2011年10月22日土曜日

「メジャー級アメリカ経済学に挑んで 佐藤隆三」(2)

佐藤隆三名誉教授はクルーグマンとは30年間におよぶ家族ぐるみの付き合いだそうだ。「彼は伊豆の私の別荘の岩風呂が気に入り、それ以来すっかり温泉および”日本式フロ”ファンになってしまった」そうだ。

「筆者が米国で博士号を取得したころ、『3S』の語が流行していた。日本の学者が国際会議に参加した折の言動を揶揄したものだった。日本人の学者は国際会議で一切発言をしない(Silent)。話しかけられると黙って笑うだけ(Smile)。そして会議中はほとんどウトウト寝ている(Sleep)というものだ。国際会議のあとで日本に帰国すると、彼らは、鞄一杯につめた英語の資料や論文を直ちに翻訳してその国際会議に関する報告とする。昔の学者の英語力はこの程度のものだったらしい。」
「数学の授業には英語の表現力はあまり必要ではない。米国人の友人の話によると、日本人のT教授は優秀な数学者だったがその顔はほとんど憶えていない、という。教授は授業中は黒板に向かって黙々と数式を書き続けて、学生の方を向いて物を言うことはほとんどなかったというのだ。」
「スタンフォード大学でPh.D.を取った米国人の若い助教授が、あるアイヴィー・リーグ校に就職した折、入門コースを教えさせられて、いきなりポントリャーギンの最大値原理を使って、資源の最適配分の理論を教え始めたらしい。このことで学生が学部長に訴え出て大騒ぎになったというエピソードもある。それ以後は、入門科目は若い助教授に任せるのではなく業績のあるシニア・プロフェッサーの担当とした学部もある。」
「米国の入門教科書は、サミュエルソンのEconomicsをはじめとして、ほとんどすべてが部厚くて重い。日本語の薄い教科書とは対照的だ。これにはちゃんとした理由がある。米国の入門コース担当の教授は、目の前にある山のような教材を、いかに要領よくかいつまんで学生に教え込むかに工夫を凝らす。自信のある学生はクラスのペースに加えて、部厚い教科書を自力で全部読破することも許されている。つまり部厚い教科書は必要とされる教育のアプローチすべてを網羅していて、入門担当教授の腕の見せどころは、どう最重要箇所を拾い出していくか、なのである。
日本の場合、教科書とは通常、膨大な学問の中の、ほぼアウトラインに等しい。担当の教授が時には名人芸を使って、肉付けをしていく。教科書にない知識をクラスの学生の能力に合わせて補足していく。このやり方如何に教授の人気や名声がかかっている。」

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