2013年7月29日月曜日

数理ファイナンスと動的計画法のお勧め参考書

「微積、線形代数、統計学、常微分方程式までは勉強しました。 大村先生の本で一通りファイナンスの基礎を学んだのですが、なんとかHJB方程式などの数理ファイナンスにも挑戦してみたいのですが、そういったレベルに到達するまでのステップごとの本を教えて頂けませんでしょうか?」
という質問をいただきましたので、少し考えてみました。

以前にも
「数理ファイナンスの効率的な勉強法」
という投稿をしたのですが、今読むとあまり親切な書き方ではなかったなと思います。

《確率と確率過程》
数理ファイナンスの勉強を始めると同時に「確率と確率過程」についてきちんと理解しておくのが望ましいです。
『確率と確率過程』伏見(2004)
『Basic Stochastic Processes』Brzeniak and Zastawniak(1999)

《数理ファイナンス・初級》
おそらく大村先生の本はこのレベルだと思います。
『数理ファイナンス入門―離散時間モデル』Pliska(2001) ←お勧め。
『ファイナンスのための確率解析Ⅰ』シュリーヴ(2006)
『企業価値評価と意思決定』本多(2005)

《数理ファイナンス・中級》
『ファイナンスのための確率解析Ⅱ』シュリーヴ(2006) ←お勧め。
『ファイナンスへの確率解析Ⅱ』ラムベルトン&ラペール(2000) ←お勧め。
『数理ファイナンスの基礎』ビョルク(2006) ただ、これは抄訳なので原著『Arbitrage Theory in Continuous Time』をお勧め
『デリバティブ価格理論』バクスター&レニー(2001)
『ファイナンスの確率解析入門』藤田(2002) これは、自分で誤植をチェックしながら...

《数理ファイナンス・上級》
『資産価格の理論』ダフィー(1998) ←お薦め
『確率微分方程式』エクセンダール(1999)
『数理ファイナンスの基礎』国友、高橋(2003)
『確率解析とファイナンス』岩城(2008)
『Methods of Mathematical Finance』Karatzas & Shreve(1998)

《動的計画法・入門》
『経済学のための最適化理論入門』西村(1990)
『経済理論における最適化』ディキシット(1997)
『Numerical Methods in Economics』Judd(1998) ←お薦め
『Numerical Methods in Finance and Economics』Brandimate(2006)

《動的計画法・ファイナンス、経済学への応用》
『Dynamic Economics』Adda & Cooper(2003) ←お薦め
『Optimal Portfolios』Korn(1997)
『投資決定理論とリアルオプション』ディキスト&ピンディク(1994)
『Dynamic Macroeconomic Theory』Sargent(1987)
『Recursive Macroeconomic THeory』Ljungqvist & Sargent(2004)

《動的計画法・上級》
『Stochastic Controls』Yong & Zhou(1999)
『Controlled Markov Processes and Viscosity Solutions』Fleming & Soner(2006)

2013年7月28日日曜日

フィリップ・コトラー「マーケティングは日本を救うか」

世界的なマーケティング学者のコトラー氏は、来日した際はたっての希望でJR東京駅の駅ナカを視察。「世界中の鉄道事業者が参考にすべきだ」と感想を語ったそうだ。また日本のマーケティング研究者は「事例や理論を世界にもっと発信すべきだ」と言う。
日本社会はマーケティングの考えを矮小化する傾向、はたしかにあるかもしれませんねえ。某弊社のマーケティングをみるにつけ、ため息しかでてきません...
1990年以降の日本の低迷期はどこに問題があったのか、という問いにコトラー氏が答えています。
「70年代から80年代の日本企業は『よりよい製品をより安く作る』ことにかけてチャンピオンだった。当時はそれだけで欧米のメーカーと違いを出すことができた。日本国内だけで十分な収益を上げることができ、一部の消費財では輸出に注力しなかったのも理由。成功したことで若干、守りに入っていた。失敗を恐れすぎている。そこからは成長は望めない。チャンピオンということで驕慢にもなっていた。
そして最も重要な事は戦後の日本を牽引してきた松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫のような創業者でクリエーティブな考えを持つ人材の系譜が途絶えてしまったことだ。
(60年代に)マーケティングに必要な4つのP(プロダクト=製品、プライス=価格、プレイス=流通、プロモーション=販売促進)を提唱したが、日本ではまだ理解が進んでいない気がする。マーケティングそのもののステータス(地位)が低い。
どうもマーケティングをプロモーションとだけ捉え、テレビで30秒の広告を打てばいいと考えているだけのビジネスパーソンが多くいる。マーケティング担当者が果たして製品開発にまで入り込んでいるだろうか。価格や流通の販路(チャンネル)の決定についても関与の度合いが弱い。
マーケティングの担当者は経営全般に深く関わるべきだが、日本の企業の大半ではそれにふさわしい職種となっていない。米国などではCMOという役職があるが、日本でCMOを据える会社はごく一部だ。
日本の経営者はおそらく、マーケティングは営業部門が受け持つと考えてるのだろう。そうではなくて、CMOは市場と深く関わり、どのような商品を先々作るのかということに参画しなくてはいけない。さらに新製品を投入する時期やチャンスを見極めて、新製品のポートフォリオ(組み合わせ)を最適化することも求められる。顧客の声の把握だけでなく、技術の進歩にも精通し、新しい技術を商品開発に持ち込む力量も問われる。
CMOは経営の意思決定を行う立場にいて、このキャリアを経てからCEOに就いて経営全般を見るのがいいと考えている。
(日本にCMOにふさわしい人材が育ちにくいのは経営トップが)マーケティングによって製品や組織を変えることができることを認識していないからだ。違いを打ち出せるはずなのに、そのことが分かっていない。マーケティングをサービス機能やコミュニケーションの手段だと捉え、企業が目指すべき重要な役割を担えることに気づいてない。
顧客増が大切なのだ。先進国ではさまざまな商品やサービスがあふれている。なぜ、そうした環境で売れないのかを考えれば答えはこうなる『自分の会社に目を向けてくれる顧客が少ない』のだ。足りなければ顧客を増やすしかない。
自社について顧客により深く理解してもらい、頼るくらいの特別な感情を持ってもらうまでの関係を気づくことが大切。あるアウトドア用品メーカーは長く使った用品でも満足していなければ返品を受け付けている。『この会社は自分のためにここまでやってくれるのか』と思ってもらうことだ。」
(もっと顧客を増やす手段は)「新興国への取り組みだ。これまでのマーケティングはお金のある先進国などにいる20億人を対象としてきた。これからは新興国などの50億人も含めて考えるべきだ。」

2013年7月24日水曜日

(メモ)ニュー・ケインジアン・モデル関連のいくつかの論文

"Monopolistic Competition and the Effects of Aggregate Demand" Blanchard and Kiyotaki (1987) (PDF) 

"The Quantitative Analytics of the Basic Neomonetarist Model" Kimball(1996)

"An Optimization-Based Econometric Framework for the Evaluation of Monetary Policy" Rotemberg, Woodford (1997) (PDF)

"The Science of Monetary Policy: A New Keynesian Perspective" Clarida, Gali, Gertler (1999)

"Inflation Dynamics: A Structural Econometric Analysis" Gali and Gertler (2000)

池尾氏の『連続講義・デフレと経済政策』

副題は『アベノミクスの経済分析』です。編集者との対談形式になっていて大変読みやすくなっています。経済や経済学のことよく分からないけどアベノミクスについては興味があるという人は、とりあえず池尾氏の『連続講義・デフレと経済政策(アベノミクスの経済分析)』だけ読んどけば十分な気がしますね。

それから前にブログで紹介した本について質問を受けたのですが、脇田成氏の『マクロ経済学のパースペクティブ』はマクロ経済学の骨組みと言うかエッセンスを抜き出して直感的に理解させようという良い本だと思います。『マクロ経済学のパースペクティブ』で全体像を把握してからローマーの『上級マクロ経済学』などに行くのがいいんじゃないでしょうか。残念ながら『マクロ経済学のパースペクティブ』は絶版ですが。

以下、池尾(2013)を中心としたメモ。

「中央銀行の実務には詳しくなくて、マクロ経済学しか学んだことのない人達の中には、中央銀行が貨幣ストックを自由に操作できるものだと思っている人が少なくないようです」
「貨幣ストックが内生変数であるという議論を「日銀理論」とか呼んで、それは標準的な経済学の理論とは異なるといった議論をする人がいますが、それはその人が標準的な経済学の理論と考えているのがIS・LMモデルだっりして、ずいぶんと古いがゆえの的外れな議論だと思います」
「(不良債権問題やアジア金融危機など)これらの経験をしながら、日本の経済学者が金融仲介機構の重要性と金融仲介機構の存在をマクロ経済モデルの中に取り入れることの必要性をほとんど主張してこなかったことは、真摯に反省しなければならないと考えます」
「新興国との競合や要素価格均等化というのは、実物的な圧力です。言い換えると、こうした圧力を金融政策のような貨幣的な手段で阻止することはできません。名目的ではなく実質的な対応が必要になります」
「消費者物価の下落が止まっても、実質賃金の下落に歯止めがかかるとは限りません。実質賃金の下落を阻止するためには、実質的な対応、端的には輸出製造業以外の産業における労働生産性の速やかな上昇を実現していかねばなりません」

「高橋財政期における日銀引受けは、売りオペ(民間金融機関への売却)を前提として行われたものでした。高橋自信は日銀保有国債の民間金融機関への売りオペにも腐心していました。その結果、実際にも日銀は速やかに引受けた国債の市中売却を進め高橋財政期中は総引受額のほぼ90%を売却しています」
「実態的には国債は市中消化されていたので、国債の日銀引き受けにもかかわらず財政赤字のマネタイゼーションは抑制されていました。ベースマネーの増加も、それ以前の緊縮政策によって収縮していた分を回復させた程度にとどまっています。著増していくのは、高橋死後の戦時体制化においてです」
「高橋是清の業績を持ち出して財政赤字のマネタイゼーションを主張するのは、史実の歪曲であると言っても過言ではないことが分かります」

池尾氏の本にはルーカス批判からRBCへの流れも分かりやすく書かれています。
「ルーカスの1976年の論文における指摘は、きわめて本質的なものだったと思います。マクロ経済学の歴史は、ルーカス批判以前とルーカス批判以後に区分してもいいと考えています」

ルーカス批判からRBCモデル、DSGEモデルの流れは『現代マクロ経済学講義』(2007)加藤涼の1章も詳しいです。
「伝統的IS-LMモデルに代表されるようなRBCモデル以前のマクロ経済学は、経済主体のミクロ的行動をモデル化したものではないため、統計的検定・推定によっても(少なくとも原理的には)モデルの妥当性や現実性をチェックすることができず、その意味では反証可能性がない論理体系によっていた」(加藤)
「このことからRBCモデル以前のマクロ経済学は科学ではなく、RBCモデル以降のDSGEモデル体系のみが反証可能性のある科学として認められる、という意味で、Prescottは「RBCモデルの登場がマクロ経済学を科学にした」とノーベル賞の受賞を誇っている」(加藤)
「RBCモデルは、実際のところ、ラムゼイ・モデルにおいて、労働供給が弾力的であるという仮定を加えた(あるいはパラメータを変化させた)だけのモデルである。以下で詳しくみるように、1財1主体モデルであり、すべての市場は完全で常に均衡している」(加藤)

齊藤、岩本、太田、柴田(2010)の『マクロ経済学』より
「ラムゼー・モデルは、抽象的すぎて現実的ではないと考えられがちであるが、経済理論と経済政策に関して実に豊かなインプリケーションを生み出しているという意味では、”マクロ経済学の玉手箱”的な存在である」(齊藤、岩本、太田、柴田 2010)
”マクロ経済学の玉手箱や~”という彦麻呂の声が聞こえた
「理論モデルの役割は、現実の経済現象を首尾よく説明することだけではない。現実をうまく説明する理論モデルが、優れた理論モデルというわけでもない。理論モデルにとってより重要なことは、その理論モデルを通して現実の経済現象を見ることによって、実際の現象を解釈し、評価することなのである。現実の経済現象を解釈し、実際の経済政策を評価する理論的枠組みを提供しているという意味で、ラムゼー・モデルは、マクロ経済学のなかで、いや、経済学全体のなかでも、もっとも成功した実践事例なのである」(齊藤、岩本、太田、柴田 2010)