2017年1月10日火曜日

『バッハ・古楽・チェロ アンナー・ビルスマは語る』

2016年11月の日経夕刊で、『バッハ・古楽・チェロ アンナー・ビルスマは語る』が紹介されていた。
「アンナー・ビルスマさんはバッハの音楽を「愛」しているから、「バッハが本当に考えていたこと」を求めずにいられない。そんな彼にとって、現代の音楽界の常識や、伝統的な解釈など足枷にすぎない。というか、バッハの音楽とは、無関係にしか思えないに違いない。だからこそ《無伴奏チェロ組曲》を弾くうえで、市販の楽譜では飽き足らず、バッハが実際に手にし、見たと思われる、夫人のアンナ・マグダレーナ・バッハによる写本にこだわり、そこからバッハの本当の創作意図を見極めようとするのである。このアンナ・マグダレーナ写本は、現在のバッハ研究では、筆記ミスの多い不正確な資料と見られている。そのため、出版譜の多くは、校訂者が自分なりの解釈をほどこしたものとなっており、また実際の演奏でも、ほとんどの奏者が自己流の解釈を加えてしまっている。
しかし、ビルスマさんはバッハを愛しているからこそ、その「バッハが愛した妻」が一所懸命に書き写した筆写譜を、無下に「間違いだらけ」と退けることができないのである」

図書館で借りて読んだところ、非常に面白かったので購入。未発表ライブのCD付き。

ビルスマはシモン・ゴルトベルクと一緒に住んでいたことがあった。ゴルトベルクはネーデルラント室内管弦楽団のコンサートマスターで、ビススマもメンバーだった。ゴルトベルクは旧日本軍により、1945年までジャワ島で抑留されていた。
ゴルトベルクはそこで、みんなを集めて、楽譜なんかも全部自分で用意してベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏した。戦後、ゴルトベルクは日本の音楽大学でマスターコースを開催した。そのときの通訳の日本人ピアニスト山根美代子と彼は結婚した。
ゴルトベルク山根美代子は音楽評論家・山根銀二の姪。ラザール・レヴィに才能を評価されてパリ国立高等音楽院に留学したピアニスト。ルドルフ・ゼルキンに師事。1988年にゴルトベルクと結婚。
ゴルトベルクは、フルトヴェングラーのコンサートマスターでもあった。ある日ゴルトベルクが、「私は、ほとんどの人間があまり好きじゃないんだけれども、ひとりだけ、神と崇めているひとがいる。それは、フルトヴェングラーだ」と言ったことがあった。

オランダで古楽が盛んになった理由
ビルスマ「オランダは小国ゆえ、フランス、ドイツ、イタリアといった隣国の大国文化に憧れがある。そのために母国人よりも、その国の文化を真剣に学ぼうという気持ちが強いし、小国では大国の言語や文化が流入し、子どもの頃から身近にあるんだ。そして、小国の人びとには、相手の文化の特徴をつかむ国民性のようなものがあるね。
それから、小さな国というのは、雰囲気がのんびりしているということだろうか。ベルリンやパリやロンドンで仕事に失敗したら、もう二度とお声がかからないと思うが、オランダなら、なんとか食べていける。
いずれにせよ、オランダで古楽が盛んになったのは、雰囲気がリラックスしていたからだと思うんだ。そうした雰囲気だと、「実験」や「挑戦」がしやすい。また、古楽は、小さなホールですむから、予算的にもそれほど負担じゃないからね(笑)」

アンナー・ビルスマがワシントンDCのアメリカ議会図書館で演奏会をしたとき、ケネス・スローイックが「議会図書館のストラディヴァリウスをお弾きになったことはありますか?」と言ってきた。ビルスマは「いえ、ありませんし、私はこれまで、どんなストラディヴァリウスも弾いたことはありません」
スローイックは「ここのストラディヴァリウスはとても素晴らしい楽器なんですよ。是非弾いて下さいよ」と誘ってきた。そこで演奏会後の午後に試しに弾いてみることにしたんだ。そしたら最高なんだよ(笑)。もしこの楽器があったら、どんなにすごい演奏会ができるだろうか、そう思ってしまったんだ。
スローイックは「もうひとつ別のが、スミソニアン博物館にありますよ。それは昔、アドリアン・フランソワ・セルヴェが愛用していた楽器なので、『セルヴェ』ストラディヴァリウスと呼ばれています。普通のチェロよりずっと大きな楽器です。弾いてみますか?」と言った。
「そこで弾いてみることにしたんだが、C線で低いd# を弾いてみたら、最初、何が起きたのか、わからなかった。この世とは思えぬ、素晴らしい音がしたんだ。そして、たった一音だけで、館内にいた大勢の人びとがいっせいにこちらを振り返った。
その日の午後、私は夢中になってこの「セルヴェ」で、知っている限りの楽曲を弾きまくったんだ。素晴らしい・・・信じられない楽器だったよ。以来、たびたびこの楽器で演奏をおこなっているんだ」
「ふつうの寸法のチェロはね、ストラディヴァリが1710年頃に開発したんだ。それまでのチェロは、ストラディヴァリの新しいタイプとくらべると、一回り大きくて「バセット」と呼ばれていた。「ヴィオローネ」と呼ばれることもあったらしい。
セルヴェのストラディヴァリウスは1701年に制作された楽器で、やはり、こうした「バセット」あるいは「バス・ド・ヴィオロン」の一挺なんだよ。

初めて日本に行ったとき、正直に言えば、私たちは西洋人だし、極東の日本の演奏家よりも、われわれのほうが西洋音楽を知っていると思っていたんだ。しかし、そんな思いは、もう完全になくなってしまったね。
西洋の演奏家が、他の国の音楽家より何かを知っているなどということは、もうない。音楽において世界はひとつなんだ。国の東西や国籍は関係なく、上手い人が良い演奏をするだけなんだよ。
われわれ音楽家は世界中に行って演奏をし、さまざまな国の人々に会い、またその文化を実際に体験している。だから音楽家からすると、政治家や国家がいがみ合いや争いをしている理由がわからないんだよ。第一次世界大戦、第二次世界大戦と、何度も争っているのに、いまだにやめることを知らない。政治家や国家が戦っている相手の国で、われわれは音楽を演奏しているんだ。人びとが交流を果たしているじゃないか。音楽家のほうが、よほど政治家よりも進歩しているんじゃないかと思うよ。
日本の聴衆は非常に礼儀正しい。ブリュッヘンが日本で初めての演奏会をおこなったとき、開演直前の舞台袖で待機しているとなにも物音が聞こえなかったそうだ。彼は「今日は、お客が誰もいないのかな?」と思ったらしい。ところが舞台に出ると客席は満員。満席の観衆が物音立てず静かに音楽を待っていた」

ビルスマ「そもそも楽譜というのは、ただ音符がいくつか並んでいるだけだろう?それでもこれが音楽作品として鳴り響くのは、演奏者がその音符を結び合わせてゆくからなんだ。そのためには、作品の演奏された状況や、作曲されたときの時代背景といった「つながり」を意識する必要がある」
渡邉順生「こうした中小作曲家の作品に取り組む場合には、大作曲家の名曲以上に、その当時の音楽語法に通暁している必要がありますね?」
ビルスマ「そのとおりだ。それから、、当時の人びとのメンタリティも音楽に関係してくる。それは音楽が「つながり」の強い性質を持っているからだ」
ビルスマ「良い音楽はみな「言葉」になっている。バッハの音楽の場合、リズム的和声的な複合体として書かれていて、特に拍節を重視し短いスラーを意図的にたくさん使用することで音型を言葉の音節レヴェルにまで短くしているんだ。だから、彼の無伴奏チェロ組曲は「語る」音楽として演奏すべきなんだ。
私の嫌いな音楽は、言葉がなくて、「歌うだけの音楽」だ。たとえばワーグナーとかメシアンの音楽。もちろん彼らは間違いなく天才なんだ。ただ、私は好きになれないね(笑)。
ここで注意しないといけないのは、いくら「語る」といっても、「自分のこと」を語ってはいけない。「物語」を語るんだ。たとえば、バッハの無伴奏チェロ組曲を演奏しながら、演奏家が自分のなかで抱えている「悩み」を語ってはいけないし、自分の「これまでの人生」を語るのもおかしい。
「語る」演奏は、すべての音楽に当てはまると言っていい。逆に言えば、「語る」音楽は、たいてい「良い音楽」なんだ。ダメなオペラのように「歌う」音楽は、歌詞がわからなくなるんだ。
「語る」音楽なら、物事の理由を説明することになる。そして「説明をする」ということは、演奏者だけでなく「聴き手」も必ず存在するということ。つまり、そこには聴衆との対話があるんだ。しかし「歌う」音楽は、独りよがりなので、聴き手がいようがいまいが関係ない。聴衆からの反応も不要だ。
でも、そんなのは退屈じゃないか。こうした「語る」音楽を、もっともよく知っていたのは、バッハだ。バッハの無伴奏ヴァイオリン作品や無伴奏チェロ作品は、じっさいに楽譜に書かれた音符の数以上に語っている。バッハの音符は、相互に因果関係があり、論理的に構築されている。
だからバッハの無伴奏作品を演奏するとき、会場は「静か」なんだ。それは、演奏者と聴衆が一緒になって作品を作り上げているから。つまり、演奏者がこの作品を演奏するためには、聴衆が不可欠なんだよ。
バッハは、ときどき演奏不可能な楽譜を書くことがある。たとえば、彼の無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番の第1楽章の最終小節には四つの全音符による和音が書かれているんだけれども、ヴァイオリンは四本の弦を同時に弾くことはできないから、「四つの音」を同時に鳴らすことはできない。
つまり「楽譜どおりに弾くこと」ができないんだ。そこで、演奏者は工夫をして、四つの音を「一音」と「三音」にわけて、素早く弾くことで、四音が同時に鳴っているような感じを伝えようとし、聴衆は足りないものを頭のなかで補って、最終和音が聴こえたような印象を持つんだ。
さて、われわれは、すでに問題の核心に来ているよ。演奏というのは、どうやって作品と「聴衆の想像力」の間に架け橋を渡すか、ということなんだ。つまり、聴衆のイマジネーションのなかに「作品の真の姿」を立ち昇らせることだ。これは、とてても素晴らしい仕事だ」

バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタの自筆譜と妻アンナ・マクダレーナ写本 


↑はバッハが訂正したスラー(短かったものを伸ばした)を、アンナ・マクダレーナが忠実に写本したことが窺える。本当は一本の長いスラーに訂正して写せばいいものを、弦楽器は演奏しなかったアンナ・マクダレーナはバッハの自筆譜に忠実に写本したと思われる。

ビルスマ「バッハの無伴奏チェロ組曲第3番プレリュードは、右手の名人芸を示す最高の見本だね。まるでヴァイオリン奏者が、熟練したボウイングを披露するかのようだ。この曲と無伴奏ヴァイオリン・パルティータのプレリュードは、いわば「戦友」のようだね。

これを見ると、バッハはなんというヴァイオリン奏者だったのかと思うね。これほどまでに弓のアップ・ダウンにこだわった作曲家が、はたしていただろうか?。

弦楽器の音楽的思考は、この弓のアップとダウンで2つに分かれるんだ。弓のアップ・ダウンで、いわば「息を吸う」と「息をはく」の「音楽の呼吸」が表現できる。そして、ボウイングとスラーによって、楽曲本来のリズムとは異なった、副次的リズムを音楽に与えてゆくんだね」

無伴奏チェロ組曲第4番のアルマンドで、「さらに削ぎ落された音楽になっているね。つまり、バッハはもっと少ない音で表現をおこなおうとしているわけだ。ゲーテの有名な言葉に「制限があってこそ初めて達人の真価が発揮される」というのがあるんだが、まさにこれのことだね。
バッハの場合、すべてのスラーは意図的に、そして入念に書かれているので、慎重にしたがう必要があるんだよ。

バッハは、自分の音楽を、完璧に楽譜に刻み込もうと執着した人物だ。彼にとって「一貫性」は「誠実」と同義だったにちがいない」

ビルスマ「「文化」と「芸術」の違いについて確認しておこう。今日、「文化」と「芸術」はだいぶ違うものになってしまった。「文化」とは、言うならば「博物館」に飾られているものだ。そして文化は「芸術」から生まれるが、「文化」は芸術ではない。

「文化」と「芸術」の違いについて確認しておこう。今日、「文化」と「芸術」はだいぶ違うものになってしまった。「文化」とは、言うならば「博物館」に飾られているものだ。そして文化は「芸術」から生まれるが、「文化」は芸術ではない。「文化」とは、芸術が干からびたようなもので、「残留物」なんだ。「文化」はすでに終わったものであり、過去のもの。これに対し「芸術」は、は今まさに生み出されているもので、生命のあるものだ。こうした「芸術」は、はたして成功するかどうかわからないし、挑戦の段階にあるもので、まだ人々に評価されておらず、これからのものでもある。

ビルスマ「ベートーヴェンを理解するために、知っておかなくてはいけないことのひとつとして、音色の豊かさがあげられる。彼には、色彩を感じる無限のアイディアがあるんだが、その理由は、楽器の扱いが上手いからなんだ。

ベートーヴェンは本当に楽器のことがよく分かっていて、主題を演奏させるときでも、その楽器の特性にピッタリと合うように計算しているんだよ。だから主題の受け渡しが、本当に「自然」に、あまりにも「自然」に流れてゆくんだ。

モーツァルトはフルートが嫌いだったんだ。それで、ある人がモーツァルトに「フルートより嫌いな楽器はなんですか?」と聞いたんだ。するとモーツァルトは「二本のフルートが」と(笑)。

ボッケリーニも、ベートーヴェンも、二人とも音楽のなかで「自分のこと」を語っているんだ。ボッケリーニの音楽を弾いていると、いつも誰か「人間」が語りかけているように聴こえる。これがバッハだとそうではないんだ。つまり、「人間」の声に感じるというのは、啓蒙時代の音楽の特徴なんだ。
バッハの頃のように革命以前の音楽家は召使であって、自分の雇用主である「領主」、あるいは協会の礼拝で「神」のために音楽を書くことが基本だった」