非常に学ぶことの多い本でした。お勧めです。
「ストーリーにおいて、因果関係を言語で表現するときに、原因と結果とを結ぶ接続語句には「(だ)から」「ので」「ため(に)」などがあります」
A: 道内の東側で高気圧が停滞(原因)
B: 「高気圧が停滞すると前線の動きが鈍くなるはず」(一般論)
C: 長期間にわたって強い雨が降った(結果)
このような記述が成立し、理解されるためには、蓋然性のmust(「はずである」)が「一般論」として受け入れられていなければならない。
人為が介在しない物理的な因果関係であれば話はシンプルで必然的。
結果に人間の行動が介在している場合の因果関係では、人間が外界からの刺激に対して反応するとき、往々にしてそこに感情が介在する。極端な例では暴力事件において衝動に駆られた容疑者が〈かっとなって〉反応してしまうケースがある。
米国の臨床心理学者アルバート・エリスは、人間の感情は次のようにして生まれるという。
A: activating event きっかけ
B: belief 信念
C: consequence 結果
できごとが人にある感情を抱かせるのは、そもそもその人があらかじめある種の信念を持っているからだという(beliefは、自分が自覚せずに持っている考えのようなものまで広くさす)。
同じできごとを前にして、人によってリアクションが違う理由が、ここにある。人によって抱いている信念が違うからだ。
Bの一般論は、じつのところ、「人は私が欲するとおりに行動するべきである」というふうに抽象化することができる。
歌手を刺してしまった人も、体罰をしてしまった教師も、駅で列に割り込みされて〈かっと〉なった人も、「人は私が欲するとおりに行動するべきである」という一般論を抱いているから〈かっとなって〉しまったのだとわかる。
「人は私が欲するとおりに行動するべきである」は信念としては不適切であり、現実世界には妥当しない。人間はしばしばこのような不適切な一般論を、知らず知らず抱いてしまっている。そしてそのことの自覚がない。
人間は、「「自分は自分の意志に従って環境を変えることができるし、そうするべきである」(must)という一般論に、しばしばとらわれてしまいます。いわば「コントロール幻想」です」
「じっさいには、他者や環境や状況は、いつでも操作できるとは限らない。その当たり前のことが明らかになっただけで、人はネガティブな反応を示してしまいます。人間には操作できる対象とできない対象があります。同じ対象でも、操作できるときとできないときがあります。たとえ対象が自分が望んだとおりの行動をしたとしても、それはただの偶然か、その対象自体の自発的行動の結果であって、こちらの働きかけの結果ではない、ということだってよくあります」
「「させる」という使役表現や、命令形という動詞の使い方は、こういった人間の「コントロール幻想」という不適切な信念と関係があります。あいつの発言は不愉快なので、黙らせたい。夫婦(恋人)なのだから、自分の気持ちを、説明しないでもわかってくれるべきだ。自分の子どもなのだから、こうなってほしい、いや、なるべきだ。こういった思考は、コントロール幻想そのものです」
〈人々を不安にするものは事柄ではなくして、事柄に関する考えである〉(エピクテトス『提容』)
事柄は自分の管轄外だけれど、事柄に関する考えは自分の管轄内だから、後者のほうは制御可能であり、そこさえ制御してしまえば〈不安〉のない状態で〈事柄〉に対処することができる。
「自分の過去のストーリーメイキングを捨てないと、つぎが開けない」
・感情につき動かされて行動することは選択肢をみずから手放すことであり、「自由」からもっとも遠い
・世界でひとつだけ選択可能なものは、できごとにたいする自分の態度である
・人はストーリーを理解しようとするとき、登場人物の信念や目的を推測・解釈している
・人はストーリーや世界のなかで多くのことを決めつけて生きている
・自分の生きる指針(ライフストーリーメイキング)のせいで苦しむこともある
・従来の生きる指針を捨てるのは先の保証がなく、崖から落ちるくらい怖いが、そうする自由はつねにある
「僕たち人間は日常、世界をストーリー形式で認知しています。そのとき、僕たちはストーリーの語り手であると同時に読者であり、登場人物でもあるのです。物語る動物としては、自分や他人のストーリーに押しつぶされたり、自分のストーリーで人を押しつぶしたりせずに、生きていきたいものです」
読書案内
『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』 高橋和巳
『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」強迫事件の全真相』 渡邊博史
『女子をこじらせて』 雨宮まみ
『大きらいなやつがいる君のためのリベンジマニュアル』 豊島ミホ
『カフカはなぜ自殺しなかったのか?』 頭木弘樹
『可能世界・人工知能・物語理論』 マリー=ロール・ライアン
『フィクションとディクション』『物語のディスクール』『物語の詩学』 ジュネット
『物語における読者』 ウンベルト・エーコ
『批評の解剖』 ノースロップ・フライ
『ナラトロジー入門』 橋本陽介
『物語の森へ』 マルティネス+シェッフェル
『関連性理論』 スペルベル+ウィルソン
『メンタル・スペース』 フォコニエ
『フィクションの修辞学』 ブース
『ミメーシス』 アウエルバッハ
『言語のざわめき』 バルト
『小説における時間と時空間の諸形式』ミハイル・バフチン
『フィクションとは何か』 ウォルトン
『虚構世界の存在論』 三浦俊彦
『サイバネティックス』 ウィーナー
『メタマジック・ゲーム』 ホフスタッター
『知るということ』 渡辺慧
『行為としての読書』 イーザー
『偶然の本質』 ケストラー
『偶然性の問題』 九鬼周造
『生きるよすがとしての神話』キャンベル
『エゴ・トンネル』 メッツィンガー
『他者のような自己自身』リクール
『デカルトの誤り』 ダマシオ
『知恵の樹』 マトゥラーナ+バレーラ
『ユーザーイリュージョン』 ノーレットランダーシュ
『一般システム理論』 ベルタランフィ
『ゲシュタルトクライス』 ヴァイツゼッカー
『生物から見た世界』 ユクスキュル
『我と汝 対話』 ブーバー
『善の研究』 西田幾多郎
『無心ということ』 鈴木大拙
『暗黙知の次元』 ポランニー
『内臓とこころ』 三木成夫
『表現学の基礎理論』 クラーゲス
『仏教思想のゼロポイント』 魚川祐司
『望郷と海』 石原吉郎
『生きる勇気』 ティリッヒ
『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』 二村ヒトシ