2016年2月20日土曜日

「ハードボイルド」の本質はそのパースペクティブにある

筒井康隆の「わが最高傑作にして、おそらくは最後の長篇」という『モナドの領域』。面白かった。さすがだなあ。
ところで、『筒井康隆の文藝時評』に「ハードボイルド」についての解説があったのでメモ。
「言うまでもなく「ハードボイルド」は、ただ私立探偵が出てくるというだけの小説のことではない。主人公がタフであるとか、非常であるとか、やさしさを持っているとかいったことも本質的には関係がない。「ハードボイルド」の本質はそのパースペクティブにある。
第一に、語り手が物語の外にいて、主観的に物語るという小説がある。この語り手は全知全能であり、すべての登場人物の心理がわかり、その行為を批判したりもする。古いタイプの物語小説がこれである。
第二は語り手が主人公または登場人物のひとりで、主観的に物語る小説。昔からある形式だが、私小説や海外体験おニャン子感想文学などに示されるように、現代の日本文学にもこれが多い。
一、二はともに作中人物の内面を描写するので、内的焦点化と言われる。
三は物語世界外にいる語り手が客観的に語るという、多くの海外小説の手法で、読者の読みに介入しない客観性ということが言われはじめて特に増えた。現在、文学的とされているのは主に前記の二と三の手法で書かれた小説だが、もうひとつ、第四に物語世界の中にいる語り手が客観的に物語る小説がある。
三と四は焦点を登場人物の外面にのみ向けているため外的焦点化と言われる。これがハードボイルド本来のパースペクティブである。
最初はヘミングウェイが三の形で「殺し屋」を書いて成功し、語り口の抑制によって緊張感のある文体を創造した。
こうした語り手の非情さを示すパースペクティブによって、死、殺人、事件などを効果的に描写しはじめたのが、ハメットに代表される、主に「ブラック・マスク」誌を舞台に書いていた犯罪小説の作家たちだったのである。」



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