2013年1月19日土曜日

『経済学に何ができるか』 猪木武徳

これもいい本ですね。


『経済学に何ができるか』の2章は「中央銀行の責任」。「バジョットは、恐慌時に中央銀行は積極的に融資すべきだと主張した。だがこれは不安の連鎖を断ち切るためであり、金融政策の成長促進効果を期待したからではない。

『ゼロ金利』で投資意欲を刺激しようにも、デフレ気分が強く、インフレ期待がマイナスであれば、想定されるより実質金利は低くならない。むしろ劣悪な投資への資金需要を膨らませる懸念もある。現代ではデフレ時の金融政策の成長促進効果が過大評価されてはいないだろうか。

しかし金融政策が常に成長に対して強い威力を発揮すると信じ込んでいる人は、成長政策が行き詰ると、王子を叱れない教師が『王子の学友』を身代わりにムチ打つように、中央銀行の不作為を責めるのである。

貨幣の実質価値の安定性は、統治への信頼度のバロメーターである。貨幣は基本的には負債証であるから、債務者(政府)の返済能力(信用)が常に問題となる。

インフレーション(特にハイパーインフレ)は、統治への信頼を損ね、デモクラシーを背負う健全な安定した中産階級の富を毀損し、社会の不安定化を招きかねないという点でも、心して警戒しなければならないのだ。

メンガーやハイエクに代表されるオーストリア学派は、貨幣は自生的に発展した社会であって、政府が完全にコントロールすることは不可能だと考える。この点でハイエクは、ケインズともフリードマンとも完全に袂を分かっている。

多くの経済学者を含めて多数の人々が、マイルド・インフレーションに害はない、むしろ有益ですらあると考えているが、ハイエクは、このような考えこそ非常に危険なのだという。」マイルドインフレで生み出した経済活動を維持するためにはインフレ率を加速していかねばならないからと。

「『貨幣供給量のコントロール』は、貨幣の定義自体に一片の曖昧さもなく、人間の経済生活を正確無比にモデル化し測定できる場合にのみ可能なのである。ケインズもフリードマンもその点を考慮せず、貨幣は定義でき、それを総量として制御できると想定している。

インフレもデフレも悪化すると政府への信任が失われる。「価格の異常な上昇も、数量の異常な収縮も、その論理は異なるものの、統治への信任の低下という点では同様の影響力を持つ。現在の日本がそのような段階にあるとは思えないが、極端なデフレも政府の権力基盤にとってはもちろん望ましくない。」

レーニンが「国家を破壊するには、その貨幣制度を破壊すればよい」と言っていたのは知りませんでした。

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