池尾氏の第1章「金融政策」は、アベノミクスの量的質的金融緩和の経緯を振り返りそうした政策が理論通りに景気刺激策としてほとんど追加的効果を持たなかったことを議論。私の意見は池尾和人氏と全く同じです。
円高是正、株高、景気回復など「こうした経済の好転を大胆な金融緩和の成果であると主張して、この間の金融政策運営を正当化しようという向きもあるが、どのような波及経路で(当初の意図のようにインフレ期待や実際の物価は上がらなかったにもかかわらず)好転につながったのかを説明すべきであろう」
2001年3月から06年3月にかけて日銀が世界で最初に実施した量的緩和政策は、端的にいうと短期国債と準備預金の交換を行うもので、政策金利がゼロになっている状況では短期国債と準備預金はほとんど同等だから、それらを交換しても特段の効果が生じず、景気刺激効果はほとんどない。
長期国債と準備預金であれば、金融資産としての特性にはまだ違いがあるが、「QQE開始時点ですでに長期金利は1%を割り込む水準にあったために、定量的には大きな追加的効果が見込まれるものではなかった」
当初のQQEの狙いの中心は、人々のインフレ期待に働きかけることにあり、長期金利の低下を図ることは副次的なものだった。しかしどうしてQQEに「市場や経済主体の期待を抜本的に転換させる効果が期待できる」のか。そうした主張はきわめてずさんな論理に基づくものでしかない。
その論理というのは、中央銀行が「責任をもって約束」を行い、それを裏付ける行動としてマネタリーベースを増加させれば、予想インフレ率が上昇するというものである。これはあまりに精神論的な議論である。
中央銀行が2%のインフレ目標に強くコミットするといっても、それを達成する手立てをもっていなければ、単なる決意表明にすぎず、それを信じるに値するものだとはいえないことを無視している。
ゼロ金利制約に直面しているときには、信用乗数メカニズムも、貨幣数量説的関係も、ともに成立するとは考えられない。したがって、ゼロ金利制約に直面しているときに、マネタリーベースが増えたからといってインフレ期待を引き上げる合理的な根拠は存在しない。
2012年11月以降の円高是正、株価上昇は人々や企業のマインド改善に寄与したが、「それらがもっぱら日本の経済政策の結果であると考えることは正しくない。とくに為替は、相手のある話で、日本側の要因だけで決まるものではない」
為替レートに影響する重要な要因は①ファンダメンタルズ、②内外金利差、③リスク・プレミアム。このうち内外金利差については90年代以降、日本の短期金利はゼロ近傍にありそれ以下の低下余地は存在しないので、もっぱら米国の金利要因によって決定されるかたちになってきた。
「リーマンショックの直後は米国金利の急激な低下と世界的なリスク回避傾向の強まりから、著しいドル安円高がもたらされることとなった。このリーマンショック直後のドル安円高に対して日本側でとれる有効な対抗措置はなかったと筆者は考えている」
日銀がマネタリーベースを米国と比肩するペースで増やさなかったから円高が進行したとの批判が存在するが、通貨の供給量の大小が為替レートに影響するとすれば狭義の通貨供給量であるマネタリーベースではなくより広義の通貨供給量が想定されなければならない。
ゼロ金利制約に直面していて「信用乗数が大きく変動する状況においては、そうした相関は期待できない。実際に、日米のいずれかが量的緩和政策をとっていた時期には、ソロス・チャートは成り立っていない。それゆえ、上記のような批判は根拠のないものである」
東日本大震災で原発の稼働が停止し、化石燃料の輸入が増加したことから、日本の貿易収支は黒字から赤字基調が定着し、経常収支の黒字幅もわずかなものに転じた。為替レートもファンダメンタルズの変化に応じて円安になってしかるべきだったが、実際には円高基調のままミスプライシングになっていた。
安倍政権の登場とアベノミクスの提唱はミスプライシング是正のきっかけを与えるものとなった。欧州の信用不安小康から海外投資家がリスク・オンに転換したことも円高是正に貢献した。2013年4月からQQEが開始されてたが、マネタリーベースが実際に増える前に円高是正は止まった。
2013年度は高い実質経済成長率を達成したが2014年4月に消費税が5%から8%に引き上げられると、経済成長は失速した。これは消費増税前の駆け込み需要が発生したため2013年度が上振れし増税後にその反動が起きたため。消費税引き上げで民間の失った購買力は政府によって支出される。
2年程度で決着をつけて手仕舞うという公算は外れ、短期決戦から否応なしに持久戦にならざるを得なくなったが、年間80兆円ペースの国債購入は何年にもわたって続けられるものではなくQQEは持久戦に不向き。そこで2016年1月末に唐突にマイナス金利政策が導入された。
問題はマイナス金利がQQEに上乗せされるかたちで実施されたこと。日銀の潜在的な損失(招待の償還差損)は増大。多くの金融機関にとっては運用金利の低下で収益を圧迫されることになり、マイナス金利の評判はきわめて芳しくない。
筆者は、単独でみたQQEの追加的効果はきわめて限定的だと考えている。やっていることは、民間が保有する公債の満期構成を短縮化しているだけだから。効果は乏しいから副作用もそんなに心配することはない。ハイパーインフレになるとも思えない。
ただし、財政政策、国債管理政策としてみると、やっていることは足元の景気刺激効果だけを期待した短期志向なものになっており、持続可能性を欠いたままの状況が続いている。金利上昇が起こると、問題が急激に顕在化する懸念がある。金融緩和の結果としてのインフレはないが財政インフレのリスクはある。