2013年12月31日火曜日

『古都がはぐくむ現代数学』

面白いです。数学、物理に興味がある人にお薦めです。数学者の研究・生活、現代数学の流れ、数学と物理の関係などが数学の専門家以外にも分かるように描写されています。 

主な登場人物は彌永昌吉、秋月康夫、佐藤幹夫、河合隆裕、柏原正樹、神保道夫、三輪哲二、広中平祐、森重文、井原康隆、望月新一、荒木不二洋、小嶋泉、九後汰一郎、中西襄、大栗博司、伊藤清、湯淺太一、岡本久、山田道夫、岩田覚、藤重悟、室田一雄、などです。

「数学の最も親しい友人は物理学である。新しい物理は新しい数学を生み、新しい数学は新しい物理を支え続けた」

宇宙際幾何学者
京都大学数理解析研究所・教授
望月新一

大栗博司氏は『古都がはぐくむ現代数学』にも出てきます。
大栗博司氏の高木レクチャーの記録
"Geometry As Seen By String Theory" 
Hirosi Ooguri(2008)

「代数的量子論とミクロ・マクロ双対性」小嶋泉(2007)

座談会「数物学会の分離と二つの科学」
出席者*:彌永昌吉 伏見康治 今井 功 岡部靖憲〈東大工〉 小嶋 泉〈京大数理研〉桑原邦郎〈宇宙科学研〉
(司会)江沢 洋〈学習院大理〉[1995年10月9日,機械振興会館にて]

205ページに伊藤清氏の最初の論文の冒頭が掲載されているんですが、手書きのガリ版刷りなんですね。ここから始まったのかと思うと感慨深いです。
「条件付確率法則の定義に就いて」伊藤清(1942) (PDF)

大阪大数学のHPで紙上談話会の論文読めます。

伊藤清博士ガウス賞授賞記念行事 2006年9月14日(木)
ガウス賞伝達式
(日本数学会のビデオ・アーカイブ)

「マートンは後に伊藤の数学について「連続時間モデルの数学には、確率論と最適化理論の最も美しい応用が含まれている。しかし、もちろん科学的に美しいものすべてが実用的であるべきだとは言えない。それとまた、科学では実用的なものがすべて美しいわけではない。だが、ここにはその両方がある」と」
マートンは元々は応用数学だったので、ちゃんと伊藤解析を勉強していたらしい。ブラックとショールズはおそらくそうではない。

かな漢字変換システムWnnの名前の由来。当時、PCよりも劣るWSの単文節変換に対して、せめて「私の名前は中野です」という文を一発で変換してほしいと中野秀治氏が主張したことから、Watashi、Namae、Nakanoのローマ字の最初の文字をつなげてWnnとしたそうだ。

クレイ数学研究所のミレニアム賞金問題7題

「ナヴィエ‐ストークス方程式の理論は、偏微分方程式論の常としてきわめて技術的である。しかし、読者はその技術的な困難に圧倒されてはならない。本当に重要なアイディアは技術の細部とは無関係であろうと筆者は信ずる。まだ手のつけられていない問題がきっと隠れているに違いない」岡本久

「最も単純化した方程式から次第にモデルを複雑にし、方程式の階層を考え、順に解の性質を調べる。最も単純化したモデルは現実を直接に記述しないとしても、その解はより複雑な方程式を調べるときの貴重な情報となる」 山田道夫

「このように、対象に近くまで迫れない場合、コンピュータと理論を中心とした解析、つまり数理科学の方法こそ最大の「武器」となる」

岩田覚、藤重悟、リサ・フライシャー、アレクサンダー・スクライファーは、劣モジュラ関数(離散的な問題での凸関数に関係)の最小化の研究により、2003年の国際数理計画シンポジウムで離散数学分野では最高の賞であるファルカーソン賞を受賞した。

「数学は体力だ!」アンドレ・ヴェイユ

「朝起きた時に,きょうも一日数学をやるぞと思ってるようではとてもものにならない。数学を考えながら,いつのまにか眠り,朝,目が覚めたときは既に数学の世界に入っていなければならない。どの位,数学に浸っているかが,勝負の分かれ目だ。数学は自分の命を削ってやるようなものなのだ」佐藤幹夫

「所員をなるべく雑用から解放し、静かに数学に没頭できるようにすること、それがまず必要」
京都大学数理解析研究所所長の森重文氏。「何が一番大事か」との質問への答え。

「昼ご飯をカフェテリアに集まって食べるというルールは他分野の話を聞くにはもってこいです。物理、生物、情報の人と共通話題を探していると、同じ概念の全く違う見方に出会います。当初の研究計画などは関係ありません。IHESは研究者の楽園でした」 小谷元子

数理解析研を含む京都、大阪の数学に対して東洋紡の社長を務めた谷口豊三郎が「谷口奨励会」という科学技術の援助組織を戦前に立ち上げて援助されていたそうだ(76年に谷口財団となり、2000年に解散)。

京都大学数理解析研究所 講究録は設立以来の1800冊以上が全文公開されている。これはすごいな。

2013年12月21日土曜日

『重力はなぜ生まれたのか』 ブライアン・クレッグ

「現在、科学者たちは宇宙をたった二つの基本的な理論で説明しようとしている。一般相対性理論と量子力学である。一般相対性理論は重力の法則であり、宇宙の大規模な構造がどのように形成されるかを明らかにしてくれた」ホーキング

「アインシュタインの相対性理論が革新的なところは、速度を加速度に置き換えたことだ。そして、加速度と重力は区別できないことを明らかにしたことにある」

ISSの中の宇宙飛行士は静止していれば地上の90%の重力を感じるが、実際には軌道運動のため遠心力が働き、これが重力と相殺して無重力状態にいると感じる。

・物理現象をどのような座標軸でながめるのか?
・光はどの座標系から見ても同じ速度で進むのか?

光は最短距離をとるように進む(最短時間で進む道を通る)。フェルマーの原理と呼ばれる。

アインシュタインが特殊相対性理論などを発表した「奇跡の年」1905年の10年前にウェルズの小説「タイムマシン」が出版されている。その小説の中で時間を4番目の次元としている。

「時空」という概念はヘルマン・ミンコフスキーが提案した。

3次元空間を1次元にまとめてしまって、空間と時間の2次元で考えるという発想はすごいな。

アインシュタイン方程式というのが出てきた。ニュートン力学だと重力に影響するのは質量だけだった。アインシュタインの理論だと、質量、速度、エネルギー、圧力が影響してくる。

質量は時空を歪める。相対性理論の世界では質量は速度に依存する。質量と速度は姿を変えているけれど同じ(E=mc^2のこと)。圧力も重力に影響を与える。

質量に由来する重力の影響は時間にも及ぶ。「空間の歪みは時間にも及ぶ。同時に時間の歪みは空間にも及ぶ。これが相対性理論のエッセンスだ」

gravitoelectromagnetism(重力電磁気力)。重力があたかも電磁気力と同じような影響を及ぼす。マクスウェル方程式と同じ形式で表現できるため重力電磁気力と呼ばれている。

宇宙を支配する四つのの力。重力、電磁気力、強い力、弱い力。後ろの二つは核力。

「量子は、フェルミオンとボソンという二つの種類に分けられる。二つの形式的な違いは、素粒子のスピンの大きさの差である。ここでいうスピンは、実際に回転している量を意味するものではない」

「フェルミオンが同じ場所に複数あるとしよう。すると、それぞれ異なる量子状態をとらねばならなくなる。これがパウリの排他原理である」

「太陽の2倍の質量(トルーマン・オッペンハイマー・ヴォルコフの限界質量)を超えると中性子星は壊れる。つまり、重力崩壊する。行き着く先は、想像どおりのブラックホールだ」

星からできたブラックホールの典型的な半径は、実はたったの15キロメートル

ブラックホールの特異点というのが出てきた

角運動量をもたないものはシュヴァルツシルト・ブラックホール、角運動量をもつ(自転する)ものはカー・ブラックホールと呼ばれる。あと、ライスナー・ノルドシュトルム・ブラックホール、カー=ニューマン・ブラックホールというのも出てくる。

反物質が出てきた

「ディラックは量子論と特殊相対性理論を結びつける数学的な方法を見出した。それまで量子論はニュートン力学的な時空で考えられていた。ディラックはシュレティンガー方程式を相対論的な速度で運動する量子に適用できるようにした」

「対称性」の重要性を最初に指摘したエミー・ネーターの庇護者としてヒルベルト登場。

この本は、私のような物理の素人にも説明が分かりやすいです。顔写真が多いので物理学者に親近感がわきます。

Theory of Everythingへの道。実はM理論のMが何を意味するのか誰も知らない。

「従来の量子論でもっとも際立つ結果の一つは、不確定性原理である。その例は「量子の位置と速度を同時に、正確に知ることはできない」というものだ」 

「その複雑さと、予測できることがないことで、M理論は検証不可能な理論になっている。この先、理論がどこに落ち着くか、誰もわからない。科学の”聖杯”の前によろめいているようにも見える」

「弦理論とM理論に挑むのは、ループ量子重力理論である。この理論では、10次元や11次元はでてこない。その分、非常にシンプルである。しかし、ひもや膜のような基本的なユニットがないので、より抽象的な視点で理解する必要がある」

チェコ生まれでバークレイ物理学研究所で研究しているPetr Horavaは、空間と時間に本質的な区別をつけた。一般相対性理論と量子論を融合させるより、まず一般相対性知豚をバラバラに分解し、万物の理論を構築するときに問題となることを逐一取り除いていく方法をとった。

「現時点で有力な量子重力理論は、弦理論かループ量子重力理論だろう。どちらを選ぶかは、ある意味、どの宗教を選ぶかに似ている。いずれの理論も複雑な数学を使って構築されている。一方で、どちらがいいかを判断する観測も実験もできない」

「アインシュタインが重力波の存在を予言してから40年後、重要な発見があった。ポール・ディラックが重力場の新たな方程式を解き、重力子(グラヴィトン)が重力を媒介することを予言したことだ」

Petr Horava

「グラビトン」といえば、『大鉄人17(ワンセブン)』の必殺技ですね。

「重力レンズによってできる像は、「私たち」、「レンズ源として機能する銀河」、「レンズ効果を受ける背景の銀河」、これら三つの位置関係で決まる」

「最近の観測から、宇宙は加速膨張していることがわかってきた。この加速膨張を担うものは、ダーク・エネルギーと呼ばれている」

物理学の基礎を理解した人でも、反重力を信じて真面目に研究し続ける人もいるんですねえ。例としてエリック・レイスウエイト、トーマス・タウンゼント・ブラウン、ニコラ・テスラがあげてある。

「ファインマンは講演の冒頭で、いつもこう説明する。「物理学は究極の質問である”なぜ?”に答えることはない」」

「自然がいかに振舞うかを少しずつ理解していき、やがて法則を知り、いくつかの大切な定数の値を知る。それでも私たちは次の問題に答えることはできない。「なぜ重力は引力なのですか?」」

「ファインマンはまた言う。「科学は”なぜ?”」という問いに、意味のある答えをだせない」

「私達がある理論を好むか否かは問題ではない。重要なのは理論が実験で検証できる予測を与えるかどうかだ。理論が哲学的な見地から見て好ましいとか、理解しやすいとか、常識に合っているかという問題ではないのだ」(ファインマン)

「その理論が喜ぶに値するかどうかは問題ではない」
「難しいことは確かだ。でも、そんなものは放っておけばよい。常識など消し去ればいいのさ」(ファインマン)

「宇宙が誕生したとき、すべての素粒子の質量はゼロだったと考えられています。ところが、その後、さまざまな種類の素粒子がそれぞれ質量を獲得したことになります。そのときに活躍するのがヒッグス粒子です」

「宇宙は誕生して間もなく、「自発的対称性の破れ」という現象を経験します。これは2008年にノーベル物理学賞を受賞された南部陽一郎氏が、1960年に提案したアイディアです。ヒッグス氏はこの現象に着目しました」

『重力はなぜ生まれたのか』は物理学者の写真や図が豊富に載せられていて親近感がわくのだけれど原著『Gravity』にはないらしい。これは原著より翻訳を買いたい。

『確率論と私』 伊藤清

伊藤清の『確率論と私』、すごく面白い。

「数学は論理的には集合の理論にすぎないのです」
「すべて数学分野の定義や定理は、すべて集合論の枠の中で表現でき、定理の証明も集合論の言葉で記述することができます。この意味で数学は論理的には集合論であると申したのであります」

「しかしどこまで進んでも実在は更に複雑で、科学者の立場からすれば、数学を近似的模型として利用するにすぎない。したがって数学者が苦心して作りあげた厳密な理論などはあまりに顧慮しないで、相当乱暴な数学のつかい方をする」

「物理学は存在そのものを研究する学問で、数学は物の存在形式を研究する学問である」ヘルマン・ワイル

『確率論と私』に収録されている「コルモゴロフの数学観と業績」は、一読をお薦め。

伊藤先生は学生の頃、コルモゴロフの『確率論の基礎概念』を読んで確率論を志したそうだ。
コルモゴロフによれば、数学は「実世界における数量関係と空間形式の科学」である。
コルモゴロフの『確率論の基礎概念』は、ちくま学芸文庫で手に入る。
コルモゴロフとかオイラーって、すごいという言葉しか浮かんでこない

伊藤先生は大学卒業後、内閣統計局に就職している。理解のある上司だったので、仕事をしないで、自由に研究させてもらえたそうだ。その上司とは秋篠宮妃の祖父。

岩波の「数学辞典」の第三版の編集責任は伊藤清先生だったのか
岩波の数学辞典の英訳を世界中の科学者が待っていたのか。すごいことだな。
伊藤先生の「確率微分方程式」に関する論文を書き上げたときは戦後の困窮で出版用の紙も不足しており日本のジャーナルはどこも載せてくれなかった。そこでドゥブ教授に論文を送って相談し、親切な取り計らいによってアメリカ数学会のメモワール・シリーズの一冊として1951年に刊行された。

「私が想像もしなかった「金融の世界」において「伊藤理論が使われることが常識化した」という知らせを受けたときには、喜びより、むしろ大きな不安に捉えられました」

『確率論の私』の巻末に<付録>として伊藤先生による確率微分方程式の生い立ちと展開の解説がある。

「ここでY_s_(i-1)をとることが大切でStieltjes積分の場合のようにY_τ_i(s_(i-1)≦τ_i≦s_i)をとったのではうまくいかない。この点についてはその後物理学者や工学者の間で物議をかもしたがこれについてはStratonovichの積分と関連して後で述べる。
しかし私自身は、(1.1)の直感的意味から考えて、Y_s_(i-1)をとることに、何の抵抗も感じなかったし、またMarkov過程の精神からいえば、むしろ自然であると考えた。
私がこの理論を始めた頃は、第二次世界大戦の最中で、印刷も容易でなく、大阪大学の『全国紙上数学談話会誌』(1942年謄写版刷り)に日本語で書いて発表させて貰ったが、興味をもってくれた人は二、三人であった。今の状態と比較して今昔の環に堪えない。
確率積分や確率微分は、必ずしもWiener過程を基礎にする必要はなく、もっと一般にマルチンゲール理論を背景として考えるべきであることは、J.L.Doobが指摘し、渡辺信三、国田寛の両氏が極めて一般的な美しい理論を作り、その場合にも変換公式が成り立つことを示した。
またP.Meyerはさらに精密巧緻な理論を組立てている。これらの現代理論については渡辺信三著『確率微分方程式』(産業図書、1976)を参照されたい。」

2013年11月16日土曜日

小宮龍太郎 『経済学 わが歩み』

小宮隆太郎氏の『経済学 わが歩み』3章まで読んだ。

「私自身は数学があまり得意ではなく歯が立たないこともあったが、学者としてスタートした時期に、数理経済学を勉強したことのメリットは計り知れないほど大きかった」

「経済学のさまざまな問題を考えるとき、論理的整合性のある数学的理論モデルに基づいて考える習慣が身についた。アメリカに行ったときも数学的理論を正確に理解していたことは大いに役立った。折々に経済学の基礎理論の話が出てきたが、まごつくことが一切なかった。このような経験から私は、若い時期には経済学の基礎理論とそのために必要な数学(それは時代とともに変化してゆくが)をしっかり勉強することが大切だと思っている」

都留氏がハーバードで博士号を取った時の指導教授がシュンペーター。都留氏の紹介で小宮氏はレオンチェフ主催のハーバード経済研究所に勤務することに。都留氏と同年代にハーバードで学んだ経済学者はサミュエルソン、トービン、スウィージー、バーグソンなど。
小宮氏はチャールズ・キンドルバーガーとも長い付き合い。
線形計画法のジョージ・ダンツィグは謙虚そのものだったそうだ。日本に来たときに小宮氏が一週間ほど通訳をしたそうだ。

ハーバードでは線形計画法、投入産出分析、計量経済学などの数理的研究を行ったが、それよりももっと大きなことを学んだ。「身近な経済問題を経済学の立場からどう考えるかということだった」

「ハーバードでは、昼食の際に学者同士が日々の経済問題を語り合っていたし、セミナーでは時事問題を経済学でどう考えるかが話題になっていた。アメリカでは身の回りの経済問題を論議するとき、まずは標準的な経済理論に基づいて考える。まずはスタンダードな経済学的アプローチで、どう理解したらよいかを考えることが重要である。つまり経済学者とは、自分の国の身近かつ重要な問題を、標準的な経済学の理論に基づいて考え研究する学者なのである。ところが当時の日本では、「経済学の理論」と「現実の経済問題」が、ほとんど乖離した状態だった」

「経済学という学問は、理論を習っても実際にそれを使えなければ意味がないと私は思う。現実の経済に対して理論を使うことは、経済学を理解する上でもとても重要だ。アメリカの経済学者は、常識では簡単に理解できない経済現象を、経済学的に分析してよく理解し、その理解を初心者にもわかるように説明するという基本姿勢を持っていた」

都留氏は、日本人の経済学者は「経済」を学んでいるのではなく、「経済学」を学んでいるから「経済学学」だといって経済学者を批判していたそうだ。

2013年11月15日金曜日

グリーンスパンの金融政策


『金融依存の経済はどこへ向かうのか』の第2章、翁氏による「グリーンスパンの金融政策」、おもしろいです。

FRBは民間の経済活動に干渉するようなことをせず、自由に任せる一方で、全体としての経済が困難な状況に陥った場合には、FRBが全力を挙げて対蹠するという方針をとった。これは、うまくいっているときには成果はそのまま市場参加者のものになり、まずい事態になったときにはFRBが尻拭いをしてくれる、ということになる。こうした方針は「グリーンスパン・プット」と呼ばれるようになり、民間のリスクテイクを促進する一因となった。

金融政策方針を決定するFOMCの議決は多数決による。執行部であるFRBの議長といえども、FOMCの委員としては1票を有するにすぎない。しかしグリーンスパン時代のFRBでは彼は圧倒的な影響力を持ち、FOMCの決定はつねに彼の議長提案を追認するものとなり、反対票が投じられることすら極めてまれであった。

グリーンスパンの見解がFOMCで少数派であった場合も全員一致で決定するという方針にこだわった。ブラインダーによると、グリーンスパンは反対票を最小限に抑えるため、利上げ幅、バイアス等について妥協することもあったが、委員会メンバーのグリーンスパンへの追随傾向はグリーンスパンの神格化が進んだ在任任期後期に強まった。

ラジャン=ジンガレスの『セイヴィング・キャピタリズム』では金融システムがリスクテイクに与える影響を概ね以下のように説明している。まず、英国・米国などアングロサクソン型金融システム(資本市場などを使ったアームスレングス金融)と日本・ドイツ型の金融システム(銀行による金融仲介が中心のリレーションシップ金融)を比較している。出版社の比喩で前者をベストセラー狙いで審査が甘い「軽率出版」、後者を審査が厳格で良書しか出さない「古色堂」としている。そして技術改良期にはリレーションシップ型のパフォーマンスが高いとしたうえで、90年代以降の技術飛躍期(出版社のたとえでは、なにがベストセラーになるかわからない時期)については、アングロサクソン型が優位にたつ、とする。革命的な技術革新が、まったく新しい・収益性の高い市場を作り出す時期については、リレーションシップ方の厳格審査は、その好機をつかむことができない、とする。革命的で前例がないものは銀行の厳格審査を通りにくいからである。
これに対し、アングロサクソン型では、多数の失敗企業にも資金提供がなされるものの、革新的な企業にも多くの資金供給をすることができる。革命的な技術革新が進行する時期には、成功から生み出される膨大な価値が、失敗のコストを圧倒的に上回る。したがってアングロサクソン型の方が技術革新に対する金融方法としてうまく機能する。

グリーンスパンの見方はリスクテイクと成長の関係について概ね肯定的ではあるが、慎重で決して単純に両者を結びつけているわけではない。一方で、物質的な豊かさ、すなわち富を生成するためには、人々はリスクを取ることが必要である、と肯定的見解を示しているが、他方で、リスクを取るほど成長率が高まるとは言えないとも述べ、無謀な賭けをしたときに最後に元をとれることは滅多にない、とする。つまりビジネス上の判断における合理的な計算に基づくリスクテイクが必要というのが彼の主張である。その際、経済活動の自由の制限や、政府による企業の規制、成功したベンチャーに対する重い税負担は市場参加者の意欲を阻害するに違いない、とも述べている。
さらにグリーンスパンは、リスクテイクの政策的促進によって成長のカギになる生産性上昇率が大きく動かせると考えていた、とも考えにくい。回顧録では、アメリカが技術で最先端に位置している限り、長期的な生産性の伸び率が年0~3%であることを過去の実績が示している、と述べていて技術が最先端にある経済の長期的な生産性の伸び率は3%程度が上限であることを明確に意識していた。

他方、金融規制には明瞭に反対している。
彼の基本的な考え方は、市場は巨大化し複雑になり、動きが早くなっているので、二十世紀型の監督や規制では対応できない、というもの。監督当局者としての経験に照らし、グリーンスパンは、金融システム安定のかなめは当局の規制監督ではなく、市場の中において金融機関同士の取引相手に対するモニタリングであると考えるようになる。危機を防ぐためにもっとも有効な対策は、最大限に市場の柔軟性を維持すること、つまりヘッジファンドやプライベート・エクイティ・ファンド、投資銀行など、主要な市場参加者が行動を制約されず自由に動けるようにすることである、という結論に達する。金融監督当局は、業務リスクと企業や消費者の不正行為の分野についてのみ、二十世紀型の規制の原則を残すべきだ、と。
「規制はその性格上、市場の自由な動きを制限し、速やかに動いて市場を再均衡させる自由を制限する。この自由を損なえば、市場の均衡プロセス全体がリスクにさらされる」

一方、リスク・プレミアムが低下しすぎ、反動がきつくなることの危険性については的確に読み取っていた。回想録の中でも、過去20年間で特徴てきだったのは、一貫したリスク・プレミアムの低下であり、2007年半ば時点でジャンク債のスプレッドは信じがたいほど低くなっていると指摘している。

グリーンスパンの金融政策には2つの柱がある。1つは「後始末戦略」であり、もう一つは「リスク管理アプローチ」である。前者はバブルの膨張期には抑制に動かず、バブル崩壊後に思い切った緩和的政策でバブル崩壊の悪影響を極力相殺するというもの。Fed Viewとしても知られている。後者は最悪の事態に保険をかける政策運営である。
グリーンスパンは、株式市場がバブルだとして判断して空気を抜きたいと望んでも、それが可能なのか疑問だとしている。そしてFRBにとって最善の方法は、財とサービスの物価を安定させるという中心的な目標に徹することだ、とういう結論に達する。FRBが「十分な情報を持った数十万の投資家」より優れた判断ができるとは考えない。そして、暴落が起こった場合に経済を守る任務に専念する。
もう一つの「リスク管理アプローチ」は小さな確率の大きなリスクに備えるというもの。ロシアの債務危機のとき、ロシアのデフォルトでアメリカも深刻な影響を受けるリスクは確率は低いものの確実にあると判断した。そのシナリオが実現する確率はかなり低いが、万一実現した場合には、経済の安定性が大きく損なわれる結果になりかねず、それは金融緩和によって起こりうるインフレ率の上昇よりも経済の繁栄に大きな脅威になる、と考えた。
このグリーンスパン流のリスク管理アプローチは、ジョン・テイラーなどが主張しているルール・ベースの政策運営ルールとは鋭く対立するもので、当然ながらテイラーなどから批判されている。

特に、議論になるのは、このリスク管理アプローチが、2003年にデフレのリスクを重視し、あえてバブルが発生するリスクをテイクする、という政策をグリーンスパンに意図的に採らせる結果になった点である。回顧録で「デフレという悪性の病にかかる可能性を完全になくしておきたかった。そのためには利下げによってバブルが発生するリスク、ある種のインフレ型ブームになって、後に抑えこまなければならなくなるリスクをとることもいとわないと考えた」と説明してる。

彼は、世界経済へのデフレ圧力と金利低下圧力には強い恐怖を感じていた。「政策発動や、インフレと戦う中央銀行という信任が過去十年から二十年の長期金利の低下に主導的な役割を果たしたと言う見方は、大いに疑問である。長期金利の低下(そして謎)は金融政策以外の要因で説明できる。実質長期金利の低下圧力は世界に広がっていたが、われわれがそれに対抗する資源をもっていたのか疑問に思う。日本は、あきらかに対抗できなかった」
この時期、金融政策と財政政策を総動員しても、デフレから抜け出せない日本の経験が、グリーンスパンに大きな恐怖を与えたことも間違いない。
「デフレに陥りそうな状況になったとしても、印刷機をまわしてデフレの悪循環を防ぐのに必要なだけの紙幣を供給すれば、問題は解決する。そう私は考えていた。だが、この確信は揺らいでいた。この時期、日本はいってみれば、通貨供給の蛇口を全開にしている。短期金利をゼロにまで引き下げている。財政政策を思い切り緩和し、巨額の財政赤字を出している。それでも物価は下がりつづけていた。」
財政政策については基本的には均衡財政論者であり、財政ルールにより政治的な逸脱を予防することを支持する立場。

翁氏は最後に以下のようにまとめている。金融には技術革新の種を生み出すことはできず、技術革新の種が枯渇しているときに、金融的なリスクテイクが経済成長の主役になることはできない。グリーンスパン時代の1996年‐2004年の米国の労働生産性の高まりの原動力は金融政策ではなく第3波の技術革新の影響と考えるのが自然である。金融は技術革新が実を結ぶよう支援することで引き続き重要な役割を果たす。しかし、それは経済の牽引役というより、あくまで補佐役であるべきだろう。

2013年11月3日日曜日

『日本の競争戦略』 マイケル・E・ポーター

「日本の半導体メーカーの後退理由は何であろうか。端的にいってしまえば、これらの企業はすべて、オペレーション効率のみによる競争の犠牲となったのである。相互破壊的な消耗戦は現在も続いている」
「(97年当時)すべての日本の半導体メーカーは、トランジスターからマイクロ・プロセッサーまでフルラインの製品を揃えている。対照的に米国の半導体メーカーは、何をしないかについて終始明確であった。例えば95年までにTI以外の全メーカーは、メモリー・チップから撤退している」
「継続的改善の積み重ねは、戦略ではない。競合他社の模倣や同じ手法を少し上手に行うことも、戦略とは呼べない。競争に対するこのような日本企業のアプローチと戦略の欠如がもたらす危険性は、いくつかの代表的な産業事例によって鮮明に例証されている」
「他のアジア諸国のメーカーは、汎用製品において日本のオペレーション手法をたやすく模倣できるようになった。すべてのメーカーが同じ物を提供するなか、顧客は価格を基準に選択し、それは必然的に利益を減少させる結果につながる」
日本の戦略なき競争の例として半導体の他にアパレルとチョコレートが上げてあります。
「すべての顧客に対してすべてのものを提供しようとするということは、戦略へのアンチテーゼである。日本のチョコレートメーカーの類似戦略および模倣戦略は、国内市場の収益性を犠牲にしたのみならず、国際的競争優位を生むいかなる可能性も排除してしまった」
継続的改善のみで戦略がないというのは某弊社も含まれるのでガクブルしてる。
「オペレーション効率は、企業が卓越した業績を追求する二つの方法の一つでしかない。もう一つの方法が、戦略である。すなわち、特色のある製品やサービスを提供し、独自のポジショニングを打ち出して競争する方法である」
「オペレーション効率とは、同じかあるいは似通った活動を競合他社よりもうまく行うことを意味する。戦略の中核は、事業で競争する上で必要な活動を競合他社とは異なるやり方で行うことにある」
「戦略は、独自のポジションを選択し、それに応じて活動を調整するということにとどまらない。戦略とは、顧客に価値を提供する上で、トレードオフを行うことである。トレードオフが発生するのはいくつかの戦略的ポジションとそれらに必要な活動に整合性がかけている場合である」
「つまり、何をしないかという選択が、戦略の核心である」
「戦略を持っている日本企業は希である。日本では継続的なオペレーション効率の改善と戦略とが混同されている」
「戦略の欠如は日本型企業モデルに内在する多くの要素によってももたらされる。成長を追及する一方で収益性を無視する傾向は事業の模倣化と総合化につながる。幅広い製品ラインや多機能性、短いサイクルでの新製品導入等、日本企業に共通の企業行動は戦略上のポジショニングを曖昧にしてしまう」

マイケル・ポーターの「何をしないかという選択が、戦略の核心である」という言葉から、冨山和彦氏の「捨てることにこそ戦略の本質がある」を思い出しました。 『結果を出すリーダーはみな非情である』 冨山 和彦 
「リーダーの不可欠な資質のひとつは、論理的な思考力、合理的な判断力である」
「日本では経済全体としては資本主義だが、会社の中は社会主義的な仕組みで成り立っている」
「利害対立が生じた場面で、ある人たちにとって不都合な意思決定をしなければならないとき、そこで求められるリーダーシップはまったくの別物だ。むしろ現場で力を発揮しているリーダーは、共同体内に不協和音を生じさせるような場面では意思決定ができなくなってしまう」

藤子・F・不二雄

録画しておいたNHKのドキュメンタリーを見ました。

藤子・F・不二雄こと藤本の書斎には落語のテープから雑誌Newton、世界のミステリーまで実に1万点以上。藤本はこれらの全てに目を通していた。

「漫画っていうものを分解してみますと結局は小さな断片の寄せ集めなんでありますね。本を読んだりテレビや映画を見たり新聞を読んだり人と話したり見たり聞いたり、絶えずピッピと感性に訴えるものがあって、あれが使えそうこれが使えそうと捨てたり組み合わせ直したり...」

「そういう作業の結果、1つのアイディアというのがまとまってくるんです。なるべくおもしろい断片を数多く持ってた方が「価値」ということになるわけです」

通常数日かかるネームの作業を藤本は朝、スタジオに行く前の喫茶店などでサラリーマンにまぎれて1時間ほどで仕上げていた。

ネームを仕上げるとスタッフが待つ仕事場へ。机に座るやいなやすぐに原稿の下書きに取り掛かる。無駄口をたたかず、昼の休憩以外は休むことなく、一日一本という驚異的なペースでドラえもんを書き上げていった。

「最盛期には、SF漫画などの連載と平行して、8つの違う雑誌に違うストーリーの「ドラえもん」を書き分けていた」ってすごいとしか言いようがない。尋常ではない。

「現実に身近にある、ああしたい、こうしたいという願望と、前からの知識とか断片をこう組み合わせて「アンキパン」などの道具というのが出来てくるわけですね」

イギリスの作家ジョン・バッカンの「魔法のつえ」という作品の中で少年が魔法使いからもらったステッキを回すと自分が思いもかけないところへ飛んでいく。何十年後かにそのイメージを憶えていて、「どこでもドア」にそれを使った。

「漫画家は普通の人であれ」 藤子・F・不二雄

今気づいたけど、ドラえもんって藤子不二雄名義じゃなくて藤子・F・不二雄なんですね。あれは一人で書いたのか...

ドラえもんは全世界で一億五千万部売れたそうだ。

体が弱く内気な藤本の小学校に我孫子が転校してくる。そして若干19歳の手塚治虫が「新宝島」を発表する。「もしこの「新宝島」との出会いがなかったら僕らは、単に一時期、漫画好きの少年であったというだけで普通の生活に戻っていたと思いますね。そういう意味で僕らのバイブルのような本ですね」

ファーマの経歴

 

ファーマの経歴については『証券投資の思想革命』が割とくわしいですね。家の中のファイナンスの本を見てみたけど意外とファーマ&フレンチのモデルをちゃんと説明している本がない。バーラのモデルの説明は多い。実務上のニーズからそうなるんでしょうが。

裕福な家庭ではなかったので、「ファーマはアルバイトで学費を稼ぎながらタフツ大学で学んだが、そこはボストンの優良大学とはいえ、学者をめざす人にとっては一流とはみなされていなかった」。「ファーマは将来経済学者になろうなどとはまったく思ってもいなかった」

「彼は学生の時に結婚したので、これを機に生活力がいままでよりも重要になった」。「学費の足しにするためにファーマは、株価モメンタムに基づく銘柄推奨を行うマーケット・レターを発行していたハリー・アーンスト教授のもとで働いた」

「(当時)儲けにつながるトレーディング・ルールを開発しようとしたファーマの努力は決して不成功に終わったわけではないが、彼が見つけだした法則は昔のデータではうまくいったが、新しいデータでは効果がなかった」

「バック・テストではうまくいくようにみえることが、実際に投資家がそれを実行しようとすると不冴えな結果になることが多い。その原因は投資環境が変貌したり、市場の反応速度が遅くなったり早くなったり、また同じ投資戦略を大勢の人々が実行するようになって得べかりし利益をお互いに奪い合うから」

ファーマはビジネススクールへの進学を考えるんですが、地元だけに最初はハーバードを考えてるんですね。ところが彼を教えたタフツ大学の教授たちは意外にもシカゴ大学に行くように勧めた。ファーマは「典型的なハーバードのタイプよりはもっと学究肌」だからだと。

「(史上初の本格的な計算機)IBM709型機は当時やっと入手できるようになったばかりであった。ファーマが言うには、長い間、彼と物理学部の職員だけが(シカゴ)大学の中で唯一その使い方を心得ていた。「まるでキャンデー屋の中の子供のように嬉々としていたものだ」」

「シカゴ大学で博士号を得て、1964年彼は同大学の専任講師として迎えられた。何の科目を教えようかと迷って、彼は学部長のマートン・ミラーを訪ねた。ミラーのアドバイスは「いま講座がない科目を教えればいいんじゃないか」というものであった」

「当時シカゴ大学では、金融市場やポートフォリオ構築の理論についてはほとんど講座がなかった。コンピュータの使い方を知っている教授がほとんどいないこともファーマは知った。ファイナンスのカリキュラムの大部分は会計学、企業財務、証券分析などの標準的なコースばかりであった」

ファーマ 「ランダム・ウォーク・モデルを支持する実証的根拠は一貫性がありかつ膨大な量であるが、一方でテクニカル分析の諸理論を厳密に実証的に検証した著作はほとんどない、という点をチャーチストは認めざるをえない。もしもチャーチストがランダム・ウォーク・モデルの証拠を退けるならば、彼自身の理論が同様に厳密な検証を受けていないという弱みがある。思うに、これこそがランダム・ウォーク理論からの挑戦といえる」

ウィリアム・シャープ 「皮肉なことに、プロの投資家どうしがお互いを評価しているよりも、経済学者たちはプロの投資家たちをもっと高く評価している」

1971年の論文で当時シカゴ大学のフィッシャー・ブラックは「バリューライン」の投資成果を厳密に分析した結果、「ほとんどの投資顧問会社では、1人を除いてアナリスト全員をクビにして、その残った1人のアナリストに「バリューライン」を与えるようにすればパフォーマンスが向上すると思われる」

「効率的市場は必ずしも合理的市場ではない。ある特定の銘柄が何らかの理由でその本質的価値よりも高い、あるいは低いという意見の一致をみることがある。しかし、効率的市場ではどんなひとりの投資家も他のすべての人を一貫して出し抜いて単なる幸運以上に利得をおさめることができない」

2013年10月27日日曜日

久保文明氏の米国政治の混乱(上)共和党保守派に世論反発。「茶会」の現実離れ進む。予備選が「過激化」を加速。

金曜日の日経経済教室、久保文明氏の米国政治の混乱(上)共和党保守派に世論反発。「茶会」の現実離れ進む。予備選が「過激化」を加速。米国連邦予算の成立は圧倒的に議会の責任。民主・共和両党、イデオロギー的分極化進む。オバマケアを下院のみで廃棄するのは無理。

「アメリカの大統領制では、予算案の作成・提案から成立まで圧倒的に議会の権限であり責任である。大統領は拒否権を持つにすぎない。不成立の場合、世論の怒りはおのずと議会に向かう」

「このような対立の激化は民主党・共和党のイデオロギー的分極化によってもたらされている。95年~96年の政府閉鎖も40年ぶりに下院で多数党になった共和党新人議員を中心に引き起こされた。この頃、既に二大政党のイデオロギー的純化は高度に進行していたが、それは今世紀に入ってさらに進んだ」

こんにち、イデオロギー的にもっとも保守的な民主党議員より左に位置する共和党員は皆無ないし僅か数人である。70年代にはその数は下院議員総数435人のうち80人台に上っていた」

「2010年中間選挙からは草の根保守の茶会勢力の強い影響力を指摘する必要がある。従来の保守派共和党議員に対してすら、あまりに妥協的で穏健すぎると攻撃する茶会議員は、議員連盟単位では下院で47人を擁するが、影響力は少なくともその3倍程度の議員に及んでいる」

「彼らは10年に成立した国民皆保険を目指す医療改革法(オバマケア)撤廃を公約して当選してきた。」

小選挙区制で戦われるアメリカの下院選挙では接戦の選挙区は全体の一割程度となる。「しばしば共和党保守派現職議員にとって、本選挙で対決する民主党候補よりも、共和党予備選挙に登場する党内右派候補のほうが脅威である」

「彼らは、いわば閉鎖的な観念の世界での集団的催眠状態の中で決定を下してきた。今回の政府閉鎖問題のように、妥協せず玉砕するまで戦った者のみが、予備選挙での生き残りを確実に出来る。ちなみに茶会の急進派はFRBの量的緩和への反対のみならず、FRBの廃止まで要求している」

オバマが今回オバマケアと借り入れ限度額引き上げについて一切交渉しないと明言してきたのは11年に妥協したことが教訓になったらしい。結局、下院共和党はほとんど何も獲ることがなく、逆にオバマはシリアとFRB人事の失態から浮揚させることになった。

バフェットは「債務不履行は政治における大量破壊兵器であり、絶対使用されてはならない」と言ったそうだが、来年初めには同じ戦いが控えているんですね。共和党の動向は他人事ではなくなってきている。

2013年10月26日土曜日

日経、金融ニッポン。「長期投資が運用力鍛える プロを増やせ」

「国内の投資家の存在感が低下している」

カナダのオンタリオ州公務員年金基金は6兆円を300人で運用しているそうだ。運用担当者の報酬は成績次第。一方、GPIFは120兆円を70人程度で運用。深刻な問題はプロが足りない事だ、と。まあ、人数じゃないと思いますけど。アロケーション決めるだけならそんなに人数いらない。

JPMの菅野氏の「多様な資産に投資するには、長期的に1000人くらいの専門家が必要だ」という意見もどうかなと思いますね。バフェットみたいにほとんど1人でやっているひともいるし、クオンタム・ファンドも昔はソロスとロジャーズの二人でやってたし。人数が多けりゃいいもんじゃないです。

「企業年金や投資信託でも本当の専門家が豊富だとは言い難い。大手の運用会社はほとんどが証券会社や銀行の系列だ。定期の人事異動を優先するサラリーマン組織では個性的なプロが育ちにくい」。これはおっしゃるとおり。

野村アセットは「若い人材をじっくり育てたい」ということで運用担当者の定期異動をやめたそうだ。「ファンドマネジャー候補の人材に、内部の試験ファンドで運用を経験させ適正をみるなど長期的にプロを育てる仕組みもここ数年で整えた」

「個人一人ひとりの金融知識の向上も課題だ。証券会社や銀行などによる営業攻勢もあり、個人は利益が出ているファンドほど短期で手放し、新商品に買い替える傾向がある。個人が長期の運用成績をみて投信を選ぶ意識を持たないと、運用力による競争がおきずプロも育ちにくい」
悲しい現実よねえ...

ちなみに、三菱アセットで「凄腕」を運用していた糸島さんは今はコモンズ投信なんですね。

2013年10月21日月曜日

『構造方程式モデルと計量経済学』国友直人



「ここで一見すると統計学の応用としてごく自然な統計分析が経済学におけるごく標準的な説明と整合的でないことが、計量経済学の重要な出発点である」
後の計量分析に影響を与えた論文として次の二つを中心にいくつか上げてあります。
この論文はHayashiの「Econometrics」でも取り上げられています。
Bound、他(1995)は古典的な構造方程式モデルを用いて仮に標本数が非常に大きい場合であっても「説明変数・操作変数の説明力が弱いとき」、あるいは利用する「説明変数・操作変数の数が大きいとき」には、OLS、2SLSはともに大きなバイアスをもたらしうることを実験的に示した。





2013年10月20日日曜日

今年のノーベル経済学賞はファーマ、ハンセン、シラーという私の好きな学者ばかり

今年のノーベル経済学賞はファーマ、ハンセン、シラーという私の好きな学者ばかりでうれしいかぎりです。
ノーベル財団公式のScientific background "Understanding Asset Prices"(PDF)から。

ファーマ、ハンセン、シラーの業績を一冊である程度概観できる本のひとつとしてはキャンベル、ロー、マッキンレイの『ファイナンスのための計量分析』があげられるかと思います。キャンベル、ロー、マッキンレイは5章から読み始めるのがいいと思います。
ハンセンのGMMについては、Fumio Hayashiの『Econometrics』がベストだと思います。
Famaの重要な論文は、Fama and MacBeth(1973)とFama and French(1993)です。前者はクロスセクションの回帰分析、後者は企業の特性をファクターとしたマルチファクターモデル。

シラーの業績については渡部敏明先生の解説がまとまっています。
「合理性」「市場の効率性」に疑問投げ続けたシラー教授

渡部先生がシムズの弟子というのは知ってたけど、シラーの弟子でもあったのか。ノーベル経済学賞受賞者2人の弟子ってすごいね。

ハンセンの業績については、直接の弟子だけあって、大垣昌夫教授によるバンセンの解説がよくまとまってますね。一読をお勧め。
ノーベル経済学賞、「弟子」が明かすハンセン教授の知られざる横顔


私に顔が似ているハンセンのホームページ


ハンセンの重要な論文

"Generalized Instrumental Variables Estimation of Nonlinear Rational Expectations Models" Hansen and Singleton(1982)

"Large Sample Properties of Generalized Method of Moments Estimators" Lars Peter Hansen (1982) (PDF) 

ファーマに関しては竹原均氏が書かれています。
「実証ファイナンス」の偉大なイノベーター、ファーマ教授

Fama, E. F. (1970), “Efficient capital markets: A review of theory and empirical work,” Journal of Finance, 25 (2), 383-417.

Fama, E. F. and J. MacBeth (1973), “Risk, return and equilibrium: Empirical tests,” Journal of Political Economy, 81, 607–636.

Fama, E. F. and K. R. French (1993), “Common risk factors in the returns on stock and bonds,” Journal of Financial Economics, 33, 3-56.


2013年10月19日土曜日

ゼロ金利下の金融政策に関する16本の英語論文、および邦文論文


第2章でゼロ金利下の金融政策に関する16本の英語論文が紹介されています。

Krugman (1998),"It's Baaack: Japan's Slump and Return of the Liquidity Trap"

  復活だぁっ! 日本の不況と流動性トラップの逆襲

Orphanides and Wieland (1998),"Price Stability and Monetary Policy Effectiveness When Nominal Interest Rates are Bounded at Zero"

Bernanke (2000),"Japanese Monetary Policy: A Case of Self-Induced Paralysis"

Reifschneider and Williams (2000),"Three Lessons for Monetary Policy in a Low-Inflation Era"

Goodfriend (2000),"Overcoming the Zero Bound on Interest Rate Policy"

McCallum (2000),"Theoretical Analysis Regarding a Zero Lower Bound on Nominal Interest Rates"

Svensson (2001),"The Zero Bound in an Open Economy: A Foolproof Way of Escaping from a Liquidity Trap"

Ahearn, Gagnon, Haltmaier, and Kamin (2002),"Preventing Deflation: Lesson from Japan's  Experience in the 1990's"

Eggertsson and Woodford (2003),"The Zero Bound on Interest Rates and Optimal Monetary Policy"

Clouse, Henderson, Orphanides, Small, and Tinsley (2003),"Monetary Policy When the Nominal Short-Term Interest Rate is Zero"

Bernanke and Reinhart (2004),"Conducting Monetary Policy at Very Low Short-Term Interest Rates"

Bernanke, Reinhart, and Sack (2004),"Monetary Policy Alternatives at the Zero Bound: An Empirical Assessment"

Jung, Teranishi, and Watanabe(2005),"Optimal Monetary Policy at the Zero-Interest-Rate Bound"

Oda and Ueda(2005),"The Effects of the Bank of Japan's Zero Interest Rate Commitment and Quantitative Monetary Easing on the Yield Curve: A Macro-Finance Approach"

Auerbach and Obstfeld(2005),"The Case for Open-Market Purchases in a Liquidity Trap"

Curdia and Woodford(2010),"The Central Bank Balance Sheet as an Instrument of Monetary Policy"

追加で

Lam(2011), "Bank of Japan's Monetary Easing Measures: Are They powerful and comprehensive?"


《日本銀行のゼロ金利・量的緩和政策に関する邦文論考一覧》

翁邦雄(1999)「ゼロ金利下の金融政策について―金融政策への疑問・批判にどう答えるべきか」

岩田規久男(2000)「長期国債買切りオペを増額すべき」及び『ゼロ金利の経済学』

翁邦雄・白塚重典・藤木裕(2000)「ゼロ金利下の金融政策 現状と将来展望」

渡辺努(2000)「流動性の罠と金融政策」

  高村・渡辺(2006)「流動性の罠と最適金融政策:展望」

翁邦雄・小田信之(2000)「金利非負制約下における追加的金融緩和策―日本の経験を踏まえた論点整理」

白塚重典・藤木裕(2001)「ゼロ金利政策下における時間軸効果―1999-2000年の短期金融市場データによる検証」

白川方明(2002)「「量的緩和」採用後一年間の経験」及び小宮編(2002)『金融政策論議の争点』

小田信之(2002)「量的緩和下での短期金融市場と金融政策」

翁邦雄・白塚重典(2003)「コミットメントが期待形成に与える効果―時間軸効果の実証的研究」

植田和男(2005)『ゼロ金利との闘い―日銀の金融政策を総括する』

鵜飼博史(2006)「量的緩和政策の効果―実証研究のサーベイ」

田中隆之(2008)『「失われた15年」と金融政策―日銀は何を行い、何を行わなかったか』

白塚重典(2009)「わが国の量的緩和政策の経験―中央銀行バランスシートの規模と構成をめぐる再検証」

福田慎一(2010)「非伝統的金融政策―ゼロ金利政策と量的緩和政策」

本多佑三・黒木祥弘・立花実(2010)「量的緩和政策―2001年から2006年にかけての日本の経験に基づく実証分析

渡辺努・藪友良(2010)「量的緩和期の外為介入」

加藤出(2010)「短期金融市場の現場で何が起きたか?―量的緩和策と現在の非伝統的政策との比較を踏まえて」

白塚重典・寺西勇生・中島上智(2010)「金融政策コミットメントの効果―わが国の経験」

岩田一政(2010)『デフレとの闘い―日銀副総裁の1800日』

翁邦雄(2011)『ポスト・マネタリズムの金融政策』



2013年10月14日月曜日

岩井克人さんの「資本主義を考え抜く」

岩井克人さんの「資本主義を考え抜く」を今さら読んでる。東大経済学部の後、MIT大学院でサムエルソンの研究助手に。MITは新古典派経済学の中心地だった。博論の第1アドバイザーがロバート・ソロー、第2がサムエルソン。新古典派に違和感を感じカリフォルニア大、エール大へ。

『不均衡動学』はアカロフ、トービンらは評価してくれたが、学会全体にはなんのインパクトも与えなかった。岩井氏本人は学者として成功したと思っていないそうだ。

「日本の大学内では、マルクス経済学が圧倒的に優勢でした。近代経済学が強かったのは一橋大、阪大と慶応大くらいでした。東大の近代経済学は館龍一郎先生と小宮隆太郎生成が牽引していました。より若い小宮先生のゼミの門をたたきました」

「小宮先生の明晰さは恐ろしいほどでした。複雑な現実問題を前に、論理的に思考するとはどういうことかを、幸運にも間近に体験できたのです。主流派の学説でも、疑問があれば遠慮なく議論を挑んでいく、その学問への態度に、尊敬の念を抱きました」

宇沢先生は「シカゴ大では、数理経済学の最先端の研究を手がけ、世界で最も光輝く学者の1人でしたが、心は別のところにあるのを、アルコールのにおいの立ちこめる飲み屋で知りました」

岩井氏の最初の論文の査読者がエール大のクープマンス教授で、彼の招きで1973年にエール代経済学部助教授に。

個々の企業の「結果をマクロに集計すると学界を支配している合理的予想理論と「矛盾」します。経済全体の総需要と総供給が乖離するとき、個々の企業の価格を平均した現実の物価水準は必然的にその予想と一致しなくなるからです」という説明は、これだけだとよく分からないなあ。

「それが、スウェーデンの経済学者ヴィクセルが展開した「不均衡累積過程」理論の出発点にほかならず、ケインズが『貨幣論』で提示した「基本方程式」と同等であることにも気がつきます」

新古典派をさらに極端にした学説が主流になっていて、それを否定した不均衡動学は受け入れられず、エール大でテニュアは取れなかったが、アカロフはケインズ『貨幣論』に匹敵すると評価。学部長のトービンが2年間人任期を延長してくれて、その間に東大から声がかかり帰国。

「サーチ理論という数理経済学の手法を使うと、貨幣の存在構造を「貨幣とは貨幣として使われるから貨幣である」という自己循環論法として証明できることに気づき、論文にします。手紙の誤記や編集長交代などによってある専門誌への掲載が駄目になりました」

「好きな研究だけをしてきたので、学界の評価が低いのは仕方ありません。社会的認知は有り難いのですが、後ろめたさもあります」

岩井氏は高2のときにプルーストの『失われた時を求めて』新潮文庫全13巻をすべて読んでる。すごいですねw。奥さんは小説家の水村美苗。

2013年10月13日日曜日

『金融依存の経済はどこへ向かうのか 米欧金融危機の教訓』 池尾和人+21世紀政策研究所 


『金融依存の経済はどこへ向かうのか』の執筆者は池尾和人、翁邦雄、高田創、後藤康雄、小黒一正。とりあえず池尾氏の1章を読みました。

「1980年代以降、金融へのシフトあるいは金融依存ともいうべき動きが起こって、金融の拡大が始まったのは、第二次大戦後の復興・高成長の投資ブームが終わって、実物面での投資機会が乏しくなったことが基本的背景になっている」

「わが国における金融シフトは、80年代中にバブル経済の生成と崩壊にまで行き着いてしまうことになり、その後はその後遺症を克服することに長時間を要するということになってしまった」

「これに対して米国での同様の動きは、約30年間にわたって継続し、より大がかりなものとなった。そうした彼我の差は、米国では不況産業化した伝統的金融業に代わって、様々な金融イノベーションを伴うかたちで「新しい金融」業が台頭してくるというダイナミズムがみられたことに起因している」

米国の金融イノベーションは社会全体としてのリスク負担のキャパシティ拡大という意義をもっていたが、それが実物面での投資その他の活動を促進する方向で用いられることにはならず、結局は金融システム内部で過度のリスク負担が行われることになって、2007年からのグローバル金融危機に至ったと。

個人的な興味のひとつは、なぜ様々な金融イノベーションを伴うかたちで「新しい金融」業が台頭してくるダイナミズムが日本ではあまり見られないのか、という点ですね。

「不振化した伝統的な銀行業に代わって台頭した新しい金融業は、経済の中に存在している何らかの歪みを見出して、それを利用した裁定活動によって利益をあげるというビジネスモデルに従うものであった。こうしたビジネスモデルを典型的に実践しているのが、いわゆるヘッジファンドである」

「しかし、こうした裁定型のビジネスモデルには、基本的なジレンマがある。裁定が成功すれば、価格体系の歪みは解消されていく。裁定型のビジネスモデルは成功したがゆえに、世界的な金融資本市場の効率化をもたらすとともに、自らの収益機会を枯渇させることになっていった」

「同じバブルと言っても、株式equityにだけ関わったものである場合と信用creditに関わるものである場合とでは、その後遺症の大きさは非常に異なってくるといえる」

2003年6月に利下げするときにグリーンスパンはバブルが発生するリスクをとることもいとわないと考えたそうだ。実際に住宅バブルが発生し、金融危機に至ったことが、金融緩和をしなかったことよりましだったとは言い難いと池尾氏。

参照論文をいくつか

"The Impact of High and Growing Government Debt on Economic Growth" Checherita and Rother (2010) (PDF)

"Is U.S. Economic Growth Over? Faltering Innovation Confronts the Six Headwinds" Gordon(2012) (PDF)

2013年10月6日日曜日

マネーとDSGEモデル

加藤(2007)でRBCモデルの理論面での問題として次の5つを上げている。

①財市場、要素市場が完全競争である。
②調整コストや摩擦が存在しない。
③1財1部門1主体モデルである。
④マネーや一般物価など、名目変数が登場せず、景気循環に対する影響が全くない。
⑤情報が完全・対称である。

そこで、ここで紹介されているように、最近ではDSGEモデルにマネーを組み込む動きが見られると。


Monetary Transmission in the New Keynesian Framework: Is the Interest Rate Enough?
- Josh Hendrickson

エージェンシー・コストを導入、貨幣需要の拡張により、通常のニュー・ケインジアンよりも現実のデータをうまく再現できる。

Money’s Role in the Monetary Business Cycle
- Peter Ireland

小型のマネタリー・ビジネス・サイクル構造型モデルは正しく特定されたフォワード・ルッキングなフィリップス・カーブにリアル・マネー・バランスが入ったときのみ、正しく特定されたフォワード・ルッキングなISカーブにリアル・マネー・バランスが入ることを示唆。

The role of money and monetary policy in crisis periods: the Euro area case
- Jonathan Benchimol and Andre Fourcans

二つのモデルで1992、2001、2007年の欧州経済危機を分析。危機のときにマネーは生産の変動の説明力をより強く持つが、一方で金融政策の役割が非常に後退する。

Risk Aversion in the Euro area
- Jonathan Benchimol

ニューケインジアンDSGEモデルで欧州経済を分析。1971年から2006年よりも、2006年から2011年において、リスク回避は生産とリアル・マネー・バランスの動きにより重要な役割。

ここで、大東文化大学の郡司先生から「RBCにマネーを入れる動きはRBC登場当初からありました。Cooley and Hansen (1989, AER) が最も早い例のひとつかと思います。また、最近は金融政策を扱うDSGEでもマネーを入れたり入れなかったりします。」とご指摘いただきました。

"The Inflation Tax in a Real Business Cycle Model" Cooley and Hansen(1989) (PDF) 

2013年9月29日日曜日

『社会科学における人間』大塚久雄

『社会科学における人間』大塚久雄の1章、「ロビンソン物語」に見られる人間類型。経済学が想定している、呪術や伝統主義から解放された目的合理的な経済人というのはロビンソン・クルーソーだと。
ロビンソン的な中産階級がイギリスに育ったことで、世界で初めて資本主義の精神が生まれ、産業革命につながった。
「いちど商品とか価値というもっとも抽象的なレベルにまで下降したあと、こんどはそこから逆に登り詰め、現実を理論的に再構築していく過程、つまり、この上向過程こそが実は経済学であり、その諸理論が展開されていく姿なんだ、とマルクスは言うんです」
「ロビンソンの孤島における生活形成に託してデフォウが描き上げた合理的資源配分の原理は、そういうふうに個別的経営にあてはまるだけでなく、実は国民経済全体についてもあてはまる重要な原理なのです。」
「マルクスは、その点を、『資本論』のあの有名な第一部第一章第四節「商品の物神性とその秘密」で、ひじょうに高く評価しています。...ロビンソンの孤島における思考と行動の様式を特徴づけるきわめて重要な特徴は、その合理的・経営的な性格です。」
ロビンソンが孤島に漂着して満一年目に、一年間の生活のバランスシートを作る。それどころか、損益計算をやってプラスの方が多かったとして神に感謝している。形式合理的な基礎づけを行ったうえで神に感謝する。自分の合理的なBSを作るというのは当時プロテスタントの信仰の記帳で既に行われていた。
「経済学の理論は、どこまで意識的であるかは別として、実はロビンソン的人間類型を前提として成立している。...マルクスも、経済理論を取り扱っている限りにおいて、やはりロビンソン的人間類型を前提としている」
『資本論』は読んだことないんですが、大塚氏によると最も抽象的な諸概念から書かれているのはマルクスにとっては必然的だったようです。
経済現象の本質は物的ならびに人的資源の配分(資源配分)とマルクスは言った。
「歴史上資本主義社会だけは、発達した自然発生的分業を土台とする高度の商品経済の上に立っているために、経済現象が逆立ちした、幻想的な姿をとって現れるが、その奥底にある真実の姿は資源配分にほかならない。」
「経済という人間の営みを貫く根本的事実は、世界史のあらゆる局面を通じて、すべてつねにほかならぬ資源配分の問題であって、ただ、発展段階の相違に応じて、原理を異にする社会的形態をとるだけのことだ」
マルクス、鋭いな。私は自分の時間配分すらうまくやれていません。
インド村落の場合に資源配分を支配している社会的原理が、近代イギリスのそれとは全く異なって、村落内分業とカースト制度をたえず再生産していく共同体的な法則的原理なので、アダム・スミス以来の経済学がまったく通用しない、と大塚氏の友人の経済学者。
資本論はいつか読みたいですね。ツイッター情報によると「大月書店の国民文庫か、日経の中山訳4冊組ですね。新日本文庫はイラっとします。岩波は微妙」だそうです。

2013年9月15日日曜日

マクロ経済モデルの座標軸


『新しいマクロ経済学』齊藤誠(2006)を再読中。この本は非常に良いと思う。

(1)ケインジアン、マネタリスト、新古典派といった学派のジャーゴンではなく、普遍的なミクロ経済学の言葉でマクロ経済現象を論理的に解明し、マクロ経済政策を理論的に基礎付けている。
(2)18世紀の古典派経済学以降、長く取り組まれてきたマクロ経済学的な課題を大切にする。
(3)入門的なミクロ経済学で習得する静学的極大化問題を超える数学的テクニックを前提としない。

という編集方針の下で、様々なマクロ経済モデルを俯瞰できる。
新古典派成長モデル、ケインジアンなどを時間方向と横断方向に豊かな理論的記述を持つマクロ経済モデルという軸で解説し、内生的成長モデルが展開される過程で、新古典派成長モデルの限界としてケインジアンが指摘してきた論点の多くを新しい古典派経済学が一挙に取り込んで現在に至る流れを理解できるようになる。

第1章で、時間的、横断的な広がりに留意しながらIS-LMモデルと新古典派成長モデルの整理をしている。

第1章 マクロ経済モデルの座標軸

IS-LMモデルの構造
価格調整メカニズムを伴っているIS-LMモデルは、財市場、貨幣市場、債券市場、労働市場をバランスよく記述している。まず、名目価格や貨幣賃金が固定されたもとで、財市場、貨幣市場、債券市場のそれぞれの需給が同時にクリアーされるような経済全体の産出量(総産出量)が求められている。こうして決まってくる総産出量は総需要と呼ばれる。一方、労働市場の需給均衡を達成するのに必要とされる総産出量が求められている。この総産出量は完全雇用産出量とか、潜在的産出量と呼ばれている。
この体系の大きなポイントは、総需要水準が必ずしも潜在的産出量に一致しないことである。他の市場の需給均衡と同時に労働市場の需給一致が達成されないのは、名目価格や貨幣賃金が硬直的だからである。
IS-LMモデルでは過去の経済が現在の経済を規定している。モデルの横断的な広がりは、消費者、企業、中央銀行を含む政府が主な経済主体として、独立した行動方程式で記述されている。それぞれの主体の行動が相互に影響しあって、マクロ経済に対して乗数効果を生み出す点も特徴的である。資産市場のモデル化では、流動性プレミアムの側面のみを強調するスタンスも堅持している。

新古典派成長モデルの構造
このモデルでは、あたかも1人の代表的な個人が経済活動を行っていると仮定し、この個人が決定する経済変数がマクロ経済変数に対応していると考えられている。具体的には、あらかじめ定式化された生産技術のもとで代表的な個人(家計)が現在から将来にかけて効率的な資源配分を行うと想定し、そこで決まってくる消費や資本蓄積の経路がマクロ経済の消費や物的資本の時系列的な進行に対応すると考えている。現在と将来の異時点間の効率的な資源配分というミクロ経済学的な概念を用いて、新古典派成長モデルはマクロ経済を解釈しようとしているのである。
このモデルは貨幣資産を一切含まないので、景気循環や経済成長の実物的な要因(非貨幣的な要因)だけが分析の対象となっている。貨幣市場と実物市場を完全に二分し貨幣は実物市場に対して中立的であることを、このアプローチははじめから想定しているとも言える。
新古典派成長モデルの大きな特徴は、将来の経済の進行が現在の経済に強く反映されている点である。始めにマクロ経済が将来どのような経済状態に行き着くのかを求め(経済の定常状態)、資源配分の効率性条件を満たすように定常状態から遡って現在のマクロ経済を位置づけている。
現在の消費は将来の労働所得の関数として定式化されている。現在の投資も投資プロジェクトがもたらすであろう生産の向上分を反映している。そのために、投資による将来の生産向上分を現在の資本調達コストで除したものとして定義されるトービンのqのような指標が、投資関数の要素として入り込んでいる。
横断的な広がりが欠如していことも、このモデルの特徴。新古典派成長モデルでは、企業も政府も家計の擬制である。資産市場はモジリアーニ=ミラーの定理により、企業の資金調達計画は、消費や投資の均衡経路に一切影響を与えない。また、リカードの等価定理や中立命題として周知のように政府の資金調達計画も、消費や投資の均衡経路に影響をもたらさない。国債か増税かの選択はまったく現在の消費に影響しない。家計にとってみれば国債発行とは将来の国債償還に備えて税支払を引き延ばすことであり、現在の増税と比べれば税支払のタイミングが異なるにすぎない。
資産の収益率や利子率は、現在の消費を断念する代償と危険を引き受ける対価という2つの要素が反映している。こうした利子率決定メカニズムはIS-LMモデルのそれと大きく異なっている。IS-LMモデルでは、利子率は流動性を放棄する対価として位置づけられていたのに対して、標準的な新古典派成長モデルでは、流動性が利子率に反映する余地がない。

マクロ経済学の大混乱
IS-LMモデルと新古典派成長モデルはことごとく相反する内容を持っている。時間的な流れは一方が「過去から現在」、他方が「将来から現在」であるし、横断的な広がりは一方が、家計、企業、政府を独立に扱い、他方がそれらを一体の主体とみなしている。資産市場でも、流動性の取扱がまったく対照的である。

モデルの時間的つながり
2つのマクロ経済モデルが時間的に異なった広がりを持つ背景には、資産市場がどの程度機能しているかということが深く関わっている。資産市場が家計や企業の資金調達を円滑にするように機能しなければ、将来の所得や収益を現在の経済が繁栄する経路が絶たれ、これまで積み重ねられてきた経路が現在の消費や投資に反映される余地が高まろう。IS-LMモデルで定式化されている消費関数や投資関数は、資産市場が不完全な状態を近似しているともいえる。

モデルの横断的な広がり
代表的個人モデルが良好なマクロ経済モデルとして機能するには、資産市場が良好に機能しているということが大前提なのである。
経済外部性も、モデルの横断的な広がりを決定する上で大きな役割を果たしている。「市場を介さずにある経済主体の行動が他の主体の行動に影響を与える」と、すなわち経済主体の行動に外部性が存在すると、代表的個人モデルを想定した新古典派成長モデルとはかなり特性の違った均衡解が生まれる。様々なネットワークや労働市場のサーチ活動からこうした外部性が生まれる。このような外部性を取り扱ったモデルでは、いくつかの異なった定常均衡が存在することもしばしば起こる。どの経路を選択するのかは、ミクロ経済学的な合理性だけを手がかりに決めることができない。ケインジアンが問題としてきた名目価格の粘着性も、多くの中からたった一つの均衡経路を選び出す装置として機能することになる。この場合、名目価格の粘着性は経済合理性に一切抵触しない。

内生的成長理論への展開
1980年代後半に起きた新古典派成長理論に対する非常に内在的な批判は、景気循環論における新しい古典派とケインジアンとの対立を一挙に止揚してしまうような役割を果たした。新しい古典派の内在的な批判によって生まれてきたこれらの成長モデルは、内生的成長モデルと呼ばれている。経済成長のメカニズムが外性的な生産条件の変化ではなく、モデルの内部のメカニズムに依存していることからきている。これらのモデルの特徴は、横断的な広がりや歴史依存的な特性を有することにある。内生的成長モデルが展開される過程で、新古典派成長モデルの限界としてケインジアンが指摘してきた論点の多くを新しい古典派経済学が一挙に取り込んでしまったといってよい。

読んどいたほうがいい論文の自分用メモ

リカードの中立命題(等価定理)が成立する条件を詳細に分析しているそうなので、読んでみようかと。
"Are Government Bonds Net Wealth?" Barro(1974) 

有名なモジリアーニ=ミラーの定理
"The Cost of Capital, Corporation Finance and the Theory of Investment" Modigliani and Miller (1958)

結論だけ使われて読まれない論文ランキングの1位はおそらくこれ。
"Capital Asset Prices: A theory of Market Equilibrium under Conditions of Risk" Sharpe(1964)

「カルーシュ・キューン・タッカー条件」はほぼ毎日使っているのに、論文は読んだことがなかったですね
"Nonlinear Programming" Kuhn and Tucker (1951)

ちなみに、W.Karushの論文はシカゴ大学数学科の修士論文のようで、ネット上に無料のものはないみたいです。
"Minima of functions of several variables with inequalities as side constraints" W.Karush (1939)

世代重複モデル(Overlapping Generations Model: OLG Model)で国の債務を分析。
"National Debt in a Neoclassical Growth Model" Diamond, P.A. (1965)

"Expectations and the Neurality of Money" Lucas (1972)

"Econometric Policy Evaluation: A Critique" Lucas (1976)  

「ルーカスは経済環境に応じて内生的に決まってくる経済変数を普遍的な構造パラメーターとして取り扱ってしまうケインズ経済学の方法論的問題点を厳しく批判している。この論文のタイトルにちなんで、内生変数を構造パラメーターとして取り扱う問題点は、ルーカス批判と呼ばれている」齊藤2006

Caltechの物理学・数学・天文学部門では、「ファインマン物理学」のウェブによる無料配信を、数年間かけて準備してきたが、ついに実現
「ファインマン物理学」

2013年8月25日日曜日

ハーバード・ビジネス・レビュー8月号は「起業に学ぶ」


ハーバード・ビジネス・レビュー8月号は「起業に学ぶ」。入山章栄氏が出ているので手を取ったら、他にもDeNAの南場智子氏、堀江貴文氏、マーク・アンドリーセン、フェイスブックのCOOのシェリル・サンドバーグなど錚々たるメンバーで面白かった。

アンドリーセン「私たちが探しているのはプロダクト・イノベーターであり、同時に会社を起こしたいという起業家精神を持ち、さらにCEOになる度量と自制心も持つ人です。そのような人が本当に実力を発揮して10年間懸命に働けば、素晴らしい結果が出ます」
「その三つのうち一つでも欠けていると不幸な結果となるのが普通です」
「CEOになる能力は身につけられると思います。ですから、私たちはもっぱらイノベーターをCEOにするための訓練に時間をかけています。逆にCEOをイノベーターにする訓練に時間をかけることは、まずありません」

堀江「僕は将来を考えることに意味はないと思っていますし、そんな先のことを考える時間もありません。考えないから不安にもならない。後先考えずにいまやりたいことを一生懸命やる。その連続でいまここに立っています」

入山「アメリカの起業論でもっとも確立されたコンセプトはアントレプレナーシップ・オリエンテーション(EO)と呼ばれるものだ。EOはアメリカの起業研究者で知らないものはいない、と言ってよいほどである」
「コービン&スリーバン(1989)では、小規模企業が成功するために経営幹部に必要な姿勢に注目し、とくに革新性・積極性・リスク志向性の三つが重要だと主張。新しいアイディアを積極的に取り入れる姿勢であり、前向きに事業を開拓する姿勢、不確実性の高い事業に好んで投資する姿勢のこと」

クリステンセンらの2008年の論文によると革新的な企業家に共通する思考パターンは、質問力、観察力、仮説検証力、ネットワーク思考力の4つにまとめられるそうだ。

2013年8月18日日曜日

『不格好経営』南場智子


南場智子さんは、津田塾大学、マッキンゼー、ハーバードMBA、マッキンゼーのパートナーからDeNA代表取締役社長という経歴ですね。

「自分が経営者だったらもっとうまくできるんじゃないだろうか。なんでもっと思い切った改革ができないのか。なぜ中途半端に実施するんだ。私だったら…。もしそんなふうに感じているコンサルタントがほかにもいたら優しく言ってあげたい。あなたアホです。ものすごい高い確率で失敗しますよ、と」
「世の中のほぼすべての人が知っている「言うのとやるのでは大違い」というのを、年収数千万円のコンサルタントだけがうっかりするというのは、もはや滑稽といえる。しかもコンサルティングで身につけたスキルや癖は、事業リーダーとしては役に立たないどころか邪魔になることが多い」
「コンサルタント時代は、クライアント企業の弱点やできていないところばかりが目についてしまい、大事なことに気づかなかった。普通に物事が回る会社、普通にサービスや商品を提供し続けられる会社というのが、いかに普通でない努力をしていることか。マッキンゼー時代のクライアントにばったり会ったりすると、今もとても恥ずかしく、土下座して謝りたくなってしまう」
ずっと取締役COOをつとめた共同創業者の川田氏の退任スピーチ。「今日は俺は好きなようにさせてもらう」と壇上でいきなりビールを飲みはじめ、「上場企業の役員がこういうことを言っちゃいけないけど、俺はあの時代の金融機関はクソだと思った」で始まった。
怪盗ロワイヤルというゲームを作ったのは、新卒5年目の大塚剛司という若者だった。直前のプロジェクトに失敗し、ゲームを作ったことも、ほとんどやったことすらない大塚を、社運をかけたソーシャルゲーム立ち上げのプロジェクトに抜擢する。
「大塚は、その日からフェイススブックのゲームを遊び倒した。人気ゲームだけでなく、ヒットしていないゲームも総ざらいし、成功するゲームのエッセンスを彼なりに抽出した。そしてそのエッセンスを「全部盛り」にし、彼なりにアレンジしてまとめあげたのが、怪盗ロワイヤルだった。当時怪盗ロワイヤルがあまりに面白いので、天才の仕事と言われたが、実際はド根性の秀才仕事だったのだ」
「何かをやらかした人たちに対する対応は、その会社の品性が如実に表れると感じる。私たちは、このときのように、お詫びをしなければならない事態になって、ますますファンになり、その会社のために頑張りたくなるようなパートナーに恵まれてきた。モバゲーなどで広告主となってくださった日本コカ・コーラさんやサントリーさんなどにも、何かあるたびに頭が下がるような対応をしていただき、社格とはこういうことなのかな、と感じ入る」
社長の一番大事な仕事は意思決定。頭出しの報告のときに意思決定にポイントとなる決定的な重要情報はなにかを大まかにすり合わせておいて、その情報が欠落していなければ、迷ってもその場で決める。継続討議にはしない、と。
経営コンサルタントは経営者に助言するプロフェッショナルであり、高度な研鑽が必要な、とても奥深い職業だ。コンサルタントになるなら、その道の一流のプロとなるよう、努力し、とことん極めて欲しい。」
「私が言っているのは、事業リーダーになりたいからまずコンサルタントになって勉強する、というのがトンチンカンだということにすぎない」
迷いのないチームは迷いのあるチームよりも突破力がはるかに強い」。
「不完全な情報に基づく迅速な意思決定が、充実した情報に基づくゆっくりとした意思決定に数段勝る」。
「事業リーダーにとって、「正しい選択肢を選ぶ」ことは当然重要だが、それと同等以上に「選んだ選択肢を正しくする」ということが重要となる。決めるときも、実行するときも、リーダーに最も求められるのは胆力ではないだろうか」
若くしてコンサル会社に身をおくことのマイナスの癖として、できる限り賢く見せようとする姿勢、上から目線、クライアント組織のキーパーソンにおもねる発言をしやすい、の3点をあげている。
何でも3点にまとめようと頑張らない(物事が3つにまとまる必然性はない)。重要情報はアタッシュケースでなく頭に突っ込む。自明なことを図にしない。人の評価を語りながら酒を飲まない。ミーティングに遅刻しない、とのアドバイス。

DeNAのMobageの技術的な話についてはこの本が詳しいです。 『Mobageを支える技術 ~ソーシャルゲームの舞台裏~』 (WEB+DB PRESS plus) DeNA

2013年8月11日日曜日

デルの凋落 『イノベーション・オブ・ライフ』

クリステンセンの『イノベーション・オブ・ライフ』の7章にデルがエイスースにアウトソースしていった結果、凡庸な企業に成り下がっていったケースが紹介してある。純資産利益率を重視して製造に関わる資産をアウトソースしバランスシートから外しReturn on Net Assets(RONA)は高くなった。デルにはブランドだけが残った。
「製薬、自動車、石油、情報技術、半導体など多くの業界の企業が、デルと同じように、将来の能力の重要性をよく考えもせずに、アウトソーシングを推進している。この動きをあおっているのが、金融関係者やコンサルタント、研究者などだ。彼らはアウトソーシングを行えば、簡単にすばやく利益を上げられることを知っているが、その結果手放す能力を失うことのコストには気づかない。このような企業はエイスースのような企業を生み出すリスクを負っている」
「米の半導体企業は、製品設計などの、より複雑で利ざやの大きい段階を社内に残す限り、問題はないと考えていた。だがアジアのサプライヤーは、ますます高度な製品の製造、組み立てに取り組み、上位市場に移行し続け、米の委託企業が製造能力を完全に失った製品や部品を製造する能力を手に入れた」
「アウトソーシングを考えるとき最も重要なのは、自社が将来成功するために、どんな能力が必要になるかを考えること。この能力は必ず社内に残しておく。そうしなければ未来を手放すことになる。能力の力と重要性を理解しているかどうかが、優れたCEOと凡庸なCEOを分ける」
「企業の能力は、「資源」「プロセス」「優先事項」の三つの分類のいずれかにあてはまる。これらの能力を総合的に考えることは、企業に何ができるかを、そしておそらくより重要なことに、何ができないかを分析するうえで、欠かせない」
「プロセスには、製品開発、製造のほか、市場調査、予算策定、従業員の能力開発、報酬決定、資源配分などを行う方法が含まれる。目に付きやすく、測定しやすいものが多い資源とは違って、プロセスはバランスシート上には表れない」
「企業が大きく複雑になればなるほど、経営幹部が従業員を教育して、企業の戦略的方向性とビジネスモデルに合った優先事項を、自力で決定できるように教えこむことが、ますます重要になる。つまり企業が成功するためには、経営幹部がじっくり時間をかけて、明確で一貫した優先事項を打ち出し、組織全体で広く理解されるよう、腐心しなくてはいけない。またそうするうちに、企業の優先事項を、企業が利益をあげる仕組みと調和させる必要がある。企業が生き残るには、企業戦略を支えるものごとを、従業員に優先させなくてはならない。そうでなければ、従業員は企業の基盤を揺るがすような決定を下してしまうことがある」

ちなみに『世界の経営学者はいま何を考えているのか』(入山章栄)によると
「「当面の事業が成功すればするほど、知の探索をおこたりがちになり、結果として中長期的なイノベーションが停滞する」というリスクが、企業組織には本質的に内在しているのです。これが「コンピテンシー・トラップ」と呼ばれる命題です。

有名な「イノベーションのジレンマ」の中心命題は「競争環境を一変させるような『破壊的なイノベーション』が発生したときに、成功している企業の経営者・企業幹部ほどその経営環境の変化を十分に認識できず、それに対応できない」というものです。たしかにこの考え方は「成功する企業ほどイノベーションができなくなる」という意味でコンピテンシー・トラップとよく似ています。

イノベーション研究の分野で高名な現ハーバード大学のレベッカ・ヘンダーソンは、イノベーションのジレンマの考えがその本質をどちらかといえば経営者や企業幹部の認知の問題としてとらえているのに対して、コンピテンシー・トラップはその本質を組織の問題に求めている、と述べています。」と述べている。

2013年8月10日土曜日

「Amazon ランキングの謎を解く」服部哲弥


途中まで読んで積読だった「Amazonランキングの謎を解く」服部哲弥(2011)を読了。
刺激的でおもしろかったです。統計、確率(測度論)、偏微分方程式なども扱われます。ただ、それらが分からなくても読み進められるように工夫してあります。

Amazonのランキングの比較的シンプルな数学的モデルを作り、実際のランキングのデータを驚くほど再現できています。その結果、Amazonのビジネスモデルはロングテールではないと推定しています。

「ツェトリンの研究成果は、先頭に跳ぶ(move-to-front)確率を用いて定常状態を具体的に表したことである」

「b<1ということは書籍点数の大部分を占めている普通の本が点数Nの大きさを頼りに束になってかかっても、ひと握りのビッグヒットの売り上げにかなわない。この結果を見る限り、書籍に関してロングテールビジネスモデルは成立しないことが、データと理論をつき合わせて見出されたことになる」

「単純化されたモデルに基づく数学的結論が、社会現象のようなきわめて多くの要素が関係する複雑な現象―しかも、精密科学のようにお金や時間をかけて条件を精密に制御して実験することが期待できない現象―に関するデータを思いのほかよく説明できたことはそんなに当たり前とは思えない」

「インターネット時代の社会活動の集計においてランキングの順位をプログラムして表示し、結果としてロングテールの様子が公になりうるという意味で、本書で展開してきた確率順位付け模型の解析は、今後とも実際的な応用の場が広がるだろう」

《著者のウェブサイト》

"オンライン ランキングとロングテール,そして無限粒子系" 服部哲弥 あるいは, アマゾンの謎順位 - Amazon書店はロングテールに非ず

"Stochastic ranking process approach to the Amazon online bookstore ranks" T.Hattori

「Amazonランキングの謎を解く」を読むと、ビッグデータ時代になってもシンプルな統計モデルの重要性は変わらない気がします。むしろ、これまではデータがなくて確かめようもなかった統計モデルもビッグデータで検証可能になる機会が増えるんだと思います。確率・統計の知識の必要性は変わらない。

Amazonのビジネスモデルは投信ビジネスにもあてはまるかもしれませんね。「投信点数の大部分を占めている普通の投信が点数Nの大きさを頼りに束になってかかっても、ひと握りのビッグヒットの売り上げにかなわない。この結果を見る限り、投信に関してロングテールビジネスモデルは成立しないことが、データと理論をつき合わせて見出される...」なんてね。



2013年7月29日月曜日

数理ファイナンスと動的計画法のお勧め参考書

「微積、線形代数、統計学、常微分方程式までは勉強しました。 大村先生の本で一通りファイナンスの基礎を学んだのですが、なんとかHJB方程式などの数理ファイナンスにも挑戦してみたいのですが、そういったレベルに到達するまでのステップごとの本を教えて頂けませんでしょうか?」
という質問をいただきましたので、少し考えてみました。

以前にも
「数理ファイナンスの効率的な勉強法」
という投稿をしたのですが、今読むとあまり親切な書き方ではなかったなと思います。

《確率と確率過程》
数理ファイナンスの勉強を始めると同時に「確率と確率過程」についてきちんと理解しておくのが望ましいです。
『確率と確率過程』伏見(2004)
『Basic Stochastic Processes』Brzeniak and Zastawniak(1999)

《数理ファイナンス・初級》
おそらく大村先生の本はこのレベルだと思います。
『数理ファイナンス入門―離散時間モデル』Pliska(2001) ←お勧め。
『ファイナンスのための確率解析Ⅰ』シュリーヴ(2006)
『企業価値評価と意思決定』本多(2005)

《数理ファイナンス・中級》
『ファイナンスのための確率解析Ⅱ』シュリーヴ(2006) ←お勧め。
『ファイナンスへの確率解析Ⅱ』ラムベルトン&ラペール(2000) ←お勧め。
『数理ファイナンスの基礎』ビョルク(2006) ただ、これは抄訳なので原著『Arbitrage Theory in Continuous Time』をお勧め
『デリバティブ価格理論』バクスター&レニー(2001)
『ファイナンスの確率解析入門』藤田(2002) これは、自分で誤植をチェックしながら...

《数理ファイナンス・上級》
『資産価格の理論』ダフィー(1998) ←お薦め
『確率微分方程式』エクセンダール(1999)
『数理ファイナンスの基礎』国友、高橋(2003)
『確率解析とファイナンス』岩城(2008)
『Methods of Mathematical Finance』Karatzas & Shreve(1998)

《動的計画法・入門》
『経済学のための最適化理論入門』西村(1990)
『経済理論における最適化』ディキシット(1997)
『Numerical Methods in Economics』Judd(1998) ←お薦め
『Numerical Methods in Finance and Economics』Brandimate(2006)

《動的計画法・ファイナンス、経済学への応用》
『Dynamic Economics』Adda & Cooper(2003) ←お薦め
『Optimal Portfolios』Korn(1997)
『投資決定理論とリアルオプション』ディキスト&ピンディク(1994)
『Dynamic Macroeconomic Theory』Sargent(1987)
『Recursive Macroeconomic THeory』Ljungqvist & Sargent(2004)

《動的計画法・上級》
『Stochastic Controls』Yong & Zhou(1999)
『Controlled Markov Processes and Viscosity Solutions』Fleming & Soner(2006)

2013年7月28日日曜日

フィリップ・コトラー「マーケティングは日本を救うか」

世界的なマーケティング学者のコトラー氏は、来日した際はたっての希望でJR東京駅の駅ナカを視察。「世界中の鉄道事業者が参考にすべきだ」と感想を語ったそうだ。また日本のマーケティング研究者は「事例や理論を世界にもっと発信すべきだ」と言う。
日本社会はマーケティングの考えを矮小化する傾向、はたしかにあるかもしれませんねえ。某弊社のマーケティングをみるにつけ、ため息しかでてきません...
1990年以降の日本の低迷期はどこに問題があったのか、という問いにコトラー氏が答えています。
「70年代から80年代の日本企業は『よりよい製品をより安く作る』ことにかけてチャンピオンだった。当時はそれだけで欧米のメーカーと違いを出すことができた。日本国内だけで十分な収益を上げることができ、一部の消費財では輸出に注力しなかったのも理由。成功したことで若干、守りに入っていた。失敗を恐れすぎている。そこからは成長は望めない。チャンピオンということで驕慢にもなっていた。
そして最も重要な事は戦後の日本を牽引してきた松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫のような創業者でクリエーティブな考えを持つ人材の系譜が途絶えてしまったことだ。
(60年代に)マーケティングに必要な4つのP(プロダクト=製品、プライス=価格、プレイス=流通、プロモーション=販売促進)を提唱したが、日本ではまだ理解が進んでいない気がする。マーケティングそのもののステータス(地位)が低い。
どうもマーケティングをプロモーションとだけ捉え、テレビで30秒の広告を打てばいいと考えているだけのビジネスパーソンが多くいる。マーケティング担当者が果たして製品開発にまで入り込んでいるだろうか。価格や流通の販路(チャンネル)の決定についても関与の度合いが弱い。
マーケティングの担当者は経営全般に深く関わるべきだが、日本の企業の大半ではそれにふさわしい職種となっていない。米国などではCMOという役職があるが、日本でCMOを据える会社はごく一部だ。
日本の経営者はおそらく、マーケティングは営業部門が受け持つと考えてるのだろう。そうではなくて、CMOは市場と深く関わり、どのような商品を先々作るのかということに参画しなくてはいけない。さらに新製品を投入する時期やチャンスを見極めて、新製品のポートフォリオ(組み合わせ)を最適化することも求められる。顧客の声の把握だけでなく、技術の進歩にも精通し、新しい技術を商品開発に持ち込む力量も問われる。
CMOは経営の意思決定を行う立場にいて、このキャリアを経てからCEOに就いて経営全般を見るのがいいと考えている。
(日本にCMOにふさわしい人材が育ちにくいのは経営トップが)マーケティングによって製品や組織を変えることができることを認識していないからだ。違いを打ち出せるはずなのに、そのことが分かっていない。マーケティングをサービス機能やコミュニケーションの手段だと捉え、企業が目指すべき重要な役割を担えることに気づいてない。
顧客増が大切なのだ。先進国ではさまざまな商品やサービスがあふれている。なぜ、そうした環境で売れないのかを考えれば答えはこうなる『自分の会社に目を向けてくれる顧客が少ない』のだ。足りなければ顧客を増やすしかない。
自社について顧客により深く理解してもらい、頼るくらいの特別な感情を持ってもらうまでの関係を気づくことが大切。あるアウトドア用品メーカーは長く使った用品でも満足していなければ返品を受け付けている。『この会社は自分のためにここまでやってくれるのか』と思ってもらうことだ。」
(もっと顧客を増やす手段は)「新興国への取り組みだ。これまでのマーケティングはお金のある先進国などにいる20億人を対象としてきた。これからは新興国などの50億人も含めて考えるべきだ。」

2013年7月24日水曜日

(メモ)ニュー・ケインジアン・モデル関連のいくつかの論文

"Monopolistic Competition and the Effects of Aggregate Demand" Blanchard and Kiyotaki (1987) (PDF) 

"The Quantitative Analytics of the Basic Neomonetarist Model" Kimball(1996)

"An Optimization-Based Econometric Framework for the Evaluation of Monetary Policy" Rotemberg, Woodford (1997) (PDF)

"The Science of Monetary Policy: A New Keynesian Perspective" Clarida, Gali, Gertler (1999)

"Inflation Dynamics: A Structural Econometric Analysis" Gali and Gertler (2000)

池尾氏の『連続講義・デフレと経済政策』

副題は『アベノミクスの経済分析』です。編集者との対談形式になっていて大変読みやすくなっています。経済や経済学のことよく分からないけどアベノミクスについては興味があるという人は、とりあえず池尾氏の『連続講義・デフレと経済政策(アベノミクスの経済分析)』だけ読んどけば十分な気がしますね。

それから前にブログで紹介した本について質問を受けたのですが、脇田成氏の『マクロ経済学のパースペクティブ』はマクロ経済学の骨組みと言うかエッセンスを抜き出して直感的に理解させようという良い本だと思います。『マクロ経済学のパースペクティブ』で全体像を把握してからローマーの『上級マクロ経済学』などに行くのがいいんじゃないでしょうか。残念ながら『マクロ経済学のパースペクティブ』は絶版ですが。

以下、池尾(2013)を中心としたメモ。

「中央銀行の実務には詳しくなくて、マクロ経済学しか学んだことのない人達の中には、中央銀行が貨幣ストックを自由に操作できるものだと思っている人が少なくないようです」
「貨幣ストックが内生変数であるという議論を「日銀理論」とか呼んで、それは標準的な経済学の理論とは異なるといった議論をする人がいますが、それはその人が標準的な経済学の理論と考えているのがIS・LMモデルだっりして、ずいぶんと古いがゆえの的外れな議論だと思います」
「(不良債権問題やアジア金融危機など)これらの経験をしながら、日本の経済学者が金融仲介機構の重要性と金融仲介機構の存在をマクロ経済モデルの中に取り入れることの必要性をほとんど主張してこなかったことは、真摯に反省しなければならないと考えます」
「新興国との競合や要素価格均等化というのは、実物的な圧力です。言い換えると、こうした圧力を金融政策のような貨幣的な手段で阻止することはできません。名目的ではなく実質的な対応が必要になります」
「消費者物価の下落が止まっても、実質賃金の下落に歯止めがかかるとは限りません。実質賃金の下落を阻止するためには、実質的な対応、端的には輸出製造業以外の産業における労働生産性の速やかな上昇を実現していかねばなりません」

「高橋財政期における日銀引受けは、売りオペ(民間金融機関への売却)を前提として行われたものでした。高橋自信は日銀保有国債の民間金融機関への売りオペにも腐心していました。その結果、実際にも日銀は速やかに引受けた国債の市中売却を進め高橋財政期中は総引受額のほぼ90%を売却しています」
「実態的には国債は市中消化されていたので、国債の日銀引き受けにもかかわらず財政赤字のマネタイゼーションは抑制されていました。ベースマネーの増加も、それ以前の緊縮政策によって収縮していた分を回復させた程度にとどまっています。著増していくのは、高橋死後の戦時体制化においてです」
「高橋是清の業績を持ち出して財政赤字のマネタイゼーションを主張するのは、史実の歪曲であると言っても過言ではないことが分かります」

池尾氏の本にはルーカス批判からRBCへの流れも分かりやすく書かれています。
「ルーカスの1976年の論文における指摘は、きわめて本質的なものだったと思います。マクロ経済学の歴史は、ルーカス批判以前とルーカス批判以後に区分してもいいと考えています」

ルーカス批判からRBCモデル、DSGEモデルの流れは『現代マクロ経済学講義』(2007)加藤涼の1章も詳しいです。
「伝統的IS-LMモデルに代表されるようなRBCモデル以前のマクロ経済学は、経済主体のミクロ的行動をモデル化したものではないため、統計的検定・推定によっても(少なくとも原理的には)モデルの妥当性や現実性をチェックすることができず、その意味では反証可能性がない論理体系によっていた」(加藤)
「このことからRBCモデル以前のマクロ経済学は科学ではなく、RBCモデル以降のDSGEモデル体系のみが反証可能性のある科学として認められる、という意味で、Prescottは「RBCモデルの登場がマクロ経済学を科学にした」とノーベル賞の受賞を誇っている」(加藤)
「RBCモデルは、実際のところ、ラムゼイ・モデルにおいて、労働供給が弾力的であるという仮定を加えた(あるいはパラメータを変化させた)だけのモデルである。以下で詳しくみるように、1財1主体モデルであり、すべての市場は完全で常に均衡している」(加藤)

齊藤、岩本、太田、柴田(2010)の『マクロ経済学』より
「ラムゼー・モデルは、抽象的すぎて現実的ではないと考えられがちであるが、経済理論と経済政策に関して実に豊かなインプリケーションを生み出しているという意味では、”マクロ経済学の玉手箱”的な存在である」(齊藤、岩本、太田、柴田 2010)
”マクロ経済学の玉手箱や~”という彦麻呂の声が聞こえた
「理論モデルの役割は、現実の経済現象を首尾よく説明することだけではない。現実をうまく説明する理論モデルが、優れた理論モデルというわけでもない。理論モデルにとってより重要なことは、その理論モデルを通して現実の経済現象を見ることによって、実際の現象を解釈し、評価することなのである。現実の経済現象を解釈し、実際の経済政策を評価する理論的枠組みを提供しているという意味で、ラムゼー・モデルは、マクロ経済学のなかで、いや、経済学全体のなかでも、もっとも成功した実践事例なのである」(齊藤、岩本、太田、柴田 2010)


2013年6月6日木曜日

日経経済教室 池尾和人氏「動揺する市場 日銀の支配力過信するな」

日経平均も16000円近くまで行った後、13000円まで急落したり、ドル円の為替も100円割れてきたりと、アベノミクスを囃した相場に早くも終わった感が強まる今日この頃。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。今日の日経経済教室に池尾氏の投稿が出ていて、まさに氏のおっしゃる通りと感じました。いくつか抜粋。

「資産市場の動揺がさらに拡大し、継続するようだと、実体経済の回復を阻害するものともなりかねない。

はたして金利は下がるのか上がるのか。債券市場参加者のメーンシナリオは、今回の大胆な金融緩和によっても早期の物価目標達成は困難だというものだと思われるが、金融政策当局がそれなりの決意をもって実施している政策が効果を上げないと決め付けるわけにも行かない。
 政策が効果を上げる場合も考慮に入れる必要がある。その場合には、長期国債利回りは、物価上昇率を完全に織り込まなくても、上昇しないということはありえない。すると、現在国債を購入すれば、近い将来には評価損を被る。であれば、いまは国債は買えないことになる。
 ということで、手持ちの長期国債を日銀に売却した後は、しばらく資金を短期運用に滞留させ、様子見を決め込んだ金融機関が多数であったとみられる。そのために、国債市場の流動性は低下し、ちょっとしたことで価格が乱高下する状況が生まれた。
その結果としての債券価格の変動性の高まりがさらに民間金融機関を国債市場から遠ざけることになる悪循環が生じている。国債市場の混乱は株式市場にも影響している。それゆえ、国債市場の流動性を回復し、価格の変動性を低下させることが火急の課題となっている。しかし、その実現には金利動向に関する方向感が定まらなければならない。

そのためには、金融政策当局は、今回の政策の波及経路と出口戦略について、もっと詳細に説明し、民間金融機関などとの間で認識を共有する必要がある。今回の金融緩和は確かに大胆なものかもしれないが、それがどのようなルートで所期の成果を上げることにつながるかについては、きわめて素っ気ない説明しかなされてない。

例えば、4月4日付けの日銀の声明文は「今回決定した『量的・質的金融緩和』は(中略)長めの金利や資産価格などを通じた波及ルートに加え、市場や経済主体の期待を抜本的に転換させる効果が期待できる」としか述べていない。これだけでは、長めの金利や資産価格などを通じた波及ルートが、定量的にどのくらいの大きさのものだと見込まれているのかは分からない。

また、「市場や経済主体の期待を抜本的に転換させる効果が期待できる」といわれても、どうして期待できるのかは不明である。「中央銀行が真剣になればインフレ期待は高められる」という向きもあるが、気合さえ入れれば信じてもらえるというだけでは、とうていロジカルな主張だとはいいがたい。

もっとメカニズムを明示した説明がなされなければ、将来の長期金利の見通しについて、民間の金融機関が安定した予想を形成することは不可能である。同様に出口戦略が明確でないことも、予想形成を難しくしている。

終点が分からなければ、始点と終点を結んだ経路は描けない。終戦のイメージも明らかでないままに、戦争を始めるのは、大胆ではなく、単なる無謀でしかない。

債券市場参加者の大半は、愚民ではなく、むしろ理知的な人々である。そうした人々を「知らしむべからず、よらしむべし」的な姿勢でコントロールできると過信すべきではない。資産価格の安定のためには、政策の波及ルートに関する論理的な・数量的な説明が不可欠である。

資産市場の不安定性がいましばらく続けることは「期待への働きかけ」頼みの政策の限界として避けがたい現象だと諦念せざるを得ない。

長期金利に関しては、市場参加者がきわめて広範囲に及んでいることから、中央銀行が有力なプレーヤーであることは疑いないとしても、必ずしも支配的な影響力を持っているわけではない。この点について黒田日銀は、やや高をくくっていた感じがある。

量的・質的金融緩和そのものが、ベースマネーを増やしさえすればインフレ期待が高まるはずだという貨幣数量説的な発想に基づいており、金利メカニズムへの関心は乏しかったとみられる。そのことに対して、現実の債券市場の反応ぶりによってしっぺ返しを受けたというのが、現下の状況だといえる。

中央銀行が資産市場を「衝撃と畏怖」によって従属させてしまうことはできない。中央銀行は、市場の中にあってその機能を生かしつつ、自らの意図を実現するように行動するのが、本来の姿である。市場関係者が望んでいるのは、日銀がそうした本来の姿に復帰することであろう。」

2013年4月14日日曜日

日本国債のイールドカーブ

日銀が「異次元緩和」を導入してから日本国債の動きが不安定になっています。
グラフは、ブルームバーグが計算しているジェネリックの1年から10年の国債の金利です。8年以下の金利について、直近の4月12日では、異次元緩和発表前の4月3日はおろか、アベノミクスへの期待が高まる前の昨年9月28日の水準すら上回っています。猛烈な緩和をするのだから、本来はイールドカーブの水準は低下して傾きもフラットになるはずなので、とても奇妙です。

第2回 将棋電王戦 第4局 ​塚田泰明九段 vs Puel​la α

最後の記者会見しか見れなかったんですけど、このtogetterをみて凄い試合だったんだなと思いました。

第2回 将棋電王戦 第4局 ​塚田泰明九段 vs Puel​la α

将棋は素人なので、両者入玉による持将棋というルールは知りませんでした。
相場でも「負けないこと」がとても大事です。
劣勢になりながら最後まであきらめないで、粘って粘ってとにかく勝負に負けなかった塚田九段の姿に人間の素晴らしさを感じます。人間対人間だとなかなかこういう展開にはならないんでしょうが、電王戦ならではの戦いが見れたことは有意義だったんじゃないでしょうか。

ニコ生で流れたプロモーションビデオがかっこいいんですが、米長会長の映像で泣けてきました。
バージョンがちがうんですが、ここでも似たものがみれます。

次の「第2回 将棋電王戦 第5局 三浦弘行八段 vs GPS将棋」が楽しみですね。


2013年4月7日日曜日

黒田日銀が「異次元の金融緩和」、『リフレ政策 論争なお』

今日の日経【日曜に考える】で松林薫氏が『リフレ政策 論争なお』と題して、リフレ政策の有効性を巡る経済学者の間の議論を整理しています。

「日銀は黒田新総裁のもと「異次元の金融緩和」でデフレから脱却して物価上昇率2%を目指す「リフレーション(リフレ)政策」を実行に移す。リフレ政策の有効性を巡っては経済学者の間で約15年にわたり議論が続いてきたが、理論上の決着は付いていない。神学論争の様相を呈する中、政府・日銀は見切り発車した。

3月21日の就任会見で岩田規久男日銀副総裁はミルトン・フリードマンの「デフレは貨幣的な現象だ」という言葉を引用してリフレ政策の有効性を強調した。物価は世の中に出回るお金の量と比例して変化するという「貨幣数量説」の立場から、大胆な金融緩和で貨幣の量を増やせば物価は上昇しデフレから脱却できるという主張。

貨幣数量説は18世紀には登場していた単純な古典的理論。フリードマンが再評価し、1970年代から先進国の金融政策に取り入れられるようになった。

学者の間では、デフレ懸念が強まった1990年代後半から、日銀が量的緩和を採用した2001年ごろにかけて激しい議論が展開された過去がある。

当時、インフレ目標や量的緩和の導入を主張したのが岩田氏や浜田宏一氏。ポール・クルーグマンもリフレ派の理論的支柱となる論文を発表。

だが「世の中のお金の量」は「お札の枚数」に単純に比例しない。お金が人から人へ移っていく速さも「世の中のお金の量」に影響する。お札の枚数は変わらなくても取引が活発でお金の回りが良くなればお金が増えているように見える。デフレは逆に、人々がお金を使わなくなっている状態。お札の枚数を増やしても、その流通速度が落ちれば物価は上がらない可能性がある。

物価変動は貨幣現象ではなく、世の中全体の需要と供給のバランスで決まると考える学者らは、デフレは「バブル時代に供給能力が過剰になった一方、バブル崩壊で需要が減ったことが原因」(吉川洋)と反論した。

金融政策の専門家からも、銀行へのお金の供給量を増やす量的緩和の限界が指摘された。中心になったのは小宮隆太郎氏や当時日銀に所属していた翁邦雄氏らで「岩田・翁論争」と呼ばれた。日銀がいくら民間銀行にお金を供給しても、不況で借りる企業もないので、銀行から世の中にお金は流れないという主張。

こうした対立の構図自体は十数年たった今もほとんど変わっていない。

リフレ政策の効果やリスクについて、少なくとも現時点では学問的なレベルで決着が付いたとは言えない。

量的緩和の効果については、複数の実証研究が行われた。だが分析期間やデータの解釈により、「効く」「効かない」と正反対の結果が出ているのが現実。円安や株高は現に生じており、輸出企業の業績回復や、株の含み益で懐が温まった個人の消費拡大が指摘されるが、それだけで物価が上昇するとは限らない。

理論面からはクルーグマン氏のモデルなど様々な説が示されたものの、効果が出るには「将来のお金の流通量に対する人々の予想が変わる」ことなどが前提とされる。予想を変えられるかどうかは心理学的な問題で、最後は水掛け論になる。

実は、極端な主張をする一部の論者を除けば、リフレ派と反リフレ派の間で、世間で考えられているほど認識上の隔たりは大きくない。例えば、量的緩和が物価に影響を与えても限定的だと認めるリフレ派の学者は少なくない。インフレ目標を掲げるなどして「期待に働き掛ける(人々の予想を変える)」ことの重要性を強調するのも量的緩和だけではあまり効果はないという認識があるからだ。

その意味で、リフレ論争は「特効薬だ」と告げて偽薬を与える治療を認めるべきかどうかという問題に似ている。効果を信じれば、ただの小麦粉でも効くケースはある。一方で「気合を入れれば効く、と言っているにすぎない」(池尾和人)ともいえる。

学者の意見対立も、突き詰めれると理論そのものよりも、デフレや財政問題に対する危機感の違いや、政策哲学の違いが原因のことが多い。」

グラフが2つ示されていて、一つは1971年以降の消費者物価指数(CPI)、もう一つはマネタリーベースとマネーストックの比較です。バブル崩壊後だと、CPI前年比が2%を越えたのは97年と08年ですかね。97年は消費税5%引き上げと歴史的な円高から円安に転じた影響ですね。08年は米国不動産と新興国バブルの影響ですね。

「異次元の金融緩和」は見切り発車されてしまったので、これまでの机上の空論から、実際に効果があるかどうかを検証していくことが必要になりますね。短期的には長期国債が変われてイールドカーブのフラット化が進み、株高、円安となっています。80年代のバブル時は、前半に株が上がってもCPIはあまり上がりませんでしたので今回株が上がっても短期的にはCPIは上がらないんじゃないでしょか。株高による資産効果はあると思いますが、どの程度かは不明ですね。マネタリーベースをいくら拡大してもそれ自体は為替には影響しないと思いますが、投資家が円安になるとおもって円売りドル買いをすれば自己実現的に円安になるかもしれません。そうすればCPIも上昇すると思います。

いくつか参考になるリンクを張っておきます。


日銀の量的・質的緩和の効果とリスク(深尾光洋)

インフレ目標政策は万能特効薬か? (上田晃三)

新たな量的緩和の効果(池尾和人)


通貨供給はマネーストックやインフレに直結しない!リーマンショック後の世界の常識が通用しない日本(翁邦雄×藤田勉)





2013年3月31日日曜日

金融政策のペーパー2つ

①セントルイス連銀のエコノミスト、エド・ネルソンのペーパー

"Milton Friedman and US Monetary History: 1961-2006" (PDF)
Edward Nelson(2007)

「フリードマンは1982年~85年にかけて、インフレの再来を予言するという失敗を繰り返す。理由の一つは通貨需要関数の利子弾力性を見誤ったこと。低金利のもとでは、M1の需要は増加し流通速度が低下するが、その影響を過小評価」

②ニュー・ケインジアンの代表的な理論家マイケル・ウッドフォードのペーパー


"How Important is Money in the Conduct of Monetary Policy?" (PDF) Michael Woodford(2007)

ウッドフォード「経済学部の学生は誰でも最初に「インフレーションはいつでもどこでも貨幣的現象だ」というフリードマンの格言に親しむだろうし貨幣数量説をインフレ決定の標準的な説明として聞くだろう。しかし、今日では大多数の中央銀行の政策決定に通貨集計量はほとんど何の役割も果たしていない」

ラリー・マイヤー「マネーは今日のコンセンサスが得られているマクロ経済学モデルで何らの明示的な役割を果たしていないし、金融政策運営に実質的に何の役割も果たしていない」

『賃金上昇、デフレ脱却のカギ』 日経「経済論壇から」

今週は福田慎一東京大学教授がまとめられています。
「デフレが経済低迷の原因なのか結果なのかは議論が分かれるにしても、デフレ自体を好ましいと考える経済学者やエコノミストはほとんどいない。」

吉川洋東京大学教授(週肝東洋経済3月23日号)は、「日本だけがデフレに陥った主たる原因は名目賃金の下落にある。日本企業が国内外で厳しい価格競争とコストカットのプレッシャーにさらされるなかで、雇用を守ることが労使の共通認識となり、結果として賃金引下げと物価の下落が同時進行した。」

ただ、日本企業の生産性が依然として伸び悩んでいるのに賃金の持続的な上昇が実現可能なのか?

宮川努学習院大学教授(週刊エコノミスト3月19日号)は、「近年のわが国の賃金の下落は、技術力、国際競争力からみて不相応に高水準となっていた賃金を適正な水準へ戻す動きにすぎない。産業構造の転換や生産性の向上を伴う経営改革に加えて、国際競争力を向上させる人材育成なくしては、日本企業が賃金上昇を維持することは難しく、仮に一時的に上昇したとしても再び下がりかねない。」

黒田祥子早稲田大学准教授(週刊エコノミスト3月19日号)は、「賃金の引き下げによって欧米諸国のように多くの失業者を生み出すことなく、リーマン・ショックや欧州債務危機など数々の危機を乗り越えてきた。わが国の今年2月の失業率は4.3%と、現在でも主要国の中では際立って低い。日本の硬直的な労働市場を改革することなく、賃金の引き上げを強引に推し進めれば、新たな雇用不安を生み出しかねない。賃金引上げには雇用への影響に対する十分な配慮、解雇の際の金銭解決ルールの明確化、正規と非正規という二極的な働き方を助長する法制度の見直し、ミスマッチ解消に向けた労働政策などを通じて、労働市場の流動化を促進していくことが必要。」

なかでも、若者の不安定な雇用への対策は、喫緊の課題で、高山憲之年金シニアプラン総合研究機構研究主幹(週刊ダイヤモンド3月16日)によると、「かりに正社員になっても30代前半男性の半数以上が6年以内に転職している」。伝統的に日本では、正規社員に対しては社内教育や学習効果が人的資本形成の大きな源泉の一つだった。若者の雇用が安定しなくては、宮川氏が指摘するような国際競争力を向上させる人材育成も難しい。

これらの問題を根本的に解決するには時間が必要で、積極的な緩和姿勢を表明して市場の期待へ働きかけ株高、円安を誘発しても、実態が伴わなければ、やがては市場の失望を買うことになりかねない。資産価格には期待の果たす役割が重要であるにしても、賃金や財市場におけるモノやサービスの価格は期待だけでそう簡単には動かない。

白川浩道クレディ・スイス証券チーフエコノミスト(週肝東洋経済3月2日号)は、「日本製品の国際競争力が落ちている現状では、円安が輸出の拡大につながる効果は限定的。そのうえで金融政策の財政ファイナンス的色彩が強まるなかでの国債金利の急騰リスクなど、行き過ぎた緩和政策がもたらす潜在的なリスク」に警鐘を鳴らす。

福田氏は、「デフレが長引く大きな原因は、潜在成長力の低下にある。金融緩和だけでなく、アベノミクスが3本目の矢と位置づける成長戦略がうまく機能しなければ、日本経済の本格的な回復は難しいと言えよう。金融政策が決して万能でないことは確かだ。ただ、日本経済で繰り広げられるかつてない社会実験が今後いかなる影響を及ぼしていくのか、現段階では確定的なことは何も言えない。」

福田氏は3年間続けられた日経の「経済論壇」担当を辞められるようです。お疲れ様でした。

2013年3月27日水曜日

『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』

積読だった『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』を読み終わりました。リーマンショックのときのポールソン財務長官、米国金融機関の経営者達の言動に迫ったノンフィクションです。原題は『Too Big to Fail』。リーマンのくだりでは、以前に見た映画『マージンコール』の映像を思い出しますね。
読んでいて、タッチが『野蛮な来訪者―RJRナビスコの陥落』(1990)に似ているなと思ったら、謝辞で、これまで出版されたビジネス書のなかで著者が一番好きな本がそれだと書いていて、納得。これも面白かったけど翻訳は絶版ですね。図書館で借りて読んだな。 『野蛮な来訪者―RJRナビスコの陥落〈上〉』 (ブライアン バロー)原題は『Barbarians at the Gate』 Bryan Burrough。
『野蛮な来訪者』や『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』を読んで感じるのは、ビジネス関連のアメリカのノンフィクション・ライターのレベルの高さですね。本当に良く調べているし、面白い。
金融関連のノンフィクションで他にお勧めは『世紀の空売り』と『天才たちの誤算』ですね。前者はサブプライム危機で売りに回ったコントラリアンたち、後者はLTCMの破綻について書かれた本です。
急いで出版したのか、翻訳には金融用語で誤訳かタイポと思われるものがいくつかありますね。「元債権トレーダー」とか。

以下、備忘録
「スウェイゲルと同じく、バーナンキも学者らしく態度にぎこちないところはあるが、経済学者にしては驚くほど世間話がうまく、ポールソンと彼のチームにオフィスを見せてまわった」
「CDOに使われていた複雑な手法のいくつかは私の理解を超えていた。CDOの中間部分やさまざまなトランシェからどうやって利益を生み出すのかといったことは、わからなかった。私にすらわからないものが、世界の残りの人たちにどう理解されるのかと思うと、途方に暮れた」(グリーンスパン)
「最高リスク管理責任者(CRO)マデリン・アントシンクを雇ってはいるが、インプットはゼロに等しかった。彼女は執行委員会でリスクが問題になったときにも退室を命じられることが多く、2007年の終わりには執行委員会そのものから追放された」
「リチャード・ファルドはリーマン、リーマンはリチャード・ファルド。会社のロゴを胸につけた経営者がいるとき・・・被害は甚大なものとなります」
ファルドは51%の議決権を持っている。
ヘンリー・ポールソンがGSからコーザインを追い出したときに、CEOは2年で辞めて後はジョン・セインとソーントンにまかせると言ったけど辞めないで、ロイド・ブランクファインをセインと並ぶ共同社長に指名。ブランクファインの統括するビジネスはGSの80%の収入をもたらしていた。
AIGの創始者コーネリアス・バンダー・スターは27歳で上海に渡り中国人に保険を売り始め、アジア諸国に手を広げた。軍の友人だったマッカーサーの力を借りてアメリカ軍に保険を販売。日本が外国の保険会社に市場を開放するまでAIGジャパンは海外損保事業でAIG最大の売り上げをもたらした。
「AIG・フィナンシャル・プロダクツ(FP)は1987年にグリーンバーグと、ベル研究所出身の金融学者ハワード・ソーシンとの非凡な取引から生まれた。ソーシンは”デリバティブのストレンジラブ博士”として有名になった」。ストレンジラブ博士は映画『博士の異常な愛情』の登場人物ですね。
ソーシンはミルケンのドレクセル・バーナム・ランベールで働いていたが1990年の同社の破産前の1987年にドレクセルの従業員13人を連れてAIGに逃げ込んでいた。そのうちの一人が32歳のジョゼフ・カッサーノ。
AIG・FPは「いくつかのヘッジファンドの慣行どおり、トレーダーが利益の38%を獲得し、残りを親会社に渡していた。ビジネス成功の鍵は、S&PによるAIGのトリプルAの格付けだった」
ソーシンはグリーンバーグと仲たがいして1994年に他の設立者とFPを去っている。グリーンバーグはその前からプライスウォーターハウスクーパースと共同で密かにソーシンの取引を記録するシステムを構築し、後で解析、模倣できるようにしていた(mjsk)。カッサーノはFPに残りCOOに。
1997年のアジア危機のときカッサーノはJPモルガンにCDSのビストロ(BISTRO: Broad Index secured trust offering)を紹介されている。最終的に買わなかったがFPの分析者に商品の研究をさせてCDSはほぼ安全と判断している。
「ビストロにおいて、銀行は帳簿上の何百という融資を取りまとめ、それぞれ債務不履行に陥りそうなリスクを計算し、SPV経由で、投資家に少しずつ商品として販売することによってリスクを最小化する」
カッサーノはAIGをCDSのビジネスに進出させ2005年にはこの分野の大プレーヤーに。「不遜に聞こえるかもしれませんが、理性が及ぶかぎり、この取引で1ドルでも失うシナリオはとうてい思いつきません」。上司のマーティン・サイバンも同意した。「だから夜も安心して眠れるのだ」
「ロバート・ルービンはその人事に反対した。「トレーダーがほかの分野で成功したためしはない」ルービンはウィンケルマンに言った。「本当に大丈夫かな?」 「あなたの経験はお起きに参考になるけど、ロイドは大丈夫だと思う」ウィンケルマンは答えた。」
「クリントン政権の圧力下で、(ファニーメイとフレディーマックの)両社はサブプライム住宅ローンを引き受けはじめた。その動きは、これで誰にとっても持ち家が夢でなくなるという論調で報道発表されたが、普通の基準では家が持てない人にローンを提供するのは、そもそも危険なビジネスだった」
リーマン・ショック・コンフィデンシャル』上巻340pにある「2007年の(バークレイズの)ダイアモンドの収入420億ドル」というのは4千2百万ドルの間違いですね。さすがに多すぎます。
フラワーズがNYで同伴していたのがジェイコブ・ゴールドフィールド。ゴールドマンがLTCMを支援した際に、この会社の全情報を自分のノートパソコンに不正にダウンロードした人物。
アメリカの金融機関の経営者は、社内の激烈な競争を勝ち抜いてきただけあって、煮ても焼いても食えそうもないのばかりですね。
JPモルガンは、リーマン、メリル双方のクリアリング・バンクであり、さらにAIGの顧問だった。ダイモンは誰よりも事情を把握していたんですね。
本は、ポールソンがリーマンに破産申請を促す電話をSECのコックスにさせたところ。
リーマンの取締役会にはIBMの元会長ジョン・エイカーズやヘンリー・カウフマンなど錚々たるメンバーですね。そして今その取締役会がリーマンの破産申請に関する投票を行い、可決されたところ。
元GSでJ.C.フラワーズ社会長で新生銀行取締役でもあるクリストファー・フラワーズってほんと曲者だな。メリルについてBoAに公正意見書を書き送り、フォックスピット・ケルトンと合計で手数料として2000万ドルを得ることになっている。一週間みたないあいだの稼ぎ。
当時はリーマンの次はメリルが危ないと見られていたんですね。2008年9月14日の深夜、BOAとメリルの合併が発表され、ついで15日の午前1時にリーマンの連邦破産法11条の申請が発表された。
「JPモルガンとゴールドマンにAIGを救済させようと決めたのは(ニューヨーク連邦準備銀行総裁のティモシー・)ガイトナーだった」
ダン・ジェスターは元ゴールドマン副CFOで、財務省特別顧問。
「生真面目な経済政策担当次官補フィリップ・スウェイゲルは、大胆に行動すべきであり、政治的影響を恐れて問題解決から目をそらしてはならないと強調した。「日本の二の舞になってはいけません」」
リーマンがチャプター11、AIGが政府に救済された後も、モルガン・スタンレーは資金流出にみまわれ、資金が枯渇しかけていたんですね。
東京のモルガン・スタンレー証券社長ジョナサン・キンドレッドがMSのCFOケラハーに電話「面白い話です。いま三菱から電話があった。取引したいそうです」。この電話は晴天の霹靂だった。三菱UFJの玉越会長がアメリカに投資することはないと発言していたからMSは三菱を選択肢から排除していた。
「ケラハーは、驚くと同時に疑問も感じた。以前にも別の日本の銀行と仕事をした経験から、日本の銀行はつねに動きが遅く、リスクを嫌い、きわめて官僚的であるという評判どおりだと思っていたからだ」
MSとワコビアとかGSとワコビアの組合せの話もあったんですねえ。GSとCitiとか、JPMとMSとかも検討されてますね。中国のCICの名前も。GSとCitiはCitiが拒否。JPM側はMSの内容が悪すぎると判断したようですね。
銀行持ち株会社になり、「充分な預金を確保し、さまざまな規則にしたがえば、連銀の貸出枠から短期融資が受けられる」
「「おいおい、日本人のころはわかっているだろう。彼らはことを起こさない。迅速に動くことはぜったいにない」ポールソンは言い、中国かJPMとの取引にもっと集中すべきだと示唆した」
「「助かった。これで解決だ!」ジェイミー・ダイモンは叫び、JPMの役員フロアの廊下を走って、ジェイムズ・リーのオフィスに飛び込んだ。「マックから電話があった」ダイモンは安堵のため息をついて言った。「日本企業から90億ドルを獲得したそうだ!」」
「政治の問題は、大惨事を回避したからといって、功績は認められないことだ」(バーネット・フランク)
三菱東京UFJ銀行からモルガン・スタンレー宛に振り出された90億ドルの小切手




2013年3月23日土曜日

『池上彰の政治の学校』 (朝日新書)



私は、政治に関しては素人なんですが、この本はとてもためになりました。

「実はこの審議会こそ、官僚主導を支える重要な仕組みの一つなのです」

「役所が独自の基準で、審議会のメンバーを『選ぶ』ということはどういうことか。つまりこれは、『審議会』というのは名ばかりで、委員を選ぶ段階で、その審議会の結論は決まっているということを意味します」

「推進派と反対派、そして中立派がバランスよく揃うようにはします。けれども、反対派といっても、極端な人は呼びません。それをしてしまうと、審議会が空中分解してしまうから、原理主義者のような人は外しておく」

審議会の答申を大臣に手渡す前に、官僚は記者クラブで事前レクチャーをする。記者クラブに属するメディアは事前に原稿を書いておいて、答申が提出されたところで記事を発表。「なぜ官僚がこのようなことをするかというと、誤解されたままの記事を書かれたくないからです」

「彼らの問題意識は、自分達が作った無数のシナリオの中から、どうやって自分達がもっとも良いと思うものを実現させるかにあります。そのときに、絶対に必要なのが『いろいろな国民の意見を聞きました』ということなのです」

「日本最大のシンクタンクはどこか。そう聞かれれば、やはり『霞ヶ関』と答えるしかありません。...本来の政治主導は、政治家がすべてを動かすということではありません。政治家の仕事は『大方針を決める』ことです。そして後は官僚たちに任せる」

橋下氏が支持を集める理由は「橋下氏ならば、今の日本の閉塞感を打ち破ってくれるに違いない。国民がこのように期待していること。これこそが橋下氏の支持の源泉なのです」

「低所得者にとって優しい社会とは言えない『小さな政府』を目指す小泉氏を、小泉改革によってもっとも痛みを受ける低所得者層の人たちが支持しました。彼らはただ今の世の中に不満を持っていました。何かに虐げられているなと感じていた。だから現状の政府を攻撃して、力を奪うべきだと考えたのです」

「しかし恐ろしいのは『とにかく今とは違った状況を作ってくれ』という要求を繰り返していても世の中は改善されないだろうということです。有権者側も具体的に『このような世の中を作ってほしい』と発信して、その一方で有権者が求める世の中を作ることができる政治家を育てていかなくてはいけません」

「政治家が民衆の人気取りに走ってしまい、本当に必要な政策を実行しない。そして民衆もそれをとがめることができない。それがポピュリズム(衆愚政治)の基本的な症状です。菅直人は、この現代版ポピュリズムに翻弄された典型例でした。目先の支持を求めて突然『脱原発を推進します』と言ってしまう」

「小泉氏の場合は、総理大臣になる前までは靖国神社などにまったく関心がなかったのに、『中国からの圧力に負けない強い政治家』を表現するために総理大臣になってから参拝を始めたわけです。これはあきらかにポピュリズムです」

「中曽根康弘氏は、昔から靖国神社に参拝していたし、総理大臣になっても靖国神社に参拝していたけれども、そのことで中国との関係が悪くなったので参拝を控える判断をしました。これはポピュリズムではありませんね」

「ポピュリズムは、政治につきものの宿痾です。国民の支持がなければ政治はやっていけません。けれども、これは民主主義のパラドックスなのですが、国民に媚びるような行動を取っていては、国にとってよい政治はできません」

「『明日の国のことを考えるのが政治家で、明日の自分の選挙のことを考えるのが政治屋だ』という有名な言葉があります」

「今の日本が閉塞感に満ちていて、重苦しい雰囲気が覆っている最大の原因は、国民が政治に対して絶望感を持っているからだと思います」


一票の格差問題については、「自民党というのは基本的に農村部、地方を代表する党で、議員の多くは地方選出議員でした。だから都市部の人口が増えても選挙制度をいじりたくないのです。自民党が選挙区改正を渋っているうちに一票の格差が広がる構造になっていったのです」

農村部から選ばれた議員が多い。農村部には高齢者が多いから高齢者の支持を受けて選ばれた議員が本来の人割合で選ばれるよりも多い。政治家は議員になった後は自分に投票してくれた人のために働くから、高齢者のために働く議員が相対的に多くなる。

「いくら若者の雇用を何とかしなくてはならない、若い人が子供を産みやすい環境を作らなくてはならない、といったところで、若い人たちは投票してくれないわけですから、政治家としてはどうしても政策実現の優先順位が下がります」


2013年3月21日木曜日

池尾教授のインタビュー『アベノミクスをどう評価しますか?』


今週の東洋経済、46ページの池尾教授「アベノミクスをどう評価しますか?」は、まったく同感ですね。一読をお勧めします。ポイントをまとめておきます。

「(消費者や企業のマインドが前向きになるように働きかけることと)インフレ期待を政策的に操作できるということは、似ているようで異なる。(民間の銀行が日本銀行に預ける)準備預金の残高を増やすとインフレ期待が高まる、といった主張は正しくない。

今の日本はゼロ金利の状態にある。こういう状態の下では(日銀が準備預金の残高を増やせば物価が上昇するという)いわゆる貨幣数量説的な関係は成り立たない。金融政策を研究している世界の専門化の間でも、ゼロ金利の制約下では量的緩和は効かない、というのがむしろコンセンサスだ。

企業のマインドはすごく大切だ。しかし、やる気さえ見せれば期待を変えられるというのは、議論としておかしいと言わざるをえない。根拠のない偽薬のような政策であっても効くことは一時的にはありうるかもしれないが、持続的なものではありえない。

デフレ脱却のために、とにかく物価が上がればよいかというと、そうではない。世間でいうデフレ脱却というのは、景気がよくなることを指している。賃金が上がらないのに物価は上がるのは困る、というのが一般的な考え方だ。

金融政策で仮に価格の持続的な下落を止められたとしても、金融政策だけで実質賃金を引き上げることはできない。

黒田次期総裁は『財政ファイナンス、為替誘導はしない』と述べている(それ自体は正しいと考えている)。財政ファイナンスも為替誘導もなしで、異次元の金融政策といって何をするのか、私にはよく理解できない。

(残されているのは)満期までの残存期間の長い国債をもっと大量に買う、あるいは、日銀の準備預金の金利を撤廃するくらいの手段しかない。それらが異次元の金融緩和なのか疑問だ
白川総裁の日銀を批判してきた人も、だんだんと現実の制約を考慮せざるをえなくなり、白川日銀とさして違いのない手段しか取れないだろう。

岩田副総裁は『準備預金の残高を80兆まで増やせば、インフレ期待は2%まで高まる』と述べているが、本当にそうなるか結果を見守りたい。その後もお手並み拝見といきたいところだが、実験場のど真ん中で生活しているような立場なので、いつまでも傍観者ではいられない。特に、やらないはずの財政ファイナンスに結局、ずるずると陥っていかないか危惧している。

金融政策や財政政策がうまく機能したとしても、基本的には時間を買う政策だ。これまで何度も時間を買ってきたが、買った時間を浪費するのがこれまでの日本の基本パターンだった。次は日本の成長力をどう引き上げていくかという問題に直面する。

そもそも金融政策だけでデフレから脱却できるかのような議論については、そこは信念を持って間違いだと主張したい。」

2013年3月17日日曜日

『合理的市場という神話』



『合理的市場という神話』、おもしろくなってきた。
「マタイによる福音書が説く『タラントのたとえ』では、主人から預かったお金をリスクをとって上手に増やした二人のしもべはほうびを与えられるが、お金をなくさないように土の中に埋めておいたしもべは厳しい罰を受ける。その後、16世紀、17世紀には、教会法学者が、金融業者が受け取る利息はリスクをとった報酬であるため、高利貸しを戒める聖書の教えには反しないと論じて、資本主義が台頭する道を開いた」

「同僚の経済学者の中には、フリードマンの政策論に愕然とした者もいたことは確かである。フランコ・モディリアーニは「フリードマンを突き動かしているのは、政府がすることは何でも悪いという思想だ」と冷笑していた」

「シカゴ大学の大勢の同僚たちと違って、ファーマには自由市場を支持するイデオロギー的なバイアスがまったくなかった。彼の政治姿勢は昔も今もほとんど謎である。しかし、彼は根っからの研究者であり、自分やシカゴ大学のほかの経済学者が行っていた研究の論理的な結論を導き出したいと思っていた」

「1930年代と40年代を乗り越えて成功した投資家は、自分が株式を買った会社の根源的な価値に最新の注意を払っていた。その一人がケインズである。『私の目的は、資産価値と本源的な収益力について満足できて、市場価格がそれに照らして割安に感じられる証券を買うことである』(ケインズ)」

ベンジャミン・グレアムは56年に資産運用会社をたたみ、南カリフォルニアに移った。自分の投資手法がもはや通用しなくなったことを認めた。「証券アナリストも、投資ファンドも市場平均に打ち勝つことは期待できない。なぜなら、重要な意味で証券アナリストも投資ファンドこそが市場であるからだ」

「アナリストの仕事の本質は、銘柄選定によってめざましい運用成績をあげることにあるのではない。むしろ、多くの銘柄について、既知の事実と将来に関する妥当な推定に基づく相対的な価値が適正に反映された価格水準をつねに決定することにある」(グレアム)

1967年にウェリントン・マネジメント社はボストンの投資会社と合併したが73年と74年の弱気相場で意見が対立、ジャック・ボーグルは社長を解任される。ウェリントン・ファンドとウィンザー・ファンドはミューチュアル・ファンドだったため、ファンドの意思決定構造は運用会社から独立したまま。

二つのファンドの取締役はボーグルとその前任者によって任命されており、ボーグルの解任は青天の霹靂だった。ボーグルはウェリントン・マネージメントを新しい経営者から逆買収することを提案。ひるんだ取締役たちは妥協策を考え出す。

二つのファンドは部分的な独立を宣言し、資産運用・販売はウェリントン・マネジメントに残すが、「運営管理」は新しい会社が行い、この新会社をナポレオン戦争時のネルソン提督の旗艦にちなんでバンガード社と命名する。当時の運営管理とは株主に年次報告書を送るくらいだったがボーグル
を抜け道を用意。

一つは、ファンドの株式を販売手数料を取らずに投資家と直接取引すれば「販売」とはみなされないこと、もう一つは、パッシブ型ミューチュアル・ファンドを運用しても資金運用とはみなされないことだった。「これは人間が知る最も巧妙な便宜主義的行動の一つであった」(ボーグル)

「銘柄選択はきわめて重要であるという強い信念は、変人が多いファイナンス学者にはない静かな自信に満ちた態度やカリスマ性ともあいまって、ローゼンバーグを投資業界でカルト集団の指導者であるかのような地位に押し上げた」

ロジャー・イボットソンはブラックにCBOEの会員権を買ってオプションで儲けようと誘って断られている。イボットソンはブラック=ショールズ式を使って、オプションで大儲けするが、ブラックがボラティリティ評価サービスを始めて価格が適正に形成されだすと儲からなくなった。

「自己成就的な予言」という言葉を作り出したのはロバート・K・マートン。その息子のロバート・C・マートンはブラックとショールズが公式を完成させた後に、数学的によりエレガントな別の方法で公式を再導出した。数理ファイナンス理論の未来の形を定めたのはマートンの公式だった。

マートンは、資金を借り入れ、その資金で株式を買うことでオプションの全期間にわたりノーコストでポジションを調整できると仮定した場合には、その株式のオプションとまったく同じリターン特性を持つポートフォリオを組み立てられることを、”伊藤の補題”を使って立証した。

ブラックはマートンの手法を完全に受け入れたわけではない。現実の市場での売買は連続的でも円滑でもないことをブラックは懸念していた。しかしMBS、金利・通貨スワップなど、あらゆる種類の複雑な金融商品の評価モデルがマートンの手法を使って構築され、世界中の金融市場を変えていった。

ステファン・ロスはCaltechで物理、ハーバードでケネス・アローの下で経済学を学んだ。ペンシルベニア大でブラックのセミナーを聞き、アローの「状態証券」の概念に一部は基づいている、より実際的な新しいオプション評価式を編み出した。

「ロスは物理学から転向した元マルクス主義者で、物理学を捨てたのは、一つにはベトナム戦争に強く反対していて、自分の研究が軍事目的に使われるのを見たくなかったからだった。」

「そんなロスが新しい金融商品を無限に組成する自由を主張するようになったのは、そうすることで完全競争に近い経済世界が実現される、と均衡理論が説いたからである」

2013年3月2日土曜日

『経済学の巨人 危機と闘う』


欧米の過去の主要な経済学者について日本の経済学者が解説したもので、経済思想史を手軽に概観することができてお薦めです。リーマン・ショック、欧州債務危機を意識して経済学が経済危機に対して役に立つのかという視点が強調されています。取り上げられている経済学者は、キンドルバーガー、ハイエク、ケインズ、フリードマン、フランク・ナイト、ミンスキー、J・S・ミル、ハーバート・サイモン、ジェヴォンズ、マーシャル、ブローデル、ジョン・ロー、シュンペーター、リカード、カール・シュミット、アダム・スミスです。
7ページ目に近代経済学の系譜がまとめられています。


「はじめに 経済学って役に立つの?―今こそ考える『市場とは』」から少し引用します。

「いま経済学は、戦前の世界大恐慌や1970年代前半のスタグフレーションに匹敵する『第三の危機』を迎えているといわれている。たしかに、リーマン・ショック後の金融危機やギリシャ問題に端を発するユーロ危機といった世界経済を揺るがす難問に対し、アカデミズムが『即効薬』を処方しているとはいいがたい。

『なぜ誰も信用の収縮を予測できなかったのか』―。リーマン・ショック直後の2008年11月、LSEのビル開所式に招かれた、英国のエリザベス女王が発した問いに、同国の経済学者たちは頭を抱えた。翌年の公開書簡ではこう苦渋の回答を返したという。
『(研究者は)誰もが自分の仕事を適切にこなし、我々の基準ではうまくやっていましたが、規制の枠を超えた、複雑に絡み合った不均衡が生まれることを見抜けなかったのは失敗でした。その結果、危機のタイミングや範囲、深刻さがどうなるか、予測できなかったのです。(いまになってみれば)こんな驕慢な希望的観測はかつてないほどだといわざるを得ません』―。

一方で、経済学者、とくに若手の研究者の『経済思想ばなれ』『古典ばなれ』が著しいとも指摘される。マルクス・エンゲルス全集はともかく、アダム・スミスの『国富論』やケインズの『一般理論』をひもとくのは、かつては研究者にとって”必修科目”だった。しかし世界的な一流の経済学術誌に専門論文を掲載されることに注力するという『業績主義』風潮が強まる中で、これまでの経済学の歴史を体系的に理解しようとする専門家が減っていることは否めない。

海図なき世界経済が『羅針盤』を求める一方で、アカデミズムがそれに応えられないとすれば、世間で経済学への苛立ちや軽視の動きが強まるのは無理のないことかもしれない。

日本における経済思想の古典的名著とされる猪木武徳氏の『経済思想』を改めてひもといてみた。序章で猪木氏はこう述べる。
 
『経済思想そのものがいくつかの基本となる単位概念の組み合わせから成立しており、その組合せの差が思想の差を生み出している。
経済学者はつねに既存の概念や枠組みを基本に置き、そこから少しの修正、少しの拡張を『試行錯誤を重ねつつ』試みてきたにすぎない。その意味では、経済学の歩みも遅々たるものであって、一人の大天才の独創が今日の姿を無から作り上げたのではない』

複雑で時々刻々めまぐるしく変動する現代に、たとえアダム・スミスやケインズが存在したとしても、非の打ちどころがない解答を出せるわけではない。経済学の知見の受益者であるわれわれが『難問に真正面から向き合え』と学界に訴えていく努力は欠かせないが、すぐその成果が得られないからといって、安易にそしるだけの姿勢では、アカデミズムの健全な発展やそれに伴う難問解決のヒントは得られない。

猪木氏の指摘の中で、もう一つ見逃せないのが、今問われるべき『既存の概念や枠組み』とは何かということであろう。あえてその答えを先取りすれば、それは『市場』であり、そしてその中で決まる『価格』であると思われる。今日、われわれが直面する経済の諸問題も突き詰めていえば、市場に関わる問題だといっても過言ではない。

グローバリゼーションとは、国境や地域の枠で囲まれ分断されていた『市場』が、輸送手段やテクノロジーの発達で統合される現象にほかならない。リーマン・ショックや世界経済危機で露呈した米国のサブプライムローン問題は、信用力の低い所得者向けの住宅ローンの債権が『市場』できちんと流通するか否かが議論の焦点となった。ギリシャなどの債務問題で露呈した欧州危機も、共通通貨ユーロが『市場』でいかに信用力を確保するかという議論が核心といえよう。
このとき浮かび上がるのが、需要と供給の間に不均衡が生じた際に、価格メカニズム、すなわち価格の調整能力がどの程度高いかという論点であろう。新古典派やその流れをくむ『市場重視派』は、価格の調整能力は高いと考え、政府による市場への介入は必要なく、逆に弊害もあると主張する。一方で、伝統的なケインジアンやパターナリズム(父権主義)に理解を示す論者は、短期的には価格は硬直的で均衡に戻るまでには時間がかかるので政府による市場への介入が必要だと訴える。

ただし、どちらの学派に与するにせよ、議論の起点が市場にあるという点にはかわりがない。伊藤元重教授が指摘したように『市場の機能なしには、現代経済は一日たりとも機能しない』。松井彰彦氏の言葉を借りれば『市場は万能ではないとしても、市場を拒むことは不自由な経済を作ることである。それは人と人のつながりを断ち切ることに他ならない』のである。

たかが市場、されど市場。近代経済学の祖、アダム・スミスの『国富論』から200年あまり、アカデミズムは市場とは何かを考えてきた。市場を礼賛するにせよ、否定するにせよ、そうした賢人たちの深い考察を踏まえずして、単なる雰囲気やムードに流されるだけでは政策論議は深まらない。アカデミズムの知見を利用して自分の問題意識と照らし合わせながらそれを深め、解決のヒントを得ていく。そんなところに経済思想を学ぶ意義がありそうである」