2012年11月25日日曜日

統計学を拓いた異才たち



『統計学を拓いた異才たち』によると、統計学の基礎的な概念は生物学に関係していたんですね。「平均への回帰」「相関係数」はフランシス・ゴールトン、「分布族」などのカール・ピアソン。かれらはバイオメトリカ誌を発刊することになる。せいぜい100年前くらいなので統計学は意外に歴史が浅い。

「ほかのことはともかく、すべての科学者がゴセットの『平均についての起こりうる誤差』というタイトルの短い論文の恩恵を受けている。その論文は1908年にバイオメトリカ誌に発表された。この注目すべき論文の一般的な含意を指摘したのは、ロナルド・エイルマー・フィッシャーだった」

ウィリアム・シーリー・ゴセットはギネスビール社で麦芽汁を発酵させるために必要な酵母の濃度をより正確に評価する方法を考案し、会社はより安定した品質の製品を生産できるようになった。酵母は生き物なので絶えず増殖・分裂するが、ゴセットはデータを調べ、酵母細胞の数をポアソン分布でモデル化。

ゴセットはバイオメトリカ誌の編集者だったピアソンと親密になり、ピアソンはゴセットの論文を掲載したがったが、ギネス社は従業員での発表を禁止していた。そこでゴセットは「ステューデント」というペンネームで論文を発表した。

「以後30年以上にわたって、ステューデントは一連のきわめて重要な論文を書き、そのほとんどすべてがバイオメトリカ誌に掲載された」。ステューデントのt検定で有名ですね。仕事の多くは勤務時間後自宅に戻って行われていた。ゴセットは他人の気持ちを敏感に察し親切で思慮深い人だったそうです。

ゴセットは、そもそもの観測データは正規分布に従うと仮定していたが、実はもとの観測データが正規分布に従うかどうかにかかわらず、ステューデントのtが同じ分布を持つことが後にスタンフォード大学のブラッドリー・エフロンによって証明されている。

2012年11月24日土曜日

世界の経営学者はいま何を考えているのか―知られざるビジネスの知のフロンティア


入山章栄さんの『世界の経営学者はいま何を考えているのか』はおもしろい。お薦めです。海外の最新の経営学をまとめて紹介する本は、今までなかったのでとても貴重だと思います。ヤバイ、経営学もちゃんと勉強したくなってきた。最前線というか知のフロンティアってどこもおもしろいよね。とくに経営学は仕事にも直接関係してくるし...

入山さん、本の冒頭、経営学についての三つ勘違いの最初に「アメリカの経営学者はドラッカーを読まない」を持ってきていて、「つかみはOK」ですね。日本人がなぜこれほどドラッカーが好きなのかは本当に謎です。
「これは確信を持って言いますが、アメリカの経営学の最前線にいるほぼすべての経営学者は、ドラッカーの本をほとんど読んでいません」
「アメリカのビジネススクールの教授の大半は、ドラッカーの本を『学問としての経営学の本』とは認識していないし、研究においてもドラッカーの影響は受けていない、ということです」「おそらくドラッカーの言葉は『名言ではあっても、科学ではない』からではないでしょうか」

「ビジネススクールにいる経営学者のするべき仕事とは、『企業経営を科学的な方法で分析し、その結果得られた成果を、教育を通じて社会に還元していく』ことであると、アメリカの主要なビジネススクールでは考えられているのです」
「真理の探究のためには、可能なかぎり頑健な理論を構築し、それを信頼できるデータと手法でテストすることが何よりも重要です。これは、他の科学分野、たとえば物理学や化学、あるいは経済学でも同じことです」

現在の世界のマクロ分野の経営学は主に三つの理論ディシプリンから構成されているそうだ。1)経済学ディシプリン、2)認知心理学ディシプリン、3)社会学ディシプリン。マイケル・ポーター、オリバー・ウィリアムソンは1、ハーバード・サイモン、ジェームス・マーチ、ダニエル・レビンサールは2。
近年は企業間でハイパー・コンペティションが進展していて、もはやライバルとの競争を避けるというポーターの競争戦略では不十分らしい。ユニークなポジションを取りつつ攻めの競争行動が有効である可能性があると。

情報の共有化は重要だが、組織全員が同じ知識を持つことは非効率であり、むしろだれがどの知識を持っているかを組織メンバーが正確に把握することが重要だと。日本企業では、たとえば総合商社が優れたトランザクティブ・メモリーを持っているのではないかと。
元コンサルとかの著名ブロガーが書く、独善的な「なんちゃって経営論」や「とんでもビジネス論」を読む時間があれば、入山さんが紹介しているアメリカの経営学者の論文を読む方がはるかに有益ですね。でも社会人だとなかなか論文にアクセスできないかも。

『Myles Shaverが1998年に「海外子会社設立時に独自資本と買収のどちらがいいか」についての論文で指摘するまで、経営学者が「内生性の問題」に無関心だった』というのは、驚くべきことだなぁ。
「『当面の事業が成功すればするほど、知の探索をおこたりがちになり、結果として中長期的なイノベーションが停滞する』というリスクが、企業組織には本質的に内在しているのです。これが『コンピテンシー・トラップ』と呼ばれる命題です」
『コンピテンシー・トラップ』の命題を、5年前の某弊社に捧げよう...

経営学のコンセンサスの一つに「イノベーションを生み出す一つの方法は、すでに存在している知と知を組み合わせることである」ということがあるそうだ。実はこれと全く同じ事を星新一が自分の小説を書く方法として語っている。また、イノベーションという概念の生みの親ともいえるシュンペーターも次のように述べているそうだ。
「他のものを創造すること、あるいは同じものを異なる方法で創造することは、これらの構成素材・影響要素を異なるやり方で組み合わせることである。いわゆる開発とは、新しい組合せを試みることにほかならない」

欧米亜ではビジネスを科学的に研究しようとしてますが、なぜか日本では少ないようですね。
日本、米国、欧州はそれぞれ企業文化も違うので、ビジネスの科学的な研究の結果をそのまま日本に持ち込んでもうまくいかないかもしれませんが、少なくとも科学的に研究する手法には学ぶべき点は多いと思います。
日本企業では、一人ひとりはとても優秀なのに、それを活かせなくて全体としてはパフォーマンスが悪いという例が多いんじゃないかと思います。マネジメントを科学的に研究する米国の手法をうまく活かせば、日本企業にはまだ伸びしろがあるんじゃなかろうかと感じているところです。

2012年11月5日月曜日

行動経済学と行動ファイナンス

池尾和人さんの「社会科学的な経済学と行動科学的な経済学」は、刺激的で面白かった。
「よく「合成の誤謬」といったことに言及されるように、個別の主体の行動がそのまま社会的に帰結につながるわけではない。しかるに、いまの行動経済学は、それが記述するような行動バイアスを持つ人間が相互に作用したときに、どのような帰結が生まれることになるのかについてほとんど何も語っていない。そうである限りは、行動経済学は、よくて伝統的な経済学を補完するものであって、後者を置き換えるようなものでは絶対にあり得ない。レビン(David K. Levine)の主張の核心は、まさにこの点にある。」

私は行動経済学についてなにも知らないので「行動経済学は、よくて伝統的な経済学を補完するものであって、後者を置き換えるようなものでは絶対にあり得ない」という池尾さん、レビンの主張について私は判断できないけど、キャンベルが行動ファイナンスについて似たようなことを言っていたのを思い出した。

「我々は行動ファイナンスについて、投資家の行動のある種の典型や、おそらくは資産価格のある種の傾向を説明できる可能性を持つ有望な研究分野として認識している。しかしながら、規範的なアセットアロケーションの理論に対して、確かな基本原理を与えるものとは考えていない。
第一に、多くの行動モデルの動機となっている実験結果は、リスクに対する個人の反応にもとづくものであるが、このリスクは必然的に小さい。生涯にわたって蓄財している個人に対して、彼らが直面する大きなリスクの実験を企てることは不可能である。
第二に、たとえ行動ファイナンスが、投資家がどのように振舞っているのかを性格に描写できたとしても、どのように振舞うべきかを描写することはできないであろう。投資家がファイナンス教育やFPのアドバイスの恩恵を受ければ、投資家は行動バイアスを捨てるかもしれないのである。
標準的なファイナンス理論の利用は、投資家の行動を実証的に描写する行動ファイナンスとは矛盾しない。実際、投資家がすでに成功裡に最適ポートフォリオの決定を行っている場合よりも、投資家が行動バイアスに支配されている場合の方が、規範的な分析に対する動機はより強い。」