齊藤誠氏の『経済学私小説<定常>の中の豊かさ』でJ.S.ミルに興味を持ったので、この本の第四章のJ.S.ミルを読もうと手に取ったら、第三章のリカードも面白そうだったので先にリカードから読んだ。リカードは「比較生産費説(比較優位の原理)」でも有名ですね。
デイヴィッド・リカード(David Ricardo)は、一言でいえば、古典派経済学の完成者である。
彼の明晰な頭脳は、先行者であるアダム・スミスの著作に含まれた曖昧さや欠陥を決して許さず、同時代の人々の考え方を巧みに取り入れながら一つの体系的な理論を築き上げた。リカード体系があまりにも完璧に出来ていたために、後世の近代経済学の創設者たちのなかにも、例えば、アルフレッド・マーシャルのように、つねにリカードを仰ぎ見てきたものが少なくなかった。
このことは、リカード経済学に全く問題がなかったことを決して意味しないが、それでも、リカード以降の近代経済学者たちがリカード体系に匹敵するほどの完成度を自らの目標に掲げた事実には変わりがない。
リカードは14歳のときにロンドンで父親と一緒に証券取引の仕事を始めている。彼のストック・ブローカーとしての腕は、わずか数年で一財産を築き上げるほど優れていた。とくにナポレオン戦争の期間中には膨大な利潤を稼いだ。
実業家として見事に成功したリカードは余暇を使って学問に勤しむようになった。彼は数学・化学・鉱物学・地質学の研究に打ち込むようになった。1799年、夫人の療養のために滞在していたバースで偶然アダム・スミスの『国富論』を読む機会があり、それ以降、経済学という新興の学問への関心を深めた。
地金論争への参加は、リカードを、J.S.ミルの父であるジェームズ・ミルやマルサスという当時の優れた論客たちとの生涯の交遊のきっかけを作ることにもなった。
1817年に『経済学および課税の原理』と題されたリカード畢生の名著が刊行された。リカードは投下労働価値説、差額地代論、賃金の生存費説、収穫逓減の法則を総合して、一つの理論体系を創り上げた。
1823年、リカードは耳の病がもとで51歳の生涯を閉じた。死の直前まで彼を悩まし続けた理論的な問題は、「不変の価値尺度」をいかに発見するかという問題であったが、彼はそれを結局は発見することができなかった。
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