入山章栄さんの『世界の経営学者はいま何を考えているのか』はおもしろい。お薦めです。海外の最新の経営学をまとめて紹介する本は、今までなかったのでとても貴重だと思います。ヤバイ、経営学もちゃんと勉強したくなってきた。最前線というか知のフロンティアってどこもおもしろいよね。とくに経営学は仕事にも直接関係してくるし...
入山さん、本の冒頭、経営学についての三つ勘違いの最初に「アメリカの経営学者はドラッカーを読まない」を持ってきていて、「つかみはOK」ですね。日本人がなぜこれほどドラッカーが好きなのかは本当に謎です。
「これは確信を持って言いますが、アメリカの経営学の最前線にいるほぼすべての経営学者は、ドラッカーの本をほとんど読んでいません」
「アメリカのビジネススクールの教授の大半は、ドラッカーの本を『学問としての経営学の本』とは認識していないし、研究においてもドラッカーの影響は受けていない、ということです」「おそらくドラッカーの言葉は『名言ではあっても、科学ではない』からではないでしょうか」
「ビジネススクールにいる経営学者のするべき仕事とは、『企業経営を科学的な方法で分析し、その結果得られた成果を、教育を通じて社会に還元していく』ことであると、アメリカの主要なビジネススクールでは考えられているのです」
「真理の探究のためには、可能なかぎり頑健な理論を構築し、それを信頼できるデータと手法でテストすることが何よりも重要です。これは、他の科学分野、たとえば物理学や化学、あるいは経済学でも同じことです」
現在の世界のマクロ分野の経営学は主に三つの理論ディシプリンから構成されているそうだ。1)経済学ディシプリン、2)認知心理学ディシプリン、3)社会学ディシプリン。マイケル・ポーター、オリバー・ウィリアムソンは1、ハーバード・サイモン、ジェームス・マーチ、ダニエル・レビンサールは2。
近年は企業間でハイパー・コンペティションが進展していて、もはやライバルとの競争を避けるというポーターの競争戦略では不十分らしい。ユニークなポジションを取りつつ攻めの競争行動が有効である可能性があると。
情報の共有化は重要だが、組織全員が同じ知識を持つことは非効率であり、むしろだれがどの知識を持っているかを組織メンバーが正確に把握することが重要だと。日本企業では、たとえば総合商社が優れたトランザクティブ・メモリーを持っているのではないかと。
元コンサルとかの著名ブロガーが書く、独善的な「なんちゃって経営論」や「とんでもビジネス論」を読む時間があれば、入山さんが紹介しているアメリカの経営学者の論文を読む方がはるかに有益ですね。でも社会人だとなかなか論文にアクセスできないかも。
『Myles Shaverが1998年に「海外子会社設立時に独自資本と買収のどちらがいいか」についての論文で指摘するまで、経営学者が「内生性の問題」に無関心だった』というのは、驚くべきことだなぁ。
「『当面の事業が成功すればするほど、知の探索をおこたりがちになり、結果として中長期的なイノベーションが停滞する』というリスクが、企業組織には本質的に内在しているのです。これが『コンピテンシー・トラップ』と呼ばれる命題です」
『コンピテンシー・トラップ』の命題を、5年前の某弊社に捧げよう...
経営学のコンセンサスの一つに「イノベーションを生み出す一つの方法は、すでに存在している知と知を組み合わせることである」ということがあるそうだ。実はこれと全く同じ事を星新一が自分の小説を書く方法として語っている。また、イノベーションという概念の生みの親ともいえるシュンペーターも次のように述べているそうだ。
「他のものを創造すること、あるいは同じものを異なる方法で創造することは、これらの構成素材・影響要素を異なるやり方で組み合わせることである。いわゆる開発とは、新しい組合せを試みることにほかならない」
欧米亜ではビジネスを科学的に研究しようとしてますが、なぜか日本では少ないようですね。
日本、米国、欧州はそれぞれ企業文化も違うので、ビジネスの科学的な研究の結果をそのまま日本に持ち込んでもうまくいかないかもしれませんが、少なくとも科学的に研究する手法には学ぶべき点は多いと思います。
日本企業では、一人ひとりはとても優秀なのに、それを活かせなくて全体としてはパフォーマンスが悪いという例が多いんじゃないかと思います。マネジメントを科学的に研究する米国の手法をうまく活かせば、日本企業にはまだ伸びしろがあるんじゃなかろうかと感じているところです。