池尾和人さんの「社会科学的な経済学と行動科学的な経済学」は、刺激的で面白かった。
「よく「合成の誤謬」といったことに言及されるように、個別の主体の行動がそのまま社会的に帰結につながるわけではない。しかるに、いまの行動経済学は、それが記述するような行動バイアスを持つ人間が相互に作用したときに、どのような帰結が生まれることになるのかについてほとんど何も語っていない。そうである限りは、行動経済学は、よくて伝統的な経済学を補完するものであって、後者を置き換えるようなものでは絶対にあり得ない。レビン(David K. Levine)の主張の核心は、まさにこの点にある。」
私は行動経済学についてなにも知らないので「行動経済学は、よくて伝統的な経済学を補完するものであって、後者を置き換えるようなものでは絶対にあり得ない」という池尾さん、レビンの主張について私は判断できないけど、キャンベルが行動ファイナンスについて似たようなことを言っていたのを思い出した。
「我々は行動ファイナンスについて、投資家の行動のある種の典型や、おそらくは資産価格のある種の傾向を説明できる可能性を持つ有望な研究分野として認識している。しかしながら、規範的なアセットアロケーションの理論に対して、確かな基本原理を与えるものとは考えていない。
第一に、多くの行動モデルの動機となっている実験結果は、リスクに対する個人の反応にもとづくものであるが、このリスクは必然的に小さい。生涯にわたって蓄財している個人に対して、彼らが直面する大きなリスクの実験を企てることは不可能である。
第二に、たとえ行動ファイナンスが、投資家がどのように振舞っているのかを性格に描写できたとしても、どのように振舞うべきかを描写することはできないであろう。投資家がファイナンス教育やFPのアドバイスの恩恵を受ければ、投資家は行動バイアスを捨てるかもしれないのである。
標準的なファイナンス理論の利用は、投資家の行動を実証的に描写する行動ファイナンスとは矛盾しない。実際、投資家がすでに成功裡に最適ポートフォリオの決定を行っている場合よりも、投資家が行動バイアスに支配されている場合の方が、規範的な分析に対する動機はより強い。」
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