2015年2月8日日曜日

『イスラーム国の衝撃』

これはいい本でした。お勧め。

『イスラーム国の衝撃』によると、「中東という地域が近代に形成され、変容してきた過程で、重要な画期をあげるならば、1919年、1952年、1979年、1991年、2001年、2011年といった年が思い浮かぶ」

第一次大戦でオスマン帝国はドイツ・オーストリア同盟国側で参戦し敗北。オスマン帝国の領域のうち非トルコ人居住地域が解体・分割され英仏による植民地化。1919年にヴェルサイユ条約が調印されたが実際には1916年の秘密の取り決め「サイクス=ピコ協定」が大枠を示し、現在の機能不全の遠因に

「アラブ諸国で植民地主義に対抗する民族主義の高揚の時期を代表するのが、1952年にエジプトのナセル中佐が指導した、自由将校団によるクーデタである。」

1979年2月にイランで、イスラーム革命により王政が打倒される。また、79年暮れには、ソ連がアフガニスタンに侵攻した。アフガニスタンで「無神論者の侵略者」と戦うジハードを行うことは信仰者の義務という宣伝が行われ、世界から義勇兵が流入。その中にビン・ラーディンらも。

1981年にはエジプトでサダト大統領をジハード団が暗殺した。そこに連座したアイマン・アル=ザワーヒリーは出獄後アフガニスタンに渡り、ビン・ラーディンと同盟してアル=カーイダを結成し、世界各地で武装闘争を行っていく。「イスラーム国」も、その流れをくむ。

1991年、湾岸戦争で米主導の多国籍軍が、イラクをクウェートから排除。米国一極支配による覇権秩序が中東に定着。ここからアル=カーイダに代表されるイスラーム主義運動の過激派は、米国をイスラーム教の理念に服した世界秩序の復興を阻害する最終的な敵とみなし、ジハードをグローバルに展開。

2001年、9・11事件で、アル=カーイダがニューヨークとワシントンを攻撃。ブッシュ政権は世界で対テロ戦争を行っていく。アル=カーイダに活動の場を与えたアフガニスタンのターリバーン政権打倒に続き、03年にはグローバル・ジハード運動と直接関係のないイラクのフセイン政権打倒に踏み切る

グローバルな対テロ戦争で各地の拠点を壊滅させられたアル=カーイダは、フセイン政権崩壊後のイラクで活発化した反米・反政権武装闘争で再生し、2006年には「イラク・イスラーム国」を名乗る。シーア派主体のイラク中央政府に対してスンナ派の教義解釈に基づいてシーア派をジハードの対象とした。

2010年末のチュニジアでの反政府デモに端を発する「アラブの春」を引き金に2011年以降に各国政権の崩壊や動揺は「イラク・イスラーム国」の構想に威信と信憑性を帯びさせると共に、その活動の場を開いた。グローバル・ジハード勢力は土着の民兵・武装集団と同盟・連携し一部で領域支配を確立。

「イスラーム国」が現状のイラクのスンナ派主体の4県とシリアでアサド政権が統治できなくなった東部と北東部の範囲を超えての領域支配拡大は限界があると池内氏。かといって消滅させるのも困難と。シリアでアサド政権による住民殺害が続く限りジハードは正当化される。

むしろ生じやすいのは、遠隔地での、直接つながりがない組織による合流の表明。イスラーム教徒の団結による帝国の復活をもたらす可能性は低い。むしろ、さらなる分裂を誘う。とくにクルド問題は深刻。

中東地域への米国の覇権の希薄化が進むと、米の抑止力の下で安全保障を確保してきた中東の同盟国は、今後、独自の行動を取りかねない。例えば、イスラエルやサウジアラビアなどへの影響は大きい。

「中東の原油・天然ガスにエネルギー安全保障の根幹を依存し、スエズ運河の安定通航を前提として経済が成り立っている日本は、自らエネルギーとシーレーンの安全を確保しなければならなくなる」

『イスラーム国の衝撃』の著者、池内恵東京大学准教授のブログ
中東・イスラーム学の風姿花伝

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