2013年10月19日土曜日

ゼロ金利下の金融政策に関する16本の英語論文、および邦文論文


第2章でゼロ金利下の金融政策に関する16本の英語論文が紹介されています。

Krugman (1998),"It's Baaack: Japan's Slump and Return of the Liquidity Trap"

  復活だぁっ! 日本の不況と流動性トラップの逆襲

Orphanides and Wieland (1998),"Price Stability and Monetary Policy Effectiveness When Nominal Interest Rates are Bounded at Zero"

Bernanke (2000),"Japanese Monetary Policy: A Case of Self-Induced Paralysis"

Reifschneider and Williams (2000),"Three Lessons for Monetary Policy in a Low-Inflation Era"

Goodfriend (2000),"Overcoming the Zero Bound on Interest Rate Policy"

McCallum (2000),"Theoretical Analysis Regarding a Zero Lower Bound on Nominal Interest Rates"

Svensson (2001),"The Zero Bound in an Open Economy: A Foolproof Way of Escaping from a Liquidity Trap"

Ahearn, Gagnon, Haltmaier, and Kamin (2002),"Preventing Deflation: Lesson from Japan's  Experience in the 1990's"

Eggertsson and Woodford (2003),"The Zero Bound on Interest Rates and Optimal Monetary Policy"

Clouse, Henderson, Orphanides, Small, and Tinsley (2003),"Monetary Policy When the Nominal Short-Term Interest Rate is Zero"

Bernanke and Reinhart (2004),"Conducting Monetary Policy at Very Low Short-Term Interest Rates"

Bernanke, Reinhart, and Sack (2004),"Monetary Policy Alternatives at the Zero Bound: An Empirical Assessment"

Jung, Teranishi, and Watanabe(2005),"Optimal Monetary Policy at the Zero-Interest-Rate Bound"

Oda and Ueda(2005),"The Effects of the Bank of Japan's Zero Interest Rate Commitment and Quantitative Monetary Easing on the Yield Curve: A Macro-Finance Approach"

Auerbach and Obstfeld(2005),"The Case for Open-Market Purchases in a Liquidity Trap"

Curdia and Woodford(2010),"The Central Bank Balance Sheet as an Instrument of Monetary Policy"

追加で

Lam(2011), "Bank of Japan's Monetary Easing Measures: Are They powerful and comprehensive?"


《日本銀行のゼロ金利・量的緩和政策に関する邦文論考一覧》

翁邦雄(1999)「ゼロ金利下の金融政策について―金融政策への疑問・批判にどう答えるべきか」

岩田規久男(2000)「長期国債買切りオペを増額すべき」及び『ゼロ金利の経済学』

翁邦雄・白塚重典・藤木裕(2000)「ゼロ金利下の金融政策 現状と将来展望」

渡辺努(2000)「流動性の罠と金融政策」

  高村・渡辺(2006)「流動性の罠と最適金融政策:展望」

翁邦雄・小田信之(2000)「金利非負制約下における追加的金融緩和策―日本の経験を踏まえた論点整理」

白塚重典・藤木裕(2001)「ゼロ金利政策下における時間軸効果―1999-2000年の短期金融市場データによる検証」

白川方明(2002)「「量的緩和」採用後一年間の経験」及び小宮編(2002)『金融政策論議の争点』

小田信之(2002)「量的緩和下での短期金融市場と金融政策」

翁邦雄・白塚重典(2003)「コミットメントが期待形成に与える効果―時間軸効果の実証的研究」

植田和男(2005)『ゼロ金利との闘い―日銀の金融政策を総括する』

鵜飼博史(2006)「量的緩和政策の効果―実証研究のサーベイ」

田中隆之(2008)『「失われた15年」と金融政策―日銀は何を行い、何を行わなかったか』

白塚重典(2009)「わが国の量的緩和政策の経験―中央銀行バランスシートの規模と構成をめぐる再検証」

福田慎一(2010)「非伝統的金融政策―ゼロ金利政策と量的緩和政策」

本多佑三・黒木祥弘・立花実(2010)「量的緩和政策―2001年から2006年にかけての日本の経験に基づく実証分析

渡辺努・藪友良(2010)「量的緩和期の外為介入」

加藤出(2010)「短期金融市場の現場で何が起きたか?―量的緩和策と現在の非伝統的政策との比較を踏まえて」

白塚重典・寺西勇生・中島上智(2010)「金融政策コミットメントの効果―わが国の経験」

岩田一政(2010)『デフレとの闘い―日銀副総裁の1800日』

翁邦雄(2011)『ポスト・マネタリズムの金融政策』



2013年10月14日月曜日

岩井克人さんの「資本主義を考え抜く」

岩井克人さんの「資本主義を考え抜く」を今さら読んでる。東大経済学部の後、MIT大学院でサムエルソンの研究助手に。MITは新古典派経済学の中心地だった。博論の第1アドバイザーがロバート・ソロー、第2がサムエルソン。新古典派に違和感を感じカリフォルニア大、エール大へ。

『不均衡動学』はアカロフ、トービンらは評価してくれたが、学会全体にはなんのインパクトも与えなかった。岩井氏本人は学者として成功したと思っていないそうだ。

「日本の大学内では、マルクス経済学が圧倒的に優勢でした。近代経済学が強かったのは一橋大、阪大と慶応大くらいでした。東大の近代経済学は館龍一郎先生と小宮隆太郎生成が牽引していました。より若い小宮先生のゼミの門をたたきました」

「小宮先生の明晰さは恐ろしいほどでした。複雑な現実問題を前に、論理的に思考するとはどういうことかを、幸運にも間近に体験できたのです。主流派の学説でも、疑問があれば遠慮なく議論を挑んでいく、その学問への態度に、尊敬の念を抱きました」

宇沢先生は「シカゴ大では、数理経済学の最先端の研究を手がけ、世界で最も光輝く学者の1人でしたが、心は別のところにあるのを、アルコールのにおいの立ちこめる飲み屋で知りました」

岩井氏の最初の論文の査読者がエール大のクープマンス教授で、彼の招きで1973年にエール代経済学部助教授に。

個々の企業の「結果をマクロに集計すると学界を支配している合理的予想理論と「矛盾」します。経済全体の総需要と総供給が乖離するとき、個々の企業の価格を平均した現実の物価水準は必然的にその予想と一致しなくなるからです」という説明は、これだけだとよく分からないなあ。

「それが、スウェーデンの経済学者ヴィクセルが展開した「不均衡累積過程」理論の出発点にほかならず、ケインズが『貨幣論』で提示した「基本方程式」と同等であることにも気がつきます」

新古典派をさらに極端にした学説が主流になっていて、それを否定した不均衡動学は受け入れられず、エール大でテニュアは取れなかったが、アカロフはケインズ『貨幣論』に匹敵すると評価。学部長のトービンが2年間人任期を延長してくれて、その間に東大から声がかかり帰国。

「サーチ理論という数理経済学の手法を使うと、貨幣の存在構造を「貨幣とは貨幣として使われるから貨幣である」という自己循環論法として証明できることに気づき、論文にします。手紙の誤記や編集長交代などによってある専門誌への掲載が駄目になりました」

「好きな研究だけをしてきたので、学界の評価が低いのは仕方ありません。社会的認知は有り難いのですが、後ろめたさもあります」

岩井氏は高2のときにプルーストの『失われた時を求めて』新潮文庫全13巻をすべて読んでる。すごいですねw。奥さんは小説家の水村美苗。

2013年10月13日日曜日

『金融依存の経済はどこへ向かうのか 米欧金融危機の教訓』 池尾和人+21世紀政策研究所 


『金融依存の経済はどこへ向かうのか』の執筆者は池尾和人、翁邦雄、高田創、後藤康雄、小黒一正。とりあえず池尾氏の1章を読みました。

「1980年代以降、金融へのシフトあるいは金融依存ともいうべき動きが起こって、金融の拡大が始まったのは、第二次大戦後の復興・高成長の投資ブームが終わって、実物面での投資機会が乏しくなったことが基本的背景になっている」

「わが国における金融シフトは、80年代中にバブル経済の生成と崩壊にまで行き着いてしまうことになり、その後はその後遺症を克服することに長時間を要するということになってしまった」

「これに対して米国での同様の動きは、約30年間にわたって継続し、より大がかりなものとなった。そうした彼我の差は、米国では不況産業化した伝統的金融業に代わって、様々な金融イノベーションを伴うかたちで「新しい金融」業が台頭してくるというダイナミズムがみられたことに起因している」

米国の金融イノベーションは社会全体としてのリスク負担のキャパシティ拡大という意義をもっていたが、それが実物面での投資その他の活動を促進する方向で用いられることにはならず、結局は金融システム内部で過度のリスク負担が行われることになって、2007年からのグローバル金融危機に至ったと。

個人的な興味のひとつは、なぜ様々な金融イノベーションを伴うかたちで「新しい金融」業が台頭してくるダイナミズムが日本ではあまり見られないのか、という点ですね。

「不振化した伝統的な銀行業に代わって台頭した新しい金融業は、経済の中に存在している何らかの歪みを見出して、それを利用した裁定活動によって利益をあげるというビジネスモデルに従うものであった。こうしたビジネスモデルを典型的に実践しているのが、いわゆるヘッジファンドである」

「しかし、こうした裁定型のビジネスモデルには、基本的なジレンマがある。裁定が成功すれば、価格体系の歪みは解消されていく。裁定型のビジネスモデルは成功したがゆえに、世界的な金融資本市場の効率化をもたらすとともに、自らの収益機会を枯渇させることになっていった」

「同じバブルと言っても、株式equityにだけ関わったものである場合と信用creditに関わるものである場合とでは、その後遺症の大きさは非常に異なってくるといえる」

2003年6月に利下げするときにグリーンスパンはバブルが発生するリスクをとることもいとわないと考えたそうだ。実際に住宅バブルが発生し、金融危機に至ったことが、金融緩和をしなかったことよりましだったとは言い難いと池尾氏。

参照論文をいくつか

"The Impact of High and Growing Government Debt on Economic Growth" Checherita and Rother (2010) (PDF)

"Is U.S. Economic Growth Over? Faltering Innovation Confronts the Six Headwinds" Gordon(2012) (PDF)

2013年10月6日日曜日

マネーとDSGEモデル

加藤(2007)でRBCモデルの理論面での問題として次の5つを上げている。

①財市場、要素市場が完全競争である。
②調整コストや摩擦が存在しない。
③1財1部門1主体モデルである。
④マネーや一般物価など、名目変数が登場せず、景気循環に対する影響が全くない。
⑤情報が完全・対称である。

そこで、ここで紹介されているように、最近ではDSGEモデルにマネーを組み込む動きが見られると。


Monetary Transmission in the New Keynesian Framework: Is the Interest Rate Enough?
- Josh Hendrickson

エージェンシー・コストを導入、貨幣需要の拡張により、通常のニュー・ケインジアンよりも現実のデータをうまく再現できる。

Money’s Role in the Monetary Business Cycle
- Peter Ireland

小型のマネタリー・ビジネス・サイクル構造型モデルは正しく特定されたフォワード・ルッキングなフィリップス・カーブにリアル・マネー・バランスが入ったときのみ、正しく特定されたフォワード・ルッキングなISカーブにリアル・マネー・バランスが入ることを示唆。

The role of money and monetary policy in crisis periods: the Euro area case
- Jonathan Benchimol and Andre Fourcans

二つのモデルで1992、2001、2007年の欧州経済危機を分析。危機のときにマネーは生産の変動の説明力をより強く持つが、一方で金融政策の役割が非常に後退する。

Risk Aversion in the Euro area
- Jonathan Benchimol

ニューケインジアンDSGEモデルで欧州経済を分析。1971年から2006年よりも、2006年から2011年において、リスク回避は生産とリアル・マネー・バランスの動きにより重要な役割。

ここで、大東文化大学の郡司先生から「RBCにマネーを入れる動きはRBC登場当初からありました。Cooley and Hansen (1989, AER) が最も早い例のひとつかと思います。また、最近は金融政策を扱うDSGEでもマネーを入れたり入れなかったりします。」とご指摘いただきました。

"The Inflation Tax in a Real Business Cycle Model" Cooley and Hansen(1989) (PDF) 

2013年9月29日日曜日

『社会科学における人間』大塚久雄

『社会科学における人間』大塚久雄の1章、「ロビンソン物語」に見られる人間類型。経済学が想定している、呪術や伝統主義から解放された目的合理的な経済人というのはロビンソン・クルーソーだと。
ロビンソン的な中産階級がイギリスに育ったことで、世界で初めて資本主義の精神が生まれ、産業革命につながった。
「いちど商品とか価値というもっとも抽象的なレベルにまで下降したあと、こんどはそこから逆に登り詰め、現実を理論的に再構築していく過程、つまり、この上向過程こそが実は経済学であり、その諸理論が展開されていく姿なんだ、とマルクスは言うんです」
「ロビンソンの孤島における生活形成に託してデフォウが描き上げた合理的資源配分の原理は、そういうふうに個別的経営にあてはまるだけでなく、実は国民経済全体についてもあてはまる重要な原理なのです。」
「マルクスは、その点を、『資本論』のあの有名な第一部第一章第四節「商品の物神性とその秘密」で、ひじょうに高く評価しています。...ロビンソンの孤島における思考と行動の様式を特徴づけるきわめて重要な特徴は、その合理的・経営的な性格です。」
ロビンソンが孤島に漂着して満一年目に、一年間の生活のバランスシートを作る。それどころか、損益計算をやってプラスの方が多かったとして神に感謝している。形式合理的な基礎づけを行ったうえで神に感謝する。自分の合理的なBSを作るというのは当時プロテスタントの信仰の記帳で既に行われていた。
「経済学の理論は、どこまで意識的であるかは別として、実はロビンソン的人間類型を前提として成立している。...マルクスも、経済理論を取り扱っている限りにおいて、やはりロビンソン的人間類型を前提としている」
『資本論』は読んだことないんですが、大塚氏によると最も抽象的な諸概念から書かれているのはマルクスにとっては必然的だったようです。
経済現象の本質は物的ならびに人的資源の配分(資源配分)とマルクスは言った。
「歴史上資本主義社会だけは、発達した自然発生的分業を土台とする高度の商品経済の上に立っているために、経済現象が逆立ちした、幻想的な姿をとって現れるが、その奥底にある真実の姿は資源配分にほかならない。」
「経済という人間の営みを貫く根本的事実は、世界史のあらゆる局面を通じて、すべてつねにほかならぬ資源配分の問題であって、ただ、発展段階の相違に応じて、原理を異にする社会的形態をとるだけのことだ」
マルクス、鋭いな。私は自分の時間配分すらうまくやれていません。
インド村落の場合に資源配分を支配している社会的原理が、近代イギリスのそれとは全く異なって、村落内分業とカースト制度をたえず再生産していく共同体的な法則的原理なので、アダム・スミス以来の経済学がまったく通用しない、と大塚氏の友人の経済学者。
資本論はいつか読みたいですね。ツイッター情報によると「大月書店の国民文庫か、日経の中山訳4冊組ですね。新日本文庫はイラっとします。岩波は微妙」だそうです。

2013年9月15日日曜日

マクロ経済モデルの座標軸


『新しいマクロ経済学』齊藤誠(2006)を再読中。この本は非常に良いと思う。

(1)ケインジアン、マネタリスト、新古典派といった学派のジャーゴンではなく、普遍的なミクロ経済学の言葉でマクロ経済現象を論理的に解明し、マクロ経済政策を理論的に基礎付けている。
(2)18世紀の古典派経済学以降、長く取り組まれてきたマクロ経済学的な課題を大切にする。
(3)入門的なミクロ経済学で習得する静学的極大化問題を超える数学的テクニックを前提としない。

という編集方針の下で、様々なマクロ経済モデルを俯瞰できる。
新古典派成長モデル、ケインジアンなどを時間方向と横断方向に豊かな理論的記述を持つマクロ経済モデルという軸で解説し、内生的成長モデルが展開される過程で、新古典派成長モデルの限界としてケインジアンが指摘してきた論点の多くを新しい古典派経済学が一挙に取り込んで現在に至る流れを理解できるようになる。

第1章で、時間的、横断的な広がりに留意しながらIS-LMモデルと新古典派成長モデルの整理をしている。

第1章 マクロ経済モデルの座標軸

IS-LMモデルの構造
価格調整メカニズムを伴っているIS-LMモデルは、財市場、貨幣市場、債券市場、労働市場をバランスよく記述している。まず、名目価格や貨幣賃金が固定されたもとで、財市場、貨幣市場、債券市場のそれぞれの需給が同時にクリアーされるような経済全体の産出量(総産出量)が求められている。こうして決まってくる総産出量は総需要と呼ばれる。一方、労働市場の需給均衡を達成するのに必要とされる総産出量が求められている。この総産出量は完全雇用産出量とか、潜在的産出量と呼ばれている。
この体系の大きなポイントは、総需要水準が必ずしも潜在的産出量に一致しないことである。他の市場の需給均衡と同時に労働市場の需給一致が達成されないのは、名目価格や貨幣賃金が硬直的だからである。
IS-LMモデルでは過去の経済が現在の経済を規定している。モデルの横断的な広がりは、消費者、企業、中央銀行を含む政府が主な経済主体として、独立した行動方程式で記述されている。それぞれの主体の行動が相互に影響しあって、マクロ経済に対して乗数効果を生み出す点も特徴的である。資産市場のモデル化では、流動性プレミアムの側面のみを強調するスタンスも堅持している。

新古典派成長モデルの構造
このモデルでは、あたかも1人の代表的な個人が経済活動を行っていると仮定し、この個人が決定する経済変数がマクロ経済変数に対応していると考えられている。具体的には、あらかじめ定式化された生産技術のもとで代表的な個人(家計)が現在から将来にかけて効率的な資源配分を行うと想定し、そこで決まってくる消費や資本蓄積の経路がマクロ経済の消費や物的資本の時系列的な進行に対応すると考えている。現在と将来の異時点間の効率的な資源配分というミクロ経済学的な概念を用いて、新古典派成長モデルはマクロ経済を解釈しようとしているのである。
このモデルは貨幣資産を一切含まないので、景気循環や経済成長の実物的な要因(非貨幣的な要因)だけが分析の対象となっている。貨幣市場と実物市場を完全に二分し貨幣は実物市場に対して中立的であることを、このアプローチははじめから想定しているとも言える。
新古典派成長モデルの大きな特徴は、将来の経済の進行が現在の経済に強く反映されている点である。始めにマクロ経済が将来どのような経済状態に行き着くのかを求め(経済の定常状態)、資源配分の効率性条件を満たすように定常状態から遡って現在のマクロ経済を位置づけている。
現在の消費は将来の労働所得の関数として定式化されている。現在の投資も投資プロジェクトがもたらすであろう生産の向上分を反映している。そのために、投資による将来の生産向上分を現在の資本調達コストで除したものとして定義されるトービンのqのような指標が、投資関数の要素として入り込んでいる。
横断的な広がりが欠如していことも、このモデルの特徴。新古典派成長モデルでは、企業も政府も家計の擬制である。資産市場はモジリアーニ=ミラーの定理により、企業の資金調達計画は、消費や投資の均衡経路に一切影響を与えない。また、リカードの等価定理や中立命題として周知のように政府の資金調達計画も、消費や投資の均衡経路に影響をもたらさない。国債か増税かの選択はまったく現在の消費に影響しない。家計にとってみれば国債発行とは将来の国債償還に備えて税支払を引き延ばすことであり、現在の増税と比べれば税支払のタイミングが異なるにすぎない。
資産の収益率や利子率は、現在の消費を断念する代償と危険を引き受ける対価という2つの要素が反映している。こうした利子率決定メカニズムはIS-LMモデルのそれと大きく異なっている。IS-LMモデルでは、利子率は流動性を放棄する対価として位置づけられていたのに対して、標準的な新古典派成長モデルでは、流動性が利子率に反映する余地がない。

マクロ経済学の大混乱
IS-LMモデルと新古典派成長モデルはことごとく相反する内容を持っている。時間的な流れは一方が「過去から現在」、他方が「将来から現在」であるし、横断的な広がりは一方が、家計、企業、政府を独立に扱い、他方がそれらを一体の主体とみなしている。資産市場でも、流動性の取扱がまったく対照的である。

モデルの時間的つながり
2つのマクロ経済モデルが時間的に異なった広がりを持つ背景には、資産市場がどの程度機能しているかということが深く関わっている。資産市場が家計や企業の資金調達を円滑にするように機能しなければ、将来の所得や収益を現在の経済が繁栄する経路が絶たれ、これまで積み重ねられてきた経路が現在の消費や投資に反映される余地が高まろう。IS-LMモデルで定式化されている消費関数や投資関数は、資産市場が不完全な状態を近似しているともいえる。

モデルの横断的な広がり
代表的個人モデルが良好なマクロ経済モデルとして機能するには、資産市場が良好に機能しているということが大前提なのである。
経済外部性も、モデルの横断的な広がりを決定する上で大きな役割を果たしている。「市場を介さずにある経済主体の行動が他の主体の行動に影響を与える」と、すなわち経済主体の行動に外部性が存在すると、代表的個人モデルを想定した新古典派成長モデルとはかなり特性の違った均衡解が生まれる。様々なネットワークや労働市場のサーチ活動からこうした外部性が生まれる。このような外部性を取り扱ったモデルでは、いくつかの異なった定常均衡が存在することもしばしば起こる。どの経路を選択するのかは、ミクロ経済学的な合理性だけを手がかりに決めることができない。ケインジアンが問題としてきた名目価格の粘着性も、多くの中からたった一つの均衡経路を選び出す装置として機能することになる。この場合、名目価格の粘着性は経済合理性に一切抵触しない。

内生的成長理論への展開
1980年代後半に起きた新古典派成長理論に対する非常に内在的な批判は、景気循環論における新しい古典派とケインジアンとの対立を一挙に止揚してしまうような役割を果たした。新しい古典派の内在的な批判によって生まれてきたこれらの成長モデルは、内生的成長モデルと呼ばれている。経済成長のメカニズムが外性的な生産条件の変化ではなく、モデルの内部のメカニズムに依存していることからきている。これらのモデルの特徴は、横断的な広がりや歴史依存的な特性を有することにある。内生的成長モデルが展開される過程で、新古典派成長モデルの限界としてケインジアンが指摘してきた論点の多くを新しい古典派経済学が一挙に取り込んでしまったといってよい。

読んどいたほうがいい論文の自分用メモ

リカードの中立命題(等価定理)が成立する条件を詳細に分析しているそうなので、読んでみようかと。
"Are Government Bonds Net Wealth?" Barro(1974) 

有名なモジリアーニ=ミラーの定理
"The Cost of Capital, Corporation Finance and the Theory of Investment" Modigliani and Miller (1958)

結論だけ使われて読まれない論文ランキングの1位はおそらくこれ。
"Capital Asset Prices: A theory of Market Equilibrium under Conditions of Risk" Sharpe(1964)

「カルーシュ・キューン・タッカー条件」はほぼ毎日使っているのに、論文は読んだことがなかったですね
"Nonlinear Programming" Kuhn and Tucker (1951)

ちなみに、W.Karushの論文はシカゴ大学数学科の修士論文のようで、ネット上に無料のものはないみたいです。
"Minima of functions of several variables with inequalities as side constraints" W.Karush (1939)

世代重複モデル(Overlapping Generations Model: OLG Model)で国の債務を分析。
"National Debt in a Neoclassical Growth Model" Diamond, P.A. (1965)

"Expectations and the Neurality of Money" Lucas (1972)

"Econometric Policy Evaluation: A Critique" Lucas (1976)  

「ルーカスは経済環境に応じて内生的に決まってくる経済変数を普遍的な構造パラメーターとして取り扱ってしまうケインズ経済学の方法論的問題点を厳しく批判している。この論文のタイトルにちなんで、内生変数を構造パラメーターとして取り扱う問題点は、ルーカス批判と呼ばれている」齊藤2006

Caltechの物理学・数学・天文学部門では、「ファインマン物理学」のウェブによる無料配信を、数年間かけて準備してきたが、ついに実現
「ファインマン物理学」