2019年8月25日日曜日

『市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像』

竹中平蔵のことはよく知らなかったのだけれど、ここまでひどいとは…

「結局、金融行政の最高責任者だった竹中が果たした役割は、ウォール街の雄であるゴールドマン・サックスを日本に呼び込むことだったのである」
三井住友とゴールドマンの取引も不可解。社内の反対を押しきって西川頭取が独断で決めたらしいけれど。

慶応の池尾先生は、通称「竹中プラン」の当初の特命チームに招かれていたが、リソースの増強のないまま不良債権処理を進めようとする竹中の意見を聞いて辞退している。さすがですね。

池尾「それなら柳澤前大臣がやった以上のことはできないと考えた。竹中さんは『政治的にどう打ち出すかを考えているので』という言い方だった。私は、そういうものを経済政策だとは思わないので、それであれば辞めますと言ったのです」

竹中は処女作『研究開発と設備投資の経済学』で鈴木和志との共著論文の内容を自分だけの成果であるかのように載せている。それを知って激しいショックを受けた鈴木は宇沢や同僚たちがいる前で泣き出してしまった。
他人が作成したグラフも勝手に拝借して載せている。学者として最低ですねえ。
『研究開発と設備投資の経済学』を竹中は博士論文として一橋大学経済学部に提出したが、不合格だった。

竹中はコロンビア大学ビジネススクールの客員研究員だったが、事実上できることといえば大学の図書館で本を読む程度。「コロンビア大学の客員研究員といえば、実態を知らない人はありがたがるけど、実際には図書館で本も借りられない。借りるにはまたお金を払わないといけないんです」
アメリカの大学の客員研究員だったという肩書をちらつかせる人がいるけど、大したことないこともあるということは知られていてもいいですね。

「ところが竹中は、「実ははっきり言うと、今、郵政の民営化をする必要はないんです」と言う」
じゃあなんで民営化したのよという話。あきれてしまう。

「繰り延べ税金資産は、貸し倒れ引当金に課税される税金分を、将来還付されるという前提のもとで計上する資産だ」
りそなに公的資金を投入するときに、朝日監査法人でりそなを担当者していた平田さんが自殺している。かわいそうに。
りそなは竹中と木村剛のスケープゴートとして経営破綻させられてしまった形。りそなの監査法人は朝日と新日本だった。朝日で担当していた平田は「四項但し書き」、つまり課税所得5年分を認める考えだったが、朝日の幹部と木村が通じていて、りそなの繰り延べ税金資産を認めないという経営判断をした。
平田は自殺し、朝日監査法人はりそなの監査を辞退した。新日本監査法人は当初、課税所得5年分の繰り延べ税金資産を認める方針だった。しかし朝日が唐突に辞退したことで新日本の監査現場が混乱し、繰り延べ税金資産を課税所得の三年分まで減らす結論を出した。

竹中と木村は、自らの手は汚さず、監査法人を指嗾して銀行を破綻させ、公的資金投入を実現した。

木村剛は金融庁顧問をしながら、銀行免許のコンサルティングビジネスで稼いでいた。落合伸治が『日本振興銀行』を設立するのを手伝い、後に落合を追放して同行の経営者となるが2010年に破綻する。木村自身も、金融庁の検査を妨害したとして逮捕され、執行猶予三年、懲役一年の有罪判決を受ける。

小泉首相の秘書の飯島は、しばしば「小泉総理からの指示」という切り札を用いて、竹中が自分の意見を押し通してきたことに不信感を抱いていた。竹中が次の首相候補の安倍に取り入ろうとするのを見て、小泉に直接進言した。
「竹中さんは信用できない部分があります。総理と会ったあとに総理の言葉を正確に伝えていない場合があります」。飯島から進言を受けたあと、小泉は竹中と少し距離をとるようになったという。

クルーグマンは、日本経済の問題は十分な需要がないことと考えていた。需要サイドをおろそかにし、供給サイドの政策ばかりに注目する小泉内閣を疑問視していた。構造改革のイデオローグとなっている経済学者出身の竹中大臣は誤りを犯していると考えていた。
元FRB副議長でプリンストン大学教授のアラン・ブラインダーも「構造改革と同時に需要も喚起する二元戦略が必要だ」とアドバイスしていた。

当時トヨタ会長で日本経団連会長でもあった奥田氏は、竹中が決めた日本郵政への抜粋人事に腐心感を露わにした。「竹中が動くときには必ずうしろにカネの話があるんだ」と言っていた。経団連会長としての記者会見で「金融機関のトップは利害関係があるので資格がないのではないか」と発言した。
トヨタの奥田会長が懸念したことは現実となり、西川は三井住友銀行の部下だった銀行員を日本郵政の幹部に登用した。
日本の場合、製造業の経営者は比較的正常な経営感覚なのに対して、金融機関の経営者はダメダメですねえ。

オリックスの宮内義彦は小泉純一郎や竹中と親しく、日本郵政の「かんぽの宿」などを異常に安い値段で譲り受ける契約を結んだ。これに鳩山邦夫総務大臣が反対して白紙となり、マスメディアや国会で「郵政民営化」疑惑として激しく追及された。

小泉ー竹中の「構造改革」というのは、極端な財政緊縮路線で、ほとんど必然性のない「痛み」を人々に与えて生活を疲弊させることで「改革」に目覚めさせようとしているかに映った。小泉が財政緊縮路線に固執したことで、日本銀行への圧力はすさまじいものとなった。財政禁じ手で過度に金融政策に依存。
「じつは、五年半におよぶ小泉長期政権の歩みは、異常ともいえる「超低金利」時代と軌を一にしていた。日銀による大量のマネー供給が「構造改革」の通奏低音なのである。日銀は小泉純一郎内閣が発足する直前にあたる2001年3月、未踏の領域だった「量的緩和政策」に踏み切っている」

日銀が「量的緩和」に踏み出す決定をした2001年3月の金融政策決定会合で、副総裁の山口は「追加的な緩和の余地が大いに生まれてくるような、ある種のイリュージョンを与えることにもなりかねない」と「量的緩和」に疑問を呈した。

小泉内閣が初めての経済政策「骨太の方針」を発表する直前の2001年6月の金融政策決定会合に竹中が乗り込んで、日銀幹部を前にいきなりこんな発言をしている。「構造改革が動いて金融政策が動くというよりは、金融政策が一体化することによって構造改革を早めるという効果があきらかにあるわけで、とくに、これから経済がたいへんになるぞ、という一種のあおりの議論のなかで、構造改革が例えば止まってしまうというのは困るので、そういうあおりの議論をたとえば抑えるためのメッセージとしての金融政策の役割というのは、私はいまの時点では政策のフリーハンドがない時点では、非常に大きいのではないのかなと直感している」

破綻した後に、政府の管理下に置かれたりそな銀行が社外取締役として迎え入れた一人が川本裕子。マッキンゼーのコンサルタントだった川本はりそなを破綻に追い込む際、決定的な役割を果たしている。竹中の金融問題タスクフォースのメンバーだった。一方、りそな副社長の梁瀬は責任を取る形で辞任させられた後、オリックスに入社している。オリックスの経営者は竹中の盟友、宮内義彦。梁瀬はその後オリックス社長を務めている。破綻して公的資金二兆円で支援されたあと、りそなは自民党への融資を増やし自民党のメインバンクと化した。

竹中はUFJに圧力をかけ、UFJは大口問題債権のミサワホーム社長の三澤を辞めさせ、産業再生機構で債務を整理して身ぎれいになってからトヨタホームが引き取った。その後ミサワホームの新しい社長に抜擢されたのは竹中の兄の竹中宣雄だった。竹中平蔵が現職の金融担当大臣として自民党から出馬したとき、ミサワの子会社幹部らがポスター張りなどの支援をしていたことが発覚して、問題となっている。

竹中平蔵のクローニーキャピタリズムに、眩暈がしますね。

「金融維新」を唱えた木村剛は、日本振興銀行の経営者となって数々の問題を引き起こしながら、ついに2010年9月10日、日本振興銀行を破綻させた。そして、日本の金融史上初めて「ペイオフ」が適用された。預金者が預けていた資金が失われる事態となったのである。

日本初のペイオフ適用とか、とんだ「金融維新」ですねえ

銀行が破綻するわずか6か月前、木村は自らが保有する日本振興銀行の株式を1株33万5000円という法外な高値で売り抜けて、総額3億1825万円を手にしている。中小企業保証機構は日本振興銀行からの融資を元手に、木村の株を買い取った。つまり木村が手にした金は破綻寸前の日本振興銀行から引き出したカネ

どこまで腐っていのかという話

木村は逮捕された後、弁護士の口座に3億以上の資金を移して自分の財産を保全する措置を講じている。3000人以上の預金が失われる中で、木村が守り抜いたのは自分の財産だけだった。

竹中は、本来なら銀行免許を交付すべきではない日本振興銀行に交付し、その結果、預金保険機構への多大な損失と預金者への負担を招いた。

竹中は2003年に幻冬舎から出した『あしたの経済学』という本のなかで寺島実郎の『団塊の世代 わが責任と使命』の内容をパクっている。

90年代半ば近くまで、竹中は繰り返し「公共投資の拡大」を唱えていた。それはアメリカが日米構造協議で要求していたから。どころが自分がマクロ経済政策を担う経済閣僚になると一転して極端なまでの財政緊縮論者へと変貌する。

竹中は安倍政権の産業競争力会議の中核メンバーとして再び表舞台に立った。同時に、認罪派遣業界の大手、パソナグループの取締役会長を務めている。

『市場と権力』佐々木実(2013) 読了です。なかなか衝撃的な内容でした。

『市場と権力』の「おわりに」で紹介されている宇沢弘文の「混迷する近代経済学の課題」の全文は宇沢の『経済と人間の旅』で読むことができます。