2015年2月22日日曜日

ボルヘスの北アメリカ文学講義


「意思薄弱な人物であり、たがいにまったく矛盾するさまざまな情熱に駆り立てられていたポーは、理性と明晰さを礼賛してやまぬ人物でもあった。根はロマンティストであったけれども、好んで霊感の価値を否定し、美的創造は純粋な知性から生じると断じてはばからなかった。
ポーの短篇物語は二つの範疇に分けられ、時に両者が混在している。すなわち、恐怖の物語と、知性の物語である。(中略)後者の物語は、探偵小説という新たなジャンルを始動させ、いまやそれが全世界を征服して、ディケンズ、スティーヴンソン、チェスタトンなどもその実践に加わっている。
エドガー・アラン・ポーは詩に用いたのと同じ技巧を物語にも用いた。何を書くにせよ、すべては最後の一行を念頭に置いて書かれねばならないとポーは考えていた。」
チェスタトンによるポーの比類なき五つの短篇、『モルグ街の殺人』、『盗まれた手紙』、『マリー・ロジェの謎』、『お前が犯人だ』、『黄金虫』。
「超絶主義(transcendentalism)はアメリカで起きたもっとも重要な知的事件のひとつである。それは閉ざされた学派というよりも、ひとつの流れであった。(中略)それは18世紀の合理主義、ジョン・ロックの心理学、ユニテリアニズムに対する反動であった。神がこの宇宙の外にいるのではなく、宇宙に内在しているという点が、おそらく超絶主義の中心理念である。人はみなひとつのミクロコスモス、一個の微細な宇宙であるとエマソンはくり返し説いた」。この運動はロングフェロー、ホイットマン、メルヴィルにも影響を及ぼした。」
キングズリー・エイミスによるSFの定義「サイエンス・フィクションとは、我々の知る世界では生じえない、しかし科学もしくはテクノロジー(あるいは疑似テクノロジー)において人間もしくは地球外生物によって為された何らかの革新に基づいて仮想される状況を扱った散文物語をいう」
ボルヘスが挙げているハインラインの代表作、『未知の地平線』、『レッド・プラネット』、『ガニメデの少年』、『月を売った男』、『栄光の星のもとに』、『失われた遺産』
ボルヘス「SFは広い人気を持つジャンルではない。読者の大半はエンジニア、化学者、科学関係者、技術者、学生で、圧倒的に男性が多い。熱中した読者がファンクラブを作ったりもする。国全体に広がるクラブが何十と存在している。」
ヴァン・ヴォクトは自分が何者なのかわからぬ男が自分を探しに出るといったテーマを好んで扱う。機械的な問題よりも精神的な問題に惹かれる作家。数学、論理学、意味論、サイバネティックス、催眠術だどから想を得ている。主な作品『スラン』、『プタースの書』、『非Aの世界』、『未知の世界から』
ブラッドベリ、『黒いカーニバル』、『火星年代記』、『刺青の男』、『華氏451度』、『太陽の黄金の林檎』、『夜をつけよう』

ボルヘスのイギリス文学講義


『ボルヘスのイギリス文学講義』によるとジョン・ミルトンは「詩人で神学者で論客で劇作家だった。熱烈な共和主義者だったのでクロムウェルのラテン語秘書になったが、ラテン語は当時外交用語だったから、これは外交問題の責任者になることを意味した。
彼は二度結婚し、離婚と一夫多妻を支持した。彼はイタリアでガリレオと知り合う。ガリレオの望遠鏡で見た月のイメージはずっと後になって、『失楽園』のサタンの盾の描写のなかで再現するだろう。彼はラテン語とイタリア語で詩を書いた。
1667年、いまや盲目となったミルトンは『失楽園』を出版する。荘重なスタイルはミルトン特有のものであるが、読者は読んでいるうちに、この詩に機械的なところがあるのに気づく。情熱に動かされて書かれたものではないからだ。」

イギリスでもっとも権威のある批評家サミュエル・ジョンソンは、『失楽園』は読者が賛美し、放棄し、二度と読まない、そういう書物の一つだ、と18世紀に書いている。「もっと長かったらと思う読者は一人もいない。それを読むことは楽しみというより義務だから。われわれは教訓のためにミルトンを読み、疲労困憊消化不良になって部屋を出、別の本に気晴らしを求める。われわれは主人を捨てて、遊び友だちを探す」

シェークスピアの時代は、演劇は文学の下位ジャンルだったので、シェークスピアが偶像崇拝されることはなかった。シェイクスピアは役者であり、作者であり、興行主だった。彼とつきあいのあった役者たちによれば、彼はいとも簡単に台本を書きあげ、ただの一行も台詞を消したりはしなかったという。

すぐれた文学者のベン・ジョンソンいわく、「消せばよかったのにと思う台詞なら、彼(シェークスピア)にはいっぱいある」。シェークスピアは亡くなる四、五年前に故郷に引退して屋敷を購入し、訴訟と金貸しで時を過ごした。名誉は彼の関心事ではなかった。彼の最初の全集は死後のものである。

ロマン主義運動は正式にはワーズワスとコールリッジの『叙情バラッド集』が出た1798年に始まる。ワーズワスによると、「詩は力強い感情が自然に溢れ出たものであるが、その起源は冷静になって回想された感動にある」

コールリッジの「詩作品はおおよそ400頁からなるが、「失意のオード」をのぞけば次の三篇に還元される。それらは一種の『神曲』を構成しているとある人たちは言う。最初の「クリスタベル」が地獄篇、二つ目の老水夫の歌」が煉獄篇に相当するだろうが、後者のストーリーは不思議な贖罪の物語である

三つ目の「クブラ・カーン」が天国篇になるだろう。この詩の誕生には奇妙な経緯がある。コールリッジは阿片を服用したあと旅行記を読んでいて、音楽、言葉、映像の三層からなる夢を見た。

彼は歌をうたっている声を聞き、ふしぎな音楽を耳にし、中国の王宮の建造を見て、次のことを知る(人は夢のなかでそうしたことを知るものだ)。音楽は宮殿の建造であり、宮殿はマルコ・ポーロを庇護した皇帝クビライ汗のものだ。この詩はかなり長いものになるはずだった。

眠りから醒めたとき、コールリッジは夢のことを憶えていて、それを書きはじめた。しかし途中で邪魔が入って、終わりのほうはもう憶いだすことができなかった。彼が回収した50行あまりの詩は、そのイメージと韻律ゆえに文学の不滅の一頁になっている。

詩人の死後何年も経ってから、夢のなかで示された設計図にしたがい、皇帝クビライ汗が宮殿を造営したことが明らかになった。」

このコールリッジの逸話はボルヘスのお気に入りで『続審問』の「コウルリッジの夢」でも取り上げていますね。実際の年代はクビライ汗の方がはるかに前なのですが、未来の詩人の夢に従って宮殿を造営したという捉え方がボルヘス的。

トマス・カーライルの雄弁な韜晦の書『衣服哲学』(原題は「仕立て直された仕立て屋」の意)。
トマス・カーライル『衣服哲学』


「1836年、ジャン・パウルの文体の影響を受けて、カーライルは雄弁な韜晦の書『衣服哲学』(原題は「仕立て直された仕立て屋」の意)を出版した。この本は架空の観念論哲学者ディオゲネス・トイフェルスドレックの伝記を述べ、彼の学説を解説し、彼の著作からの長い引用を取り入れている。

カーライルは人類の歴史を、われわれが絶えず読みかつ書きつづけ、「そこにはわれわれのことも書かれている」一種の神の暗号とみなした。

彼は民主主義を投票記入所がもたらす混沌にほかならないと考え、権威主義に信頼を寄せた。彼はクロムウェル、フリードリヒ大王、ビスマルク、征服王ウィリアム、パラグアイの独裁者フランシア博士を尊敬し、南北戦争のさいは奴隷制を支持した。」

チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンは異常なほど内気だったので、大人とのつきあいを避け、子供に親交を求めた。アリス・リデルという名の少女を楽しませるために、ルイス・キャロルという筆名で、のちに彼を有名にする二冊の本『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』を書いた。

「ギボンは18世紀に、過去の世紀の人びとがビザンチウムの城壁やアラビアの砂漠で生きたこと、もしくは夢見たことをふたたび夢想した。

『ローマ帝国衰亡史』の頁を操るということは、無数の登場人物からなる小説のなかに入りこみ、そこで迷うという幸福にひたることである。そしてその主人公は人間の世代、舞台は世界であり、その巨大な時間は、王朝、征服、発見、そして言語と偶像神の変化によって測られるのである。」

ギボンの『ローマ帝国衰亡史』、面白そうだけどちくま学芸文庫で約500頁で全10巻あるのね。最後まで読み切る自信がない。( ̄∇ ̄)

2015年2月12日木曜日

東洋経済のピケティ特集

東洋経済のピケティ特集。
やはりrをどう考えるかがポイントだと思います。

「ピケティは「r>g」を考える際、GDPなどの集計でおなじみの国民経済計算を活用している。具体的には、SNAの国民貸借対照表の資産から負債を差し引いた純資産を資本と定義している。労働力を除き、国民所得を生み出す際に使われる全資産ストックが対象となっている」

「全資産ストックは、企業の建物や機械、住居などの実物資産に加え、株・債券、特許、保険など金融商品のような非実物資産も含む。したがって資本の収益率とは、債券などの利子率や金利、事業の利潤率などよりはるかに広い概念のものと考えていい」

「ただ、多くの経済学者は限界生産力説の念頭に置き、「経済の成熟化とともに資本の蓄積が高まり希少性が下がると、資本の収益率は低下する」というイメージが頭の中でできている。そこへピケティが「つねに4%程度」と主張したのだから、多くの学者から拒否反応が出るのは自然なことだった」

この特集の中でピケティとの共通点としてハイマン・ミンスキーが取り上げられているのは唐突感が強い。

2015年2月11日水曜日

J.L.ボルヘス 『続審問』

元々は『異端審問』として1982年に晶文社から刊行されていたもの。岩波文庫に文庫化される際に書名を『続審問』と変更され、本文・原注・訳注に加筆修訂がほどこされてている。原著のタイトルが"Otras inquisiciones"なので、より元のタイトルに近づけてある。
内容は古今東西の作家や文学作品に関するエッセイを集めたものであるが、有名な「コウルリッジの夢」や「カフカとその先駆者たち」など、ボルヘスの小説に優るとも劣らない衝撃を文学に与えたエッセー集といえる。

永井荷風 『摘録 断腸亭日乗』

NHK『カラーでよみがえる東京100年』で永井荷風の有名な日記、『摘録 断腸亭日乗』が引用されていて興味深かったです。引用されていたのは、昭和十六年六月十五日ですね。荷風生存中に出版された時には削除されていた部分。荷風の日記がウェブに公開されているので読むことができます。

『摘々録 断腸亭日乗』

「国民一般の政府の命令に服従して不平を言わざるは恐怖の結果なり
麻布連隊反乱(二・二六事件)の状を見て恐怖せし結果なり
元来日本人には理想なく強きものに従ひ、その日その日を気楽に贈ることを第一となすなり」

より詳しく引用すると

「日支今回の戦争は日本軍の張作霖暗殺及ぴ満洲侵略に始まる。日本軍は暴支膺懲と称して支那の領土を侵略し始めしが、長期戦争に窮し果て俄に名目を変じて 聖戦と称する無意味の語を用ひ出したり。欧洲戦乱以後英軍振はざるに乗じ、日本政府は独伊の旗下に随従し南洋進出を企図するに至れるなり。然れどもこれは 無智の軍人等及猛悪なる壮士等の企るところにして一般人民のよろこぶところに非らず。国民一般の政府の命令に服従して南京米を喰ひて不平を言はざるは恐怖 の結果なり。麻布聯隊叛乱の状を見て恐怖せし結果なり。今日にて忠孝を看板にし新政府の気に入るやうにして一稼(もうけ)なさむと焦慮するがためなり。元 来日本人には理想なく強きものに従ひ其日々々を気楽に送ることを第一となすなり。今回の政治革新も戊辰の革命も一般の人民に取りては何らの差別もなし。欧 羅巴の天地に戦争歇む暁には日本の社会状態も亦自ら変転すべし。今日は将来を予言すべき時にあらず。」

さすが荷風という印象。

2015年2月8日日曜日

『イスラーム国の衝撃』

これはいい本でした。お勧め。

『イスラーム国の衝撃』によると、「中東という地域が近代に形成され、変容してきた過程で、重要な画期をあげるならば、1919年、1952年、1979年、1991年、2001年、2011年といった年が思い浮かぶ」

第一次大戦でオスマン帝国はドイツ・オーストリア同盟国側で参戦し敗北。オスマン帝国の領域のうち非トルコ人居住地域が解体・分割され英仏による植民地化。1919年にヴェルサイユ条約が調印されたが実際には1916年の秘密の取り決め「サイクス=ピコ協定」が大枠を示し、現在の機能不全の遠因に

「アラブ諸国で植民地主義に対抗する民族主義の高揚の時期を代表するのが、1952年にエジプトのナセル中佐が指導した、自由将校団によるクーデタである。」

1979年2月にイランで、イスラーム革命により王政が打倒される。また、79年暮れには、ソ連がアフガニスタンに侵攻した。アフガニスタンで「無神論者の侵略者」と戦うジハードを行うことは信仰者の義務という宣伝が行われ、世界から義勇兵が流入。その中にビン・ラーディンらも。

1981年にはエジプトでサダト大統領をジハード団が暗殺した。そこに連座したアイマン・アル=ザワーヒリーは出獄後アフガニスタンに渡り、ビン・ラーディンと同盟してアル=カーイダを結成し、世界各地で武装闘争を行っていく。「イスラーム国」も、その流れをくむ。

1991年、湾岸戦争で米主導の多国籍軍が、イラクをクウェートから排除。米国一極支配による覇権秩序が中東に定着。ここからアル=カーイダに代表されるイスラーム主義運動の過激派は、米国をイスラーム教の理念に服した世界秩序の復興を阻害する最終的な敵とみなし、ジハードをグローバルに展開。

2001年、9・11事件で、アル=カーイダがニューヨークとワシントンを攻撃。ブッシュ政権は世界で対テロ戦争を行っていく。アル=カーイダに活動の場を与えたアフガニスタンのターリバーン政権打倒に続き、03年にはグローバル・ジハード運動と直接関係のないイラクのフセイン政権打倒に踏み切る

グローバルな対テロ戦争で各地の拠点を壊滅させられたアル=カーイダは、フセイン政権崩壊後のイラクで活発化した反米・反政権武装闘争で再生し、2006年には「イラク・イスラーム国」を名乗る。シーア派主体のイラク中央政府に対してスンナ派の教義解釈に基づいてシーア派をジハードの対象とした。

2010年末のチュニジアでの反政府デモに端を発する「アラブの春」を引き金に2011年以降に各国政権の崩壊や動揺は「イラク・イスラーム国」の構想に威信と信憑性を帯びさせると共に、その活動の場を開いた。グローバル・ジハード勢力は土着の民兵・武装集団と同盟・連携し一部で領域支配を確立。

「イスラーム国」が現状のイラクのスンナ派主体の4県とシリアでアサド政権が統治できなくなった東部と北東部の範囲を超えての領域支配拡大は限界があると池内氏。かといって消滅させるのも困難と。シリアでアサド政権による住民殺害が続く限りジハードは正当化される。

むしろ生じやすいのは、遠隔地での、直接つながりがない組織による合流の表明。イスラーム教徒の団結による帝国の復活をもたらす可能性は低い。むしろ、さらなる分裂を誘う。とくにクルド問題は深刻。

中東地域への米国の覇権の希薄化が進むと、米の抑止力の下で安全保障を確保してきた中東の同盟国は、今後、独自の行動を取りかねない。例えば、イスラエルやサウジアラビアなどへの影響は大きい。

「中東の原油・天然ガスにエネルギー安全保障の根幹を依存し、スエズ運河の安定通航を前提として経済が成り立っている日本は、自らエネルギーとシーレーンの安全を確保しなければならなくなる」

『イスラーム国の衝撃』の著者、池内恵東京大学准教授のブログ
中東・イスラーム学の風姿花伝

2015年2月1日日曜日

『捏造の科学者 STAP細胞事件』と日経サイエンス『STAPの全貌』


 日経サイエンスの特集『STAPの全貌』はたしかに今回の事件の全体像が分かりやすくまとめてある。
「「STAP細胞」は最初から存在しなかった。1年にわたって日本の社会と科学界を揺るがしたSTAP論文の不正疑惑は、科学の面では決着した」

『捏造の科学者 STAP細胞事件』、面白いです。

「あれが本当なら、小保方さんは相当、(不正行為でも)何でもやってしまう人ですよ」 (騒動の大分前に森口尚史氏を怪しい人物と忠告していた人の小保方氏評)

「なぜ、メディアに情報が寄せられるのか。それはCDB内外に、理研の対応への不信感が渦巻いているからにほかならない」

CDB自己点検検証委員会の報告書案、「笹井氏による「囲い込み状態」が出現し、小保方氏の教育がないがしろになったうえに、共著者への連絡が不十分で、データ検証の機会が減ったと指摘した」

若山氏「結局、STAP幹細胞を作れるほどのすごいSTAP細胞は存在しないと思います。ただ、酸性処理で何らかの変化が起こるというのは正しいと思う」。若山研究室での再現実験では、リンパ球を弱酸性液に浸してから培養を続けるうちに、「死にかけるけど生き返って変なものになる細胞」もあったと

「(小保方氏の)ノートをちらっとでも見ていれば、疑う心が浮かんだかもしれない。ちょっとでもいいからノートのずさんさを目の当たりにしていたら、そのデータ本当なのか?と聞いたり、生データを持ってきなさいと指導したりしていたかもしれない」そう語る(若山氏の)顔には後悔の念が浮かんでいた

若山氏が小保方氏の実験ノートを見なかった主な理由は二つ。一つは、若山研では通常は全員が同じ部屋で実験し、生データを口頭で報告しあっていたためノートをわざわざ見る必要がなく「思いつきもしなかった」。もう一つはハーバードの優秀なポスドクと紹介され「お客さん」的存在だったこと。

一方で、信頼と実績のある若山氏がキメラマウスを作製し、多能性を完璧な形で証明したからこそ、CDBの幹部らも信じてしまった。

若山氏「STAPに関してはもうすべて終わりにして、今後はまともな、皆の役に立つ研究をして成果を出していくことに専念したい。税金の無駄遣いのようなことになってしまったわけなので、新しい、ちゃんと役に立つ成果で償っていきたいです」

STAP幹細胞の元になったSTAP細胞は、いずれも生後一週間ほどのマウス二~三匹の脾臓から採取したリンパ球から作られたことになっている。そのマウスにはGFPという細胞を光らせる遺伝子が人工的に導入されていた。若山氏は一八番遺伝子にGFPを挿入していた。

若山研の解析結果まとめ


著者は毎日新聞の記者なのだけれど、STAP細胞事件についてはNHKと日経と毎日の間で激烈なスクープ合戦があったんですねえ。

理研の改革委員会は「画期的な成果の前には必要な手順をいともたやすく省略してしまう。こうしたCDBの成果主義の負の側面が、STAP問題を生み出す一つの原因となった」と指摘した。

「改革委員会は、竹市氏がデータの記録・管理について確認・指導をしておらず、「責務を認識さえしていないことをうかがわせる」として、CDBでは「データの記録・管理の実行は研究者任せで、組織としての取り組みはほとんどなかったと言わざるを得ない」とした」

「STAP問題の背景には、「研究不正行為を誘発する、あるいは抑止できない、組織の構造的な欠陥があった」と結論づけた。さらにその大元には、CDBが2000年4月の発足以降、ほぼ同じメンバーで運営されてきたことによる「トップ層のなれ合い関係によるガバナンスの問題」があると指摘した」

9章まで読んで、CDBの竹市センター長も無能すぎると感じざるをえない。しかし、理研って、全体で約3400人も研究者と職員がいるのか...

『捏造の科学者 STAP細胞事件』の10章。ネイチャー再投稿前に不採択となったネイチャー、セル、サイエンスの査読コメントの段階で後に発覚するデータの不自然さやES細胞混入の可能性がすでに指摘してある。小保方氏や若山氏、笹井氏が査読の指摘に真摯に対応していれば防げた話だった。

査読資料を読んだ白髭教授「査読者の要求の仕方はかなり強く、STAP細胞が真に多能性細胞であることを示すには単一細胞での評価が必要だと、著者自身も思うはず。世紀の発見だと思うならなおさら、きちんと事実を見極めようとするはずだ。中心命題が対処されないまま論文が通ったことに驚く」

初投稿時の査読者「この研究の最大の欠点はデータの分析のほとんどが不十分で記載も乏しいこと」「十、十四日目で遺伝子の発現量が明らかに減少しているのはSTAP細胞が長期培養後にその性質を失ったり、別の細胞に変化したりした可能性を示唆している。しかし著者達はこの点に注意を払っていない」

ネイチャー再投稿時の論文では同じグラフの十日目以降、つまり遺伝子の働きが減衰していく部分が削られていたそうだ。ただ、実験の結果の全てが自分に都合の良いデータにはならず、都合の悪いデータを削除することは改ざんとは異なり不正行為とは言えない、と須田氏。

中辻京大教授「多能性遺伝子の働きが弱まったとすると、一時的で不完全な初期化だったなどの解釈もできた。そのデータの有無によって論文の結論への判断や印象が変わった可能性がある。言い換えれば、科学的な理解と考察をミスリードする恐れがあり、科学者として不適切なデータの扱いだと思う」

笹井氏が、リジェクトされた小保方氏の3本の論文の査読コメントを全く読んでないことは驚くべきことだ。信じがたい。

今さらだけど、小保方氏の博士論文、ひどいな( ̄∇ ̄)

『捏造の科学者 STAP細胞事件』10章によると、論文の査読コメントには、小保方氏が言われたと言っていた「細胞生物学の歴史を愚弄している」という言葉はないそうだ。それも嘘だったんですか
(´・ω・`)

「研究全体が虚構であったのではないかという疑念を禁じえない」日本学術会議

CDBの日本名は「発生・再生科学総合研究センター」なのに対し、英名は「center for developmental biology(発生生物学研究所)」で「再生科学」は入っていない。英名に実態が反映。CDBは再生医療の牽引役という嘘の看板で巨大な予算を獲得できていた。

ある研究者「再生医療を看板にしないとお金をとってこられないという、制度的に仕方のなかった面もある」と理解を示しつつ、「『再生』で取ってきたお金でカエルの実験(基礎研究)をする。CDBはその象徴だった」