日経平均も16000円近くまで行った後、13000円まで急落したり、ドル円の為替も100円割れてきたりと、アベノミクスを囃した相場に早くも終わった感が強まる今日この頃。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。今日の日経経済教室に池尾氏の投稿が出ていて、まさに氏のおっしゃる通りと感じました。いくつか抜粋。
「資産市場の動揺がさらに拡大し、継続するようだと、実体経済の回復を阻害するものともなりかねない。
はたして金利は下がるのか上がるのか。債券市場参加者のメーンシナリオは、今回の大胆な金融緩和によっても早期の物価目標達成は困難だというものだと思われるが、金融政策当局がそれなりの決意をもって実施している政策が効果を上げないと決め付けるわけにも行かない。
政策が効果を上げる場合も考慮に入れる必要がある。その場合には、長期国債利回りは、物価上昇率を完全に織り込まなくても、上昇しないということはありえない。すると、現在国債を購入すれば、近い将来には評価損を被る。であれば、いまは国債は買えないことになる。
ということで、手持ちの長期国債を日銀に売却した後は、しばらく資金を短期運用に滞留させ、様子見を決め込んだ金融機関が多数であったとみられる。そのために、国債市場の流動性は低下し、ちょっとしたことで価格が乱高下する状況が生まれた。
その結果としての債券価格の変動性の高まりがさらに民間金融機関を国債市場から遠ざけることになる悪循環が生じている。国債市場の混乱は株式市場にも影響している。それゆえ、国債市場の流動性を回復し、価格の変動性を低下させることが火急の課題となっている。しかし、その実現には金利動向に関する方向感が定まらなければならない。
そのためには、金融政策当局は、今回の政策の波及経路と出口戦略について、もっと詳細に説明し、民間金融機関などとの間で認識を共有する必要がある。今回の金融緩和は確かに大胆なものかもしれないが、それがどのようなルートで所期の成果を上げることにつながるかについては、きわめて素っ気ない説明しかなされてない。
例えば、4月4日付けの日銀の声明文は「今回決定した『量的・質的金融緩和』は(中略)長めの金利や資産価格などを通じた波及ルートに加え、市場や経済主体の期待を抜本的に転換させる効果が期待できる」としか述べていない。これだけでは、長めの金利や資産価格などを通じた波及ルートが、定量的にどのくらいの大きさのものだと見込まれているのかは分からない。
また、「市場や経済主体の期待を抜本的に転換させる効果が期待できる」といわれても、どうして期待できるのかは不明である。「中央銀行が真剣になればインフレ期待は高められる」という向きもあるが、気合さえ入れれば信じてもらえるというだけでは、とうていロジカルな主張だとはいいがたい。
もっとメカニズムを明示した説明がなされなければ、将来の長期金利の見通しについて、民間の金融機関が安定した予想を形成することは不可能である。同様に出口戦略が明確でないことも、予想形成を難しくしている。
終点が分からなければ、始点と終点を結んだ経路は描けない。終戦のイメージも明らかでないままに、戦争を始めるのは、大胆ではなく、単なる無謀でしかない。
債券市場参加者の大半は、愚民ではなく、むしろ理知的な人々である。そうした人々を「知らしむべからず、よらしむべし」的な姿勢でコントロールできると過信すべきではない。資産価格の安定のためには、政策の波及ルートに関する論理的な・数量的な説明が不可欠である。
資産市場の不安定性がいましばらく続けることは「期待への働きかけ」頼みの政策の限界として避けがたい現象だと諦念せざるを得ない。
長期金利に関しては、市場参加者がきわめて広範囲に及んでいることから、中央銀行が有力なプレーヤーであることは疑いないとしても、必ずしも支配的な影響力を持っているわけではない。この点について黒田日銀は、やや高をくくっていた感じがある。
量的・質的金融緩和そのものが、ベースマネーを増やしさえすればインフレ期待が高まるはずだという貨幣数量説的な発想に基づいており、金利メカニズムへの関心は乏しかったとみられる。そのことに対して、現実の債券市場の反応ぶりによってしっぺ返しを受けたというのが、現下の状況だといえる。
中央銀行が資産市場を「衝撃と畏怖」によって従属させてしまうことはできない。中央銀行は、市場の中にあってその機能を生かしつつ、自らの意図を実現するように行動するのが、本来の姿である。市場関係者が望んでいるのは、日銀がそうした本来の姿に復帰することであろう。」
2013年6月6日木曜日
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