2013年9月29日日曜日

『社会科学における人間』大塚久雄

『社会科学における人間』大塚久雄の1章、「ロビンソン物語」に見られる人間類型。経済学が想定している、呪術や伝統主義から解放された目的合理的な経済人というのはロビンソン・クルーソーだと。
ロビンソン的な中産階級がイギリスに育ったことで、世界で初めて資本主義の精神が生まれ、産業革命につながった。
「いちど商品とか価値というもっとも抽象的なレベルにまで下降したあと、こんどはそこから逆に登り詰め、現実を理論的に再構築していく過程、つまり、この上向過程こそが実は経済学であり、その諸理論が展開されていく姿なんだ、とマルクスは言うんです」
「ロビンソンの孤島における生活形成に託してデフォウが描き上げた合理的資源配分の原理は、そういうふうに個別的経営にあてはまるだけでなく、実は国民経済全体についてもあてはまる重要な原理なのです。」
「マルクスは、その点を、『資本論』のあの有名な第一部第一章第四節「商品の物神性とその秘密」で、ひじょうに高く評価しています。...ロビンソンの孤島における思考と行動の様式を特徴づけるきわめて重要な特徴は、その合理的・経営的な性格です。」
ロビンソンが孤島に漂着して満一年目に、一年間の生活のバランスシートを作る。それどころか、損益計算をやってプラスの方が多かったとして神に感謝している。形式合理的な基礎づけを行ったうえで神に感謝する。自分の合理的なBSを作るというのは当時プロテスタントの信仰の記帳で既に行われていた。
「経済学の理論は、どこまで意識的であるかは別として、実はロビンソン的人間類型を前提として成立している。...マルクスも、経済理論を取り扱っている限りにおいて、やはりロビンソン的人間類型を前提としている」
『資本論』は読んだことないんですが、大塚氏によると最も抽象的な諸概念から書かれているのはマルクスにとっては必然的だったようです。
経済現象の本質は物的ならびに人的資源の配分(資源配分)とマルクスは言った。
「歴史上資本主義社会だけは、発達した自然発生的分業を土台とする高度の商品経済の上に立っているために、経済現象が逆立ちした、幻想的な姿をとって現れるが、その奥底にある真実の姿は資源配分にほかならない。」
「経済という人間の営みを貫く根本的事実は、世界史のあらゆる局面を通じて、すべてつねにほかならぬ資源配分の問題であって、ただ、発展段階の相違に応じて、原理を異にする社会的形態をとるだけのことだ」
マルクス、鋭いな。私は自分の時間配分すらうまくやれていません。
インド村落の場合に資源配分を支配している社会的原理が、近代イギリスのそれとは全く異なって、村落内分業とカースト制度をたえず再生産していく共同体的な法則的原理なので、アダム・スミス以来の経済学がまったく通用しない、と大塚氏の友人の経済学者。
資本論はいつか読みたいですね。ツイッター情報によると「大月書店の国民文庫か、日経の中山訳4冊組ですね。新日本文庫はイラっとします。岩波は微妙」だそうです。

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