2010年10月9日土曜日

ケインズを学ぶ -経済学とは何か (根井雅弘)

根井雅弘さんは京都大学大学院教授で、われわれ素人のために経済思想史を分かりやすく解説する本を何冊も書かれている。
日本経済が長期低迷し、先進国経済も日本の後を追いつつあるようにみられる。素人が経済学者を「なんちゃって経済学者」と平気で揶揄する今の日本において、いろいろな人が、いろいろなところで、いろいろな経済政策、金融政策を声高に主張していて、まさに混乱の極みである。
われわれ素人は、自分に都合のいい結論を提示してくれる理論を盲目的に支持する前に、われわれに経済思想史の知識が欠如していることを自覚して、さまざまな理論を冷静に比較分析できる力を身に着ける努力をしたほうがいいように自戒をこめて思う。

「経済学者が歯科医たちと同じ位置にとどまって、控えめで有能な人とみなされるようになることができたとすれば、それはなんとすばらしいことであろうか!」(J.M.ケインズ『説得論集』)。なかなか歯科医のレベルになるのはむつかしい(笑)。
「学派のなかに身をおくことは、とても居心地がよいものですが、それは同時に思考の硬直化をもたらす最大の原因でもあります」
「ケインズは、世の中でケインジアンと呼ばれている人々と自分自身がいかに異なっているかを嘆息しながら、『私は、現在、ただ一人の非ケインジアンであることがわかった』と述べた。」

ケインズがハロッドに宛てた手紙
「私には、経済学は論理学の一部門、すなわち、思考の一方法のように思えます。・・・経済学は、現代世界に適したモデルの選択技術と結びついたモデルによって思考する科学です。そうならざるをえないのは、典型的な自然科学とは違って、経済学が適用される素材が多くの点で時間を通じて同質的ではないからです。
モデルの目的は、半永久的ないし相対的に不変の要因を一時的ないし変動的要因から分離することによって、後者について思考し、またそれが特定の場合において惹起する時間的継起の理解についての論理的方法を開発することなのです。
優れた経済学者が希なのは、よいモデルを選択するための『用心深い観察力』を用いる才能が、高度に専門化された知的技術を必要としないものの、とても希なもののように思われるからです。
私は前に、経済学は内省と価値判断を取り扱うものだと述べましたが、私はさらに、それは動機、期待、心理的不確実性を取り扱うものだと付け加えてもよかったと思います。人は常に素材を不変で同質的なものとして取り扱うことに対して警戒していなければなりません。
経済学は、大地へのリンゴの落下が、落下することに価値があるかどうかというリンゴの動機に依存したり、大地がリンゴに落下してほしいと願ったかどうかということに依存したり、地球の中心からどれだけ離れているかについてのリンゴ側の誤算に依存したりしているかのように考えるものなのです。」

ところで、この手紙のなかには、さらに、経済学は『モラル・サイエンス』であって、自然科学とは異なるという趣旨の文章が続くのですが、このモラル・サイエンスという言葉を直訳して『道徳科学』としたのでは、その意味を理解することはできないでしょう。モラル・サイエンスとはかいつまんで言えば、アダム・スミスやデイヴィッド・ヒュームの時代から続く『モラル・フィロソフィー』の系譜に連なるもので、社会の一員としての人間を取り扱う学問を指しています。したがって、経済学が一つのモラル・サイエンスであるという場合、その意味するところは、人間社会の現象を経済的側面から研究する学問ということになるわけです。

ケインズはあるところで次のように言っています。
「経済学の研究には、なんらかの人並み外れて高次な専門的資質が必要とされるようには見えない。それは知的見地から言って、哲学や純粋科学などのより高級な部門に比べると、はなはだ平易な学科ではあるまいか。それなのにすぐれた経済学者、いな有能な経済学者すら、類まれな存在なのである。平易で、しかもこれに抜きんでた人のきわめて乏しい学科! こういうパラドックスの説明は、おそらく、経済学の大家はもろもろの資質のまれなる組合せを持ち合わせていなければならない、ということのうちに見出されるであろう。そういう人はいくつかの違った方面で高い水準に達しており、めったに一緒には見られない才能をかね具えていなけれなならない。彼はある程度まで、数学者で、歴史家で、政治家で、哲学者でなければならない。彼は記号も分かるし、言葉も話さなければならない。彼は普遍的な見地から特殊を考慮し、抽象と具体とを同じ思考の中で取り扱わなければならない。彼は未来の目的のために、過去に照らして現在を研究しなければならない。人間の性質や制度のどんな部分も、まったく彼の関心の外にあってはならない。彼はその気構えにおいて目的意識に富むと同時に公平無私でなければならず、芸術家のように超然として清廉、しかも時には政治家のように世俗に接近していなければならない。」
もちろん、世の中の経済学者がすべてこのような理想を満たしているわけではありません。とにかく数学が好きで、歴史や政治や哲学などがいっさい関係しない世界に浸って、そこでしか通用しないきわめて洗練されたモデルを作ることに生き甲斐を感じている「数理経済学者」と呼ばれている人たちもいます。しかし、ケインズが理想とする経済学者はそういう人ではないのです。

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