『新しいマクロ経済学』齊藤誠(2006)を再読中。この本は非常に良いと思う。
(1)ケインジアン、マネタリスト、新古典派といった学派のジャーゴンではなく、普遍的なミクロ経済学の言葉でマクロ経済現象を論理的に解明し、マクロ経済政策を理論的に基礎付けている。
(2)18世紀の古典派経済学以降、長く取り組まれてきたマクロ経済学的な課題を大切にする。
(3)入門的なミクロ経済学で習得する静学的極大化問題を超える数学的テクニックを前提としない。
という編集方針の下で、様々なマクロ経済モデルを俯瞰できる。
新古典派成長モデル、ケインジアンなどを時間方向と横断方向に豊かな理論的記述を持つマクロ経済モデルという軸で解説し、内生的成長モデルが展開される過程で、新古典派成長モデルの限界としてケインジアンが指摘してきた論点の多くを新しい古典派経済学が一挙に取り込んで現在に至る流れを理解できるようになる。
第1章で、時間的、横断的な広がりに留意しながらIS-LMモデルと新古典派成長モデルの整理をしている。
第1章 マクロ経済モデルの座標軸
IS-LMモデルの構造
価格調整メカニズムを伴っているIS-LMモデルは、財市場、貨幣市場、債券市場、労働市場をバランスよく記述している。まず、名目価格や貨幣賃金が固定されたもとで、財市場、貨幣市場、債券市場のそれぞれの需給が同時にクリアーされるような経済全体の産出量(総産出量)が求められている。こうして決まってくる総産出量は総需要と呼ばれる。一方、労働市場の需給均衡を達成するのに必要とされる総産出量が求められている。この総産出量は完全雇用産出量とか、潜在的産出量と呼ばれている。
この体系の大きなポイントは、総需要水準が必ずしも潜在的産出量に一致しないことである。他の市場の需給均衡と同時に労働市場の需給一致が達成されないのは、名目価格や貨幣賃金が硬直的だからである。
IS-LMモデルでは過去の経済が現在の経済を規定している。モデルの横断的な広がりは、消費者、企業、中央銀行を含む政府が主な経済主体として、独立した行動方程式で記述されている。それぞれの主体の行動が相互に影響しあって、マクロ経済に対して乗数効果を生み出す点も特徴的である。資産市場のモデル化では、流動性プレミアムの側面のみを強調するスタンスも堅持している。
新古典派成長モデルの構造
このモデルでは、あたかも1人の代表的な個人が経済活動を行っていると仮定し、この個人が決定する経済変数がマクロ経済変数に対応していると考えられている。具体的には、あらかじめ定式化された生産技術のもとで代表的な個人(家計)が現在から将来にかけて効率的な資源配分を行うと想定し、そこで決まってくる消費や資本蓄積の経路がマクロ経済の消費や物的資本の時系列的な進行に対応すると考えている。現在と将来の異時点間の効率的な資源配分というミクロ経済学的な概念を用いて、新古典派成長モデルはマクロ経済を解釈しようとしているのである。
このモデルは貨幣資産を一切含まないので、景気循環や経済成長の実物的な要因(非貨幣的な要因)だけが分析の対象となっている。貨幣市場と実物市場を完全に二分し貨幣は実物市場に対して中立的であることを、このアプローチははじめから想定しているとも言える。
新古典派成長モデルの大きな特徴は、将来の経済の進行が現在の経済に強く反映されている点である。始めにマクロ経済が将来どのような経済状態に行き着くのかを求め(経済の定常状態)、資源配分の効率性条件を満たすように定常状態から遡って現在のマクロ経済を位置づけている。
現在の消費は将来の労働所得の関数として定式化されている。現在の投資も投資プロジェクトがもたらすであろう生産の向上分を反映している。そのために、投資による将来の生産向上分を現在の資本調達コストで除したものとして定義されるトービンのqのような指標が、投資関数の要素として入り込んでいる。
横断的な広がりが欠如していことも、このモデルの特徴。新古典派成長モデルでは、企業も政府も家計の擬制である。資産市場はモジリアーニ=ミラーの定理により、企業の資金調達計画は、消費や投資の均衡経路に一切影響を与えない。また、リカードの等価定理や中立命題として周知のように政府の資金調達計画も、消費や投資の均衡経路に影響をもたらさない。国債か増税かの選択はまったく現在の消費に影響しない。家計にとってみれば国債発行とは将来の国債償還に備えて税支払を引き延ばすことであり、現在の増税と比べれば税支払のタイミングが異なるにすぎない。
資産の収益率や利子率は、現在の消費を断念する代償と危険を引き受ける対価という2つの要素が反映している。こうした利子率決定メカニズムはIS-LMモデルのそれと大きく異なっている。IS-LMモデルでは、利子率は流動性を放棄する対価として位置づけられていたのに対して、標準的な新古典派成長モデルでは、流動性が利子率に反映する余地がない。
マクロ経済学の大混乱
IS-LMモデルと新古典派成長モデルはことごとく相反する内容を持っている。時間的な流れは一方が「過去から現在」、他方が「将来から現在」であるし、横断的な広がりは一方が、家計、企業、政府を独立に扱い、他方がそれらを一体の主体とみなしている。資産市場でも、流動性の取扱がまったく対照的である。
モデルの時間的つながり
2つのマクロ経済モデルが時間的に異なった広がりを持つ背景には、資産市場がどの程度機能しているかということが深く関わっている。資産市場が家計や企業の資金調達を円滑にするように機能しなければ、将来の所得や収益を現在の経済が繁栄する経路が絶たれ、これまで積み重ねられてきた経路が現在の消費や投資に反映される余地が高まろう。IS-LMモデルで定式化されている消費関数や投資関数は、資産市場が不完全な状態を近似しているともいえる。
モデルの横断的な広がり
代表的個人モデルが良好なマクロ経済モデルとして機能するには、資産市場が良好に機能しているということが大前提なのである。
経済外部性も、モデルの横断的な広がりを決定する上で大きな役割を果たしている。「市場を介さずにある経済主体の行動が他の主体の行動に影響を与える」と、すなわち経済主体の行動に外部性が存在すると、代表的個人モデルを想定した新古典派成長モデルとはかなり特性の違った均衡解が生まれる。様々なネットワークや労働市場のサーチ活動からこうした外部性が生まれる。このような外部性を取り扱ったモデルでは、いくつかの異なった定常均衡が存在することもしばしば起こる。どの経路を選択するのかは、ミクロ経済学的な合理性だけを手がかりに決めることができない。ケインジアンが問題としてきた名目価格の粘着性も、多くの中からたった一つの均衡経路を選び出す装置として機能することになる。この場合、名目価格の粘着性は経済合理性に一切抵触しない。
内生的成長理論への展開
1980年代後半に起きた新古典派成長理論に対する非常に内在的な批判は、景気循環論における新しい古典派とケインジアンとの対立を一挙に止揚してしまうような役割を果たした。新しい古典派の内在的な批判によって生まれてきたこれらの成長モデルは、内生的成長モデルと呼ばれている。経済成長のメカニズムが外性的な生産条件の変化ではなく、モデルの内部のメカニズムに依存していることからきている。これらのモデルの特徴は、横断的な広がりや歴史依存的な特性を有することにある。内生的成長モデルが展開される過程で、新古典派成長モデルの限界としてケインジアンが指摘してきた論点の多くを新しい古典派経済学が一挙に取り込んでしまったといってよい。