2013年11月3日日曜日

ファーマの経歴

 

ファーマの経歴については『証券投資の思想革命』が割とくわしいですね。家の中のファイナンスの本を見てみたけど意外とファーマ&フレンチのモデルをちゃんと説明している本がない。バーラのモデルの説明は多い。実務上のニーズからそうなるんでしょうが。

裕福な家庭ではなかったので、「ファーマはアルバイトで学費を稼ぎながらタフツ大学で学んだが、そこはボストンの優良大学とはいえ、学者をめざす人にとっては一流とはみなされていなかった」。「ファーマは将来経済学者になろうなどとはまったく思ってもいなかった」

「彼は学生の時に結婚したので、これを機に生活力がいままでよりも重要になった」。「学費の足しにするためにファーマは、株価モメンタムに基づく銘柄推奨を行うマーケット・レターを発行していたハリー・アーンスト教授のもとで働いた」

「(当時)儲けにつながるトレーディング・ルールを開発しようとしたファーマの努力は決して不成功に終わったわけではないが、彼が見つけだした法則は昔のデータではうまくいったが、新しいデータでは効果がなかった」

「バック・テストではうまくいくようにみえることが、実際に投資家がそれを実行しようとすると不冴えな結果になることが多い。その原因は投資環境が変貌したり、市場の反応速度が遅くなったり早くなったり、また同じ投資戦略を大勢の人々が実行するようになって得べかりし利益をお互いに奪い合うから」

ファーマはビジネススクールへの進学を考えるんですが、地元だけに最初はハーバードを考えてるんですね。ところが彼を教えたタフツ大学の教授たちは意外にもシカゴ大学に行くように勧めた。ファーマは「典型的なハーバードのタイプよりはもっと学究肌」だからだと。

「(史上初の本格的な計算機)IBM709型機は当時やっと入手できるようになったばかりであった。ファーマが言うには、長い間、彼と物理学部の職員だけが(シカゴ)大学の中で唯一その使い方を心得ていた。「まるでキャンデー屋の中の子供のように嬉々としていたものだ」」

「シカゴ大学で博士号を得て、1964年彼は同大学の専任講師として迎えられた。何の科目を教えようかと迷って、彼は学部長のマートン・ミラーを訪ねた。ミラーのアドバイスは「いま講座がない科目を教えればいいんじゃないか」というものであった」

「当時シカゴ大学では、金融市場やポートフォリオ構築の理論についてはほとんど講座がなかった。コンピュータの使い方を知っている教授がほとんどいないこともファーマは知った。ファイナンスのカリキュラムの大部分は会計学、企業財務、証券分析などの標準的なコースばかりであった」

ファーマ 「ランダム・ウォーク・モデルを支持する実証的根拠は一貫性がありかつ膨大な量であるが、一方でテクニカル分析の諸理論を厳密に実証的に検証した著作はほとんどない、という点をチャーチストは認めざるをえない。もしもチャーチストがランダム・ウォーク・モデルの証拠を退けるならば、彼自身の理論が同様に厳密な検証を受けていないという弱みがある。思うに、これこそがランダム・ウォーク理論からの挑戦といえる」

ウィリアム・シャープ 「皮肉なことに、プロの投資家どうしがお互いを評価しているよりも、経済学者たちはプロの投資家たちをもっと高く評価している」

1971年の論文で当時シカゴ大学のフィッシャー・ブラックは「バリューライン」の投資成果を厳密に分析した結果、「ほとんどの投資顧問会社では、1人を除いてアナリスト全員をクビにして、その残った1人のアナリストに「バリューライン」を与えるようにすればパフォーマンスが向上すると思われる」

「効率的市場は必ずしも合理的市場ではない。ある特定の銘柄が何らかの理由でその本質的価値よりも高い、あるいは低いという意見の一致をみることがある。しかし、効率的市場ではどんなひとりの投資家も他のすべての人を一貫して出し抜いて単なる幸運以上に利得をおさめることができない」

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