2014年10月26日日曜日

『経済学に何ができるか』 猪木武徳 6章、7章

「人間の満足度の構造について鋭い分析を加えた研究として、アダム・スミスやヒュームの人間本性と道徳感情の分析がある。アダム・スミスの議論から、当面のわれわれの問題意識と関連する諸点を三つほど採り出しておく。
ひとつは、他人の所得や地位の向上に対して人々が抱く気持ちは、その所得や地位の向上がどれほどのスピードで起こったのか、どれほどの地道な努力の結果達成されたのか、どのような運に左右されたのものなのか等に大きく依存している。
第二に、格差そのものによって社会の秩序や安定性が保たれているという側面も無視できない。人間は誰しも富者や権力者への賛美の感情を持つからだ。言い換えると、格差が消滅してしまった社会は、かえって、わずかな違いをめぐる嫉妬と怨望によって極度に不安定になる恐れがあるということである。
第三に、人間生活の悲惨と混乱の最も大きな原因は、自分の境遇と他人の境遇を比較することから始まるが、ある恒常的境遇と他の恒常的境遇との差異を過大に評価することによって、さらに悲惨の度合いは強まるであろう。」
ある目的を持って追及された問題の解決が不可能と分かった段階で、結果として科学の新しい概念や原理の定立に至る例として、錬金術と永久機関の追及があげてある。ちなみに、分裂気質の人が永久機関の夢想をよく抱くらしい。
「学問の歴史の中で、重要な発見や発明は、意図しないところから『偶然』生まれ出たというケースが多い。偶然を必然へと転化する力量は、研究者の「探す能力」と「関連付ける能力」であろう。だからこそ、偶然に賭けるという余地を残すために、知的な自由は確保されなければならないのだ。」
青色LEDでノーベル賞を受賞した天野浩氏も、偶然に窯の調子が悪かったことで良質な結晶を作れたんですよねえ。
「いかなる学問分野でも、人間は完全な知識に到達したわけではない。人文学・社会科学の分野においては特にそうであろう。だからこそ、獲得された知識を「絶対的なもの」として、他を排除する姿勢は、学問の進歩にとって有害なのである。」

0 件のコメント: