2013年3月2日土曜日

『経済学の巨人 危機と闘う』


欧米の過去の主要な経済学者について日本の経済学者が解説したもので、経済思想史を手軽に概観することができてお薦めです。リーマン・ショック、欧州債務危機を意識して経済学が経済危機に対して役に立つのかという視点が強調されています。取り上げられている経済学者は、キンドルバーガー、ハイエク、ケインズ、フリードマン、フランク・ナイト、ミンスキー、J・S・ミル、ハーバート・サイモン、ジェヴォンズ、マーシャル、ブローデル、ジョン・ロー、シュンペーター、リカード、カール・シュミット、アダム・スミスです。
7ページ目に近代経済学の系譜がまとめられています。


「はじめに 経済学って役に立つの?―今こそ考える『市場とは』」から少し引用します。

「いま経済学は、戦前の世界大恐慌や1970年代前半のスタグフレーションに匹敵する『第三の危機』を迎えているといわれている。たしかに、リーマン・ショック後の金融危機やギリシャ問題に端を発するユーロ危機といった世界経済を揺るがす難問に対し、アカデミズムが『即効薬』を処方しているとはいいがたい。

『なぜ誰も信用の収縮を予測できなかったのか』―。リーマン・ショック直後の2008年11月、LSEのビル開所式に招かれた、英国のエリザベス女王が発した問いに、同国の経済学者たちは頭を抱えた。翌年の公開書簡ではこう苦渋の回答を返したという。
『(研究者は)誰もが自分の仕事を適切にこなし、我々の基準ではうまくやっていましたが、規制の枠を超えた、複雑に絡み合った不均衡が生まれることを見抜けなかったのは失敗でした。その結果、危機のタイミングや範囲、深刻さがどうなるか、予測できなかったのです。(いまになってみれば)こんな驕慢な希望的観測はかつてないほどだといわざるを得ません』―。

一方で、経済学者、とくに若手の研究者の『経済思想ばなれ』『古典ばなれ』が著しいとも指摘される。マルクス・エンゲルス全集はともかく、アダム・スミスの『国富論』やケインズの『一般理論』をひもとくのは、かつては研究者にとって”必修科目”だった。しかし世界的な一流の経済学術誌に専門論文を掲載されることに注力するという『業績主義』風潮が強まる中で、これまでの経済学の歴史を体系的に理解しようとする専門家が減っていることは否めない。

海図なき世界経済が『羅針盤』を求める一方で、アカデミズムがそれに応えられないとすれば、世間で経済学への苛立ちや軽視の動きが強まるのは無理のないことかもしれない。

日本における経済思想の古典的名著とされる猪木武徳氏の『経済思想』を改めてひもといてみた。序章で猪木氏はこう述べる。
 
『経済思想そのものがいくつかの基本となる単位概念の組み合わせから成立しており、その組合せの差が思想の差を生み出している。
経済学者はつねに既存の概念や枠組みを基本に置き、そこから少しの修正、少しの拡張を『試行錯誤を重ねつつ』試みてきたにすぎない。その意味では、経済学の歩みも遅々たるものであって、一人の大天才の独創が今日の姿を無から作り上げたのではない』

複雑で時々刻々めまぐるしく変動する現代に、たとえアダム・スミスやケインズが存在したとしても、非の打ちどころがない解答を出せるわけではない。経済学の知見の受益者であるわれわれが『難問に真正面から向き合え』と学界に訴えていく努力は欠かせないが、すぐその成果が得られないからといって、安易にそしるだけの姿勢では、アカデミズムの健全な発展やそれに伴う難問解決のヒントは得られない。

猪木氏の指摘の中で、もう一つ見逃せないのが、今問われるべき『既存の概念や枠組み』とは何かということであろう。あえてその答えを先取りすれば、それは『市場』であり、そしてその中で決まる『価格』であると思われる。今日、われわれが直面する経済の諸問題も突き詰めていえば、市場に関わる問題だといっても過言ではない。

グローバリゼーションとは、国境や地域の枠で囲まれ分断されていた『市場』が、輸送手段やテクノロジーの発達で統合される現象にほかならない。リーマン・ショックや世界経済危機で露呈した米国のサブプライムローン問題は、信用力の低い所得者向けの住宅ローンの債権が『市場』できちんと流通するか否かが議論の焦点となった。ギリシャなどの債務問題で露呈した欧州危機も、共通通貨ユーロが『市場』でいかに信用力を確保するかという議論が核心といえよう。
このとき浮かび上がるのが、需要と供給の間に不均衡が生じた際に、価格メカニズム、すなわち価格の調整能力がどの程度高いかという論点であろう。新古典派やその流れをくむ『市場重視派』は、価格の調整能力は高いと考え、政府による市場への介入は必要なく、逆に弊害もあると主張する。一方で、伝統的なケインジアンやパターナリズム(父権主義)に理解を示す論者は、短期的には価格は硬直的で均衡に戻るまでには時間がかかるので政府による市場への介入が必要だと訴える。

ただし、どちらの学派に与するにせよ、議論の起点が市場にあるという点にはかわりがない。伊藤元重教授が指摘したように『市場の機能なしには、現代経済は一日たりとも機能しない』。松井彰彦氏の言葉を借りれば『市場は万能ではないとしても、市場を拒むことは不自由な経済を作ることである。それは人と人のつながりを断ち切ることに他ならない』のである。

たかが市場、されど市場。近代経済学の祖、アダム・スミスの『国富論』から200年あまり、アカデミズムは市場とは何かを考えてきた。市場を礼賛するにせよ、否定するにせよ、そうした賢人たちの深い考察を踏まえずして、単なる雰囲気やムードに流されるだけでは政策論議は深まらない。アカデミズムの知見を利用して自分の問題意識と照らし合わせながらそれを深め、解決のヒントを得ていく。そんなところに経済思想を学ぶ意義がありそうである」

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