2011年1月30日日曜日

コンピュータ vs プロ棋士



今日の日経読書面、「コンピュータ vs プロ棋士」(PHP新書)は是非読みたい。祝迫さん書評の「先物市場から未来を読む」は時間があれば読みたい。「投資の大原則」は時間がないのでスルー。
ということで、近所の本屋に行って「コンピュータ vs プロ棋士」をゲット。ついでに「ヨガのポーズが丸ごと分かる本」も買う。
「コンピュータ vs プロ棋士」の帯・・・「やはり人の感覚ではない」佐藤康光九段、「筋ってもんがないんですね」藤井猛九段、「人間に近いと感じた。胸が熱くなった」清水市代元女流四冠。
早く読みたい。

2011年1月29日土曜日

日本の格下げ、およびオイルショックの可能性について

エンロンのときに格付け機関の無能さを目の当たりにしてしまったので、いまでも格付け機関の能力に関して懐疑的な目で見てしまう(ドヤ顔ですみません)。
格付け機関に関して、私もクルーグマン教授に同意。 QT @ Japanese Bond Amnesia
報道ステーションでJGBに弱気のヘッジファンド・マネジャーがインタビューを受けていたけれど、黙ってJGBを売るなりCDSを買えばいいのに。TVに出てぺらぺら喋ると、ポジショントークに聞こえる。
国債の格付け、格付け機関については以前にもブログに書いたのでそちらもご覧ください。

その一方で、いやな予感がする。株式も債券も。シートベルトを締めましょう。。。
たしか70年代のオイルショックのときも実際の原油の供給はそれほど減っていなかった。でも供給が減ると予想して皆が買いに走ったので実際にオイルショックが起きた。いま先進国がベースマネーを増やしているときに中東が流動的になると、供給が減らなくてもオイルショック再現の可能性が高まる。

銀座で買い物



HMV銀座店も閉鎖だったのね。山野楽器まで行ってロドリーゴ・イ・ガブリエーラの「激情ギターラ!」のCDを買う。まだ天国への階段しか聴いてないけどなかなか良いです。ついでに前から欲しかった「ガメラ 大怪獣空中決戦」と「ブレードランナー」のDVDを買う。
「ブレードランナー」はビデオでしか持っていなかったのでうれしい。オリジナル劇場版とディレクターズカット版でエンディング等が違っている。私はオリジナル劇場版が好き。このDVDではそれらの3つのバージョンが収録されていてお得。
ついでに「フェイスブック 若き天才の野望」を買ってみた。まあ、読む暇ないんだが。実名主義のフェイスブックが「そのクラスを他の誰が受講しているかに、非常に強い関心」がある「人一倍プライドの高いハーバード学生たち」の中から生まれてきたのはある意味、必然か。
1/27の日経夕刊文化面の林田直樹さんの「超絶技巧列伝4」がおもしろい。ディープ・パープルの演奏の本質は「一触即発の暴走感」、「ぎりぎりのところで調和を守るスリリングなアンサンブル」w。
「リッチーの存在は、当時のすべての少年たちが憧れる何物かを体現していた。ワルであること。妥協しないこと。仲良しグループの友達の輪の中にあって、常に危険な、しかしなくてはならない存在であること。バンドにおけるリードギターの精神的理想にさえなった」
「(イングヴェイの音楽は)どんなに表現は激しくともそこには一種の余裕がある。完成度の高い創造物だけが持つしなやかな官能美がある。おそらく彼はパガニーニやリストがヴァイオリンやピアノで成し遂げた前人未到の演奏芸術を、ロックギターの世界で再現しようとしたのだ。」
林田さんによると「ロックというカテゴリーを飛び出した、全く新しいタイプの超絶技巧ギタリストとして、メキシコ出身の男女ギターデュオ、ロドリーゴ・イ・ガブリエーラが注目される」らしい。幻惑的なまでに美しいらしい。おお、ぜひ聴いてみたいとおもい購入。
英語のandをスペイン語で”イ(y)”といいます。ロドリーゴ・イ・ガブリエーラは「ロドリーゴとガブリエーラ」の意味ですね。男性名詞はオの母音、女性名詞はアの母音で終わるのでロドリーゴは男、ガブリエーラは女だと分かります。しかし「激情ギターラ!」という邦題はひどいね。
「超絶技巧演奏家は現れ続けるだろう。機械化によって堕落させられた人間の自発性の復権に他ならないからだ。超絶技巧演奏家とは、ひとりの人間のなしうることの偉大さを証明する存在なのだ」
超絶技巧演奏家で私が思い浮かべるのはジャズ・ピアニストの上原ひろみ。

2011年1月19日水曜日

2011年1月18日火曜日

メモ

Inside Volatility Arbitrage (Javaheri)
Modeling Derivatives Applications (London)
Active Fixed Income and Credit Management (Hagenstein)
Computational Finance (Los)

宇多田ヒカルの「Goodbye Happiness」

宇多田ヒカルの休止前の最後のPV、「Goodbye Happiness」はこちらで見れる。 右に歌詞がある。kanji lyricsで日本語になる。監督も自分でやったそうだ。NHKで流れたクマの頭を取るところも。コーラスは本人ではなくSynergy Vocalsの4人。このコーラスが頭の中から離れない。他の曲も見れる。

こちらはライブ・バーション。2010年12月に開催されたコンサート"WILD LIFE"より。http://youtu.be/sFkv

いまのところ、宇多田ヒカルの曲の中で一番好きだ。

2011年1月16日日曜日

すたみな太郎グループのバイキングレストラン「江戸一 草加館」

すたみな太郎グループのバイキングレストラン「江戸一 草加館」。90分1980円でなんでも食べ放題。各種焼肉、パスタ、ピラフ、焼きそば、カレー、唐揚、エビフライ、寿司、そば、アイス、ケーキ、プリン、フルーツ、綿あめ。。でも、人間、そんなには食べれない。。最後はひたすらパイナップル。

2011年1月15日土曜日

HJMとフォワードLIBORモデル

株式の(ヨーロピアン)オプションはブラック-ショールズ(-マートン)・モデルで評価される。そこではボラティリティ、金利は定数、株式のリターンは正規分布(したがって株価は対数正規分布)に従うと仮定されている。初めてブラック-ショールズ-マートン・モデルを見ると、「現実にはボラティリティは一定ではないし、株価も対数正規分布ではない」のに、こんなモデル使えるの?という気がするが、実際にやってみるとオプションを先物でデルタ・ヘッジするとちゃんと機能することが分かる。理論値と市場のオプション価格の違いはヒストリカルなボラティリティとインプライド・ボラティリティの違いとして把握される。
株式のデリバティブはシンプルな世界だった。しかし金利のデリバティブを考え始めると、とたんに複雑になることが分かる。そもそも金利のデリバティブが必要になるのは、金利が変動すると考えているからでB-Sにおける「金利が一定」という仮定は意味がない。また、金利の期間構造において裁定取引ができないような金利モデルである必要がある。しかも金利なので負になってはいけないし、対数正規分布のように発散する過程は使えない。そういう制約の中でいろいろな金利モデルが提案されてきた。
HJMは、瞬間的フォワードレートを状態変数に位置づけている。理論的構成が単純で取り扱いが容易。しかし瞬間的FRは仮想の金利で直接取引されておらず、トレーダーら実務家の理解を阻んだため、HJMは金利デリバティブ評価の標準モデルとみなされなかった。
実務現場ではBlackモデルが標準。キャップ/フロアの評価は瞬間的FRではなくフォワードLIBORの変動にもとづくBlackの評価式。スワップションの評価はフォワード・スワップレートの変動にもとづくBlackの評価式を採用。
HJMはフォワードレートが正規分布にしたがって時間発展。そのため金利が負になる確率がゼロではない。この問題を回避するため瞬間的FRが対数正規分布にしたがって時間発展すると仮定すると、今度は金利が無限大に発散。
トレーダーは慣習としてBlackの公式を使っていたので、Blackの公式を再現する数学的裏づけがあり、無裁定を保証する金利モデルの定式化が望まれていた。マーケット・モデルは、その要請に応える金利モデル。
マーケット・モデルは、「市場で取引される「金利」が状態変数」、「預金勘定と債券間、および債券間で無裁定条件を満たす」、「金利が対数正規で時間発展するので正値性を保証」、「評価式がBlackの公式と一致」という好ましい性質のため、現在広く実務で活用されている。
マーケット・モデルはどの金利を状態変数に採用するかによって、「フォワードLIBORを状態変数とするフォワードLIBORモデル」と「フォワード・スワップレートを状態変数とするフォワード・スワップレート・モデル」の2種類に大別される。
HJM,マーケット・モデルは無裁定条件を満たす相異なる金利モデルが存在すると主張しているわけではない。MMはHJMで表現可能で、互いのボラティリティは1対1の対応関係。どの測度のもとでボラティリティを指定してモデルを構築しようとしているかにすぎない。

インビクタス 負けざる者たち

映画「インビクタス 負けざる者たち」よかったです。95年のラグビーワールドカップ。アパルトヘイトの後遺症を超えて国を1つにまとめとようとするマンデラ、優勝を目指す南ア・チーム”ボクス”。人間は変わることができる。希望を感じさせてくれます。監督はイーストウッド。
「どんな神であれ感謝する。我が負けざる魂(インビクタス)に。私はわが運命の支配者。我が魂の指揮官なのだ」
映画の中でのマンデラ役のモーガン・フリーマンのセリフです。これは支配者である英国人に負けないために、英国人を研究しようとしてマンデラが獄中で読んだ英国詩人William Ernest Henleyの詩の一節です。
I thank whatever gods may be
For my unconquerable soul.
I am the master of my fate:
I am the captain of my soul.

2011年1月13日木曜日

インデックス運用の意義と問題(浅野2002)

浅野先生の論文はいつも新しい発見があって楽しい。
インデックス運用の意義と問題(浅野幸弘 2002)
「インデックス運用のパフォーマンスが良いのは銘柄調査や売買をしないから。価格形成能力をゆがめるが、ゆがめばアクティブ運用の余地が出てロングショートなどのヘッジファンドが価格を復元する。
問題はむしろ、インデックス運用がこうした価格のゆがみと言う形で隠れたコストを負担していること。インデックスに銘柄入れ替えがあったときに、入れ替え日あるいは資金流出入日に引けの成り行きで売買する傾向があり、マーケットインパクトなどの大きなコストを引き起こしている。多くは現行のパフォーマンス評価によってもたらされたエイジェンシー・コストとみられる。
インデックス運用はフリーライダーである。他人が付けた株価を高いとも低いともいわずに受け入れる。投資家が全員インデックス運用をしたら市場は資金配分の機能を果たすことができなくなってしまう。いわばアクティブな投資家の判断や売買によって形成された価格や市場機能に便乗して運用する。アクティブ運用のコストを何ら払わずに利用する。
また、インデックス運用はさらに市場の価格形成力を阻害する恐れがある。

インデックス運用の隠れたコスト
1)株価をファンダメンタルズから乖離させるのでヘッジファンドに投資機会を提供している。そうした形でコストを負担しているといえる。
2)市場操作の余地。アクティブな投資家が先回りして売買することによってインデックス運用に高く買わせたり、安く売らせることができる。実際に2000年4月の日経平均銘柄入れ替えのときにこのようなことがおこった。投機筋は大きな利益を手にしたが、それは日経平均のリターンの低下としてインデックス運用者(そしてインデックス投資家)の負担によった。
3)インデックス売買のコスト。トラッキングエラーが最も小さいのは完全法だが、この方法は銘柄入れ替えの実施日の引けに成り行きで売買することになる。そうすればインデックスに完全にトラックするから。しかし、インデックス運用が多いと、そうした売買が一度に集中してマーケットインパクトが大きくなり、インデックス運用はそのコストを負担することになる。」

私が外国株のファンドマネジャーをしていた90年代後半のアメリカでも、401kのお金がS&P500インデックスファンドに流れ込み、S&P500採用銘柄と非採用銘柄のバリュエーションの乖離が拡大していった。割高をショート、割安をロングすればいいのだが、いつ修正が起きるか読みづらいので1年単位で評価されるFMは手を出しにくい。

2011年1月11日火曜日

債券インデックスについて



債券投資とファイナンス理論(太田智之1999

インデックスにおける株式と債券の相違

ベンチマーク・インデックス活用の理論的妥当性は平均分散分析から導かれた2ファンド分離定理。すべての投資家が、リスク資産の組合せとして、「市場ポートフォリオM」を選択することになる。その後、投資家個々のリスク許容度などの観点からリスク資産と無リスク資産の比率を決定すればよい。

市場ポートフォリオの近似としてTOPIXNOMURA-BPI総合指数がある。時価総額加重であり、現存するすべての証券を購入したポートフォリオに近いものとなる。

しかし、実は債券の場合には、株式の場合と異なり、現存するすべての債券を組み入れたポートフォリオは、ここでいう「市場ポートフォリオ」にはならない。

・債券の市場ポートフォリオの問題

消費CAPMによると株式のリスクプレミアム(期待リターン)は高く、債券のリスクプレミアムは低くなる。株価と消費は相関が高い。債券は景気が悪く、消費が伸び悩むと金利が低下し、債券価格が上昇する。つまり債券には景気、消費の落ち込みをヘッジする価値があり魅力的である。その分、期待リターンが低くなるところまで買われる。

リスクを資産価格変動の標準偏差のみで捉えると債券の投資対象としての存在意義が疑われることになるが、リスクは消費ベータで捉えるべきである。消費ベータを横軸にとったグラフでは、各資産が直線上に並ぶはず。

しかし、この説明は理論的には正しいが、消費ベータは実証的に推定することは困難であり、実務家に馴染みがなく、説得力がない。

債券の投資対象としての意義を実務家にも分かりやすく説明するために考え出されたのがM.リーボビッツの説明。

・リーボビッツによる説明

機関投資家の負債には債券の負債とよく似たキャッシュフローの形をしたものがある。証券投資のリスクを、資産のみに注目してみるのではなく、負債との対比で考えるべきである。資産と負債との時価でみた価格変動の相違こそが機関投資家にとってのリスク。

債券投資の価格変動リスクは、負債との対比で考えない限り、意味を成さない。個々の機関は、自らの負債と同程度の期間の債券を、資産として保有することが、価格変動リスクが小さい投資となる。

債券投資においては、個々の投資家が保有すべき債券の種類やその残存期間は、それぞれの投資家の負債の状況によって異なることになる。どの投資家にも共通の、最適な債券ポートフォリオは存在しない。

・M.グラニートの証券市場のモデル

例えば先物はネットでは投資家間で相殺されるため、市場ポートフォリオに含めないのは誰の目にも明らか。グラニートによれば、平均分散分析で言うところの市場ポートフォリオは「生産過程へのインプットの調達を直接の目的として発行された証券の総合計」であり、国債、金融債は市場ポートフォリオに含めない。金融債は禁輸期間が発行し機関投資家が保有する。投資家間で相殺されてしまうので市場ポートフォリオには含めない。

国債は国、金融機関、国民の間で相殺されるため市場ポートフォリオには含めない。結局、市場ポートフォリオには事業債とMBSのみが含まれることになる。

現存する債券すべてを保有する時価総額加重のポートフォリオは平均分散分析でいう市場ポートフォリオには当たらない。時価総額加重ポートフォリオがどの投資家にも共通の最適なポートフォリオであるということは、理論的にも正しくない。

債券運用実務への示唆

まず個々の投資家が自らの負債の状況を分析するところから始まる。負債の期間の長さに加えて、流動性の必要度など、ほかの観点からも負債を分析する必要がある。

NOMURA-BPI総合指数のパフォーマンスは、債券を運用する者の、平均的運用成果を表す。運用成果を総合指数と比較することは、平均点との比較という意味はある。しかし、いかなる投資家にとっても最適な債券ポートフォリオであることは意味しない。債券運用においては、万人に共通の最適ポートフォリオは存在しない。個々の投資家が自らの負債の状況に合致した、債券ポートフォリオや、それに適合したベンチマーク・インデックスを選択する必要がある。この場合に用いられるのが、カスタマイズド・インデックスである。


パッシブ・コア戦略(中央三井信託銀行年金運用研究会2001

理論が想定した市場ポートフォリオとは、その経済に存在する正味の富を表す根源的な資本資産。証券とは投資家と生産活動を結ぶもの。市場ポートフォリオはそのような証券の残高によって構成されたポートフォリオであり、生産活動に直接投入されない資金調達を目的とした証券はそこに含まれない、と考える。

例えば先物市場は売り手と買い手の間でキャンセルされるもので、社会的なリスクの負担としては正味でゼロだから含まれない。金融債も国債も相殺されるので市場ポートフォリオには含まない。

このような理論面に加えて、現象面からも債券インデックスの効率性に疑問を感じさせるものとして、利回りとデュレーションの逆相関がある。利回りが高い時期は債券インデックスの満期が短く、低い時期は長くなる。インデックスに従って運用すれば、債券価格が下がればリスクを小さく、上がれば大きくすることになる。しかし金利に平均回帰性があることを考えれば逆のほうが効率的である。このような債券インデックスが、平均的な投資家のリスク選好を表しているとはみなしにくい。