図書館で『ガイトナー回顧録 金融危機の真相 Stress Test』を借りてきたので、成人の日の三連休で読んだ。エピソードは豊富だけど考察や記述が浅い気もする。しかし、金融危機や金融規制に興味のある人にはポールソン、バーナンキの回顧録とともに必読だと思う。
前半は、IMFでのアジア危機からNY連銀理事としてのリーマンショックまででなかなか面白い。財務長官になって以降の後半は危機が欧州に移り、米国での議会とのやり取りや細かい規制の話になってやや退屈。
ガイトナーが財務長官になって初めてオバマ大統領に挨拶した時、私たちは今も「金融の爆弾」を5つ抱えていて、爆発しないように処理しないといけないと報告。その5つはファニーメイ、フレディマック、AIG、シティグループ、バンク・オブ・アメリカ。ガイトナーの補佐官はシティグループとバンク・オブ・アメリカの二行を金融界の宇宙要塞”デス・スター”と呼んでいた。
「ルービンはかつてゴールドマン・サックスの共同会長だったが、謙虚でユーモアがあり、ラリーのように棘はないが、要求が厳しかった。優良なプロセスを信奉していた。すべての補佐官の意見を、相手がヒエラルキーのどこにいようが、たとえ反対意見でも求めた-いや、反対意見こそ聞きたがった。
落ち着いて、感情を出さず、滑稽なくらい細心で、あらゆる角度から問題を分析した。罫線入りの黄色い用箋にリスクや可能性を走り書きし、情報を集め、どうしても決断を下さなければならなくなるまで、”選択の余地を温存した”。成り行きで決断を下してはいけない、そのとき手に入る情報からして合理的なときだけ決断するようにと、口を酸っぱくして私たちを諭した。ルービンの決断は、おおむねそうだった」
ガイトナーは親の仕事がら、子供のころに世界の様々なところで生活している。
「タイにいたことがあるからといって、そこの危機をきちんと洞察できるわけではなかった。感情移入はできるかもしれないが、タイを救うのに役立つような、それ以上の知識はなかった」
「ルービン、サマーズ、グリーンスパンをこよなく尊敬し、彼らが市場と金融イノベーションをおおむね是認しているのに同調した。しかし、三人をゆるぎない自由市場イデオローグだと通俗的に大づかみに戯画化するのは、フェアではない」
「グリーンスパンは、市場は理性的で効率的だというのを神意のごとく信じていた。また、政府の監督と規制が市場を安全にするという考えには心底疑いを抱いていた。それでも、新興市場の危機では私たちの金融救済を力強く支持した」
「三人のうち、市場で暮らしをたてていた唯一の人間だったルービンは、市場が英知と理性をそなえているということを、あまり信じていなかった。過大なレバレッジにたえず懸念を示してはいたが、政府にそれをどうこうする力はないと考えていた」
「ラリー(ポールソン)の世界観はふたりの中間のどこかだったが、当時はグリーンスパンのほうに近かっただろう。私には三人のような力強い確信はなかったが、性格的にルービンの考え方に近かった」
「商業銀行数千行の監督責任が、FRB、連邦預金保険公社(FDIC)、通貨監督庁(OCC)に分割され、州の銀行監督機関が50の異なるルールに基づいて指導していた。貯蓄金融機関監督局(OTS)は、「貯蓄金融機関」と呼ばれる、ローン市場専門の銀行を指導する」
「貯金を集める子会社は、自己資本の条件を満たしていなければならず、FRBの貸出窓口で融資を申し込めるが、もっと大きなリスクを抱えた系列会社や親会社は、通常、公的機関の監督を受けずに業務を行う」
「FRBはシティグループとJPモルガン・チェースの「持ち株会社」を監督する。持ち株会社は数百ある銀行やノンバンクの子会社を傘下に収める母体だが、FRBはそこの商業銀行や投資銀行は担当しない」
「FRBは金融機関全体を監視しなければならないが、法律によって、主要監督機関に従わなければならない。商業銀行の場合はOCC、投資銀行の場合はSECがそれにあたる。FRBは外国銀行のアメリカ系列会社の監督を、州の監督機関や、その銀行の本店がある世界中の監督機関と共同で行う」
シャドーバンキングの勃興。1980年代から07年にかけての金融セクター・クレジットのすさまじい増加は、ほとんど在来型の銀行システムの外で起きていた。銀行よりも制約が少なく、政府のセイフティネットを利用できない金融機関にリスクが移動
「音楽が流れている限り、私たちは立ち上がってダンスするしかない」
シティグループのチャールズ・プリンスCEO
アメリカの家計の負債のGDP比
『ガイトナー回顧録』の139ページ、「一般に金利を下げること(量的緩和政策)」となっているけど、誤訳かなあ。原著はどう書いてあるんだろう。金利を下げることは「量的」緩和政策ではないです。
「ベンは控え目な人物で、病的な興奮や誇張にとらわれることはない-私は「中央銀行界の仏陀」と呼んでいた-だが、1930年代の銀行家の二の舞にはならないと決意していた」
カントリーワイドは回転資金の大半をコマーシャルペーパーの発行でまかなっていた。またトライパーティ・レポという複雑な市場でも資金を調達していた。
「私は自分をタカ派だとかハト派だとかいうように考えたことはない。つねに実利を重んじ、どんな形でもイデオロギーは信じない。それにFRBの責務を二つとも真剣に受け止めている。しかし、クレジット不足のときにモラル・ハザードやインフレを持ち出すタカ派の妄執は、異様すぎるし腹立たしかった」
メリルリンチの損失の大部分はCDOだった。シティもメリルと同じようにCDOのスーパーシニア債を大量に抱えていた。このときシティの取締役にはあのルービンがいた。ルービンには経営責任も権限もなかったらしいが。
『ガイトナー回顧録』の180ページ、「TAFは確信的だったし」、だと意味が分からない。「革新的」の誤植か?
ベアー・スターンズもリーマン・ブラザーズも投資銀行なので直接の監督責任はSECであって、FRBではない。ただ金融システムは絡み合っているので結局金融システム全体への影響は避けられない。
「(ベアーの件を)私はリスク管理に失敗したよくある話だと見ている。ベアー・スターンズは短期の借入を使い過ぎていた」。「ベアーの一件のほんとうの教訓は、極度のレバレッジと短期借入の世界では、信用は一瞬にして消え、それとともに流動性も消えるということだ」
(リーマン破綻について)「私たちは一線を引いたのではなかった。私たちは恐れを知らないのではなく、力がなかったのだ。壊滅的な破綻を防ごうとして失敗したのだ。それがいまだに、あまり理解されていない」
投資銀行のゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーの破綻を回避するためにGSとシティ、MSとJPモルガンを合わせようとするが、それぞれが難色を示したとw。結局、MSは三菱東京UFJから90億ドル、GSはバフェットから50億ドル調達。
「「本当に必要なのは、負債を保証する権限ですよ」私はそう言った。」287p
米財務省に初代財務長官アレグザンダー・ハミルトンの像がある。ハミルトンは、アメリカの初代「ミスター救済」だった。像にはこんな言葉が刻まれている。「ハミルトンが公的信用の死体に触れると、それが蘇った」
「コロンブス記念日は銀行が休みだったので、三菱東京UFJ銀行の幹部は月曜日の朝にみずから90億ドルの小切手をモルガン・スタンレーに持参し、ディールを締結して、リーマン式の崩壊を防いだ」
「私はブッシュ減税、イラク戦争、社会問題についての保守的な見解には賛成できなかったが、危機の最中の行動には尊敬の念を抱いていた。イデオローグ色の強い共和党員としては、なみたいていのことではなかったはずだ」
「ブッシュが揺るがず、沈着冷静で、ハンクや私たちを強く支持したことは、大きな功績として認められるべきだ-マケイン上院議員やその他おおぜいの共和党議員とはまったく違う」
「危機に対するオバマ上院議員の平静で責任感のある取り組み方にも感心した。マケイン上院議員の躍起になって迎合する態度とは、正反対だ。オバマ上院議員はハンクとたえず連絡を保っていた。ハンクはオバマを絶賛していた」
ガイトナーはブッシュ政権下、つまりリーマンショック前後はNY FEDの総裁。オバマ政権で財務長官。
「2008年初頭アメリカの大手金融機関上位25行のうち13行が、破綻するか(リーマン、WaMu)、政府の救済を受けて破綻を避けたか(ファニーメイ、フレディマック、AIG、シティ、バンカメ)、破綻を逃れるために救済合併されたか(カントリーワイド、ベアー、メリルリンチ、ワコビア)、」
「あるいは破綻を逃れるために事業構造を変えた(モルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックス)。株式市場は2007年の最高値から40%以上下落した。私たちは前例のない方策を途方もない規模で行い、銀行システムの中核で起きた取り付けを減速させるのに成功した」
ターム物資産担保証券貸出ファシリティ(TALF)が消費者金融市場を復活させた
「ルービンはかつて、《ミート・ザ・プレス》での1分あたり約60分の予備演習をやった」
「ラリーも含めた専門家たちは、(世界最大のヘッジファンド)ブリッジウォーターの《デイリー・オブザベーションズ》をもっとも信用できる民間セクターの経済分析資料とみなしていた-銀行についての手厳しい分析のひとつでもある」
「今後の改革で最優先すべきなのは、金融機関に自己資本をもっと増やし、レバレッジをもっと減らして、もっとしっかりした流動性を維持するように求める、より堅実なルールを定めることだと、私はずっと考えていた」
各国の銀行の資産のGDP比。アメリカは相対的に小さい。
2008年1Qを100としたときの各国GDP
「ラリー・サマーズは、立場が苦しければ苦しいほどスリルをおぼえるという変わった人物で、私たちを可能性のぎりぎり限界まで押しやった。もっともやりづらい状況であっても、私はラリーの助言を高く買い、頼りにしていた」
ガイトナーが『回顧録』を書く際に比較した重要な書物として『ポールソン回顧録』、デービッド・ウェッセルの『バーナンキは正しかったか?』、アンドリュー・ロス・ソーキン『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』を挙げている
バーナンキもガイトナーも回顧録はエピソードが豊富なのだが、豊富すぎて、銀行破綻の本質的な部分はむしろダフィーの薄い本の方が分かりやすいかもしれないと思った。
巨大銀行はなぜ破綻したのか ―プロセスとその対策 ダレル・ダフィー
ダフィーの翻訳は薄いわりに定価が高いのが難点。英文はネットで探せば見つかると思う。
"How Big Banks Fail and What to do About It" Darrell Duffie(2010)(pdf)
『巨大銀行はなぜ破綻したのか』の英文ドラフト
「経済学において、銀行の安定性についての標準的な分析」
"Bank Runs, Deposit Insurance, and Liquidity" Diamond and Dybvig(1983)(pdf)