2013年11月16日土曜日

小宮龍太郎 『経済学 わが歩み』

小宮隆太郎氏の『経済学 わが歩み』3章まで読んだ。

「私自身は数学があまり得意ではなく歯が立たないこともあったが、学者としてスタートした時期に、数理経済学を勉強したことのメリットは計り知れないほど大きかった」

「経済学のさまざまな問題を考えるとき、論理的整合性のある数学的理論モデルに基づいて考える習慣が身についた。アメリカに行ったときも数学的理論を正確に理解していたことは大いに役立った。折々に経済学の基礎理論の話が出てきたが、まごつくことが一切なかった。このような経験から私は、若い時期には経済学の基礎理論とそのために必要な数学(それは時代とともに変化してゆくが)をしっかり勉強することが大切だと思っている」

都留氏がハーバードで博士号を取った時の指導教授がシュンペーター。都留氏の紹介で小宮氏はレオンチェフ主催のハーバード経済研究所に勤務することに。都留氏と同年代にハーバードで学んだ経済学者はサミュエルソン、トービン、スウィージー、バーグソンなど。
小宮氏はチャールズ・キンドルバーガーとも長い付き合い。
線形計画法のジョージ・ダンツィグは謙虚そのものだったそうだ。日本に来たときに小宮氏が一週間ほど通訳をしたそうだ。

ハーバードでは線形計画法、投入産出分析、計量経済学などの数理的研究を行ったが、それよりももっと大きなことを学んだ。「身近な経済問題を経済学の立場からどう考えるかということだった」

「ハーバードでは、昼食の際に学者同士が日々の経済問題を語り合っていたし、セミナーでは時事問題を経済学でどう考えるかが話題になっていた。アメリカでは身の回りの経済問題を論議するとき、まずは標準的な経済理論に基づいて考える。まずはスタンダードな経済学的アプローチで、どう理解したらよいかを考えることが重要である。つまり経済学者とは、自分の国の身近かつ重要な問題を、標準的な経済学の理論に基づいて考え研究する学者なのである。ところが当時の日本では、「経済学の理論」と「現実の経済問題」が、ほとんど乖離した状態だった」

「経済学という学問は、理論を習っても実際にそれを使えなければ意味がないと私は思う。現実の経済に対して理論を使うことは、経済学を理解する上でもとても重要だ。アメリカの経済学者は、常識では簡単に理解できない経済現象を、経済学的に分析してよく理解し、その理解を初心者にもわかるように説明するという基本姿勢を持っていた」

都留氏は、日本人の経済学者は「経済」を学んでいるのではなく、「経済学」を学んでいるから「経済学学」だといって経済学者を批判していたそうだ。

2013年11月15日金曜日

グリーンスパンの金融政策


『金融依存の経済はどこへ向かうのか』の第2章、翁氏による「グリーンスパンの金融政策」、おもしろいです。

FRBは民間の経済活動に干渉するようなことをせず、自由に任せる一方で、全体としての経済が困難な状況に陥った場合には、FRBが全力を挙げて対蹠するという方針をとった。これは、うまくいっているときには成果はそのまま市場参加者のものになり、まずい事態になったときにはFRBが尻拭いをしてくれる、ということになる。こうした方針は「グリーンスパン・プット」と呼ばれるようになり、民間のリスクテイクを促進する一因となった。

金融政策方針を決定するFOMCの議決は多数決による。執行部であるFRBの議長といえども、FOMCの委員としては1票を有するにすぎない。しかしグリーンスパン時代のFRBでは彼は圧倒的な影響力を持ち、FOMCの決定はつねに彼の議長提案を追認するものとなり、反対票が投じられることすら極めてまれであった。

グリーンスパンの見解がFOMCで少数派であった場合も全員一致で決定するという方針にこだわった。ブラインダーによると、グリーンスパンは反対票を最小限に抑えるため、利上げ幅、バイアス等について妥協することもあったが、委員会メンバーのグリーンスパンへの追随傾向はグリーンスパンの神格化が進んだ在任任期後期に強まった。

ラジャン=ジンガレスの『セイヴィング・キャピタリズム』では金融システムがリスクテイクに与える影響を概ね以下のように説明している。まず、英国・米国などアングロサクソン型金融システム(資本市場などを使ったアームスレングス金融)と日本・ドイツ型の金融システム(銀行による金融仲介が中心のリレーションシップ金融)を比較している。出版社の比喩で前者をベストセラー狙いで審査が甘い「軽率出版」、後者を審査が厳格で良書しか出さない「古色堂」としている。そして技術改良期にはリレーションシップ型のパフォーマンスが高いとしたうえで、90年代以降の技術飛躍期(出版社のたとえでは、なにがベストセラーになるかわからない時期)については、アングロサクソン型が優位にたつ、とする。革命的な技術革新が、まったく新しい・収益性の高い市場を作り出す時期については、リレーションシップ方の厳格審査は、その好機をつかむことができない、とする。革命的で前例がないものは銀行の厳格審査を通りにくいからである。
これに対し、アングロサクソン型では、多数の失敗企業にも資金提供がなされるものの、革新的な企業にも多くの資金供給をすることができる。革命的な技術革新が進行する時期には、成功から生み出される膨大な価値が、失敗のコストを圧倒的に上回る。したがってアングロサクソン型の方が技術革新に対する金融方法としてうまく機能する。

グリーンスパンの見方はリスクテイクと成長の関係について概ね肯定的ではあるが、慎重で決して単純に両者を結びつけているわけではない。一方で、物質的な豊かさ、すなわち富を生成するためには、人々はリスクを取ることが必要である、と肯定的見解を示しているが、他方で、リスクを取るほど成長率が高まるとは言えないとも述べ、無謀な賭けをしたときに最後に元をとれることは滅多にない、とする。つまりビジネス上の判断における合理的な計算に基づくリスクテイクが必要というのが彼の主張である。その際、経済活動の自由の制限や、政府による企業の規制、成功したベンチャーに対する重い税負担は市場参加者の意欲を阻害するに違いない、とも述べている。
さらにグリーンスパンは、リスクテイクの政策的促進によって成長のカギになる生産性上昇率が大きく動かせると考えていた、とも考えにくい。回顧録では、アメリカが技術で最先端に位置している限り、長期的な生産性の伸び率が年0~3%であることを過去の実績が示している、と述べていて技術が最先端にある経済の長期的な生産性の伸び率は3%程度が上限であることを明確に意識していた。

他方、金融規制には明瞭に反対している。
彼の基本的な考え方は、市場は巨大化し複雑になり、動きが早くなっているので、二十世紀型の監督や規制では対応できない、というもの。監督当局者としての経験に照らし、グリーンスパンは、金融システム安定のかなめは当局の規制監督ではなく、市場の中において金融機関同士の取引相手に対するモニタリングであると考えるようになる。危機を防ぐためにもっとも有効な対策は、最大限に市場の柔軟性を維持すること、つまりヘッジファンドやプライベート・エクイティ・ファンド、投資銀行など、主要な市場参加者が行動を制約されず自由に動けるようにすることである、という結論に達する。金融監督当局は、業務リスクと企業や消費者の不正行為の分野についてのみ、二十世紀型の規制の原則を残すべきだ、と。
「規制はその性格上、市場の自由な動きを制限し、速やかに動いて市場を再均衡させる自由を制限する。この自由を損なえば、市場の均衡プロセス全体がリスクにさらされる」

一方、リスク・プレミアムが低下しすぎ、反動がきつくなることの危険性については的確に読み取っていた。回想録の中でも、過去20年間で特徴てきだったのは、一貫したリスク・プレミアムの低下であり、2007年半ば時点でジャンク債のスプレッドは信じがたいほど低くなっていると指摘している。

グリーンスパンの金融政策には2つの柱がある。1つは「後始末戦略」であり、もう一つは「リスク管理アプローチ」である。前者はバブルの膨張期には抑制に動かず、バブル崩壊後に思い切った緩和的政策でバブル崩壊の悪影響を極力相殺するというもの。Fed Viewとしても知られている。後者は最悪の事態に保険をかける政策運営である。
グリーンスパンは、株式市場がバブルだとして判断して空気を抜きたいと望んでも、それが可能なのか疑問だとしている。そしてFRBにとって最善の方法は、財とサービスの物価を安定させるという中心的な目標に徹することだ、とういう結論に達する。FRBが「十分な情報を持った数十万の投資家」より優れた判断ができるとは考えない。そして、暴落が起こった場合に経済を守る任務に専念する。
もう一つの「リスク管理アプローチ」は小さな確率の大きなリスクに備えるというもの。ロシアの債務危機のとき、ロシアのデフォルトでアメリカも深刻な影響を受けるリスクは確率は低いものの確実にあると判断した。そのシナリオが実現する確率はかなり低いが、万一実現した場合には、経済の安定性が大きく損なわれる結果になりかねず、それは金融緩和によって起こりうるインフレ率の上昇よりも経済の繁栄に大きな脅威になる、と考えた。
このグリーンスパン流のリスク管理アプローチは、ジョン・テイラーなどが主張しているルール・ベースの政策運営ルールとは鋭く対立するもので、当然ながらテイラーなどから批判されている。

特に、議論になるのは、このリスク管理アプローチが、2003年にデフレのリスクを重視し、あえてバブルが発生するリスクをテイクする、という政策をグリーンスパンに意図的に採らせる結果になった点である。回顧録で「デフレという悪性の病にかかる可能性を完全になくしておきたかった。そのためには利下げによってバブルが発生するリスク、ある種のインフレ型ブームになって、後に抑えこまなければならなくなるリスクをとることもいとわないと考えた」と説明してる。

彼は、世界経済へのデフレ圧力と金利低下圧力には強い恐怖を感じていた。「政策発動や、インフレと戦う中央銀行という信任が過去十年から二十年の長期金利の低下に主導的な役割を果たしたと言う見方は、大いに疑問である。長期金利の低下(そして謎)は金融政策以外の要因で説明できる。実質長期金利の低下圧力は世界に広がっていたが、われわれがそれに対抗する資源をもっていたのか疑問に思う。日本は、あきらかに対抗できなかった」
この時期、金融政策と財政政策を総動員しても、デフレから抜け出せない日本の経験が、グリーンスパンに大きな恐怖を与えたことも間違いない。
「デフレに陥りそうな状況になったとしても、印刷機をまわしてデフレの悪循環を防ぐのに必要なだけの紙幣を供給すれば、問題は解決する。そう私は考えていた。だが、この確信は揺らいでいた。この時期、日本はいってみれば、通貨供給の蛇口を全開にしている。短期金利をゼロにまで引き下げている。財政政策を思い切り緩和し、巨額の財政赤字を出している。それでも物価は下がりつづけていた。」
財政政策については基本的には均衡財政論者であり、財政ルールにより政治的な逸脱を予防することを支持する立場。

翁氏は最後に以下のようにまとめている。金融には技術革新の種を生み出すことはできず、技術革新の種が枯渇しているときに、金融的なリスクテイクが経済成長の主役になることはできない。グリーンスパン時代の1996年‐2004年の米国の労働生産性の高まりの原動力は金融政策ではなく第3波の技術革新の影響と考えるのが自然である。金融は技術革新が実を結ぶよう支援することで引き続き重要な役割を果たす。しかし、それは経済の牽引役というより、あくまで補佐役であるべきだろう。

2013年11月3日日曜日

『日本の競争戦略』 マイケル・E・ポーター

「日本の半導体メーカーの後退理由は何であろうか。端的にいってしまえば、これらの企業はすべて、オペレーション効率のみによる競争の犠牲となったのである。相互破壊的な消耗戦は現在も続いている」
「(97年当時)すべての日本の半導体メーカーは、トランジスターからマイクロ・プロセッサーまでフルラインの製品を揃えている。対照的に米国の半導体メーカーは、何をしないかについて終始明確であった。例えば95年までにTI以外の全メーカーは、メモリー・チップから撤退している」
「継続的改善の積み重ねは、戦略ではない。競合他社の模倣や同じ手法を少し上手に行うことも、戦略とは呼べない。競争に対するこのような日本企業のアプローチと戦略の欠如がもたらす危険性は、いくつかの代表的な産業事例によって鮮明に例証されている」
「他のアジア諸国のメーカーは、汎用製品において日本のオペレーション手法をたやすく模倣できるようになった。すべてのメーカーが同じ物を提供するなか、顧客は価格を基準に選択し、それは必然的に利益を減少させる結果につながる」
日本の戦略なき競争の例として半導体の他にアパレルとチョコレートが上げてあります。
「すべての顧客に対してすべてのものを提供しようとするということは、戦略へのアンチテーゼである。日本のチョコレートメーカーの類似戦略および模倣戦略は、国内市場の収益性を犠牲にしたのみならず、国際的競争優位を生むいかなる可能性も排除してしまった」
継続的改善のみで戦略がないというのは某弊社も含まれるのでガクブルしてる。
「オペレーション効率は、企業が卓越した業績を追求する二つの方法の一つでしかない。もう一つの方法が、戦略である。すなわち、特色のある製品やサービスを提供し、独自のポジショニングを打ち出して競争する方法である」
「オペレーション効率とは、同じかあるいは似通った活動を競合他社よりもうまく行うことを意味する。戦略の中核は、事業で競争する上で必要な活動を競合他社とは異なるやり方で行うことにある」
「戦略は、独自のポジションを選択し、それに応じて活動を調整するということにとどまらない。戦略とは、顧客に価値を提供する上で、トレードオフを行うことである。トレードオフが発生するのはいくつかの戦略的ポジションとそれらに必要な活動に整合性がかけている場合である」
「つまり、何をしないかという選択が、戦略の核心である」
「戦略を持っている日本企業は希である。日本では継続的なオペレーション効率の改善と戦略とが混同されている」
「戦略の欠如は日本型企業モデルに内在する多くの要素によってももたらされる。成長を追及する一方で収益性を無視する傾向は事業の模倣化と総合化につながる。幅広い製品ラインや多機能性、短いサイクルでの新製品導入等、日本企業に共通の企業行動は戦略上のポジショニングを曖昧にしてしまう」

マイケル・ポーターの「何をしないかという選択が、戦略の核心である」という言葉から、冨山和彦氏の「捨てることにこそ戦略の本質がある」を思い出しました。 『結果を出すリーダーはみな非情である』 冨山 和彦 
「リーダーの不可欠な資質のひとつは、論理的な思考力、合理的な判断力である」
「日本では経済全体としては資本主義だが、会社の中は社会主義的な仕組みで成り立っている」
「利害対立が生じた場面で、ある人たちにとって不都合な意思決定をしなければならないとき、そこで求められるリーダーシップはまったくの別物だ。むしろ現場で力を発揮しているリーダーは、共同体内に不協和音を生じさせるような場面では意思決定ができなくなってしまう」

藤子・F・不二雄

録画しておいたNHKのドキュメンタリーを見ました。

藤子・F・不二雄こと藤本の書斎には落語のテープから雑誌Newton、世界のミステリーまで実に1万点以上。藤本はこれらの全てに目を通していた。

「漫画っていうものを分解してみますと結局は小さな断片の寄せ集めなんでありますね。本を読んだりテレビや映画を見たり新聞を読んだり人と話したり見たり聞いたり、絶えずピッピと感性に訴えるものがあって、あれが使えそうこれが使えそうと捨てたり組み合わせ直したり...」

「そういう作業の結果、1つのアイディアというのがまとまってくるんです。なるべくおもしろい断片を数多く持ってた方が「価値」ということになるわけです」

通常数日かかるネームの作業を藤本は朝、スタジオに行く前の喫茶店などでサラリーマンにまぎれて1時間ほどで仕上げていた。

ネームを仕上げるとスタッフが待つ仕事場へ。机に座るやいなやすぐに原稿の下書きに取り掛かる。無駄口をたたかず、昼の休憩以外は休むことなく、一日一本という驚異的なペースでドラえもんを書き上げていった。

「最盛期には、SF漫画などの連載と平行して、8つの違う雑誌に違うストーリーの「ドラえもん」を書き分けていた」ってすごいとしか言いようがない。尋常ではない。

「現実に身近にある、ああしたい、こうしたいという願望と、前からの知識とか断片をこう組み合わせて「アンキパン」などの道具というのが出来てくるわけですね」

イギリスの作家ジョン・バッカンの「魔法のつえ」という作品の中で少年が魔法使いからもらったステッキを回すと自分が思いもかけないところへ飛んでいく。何十年後かにそのイメージを憶えていて、「どこでもドア」にそれを使った。

「漫画家は普通の人であれ」 藤子・F・不二雄

今気づいたけど、ドラえもんって藤子不二雄名義じゃなくて藤子・F・不二雄なんですね。あれは一人で書いたのか...

ドラえもんは全世界で一億五千万部売れたそうだ。

体が弱く内気な藤本の小学校に我孫子が転校してくる。そして若干19歳の手塚治虫が「新宝島」を発表する。「もしこの「新宝島」との出会いがなかったら僕らは、単に一時期、漫画好きの少年であったというだけで普通の生活に戻っていたと思いますね。そういう意味で僕らのバイブルのような本ですね」

ファーマの経歴

 

ファーマの経歴については『証券投資の思想革命』が割とくわしいですね。家の中のファイナンスの本を見てみたけど意外とファーマ&フレンチのモデルをちゃんと説明している本がない。バーラのモデルの説明は多い。実務上のニーズからそうなるんでしょうが。

裕福な家庭ではなかったので、「ファーマはアルバイトで学費を稼ぎながらタフツ大学で学んだが、そこはボストンの優良大学とはいえ、学者をめざす人にとっては一流とはみなされていなかった」。「ファーマは将来経済学者になろうなどとはまったく思ってもいなかった」

「彼は学生の時に結婚したので、これを機に生活力がいままでよりも重要になった」。「学費の足しにするためにファーマは、株価モメンタムに基づく銘柄推奨を行うマーケット・レターを発行していたハリー・アーンスト教授のもとで働いた」

「(当時)儲けにつながるトレーディング・ルールを開発しようとしたファーマの努力は決して不成功に終わったわけではないが、彼が見つけだした法則は昔のデータではうまくいったが、新しいデータでは効果がなかった」

「バック・テストではうまくいくようにみえることが、実際に投資家がそれを実行しようとすると不冴えな結果になることが多い。その原因は投資環境が変貌したり、市場の反応速度が遅くなったり早くなったり、また同じ投資戦略を大勢の人々が実行するようになって得べかりし利益をお互いに奪い合うから」

ファーマはビジネススクールへの進学を考えるんですが、地元だけに最初はハーバードを考えてるんですね。ところが彼を教えたタフツ大学の教授たちは意外にもシカゴ大学に行くように勧めた。ファーマは「典型的なハーバードのタイプよりはもっと学究肌」だからだと。

「(史上初の本格的な計算機)IBM709型機は当時やっと入手できるようになったばかりであった。ファーマが言うには、長い間、彼と物理学部の職員だけが(シカゴ)大学の中で唯一その使い方を心得ていた。「まるでキャンデー屋の中の子供のように嬉々としていたものだ」」

「シカゴ大学で博士号を得て、1964年彼は同大学の専任講師として迎えられた。何の科目を教えようかと迷って、彼は学部長のマートン・ミラーを訪ねた。ミラーのアドバイスは「いま講座がない科目を教えればいいんじゃないか」というものであった」

「当時シカゴ大学では、金融市場やポートフォリオ構築の理論についてはほとんど講座がなかった。コンピュータの使い方を知っている教授がほとんどいないこともファーマは知った。ファイナンスのカリキュラムの大部分は会計学、企業財務、証券分析などの標準的なコースばかりであった」

ファーマ 「ランダム・ウォーク・モデルを支持する実証的根拠は一貫性がありかつ膨大な量であるが、一方でテクニカル分析の諸理論を厳密に実証的に検証した著作はほとんどない、という点をチャーチストは認めざるをえない。もしもチャーチストがランダム・ウォーク・モデルの証拠を退けるならば、彼自身の理論が同様に厳密な検証を受けていないという弱みがある。思うに、これこそがランダム・ウォーク理論からの挑戦といえる」

ウィリアム・シャープ 「皮肉なことに、プロの投資家どうしがお互いを評価しているよりも、経済学者たちはプロの投資家たちをもっと高く評価している」

1971年の論文で当時シカゴ大学のフィッシャー・ブラックは「バリューライン」の投資成果を厳密に分析した結果、「ほとんどの投資顧問会社では、1人を除いてアナリスト全員をクビにして、その残った1人のアナリストに「バリューライン」を与えるようにすればパフォーマンスが向上すると思われる」

「効率的市場は必ずしも合理的市場ではない。ある特定の銘柄が何らかの理由でその本質的価値よりも高い、あるいは低いという意見の一致をみることがある。しかし、効率的市場ではどんなひとりの投資家も他のすべての人を一貫して出し抜いて単なる幸運以上に利得をおさめることができない」