伊藤清の『確率論と私』、すごく面白い。
「数学は論理的には集合の理論にすぎないのです」
「すべて数学分野の定義や定理は、すべて集合論の枠の中で表現でき、定理の証明も集合論の言葉で記述することができます。この意味で数学は論理的には集合論であると申したのであります」
「しかしどこまで進んでも実在は更に複雑で、科学者の立場からすれば、数学を近似的模型として利用するにすぎない。したがって数学者が苦心して作りあげた厳密な理論などはあまりに顧慮しないで、相当乱暴な数学のつかい方をする」
「物理学は存在そのものを研究する学問で、数学は物の存在形式を研究する学問である」ヘルマン・ワイル
『確率論と私』に収録されている「コルモゴロフの数学観と業績」は、一読をお薦め。
伊藤先生は学生の頃、コルモゴロフの『確率論の基礎概念』を読んで確率論を志したそうだ。
コルモゴロフによれば、数学は「実世界における数量関係と空間形式の科学」である。
コルモゴロフの『確率論の基礎概念』は、ちくま学芸文庫で手に入る。
コルモゴロフとかオイラーって、すごいという言葉しか浮かんでこない
伊藤先生は大学卒業後、内閣統計局に就職している。理解のある上司だったので、仕事をしないで、自由に研究させてもらえたそうだ。その上司とは秋篠宮妃の祖父。
岩波の「数学辞典」の第三版の編集責任は伊藤清先生だったのか
岩波の数学辞典の英訳を世界中の科学者が待っていたのか。すごいことだな。
伊藤先生の「確率微分方程式」に関する論文を書き上げたときは戦後の困窮で出版用の紙も不足しており日本のジャーナルはどこも載せてくれなかった。そこでドゥブ教授に論文を送って相談し、親切な取り計らいによってアメリカ数学会のメモワール・シリーズの一冊として1951年に刊行された。
「私が想像もしなかった「金融の世界」において「伊藤理論が使われることが常識化した」という知らせを受けたときには、喜びより、むしろ大きな不安に捉えられました」
『確率論の私』の巻末に<付録>として伊藤先生による確率微分方程式の生い立ちと展開の解説がある。
「ここでY_s_(i-1)をとることが大切でStieltjes積分の場合のようにY_τ_i(s_(i-1)≦τ_i≦s_i)をとったのではうまくいかない。この点についてはその後物理学者や工学者の間で物議をかもしたがこれについてはStratonovichの積分と関連して後で述べる。
しかし私自身は、(1.1)の直感的意味から考えて、Y_s_(i-1)をとることに、何の抵抗も感じなかったし、またMarkov過程の精神からいえば、むしろ自然であると考えた。
私がこの理論を始めた頃は、第二次世界大戦の最中で、印刷も容易でなく、大阪大学の『全国紙上数学談話会誌』(1942年謄写版刷り)に日本語で書いて発表させて貰ったが、興味をもってくれた人は二、三人であった。今の状態と比較して今昔の環に堪えない。
確率積分や確率微分は、必ずしもWiener過程を基礎にする必要はなく、もっと一般にマルチンゲール理論を背景として考えるべきであることは、J.L.Doobが指摘し、渡辺信三、国田寛の両氏が極めて一般的な美しい理論を作り、その場合にも変換公式が成り立つことを示した。
またP.Meyerはさらに精密巧緻な理論を組立てている。これらの現代理論については渡辺信三著『確率微分方程式』(産業図書、1976)を参照されたい。」
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2 件のコメント:
面白そうですが、難易度高そうですねw
こういう本は普段何時間くらいで読まれるんですか?
この本はエッセイ集なので難易度はそれほど高くないと思います。確率論に慣れていないと意味がよく分からないところがあるかもしれません。
この手の本は通勤中の電車の中や寝る前に少しずつ読みますが、8~10時間位でしょうか。
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