FRBは民間の経済活動に干渉するようなことをせず、自由に任せる一方で、全体としての経済が困難な状況に陥った場合には、FRBが全力を挙げて対蹠するという方針をとった。これは、うまくいっているときには成果はそのまま市場参加者のものになり、まずい事態になったときにはFRBが尻拭いをしてくれる、ということになる。こうした方針は「グリーンスパン・プット」と呼ばれるようになり、民間のリスクテイクを促進する一因となった。
金融政策方針を決定するFOMCの議決は多数決による。執行部であるFRBの議長といえども、FOMCの委員としては1票を有するにすぎない。しかしグリーンスパン時代のFRBでは彼は圧倒的な影響力を持ち、FOMCの決定はつねに彼の議長提案を追認するものとなり、反対票が投じられることすら極めてまれであった。
グリーンスパンの見解がFOMCで少数派であった場合も全員一致で決定するという方針にこだわった。ブラインダーによると、グリーンスパンは反対票を最小限に抑えるため、利上げ幅、バイアス等について妥協することもあったが、委員会メンバーのグリーンスパンへの追随傾向はグリーンスパンの神格化が進んだ在任任期後期に強まった。
ラジャン=ジンガレスの『セイヴィング・キャピタリズム』では金融システムがリスクテイクに与える影響を概ね以下のように説明している。まず、英国・米国などアングロサクソン型金融システム(資本市場などを使ったアームスレングス金融)と日本・ドイツ型の金融システム(銀行による金融仲介が中心のリレーションシップ金融)を比較している。出版社の比喩で前者をベストセラー狙いで審査が甘い「軽率出版」、後者を審査が厳格で良書しか出さない「古色堂」としている。そして技術改良期にはリレーションシップ型のパフォーマンスが高いとしたうえで、90年代以降の技術飛躍期(出版社のたとえでは、なにがベストセラーになるかわからない時期)については、アングロサクソン型が優位にたつ、とする。革命的な技術革新が、まったく新しい・収益性の高い市場を作り出す時期については、リレーションシップ方の厳格審査は、その好機をつかむことができない、とする。革命的で前例がないものは銀行の厳格審査を通りにくいからである。
これに対し、アングロサクソン型では、多数の失敗企業にも資金提供がなされるものの、革新的な企業にも多くの資金供給をすることができる。革命的な技術革新が進行する時期には、成功から生み出される膨大な価値が、失敗のコストを圧倒的に上回る。したがってアングロサクソン型の方が技術革新に対する金融方法としてうまく機能する。
グリーンスパンの見方はリスクテイクと成長の関係について概ね肯定的ではあるが、慎重で決して単純に両者を結びつけているわけではない。一方で、物質的な豊かさ、すなわち富を生成するためには、人々はリスクを取ることが必要である、と肯定的見解を示しているが、他方で、リスクを取るほど成長率が高まるとは言えないとも述べ、無謀な賭けをしたときに最後に元をとれることは滅多にない、とする。つまりビジネス上の判断における合理的な計算に基づくリスクテイクが必要というのが彼の主張である。その際、経済活動の自由の制限や、政府による企業の規制、成功したベンチャーに対する重い税負担は市場参加者の意欲を阻害するに違いない、とも述べている。
さらにグリーンスパンは、リスクテイクの政策的促進によって成長のカギになる生産性上昇率が大きく動かせると考えていた、とも考えにくい。回顧録では、アメリカが技術で最先端に位置している限り、長期的な生産性の伸び率が年0~3%であることを過去の実績が示している、と述べていて技術が最先端にある経済の長期的な生産性の伸び率は3%程度が上限であることを明確に意識していた。
他方、金融規制には明瞭に反対している。
彼の基本的な考え方は、市場は巨大化し複雑になり、動きが早くなっているので、二十世紀型の監督や規制では対応できない、というもの。監督当局者としての経験に照らし、グリーンスパンは、金融システム安定のかなめは当局の規制監督ではなく、市場の中において金融機関同士の取引相手に対するモニタリングであると考えるようになる。危機を防ぐためにもっとも有効な対策は、最大限に市場の柔軟性を維持すること、つまりヘッジファンドやプライベート・エクイティ・ファンド、投資銀行など、主要な市場参加者が行動を制約されず自由に動けるようにすることである、という結論に達する。金融監督当局は、業務リスクと企業や消費者の不正行為の分野についてのみ、二十世紀型の規制の原則を残すべきだ、と。
「規制はその性格上、市場の自由な動きを制限し、速やかに動いて市場を再均衡させる自由を制限する。この自由を損なえば、市場の均衡プロセス全体がリスクにさらされる」
一方、リスク・プレミアムが低下しすぎ、反動がきつくなることの危険性については的確に読み取っていた。回想録の中でも、過去20年間で特徴てきだったのは、一貫したリスク・プレミアムの低下であり、2007年半ば時点でジャンク債のスプレッドは信じがたいほど低くなっていると指摘している。
グリーンスパンの金融政策には2つの柱がある。1つは「後始末戦略」であり、もう一つは「リスク管理アプローチ」である。前者はバブルの膨張期には抑制に動かず、バブル崩壊後に思い切った緩和的政策でバブル崩壊の悪影響を極力相殺するというもの。Fed Viewとしても知られている。後者は最悪の事態に保険をかける政策運営である。
グリーンスパンは、株式市場がバブルだとして判断して空気を抜きたいと望んでも、それが可能なのか疑問だとしている。そしてFRBにとって最善の方法は、財とサービスの物価を安定させるという中心的な目標に徹することだ、とういう結論に達する。FRBが「十分な情報を持った数十万の投資家」より優れた判断ができるとは考えない。そして、暴落が起こった場合に経済を守る任務に専念する。
もう一つの「リスク管理アプローチ」は小さな確率の大きなリスクに備えるというもの。ロシアの債務危機のとき、ロシアのデフォルトでアメリカも深刻な影響を受けるリスクは確率は低いものの確実にあると判断した。そのシナリオが実現する確率はかなり低いが、万一実現した場合には、経済の安定性が大きく損なわれる結果になりかねず、それは金融緩和によって起こりうるインフレ率の上昇よりも経済の繁栄に大きな脅威になる、と考えた。
このグリーンスパン流のリスク管理アプローチは、ジョン・テイラーなどが主張しているルール・ベースの政策運営ルールとは鋭く対立するもので、当然ながらテイラーなどから批判されている。
特に、議論になるのは、このリスク管理アプローチが、2003年にデフレのリスクを重視し、あえてバブルが発生するリスクをテイクする、という政策をグリーンスパンに意図的に採らせる結果になった点である。回顧録で「デフレという悪性の病にかかる可能性を完全になくしておきたかった。そのためには利下げによってバブルが発生するリスク、ある種のインフレ型ブームになって、後に抑えこまなければならなくなるリスクをとることもいとわないと考えた」と説明してる。
彼は、世界経済へのデフレ圧力と金利低下圧力には強い恐怖を感じていた。「政策発動や、インフレと戦う中央銀行という信任が過去十年から二十年の長期金利の低下に主導的な役割を果たしたと言う見方は、大いに疑問である。長期金利の低下(そして謎)は金融政策以外の要因で説明できる。実質長期金利の低下圧力は世界に広がっていたが、われわれがそれに対抗する資源をもっていたのか疑問に思う。日本は、あきらかに対抗できなかった」
この時期、金融政策と財政政策を総動員しても、デフレから抜け出せない日本の経験が、グリーンスパンに大きな恐怖を与えたことも間違いない。
「デフレに陥りそうな状況になったとしても、印刷機をまわしてデフレの悪循環を防ぐのに必要なだけの紙幣を供給すれば、問題は解決する。そう私は考えていた。だが、この確信は揺らいでいた。この時期、日本はいってみれば、通貨供給の蛇口を全開にしている。短期金利をゼロにまで引き下げている。財政政策を思い切り緩和し、巨額の財政赤字を出している。それでも物価は下がりつづけていた。」
財政政策については基本的には均衡財政論者であり、財政ルールにより政治的な逸脱を予防することを支持する立場。
翁氏は最後に以下のようにまとめている。金融には技術革新の種を生み出すことはできず、技術革新の種が枯渇しているときに、金融的なリスクテイクが経済成長の主役になることはできない。グリーンスパン時代の1996年‐2004年の米国の労働生産性の高まりの原動力は金融政策ではなく第3波の技術革新の影響と考えるのが自然である。金融は技術革新が実を結ぶよう支援することで引き続き重要な役割を果たす。しかし、それは経済の牽引役というより、あくまで補佐役であるべきだろう。
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