2011年10月19日水曜日

「メジャー級アメリカ経済学に挑んで」佐藤隆三


米国経済学界のエピソードを楽しみながら、50年にわたる経済学の変遷を俯瞰できる
第Ⅰ部が「米国経済学界の50年」で米国経済学界のエピソードを楽しみながら、50年にわたる経済学の変遷を俯瞰できる。第Ⅱ部は「日米経済の50年」で日米経済摩擦、日米の政治家、企業家の話題が語られていて興味深い。第Ⅲ部で「震災後の経済政策」として著者の研究を生かした日本復活へのメッセージが語られる。
個人的には第Ⅰ部が特におもしろかった。米国の経済学者、大学・大学院のエピソードが豊富に紹介されており、米国で経済学・ファイナンスのPhD取得を考えている人には大変参考になる。
50年にわたる米国の経済学の変遷を俯瞰できる。「戦後の経済学の潮流は二つに大別することができる。一つはゲーム理論化の流れで、もう一つは動学的最適化である。」
MIT・ハーバード学派とシカゴ学派の対立。サミュエルソンを中心とした錚々たる交友関係に圧倒される。スティグリッツ、マートン、ブラインダー、シーゲル、シラー、クルーグマン、フィグルスキー、サミュエルソンの実弟ロバート・サマーズとその子息ラりー・サマーズ。ソロー。クズネッツ、ヒックス、レオンチェフ、トービン、モジリアニ、フォーゲル、ミラー、スペンス、ヴァーノン・スミス、エングル、マスキン。ほとんどがノーベル賞受賞者である。
マートンはコロンビア大学の学部で数学とエンジニアリングを専攻した後に、カリフォルニア工科大学で応用数学の修士を取った。マートンの父はサミュエルソンの親友。「MITのPh.D.プログラムに入ったのはサミュエルソンの薦めによるものだろう。」
サミュエルソンの「経済分析の基礎」の訳本で教授の名前を(サミュエルソン本人の希望により)サミュエルソンとしたところ、「サムエルソン」としていた都留教授から「なぜサムエルソンをサミュエルソンと変えたのか」と突然電話がかかってきたそうだ。この裏話をシンポジウムで披露すると、スティグリッツやクルーブマンたちが、われわれの日本語表記はどうなっているのか心配になってきた、と言い出して一般参加者の笑いを誘った。
サミュエルソンが熱海で迷子になったとき「後ろから見ると日本人は全部同じに見えた(だからお前を見失ったんだヨ)」と言っていた。
サミュエルソン教授の持論は「天才と凡人の差はその集中力の差に過ぎない」
米国大学受験と留学の現状。学部の入学プロセス。「米国の一流名門校に入るためには、名門高校のトップ10番以内の成績をとっていること、そしてSATで満点もしくはそれに近い高い点数をとっていることが必要となる。」例外的な枠として、「同窓生子弟の枠、マイノリティーの枠、そして大金持ち・有名人の枠等がこれに当たる。」
米国のトップ名門校はまずアイヴィーリーグ八校。ダートマス、ハーバード、ブラウン、コーネル、イェール、コロンビア、プリンストン、ペンシルバニア。ほかにMIT、ジョンズ・ホプキンス、ニューヨーク(NYU)、カーベギーメロン、デューク、シカゴ、ノースウェスタン、スタンフォード、カリフォルニア大バークレー校、UCLA、ミシガン、ミネソタ、ウィスコンシン、やや劣るがライス、テューレーン。
「大学院のしくみ。米国の私立名門校には日本の大学院との決定的相違点がある。それは、学部卒業(学士号取得)後、いきなり博士号(Ph.D.)取得プログラムに入ることである。つまり日本式な博士課程前期(修士)、博士課程後期(博士号)がないことである。ちなみに博士号Ph.D.はDoctor of Philosophyの略だが、日本で通用しているドクターコースの呼名ではなく、あくまでPh.D.コースと呼ばれる(ドクターコースというと医者のコースと勘違いされる)。
日本の学生が米国の一流校の大学院に留学希望する場合、競争相手は全米大学の学部をトップで卒業したばかりの学士号保持者である。その多くは前述のアイヴィーリーグ等の一流校の卒業生で、学部時代には経済学は言うに及ばず、物理、高額、コンピューター・サイエンス、数学、応用数学を専攻した学生達だ。初めから学部卒業後、就職の道を選ばないで学者になろうとしているアンビシャスな人々である。」
「学部レベルではカネがあれば入学も可能だが、一流の大学院となると、もうカネは物を言わなくなる。これこそが米国の知的社会における徹底した実力主義を示している。」
「五十年前に筆者がPh.D.コースに留学した頃は、東洋人の留学生といえば日本人と決まっていた。いまはだいぶ事情が変わってきた。東洋人で最も優秀なのは中国人、韓国人、インド人で彼らは日本人よりも勉強熱心だ、との印象が定着している。それはGREやTOEFLのスコアが平均的に日本人より高く、GREの数学部門で満点の学生も多いからだ。」
留学のための五箇条
「第一に、GREやTOEFLのスコアを何が何でも満点を目標に伸ばすことである。第二に、日本のいまの制度から、博士号前期は日本の大学院で過ごし、その期間にたとえ数理経済の分野に進む意思のない者も、数学と理論の実力を養っておくことである。」
「第三に、日本からの留学生は、学部を出たばかりの米国人学生と比べても年齢も上で大学院生活の経験もある。その有利性をいかに示すか、博士号前期(修士)や後期で習得した研究を一つの論文にまとめて入学願書の添付することだ。」
「第四に、どこの大学を選ぶかがポイントになる。すべり留めとして一流大学以外を一つか二つ選ぶのが無難だ。また、日本の教授が個人的に推薦してくれる等のきっかけとひっかかりがある大学を選ぶことだ。」
「第五に、自分の能力を正確かつ正直に書いてくれる人を推薦者としてえらぶこと。ブラウン時代に日本の首相の推薦状を提出した学生は、即刻不合格になった。」
Who's Who in Economics(主要経済学者名士録)に選ばれることとノーベル賞との関係やノーベル賞の選考過程、豆知識なども語られている。「正式にはノーベル経済学賞の名称はどこにも存在しない。経済学賞については、1968年にスウェーデン中央銀行が創立300年を記念して基金を寄付し設置したものである。正式な賞の名称は「経済科学に対するアルフレッド・ノーベル記念スウェーデン中央銀行賞」である。」ハイエクとミュルダールは「ノーベル経済学賞」に反対していたそうだ。貰うべき人で漏れている人などについても語られていて興味深い。
ノーベル経済学賞を目指している人は特に必読かも...。

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