとめられています。


「はじめに 経済学って役に立つの?―今こそ考える『市場とは』」から少し引用します。

「いま経済学は、戦前の世界大恐慌や1970年代前半のスタグフレーションに匹敵する『第三の危機』を迎えているといわれている。たしかに、リーマン・ショック後の金融危機やギリシャ問題に端を発するユーロ危機といった世界経済を揺るがす難問に対し、アカデミズムが『即効薬』を処方しているとはいいがたい。

『なぜ誰も信用の収縮を予測できなかったのか』―。リーマン・ショック直後の2008年11月、LSEのビル開所式に招かれた、英国のエリザベス女王が発した問いに、同国の経済学者たちは頭を抱えた。翌年の公開書簡ではこう苦渋の回答を返したという。
『(研究者は)誰もが自分の仕事を適切にこなし、我々の基準ではうまくやっていましたが、規制の枠を超えた、複雑に絡み合った不均衡が生まれることを見抜けなかったのは失敗でした。その結果、危機のタイミングや範囲、深刻さがどうなるか、予測できなかったのです。(いまになってみれば)こんな驕慢な希望的観測はかつてないほどだといわざるを得ません』―。

一方で、経済学者、とくに若手の研究者の『経済思想ばなれ』『古典ばなれ』が著しいとも指摘される。マルクス・エンゲルス全集はともかく、アダム・スミスの『国富論』やケインズの『一般理論』をひもとくのは、かつては研究者にとって”必修科目”だった。しかし世界的な一流の経済学術誌に専門論文を掲載されることに注力するという『業績主義』風潮が強まる中で、これまでの経済学の歴史を体系的に理解しようとする専門家が減っていることは否めない。

海図なき世界経済が『羅針盤』を求める一方で、アカデミズムがそれに応えられないとすれば、世間で経済学への苛立ちや軽視の動きが強まるのは無理のないことかもしれない。

日本における経済思想の古典的名著とされる猪木武徳氏の『経済思想』を改めてひもといてみた。序章で猪木氏はこう述べる。
 
『経済思想そのものがいくつかの基本となる単位概念の組み合わせから成立しており、その組合せの差が思想の差を生み出している。
経済学者はつねに既存の概念や枠組みを基本に置き、そこから少しの修正、少しの拡張を『試行錯誤を重ねつつ』試みてきたにすぎない。その意味では、経済学の歩みも遅々たるものであって、一人の大天才の独創が今日の姿を無から作り上げたのではない』

複雑で時々刻々めまぐるしく変動する現代に、たとえアダム・スミスやケインズが存在したとしても、非の打ちどころがない解答を出せるわけではない。経済学の知見の受益者であるわれわれが『難問に真正面から向き合え』と学界に訴えていく努力は欠かせないが、すぐその成果が得られないからといって、安易にそしるだけの姿勢では、アカデミズムの健全な発展やそれに伴う難問解決のヒントは得られない。

猪木氏の指摘の中で、もう一つ見逃せないのが、今問われるべき『既存の概念や枠組み』とは何かということであろう。あえてその答えを先取りすれば、それは『市場』であり、そしてその中で決まる『価格』であると思われる。今日、われわれが直面する経済の諸問題も突き詰めていえば、市場に関わる問題だといっても過言ではない。

グローバリゼーションとは、国境や地域の枠で囲まれ分断されていた『市場』が、輸送手段やテクノロジーの発達で統合される現象にほかならない。リーマン・ショックや世界経済危機で露呈した米国のサブプライムローン問題は、信用力の低い所得者向けの住宅ローンの債権が『市場』できちんと流通するか否かが議論の焦点となった。ギリシャなどの債務問題で露呈した欧州危機も、共通通貨ユーロが『市場』でいかに信用力を確保するかという議論が核心といえよう。
このとき浮かび上がるのが、需要と供給の間に不均衡が生じた際に、価格メカニズム、すなわち価格の調整能力がどの程度高いかという論点であろう。新古典派やその流れをくむ『市場重視派』は、価格の調整能力は高いと考え、政府による市場への介入は必要なく、逆に弊害もあると主張する。一方で、伝統的なケインジアンやパターナリズム(父権主義)に理解を示す論者は、短期的には価格は硬直的で均衡に戻るまでには時間がかかるので政府による市場への介入が必要だと訴える。

ただし、どちらの学派に与するにせよ、議論の起点が市場にあるという点にはかわりがない。伊藤元重教授が指摘したように『市場の機能なしには、現代経済は一日たりとも機能しない』。松井彰彦氏の言葉を借りれば『市場は万能ではないとしても、市場を拒むことは不自由な経済を作ることである。それは人と人のつながりを断ち切ることに他ならない』のである。

たかが市場、されど市場。近代経済学の祖、アダム・スミスの『国富論』から200年あまり、アカデミズムは市場とは何かを考えてきた。市場を礼賛するにせよ、否定するにせよ、そうした賢人たちの深い考察を踏まえずして、単なる雰囲気やムードに流されるだけでは政策論議は深まらない。アカデミズムの知見を利用して自分の問題意識と照らし合わせながらそれを深め、解決のヒントを得ていく。そんなところに経済思想を学ぶ意義がありそうである」