2015年3月27日金曜日

フォン・ノイマン『数学者』

Von Neumann: "The Mathematician"

http://www-history.mcs.st-and.ac.uk/Extras/Von_Neumann_Part_1.html

「数学者」はフォン・ノイマンが1946年にシカゴ大学で行った講演録。日頃は最先端の研究者としか議論しなかったノイマンが数学に対する彼の見解を一般大衆に分かりやすく述べた珍しい講演録。

「数学について、もっとも重要な性質は、私の見解によれば、自然科学との非常に独特な関係性にあります。あるいは、自然科学をより一般的に、経験を単に記述するだけでなく、より高いレベルで解釈しようとする科学と理解していただいても構いません。

数学の方法は、自然科学の「理論的」な分野に行き渡り、それを支配しています。現代の経験科学は、数学的手法か、あるいは物理学における疑似数学的手法に到達できるかどうかによって、成功するか否かが決定づけられるようになっています。」

2015年3月25日水曜日

ヘッジファンドのパフォーマンス分析

ミューチュアル・ファンド(投資信託)や年金のパフォーマンス分析については古くから研究されており、ヘッジファンドのパフォーマンス分析もその文脈を踏まえたものになっている。ただし、ヘッジファンドの場合、市場の局面でも空売りによって積極的にリターンを獲得しようとするものが多いので、分析するファクターにルックバック・オプションのストラドルを加えるなどの工夫が行われている。
通常のファンドのパフォーマンス分析については四方健彦氏の「アクティブ運用のパフォーマンス評価とマネジャースキルに関する研究:サーベイ」(2010)が詳しくて参考になる。

初期の研究としては
"Mutual Fund Performance" Sharpe(1966)
"Can Mutual Funds Outguess the Market?" Treynor and Mazuy(1966)
"The Performance of Mutual Funds in the Period 1945-1964" Jensen(1967)
などが有名。

資産クラスをファクターとして使うアイディアとしてSharpe(1992)やFama and French(1993)など。
"Asset Allocation: Management Style and Performance Measurement" Sharpe(1992)
"Common risk factors in the returns on stocks and bonds" Fama and French(1993)

ヘッジファンドのパフォーマンス分析ではFung and Hsiehの一連の研究が有名。
"Empirical Characteristics of Dynamic Trading Strategies:The Case of Hedge Funds" Fung and Hsieh(1997)
"The Risk in Hedge Fund Strategies: Theory and Evidence from Trend Followers" Fung and Hsieh(2001)
"The Risk in Fixed-Income Hedge Fund Styles" Fung and Hsieh(2002)
"Hedge Fund Benchmarks: A Risk Based Approach" Fung and Hsieh(2004)
"Extracting Portable Alphas From Equity Long-Short Hedge Funds" Fung and Hsieh(2004)

他にも
"Risks and Portfolio Decisions Involving Hedge Funds"Agarwal and Naik(2004)
"アジア太平洋地域のヘッジファンドの選択とパフォーマンス分析"高橋、袴田、山本(2006)
"ヘッジファンド運用戦略の事後評価とリスク計測モデルの検討"加藤宏典(2011)
など。

2015年3月14日土曜日

『ノイマン・ゲーデル・チューリング』

図書館で『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(高橋昌一郎)を借りてきた。今度買おう。
『ノイマン・ゲーデル・チューリング』は少し特殊な構成になっていて、三人に一章ずつ割り振って冒頭に彼らの生涯で最も輝かしい時期に発表された講演あるいは論文の翻訳を掲載し、その「解題」と彼らの「生涯と思想」が加えられている。
1903年に生まれたジョン・フォン・ノイマンは、彼自身が推進した原水爆開発の核実験で何度も放射線を浴びたため骨髄癌を発症し、1957年に亡くなった。たった53年1か月あまりの短い生涯の間に、論理学・数学・物理学・化学・計算機科学・情報工学・生物学・気象学・経済学・心理学・社会学・政治学に関する百五十編の論文を発表した。天才だけが集まるプリンストン高等研究所の教授陣のなかでも、さらに桁違いの超人的な能力を示したノウマンは、「人間のフリをした悪魔」と呼ばれた。
そのノイマンが、「二十世紀最高の知性」と呼ばれるたびに、「それは自分ではなくゲーデルだ」と返答するほどに評価していたのが、1906年に生まれたクルト・ゲーデルだった。彼はゲーデルの定理を「時間と空間をはるかに越えても見渡せる不滅のランドマーク」だと賞賛した。ゲーデルは抜群の業績でウィーン大学の私講師になったが、直後にナチス・ドイツがオーストリアを占領し、彼の職を奪った。ゲーデルはドイツ軍の兵役義務を果たさない限り出国もできない状況に追い込まれ、持病の神経衰弱と鬱病が一挙に悪化して、自殺願望を抱くようになった。ノイマンは政府や軍の最高レベルの関係者と対等に議論できる立場にあり、「ゲーデルをヨーロッパの瓦礫のなかから救いだすことほど重要なことはない」と上層部を説得、ありとあらゆる手を用いてゲーデルをウィーンから救出し、プリンストン高等研究所に招いた。そこでゲーデルと親友になったのが、物理学者アルバート・アインシュタインである。晩年のアインシュタインは、「私が研究所に行くのは、ゲーデルと散歩する恩恵に浴するためだ」とまで述べている。
チューリングは1936年に、ゲーデルが不完全性定理を証明したのと同じ24歳の若さで『計算可能性とその決定問題への応用』を発表。すべての命令を一定の規則に基づく記号列に置き換えて計算する『チューリング・マシン』の概念は現在のコンピュータに実現されている。チューリングはケンブリッジ大学の奨学金でプリンストン大学大学院に留学していて、ノイマン、ゲーデル、チューリングの三人の天才が一堂に集まっていたが、チューリングは一度もゲーデルと会った形跡がない。ノイマンは何度もチューリングと会っていて助手に誘ったがチューリングは帰国して軍に志願。チューリングはイギリス情報局秘密情報部の暗号機関ブレッチリー・パークに赴任して、難攻不落と呼ばれるナチス・ドイツの暗号機エニグマの解読に取りかかった。彼は36機のエニグマの動作を同時にシミュレートできる解読機ボンブを開発し、ついにその解読を成功させた。チューリングは、連合国軍を勝利に導いた英雄とみなされ、チャーチルから大英帝国勲章を授与された。しかし、エニグマに関する情報公開は固く禁じられ、1970年代まで国家機密にされていたため、チューリングの偉業については、母親でさえ知らされなかった。チューリングは少年時代から同性愛者だった。1952年、映画館で知り合った19歳の青年を自宅に招いて宿泊させた。数週間後、その青年と彼のゲイ仲間がチューリングの家に泥棒に入り、裁判の過程でチューリングが同性愛者であることが暴露されてしまった。当時のイギリスでは同性愛そのものが「違法」であり、彼には「定期的な女性ホルモン投与」という屈辱的な刑罰が与えられた。大学教授のスキャンダルは、新聞にも大きく報道された。その二年後、チューリングは、41歳の若さで自殺した。

"The Mathematician"  Von Neumann(1946) 
『数学者』フォン・ノイマン(1946)

"Computing Machinery and IntelligenceA. M. Turing(1950)(PDF)
『計算機械と知性』チューリング(1950)