2013年10月13日日曜日

『金融依存の経済はどこへ向かうのか 米欧金融危機の教訓』 池尾和人+21世紀政策研究所 


『金融依存の経済はどこへ向かうのか』の執筆者は池尾和人、翁邦雄、高田創、後藤康雄、小黒一正。とりあえず池尾氏の1章を読みました。

「1980年代以降、金融へのシフトあるいは金融依存ともいうべき動きが起こって、金融の拡大が始まったのは、第二次大戦後の復興・高成長の投資ブームが終わって、実物面での投資機会が乏しくなったことが基本的背景になっている」

「わが国における金融シフトは、80年代中にバブル経済の生成と崩壊にまで行き着いてしまうことになり、その後はその後遺症を克服することに長時間を要するということになってしまった」

「これに対して米国での同様の動きは、約30年間にわたって継続し、より大がかりなものとなった。そうした彼我の差は、米国では不況産業化した伝統的金融業に代わって、様々な金融イノベーションを伴うかたちで「新しい金融」業が台頭してくるというダイナミズムがみられたことに起因している」

米国の金融イノベーションは社会全体としてのリスク負担のキャパシティ拡大という意義をもっていたが、それが実物面での投資その他の活動を促進する方向で用いられることにはならず、結局は金融システム内部で過度のリスク負担が行われることになって、2007年からのグローバル金融危機に至ったと。

個人的な興味のひとつは、なぜ様々な金融イノベーションを伴うかたちで「新しい金融」業が台頭してくるダイナミズムが日本ではあまり見られないのか、という点ですね。

「不振化した伝統的な銀行業に代わって台頭した新しい金融業は、経済の中に存在している何らかの歪みを見出して、それを利用した裁定活動によって利益をあげるというビジネスモデルに従うものであった。こうしたビジネスモデルを典型的に実践しているのが、いわゆるヘッジファンドである」

「しかし、こうした裁定型のビジネスモデルには、基本的なジレンマがある。裁定が成功すれば、価格体系の歪みは解消されていく。裁定型のビジネスモデルは成功したがゆえに、世界的な金融資本市場の効率化をもたらすとともに、自らの収益機会を枯渇させることになっていった」

「同じバブルと言っても、株式equityにだけ関わったものである場合と信用creditに関わるものである場合とでは、その後遺症の大きさは非常に異なってくるといえる」

2003年6月に利下げするときにグリーンスパンはバブルが発生するリスクをとることもいとわないと考えたそうだ。実際に住宅バブルが発生し、金融危機に至ったことが、金融緩和をしなかったことよりましだったとは言い難いと池尾氏。

参照論文をいくつか

"The Impact of High and Growing Government Debt on Economic Growth" Checherita and Rother (2010) (PDF)

"Is U.S. Economic Growth Over? Faltering Innovation Confronts the Six Headwinds" Gordon(2012) (PDF)

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